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第二章
続・三鏡という男
しおりを挟む資料室で必要なものをさがす桜木は、あとからやってきた高尾に、手の届かないところに積んである木箱を取ってもらった。
「ありがとうございます、高尾さん。おかげで、脚立を借りずにすみました」
桜木は差しだされた木箱を両手で受けとり、壁際の机に移動した。高尾家に生まれた男は、むやみに背が高い傾向にある。そのため、和服は本人用に仕立てたものしか着ることができず、贔屓にしている呉服屋とは、長い付き合いとなった。高尾が身につける藍紫の着物が躰によくなじんでいるのは、寸法のさい、腕や股下の長さなどを念入りに測り、特別に仕立てあげた証でもある。それなりに繁盛している呉服屋を営む夫婦には鶴子という娘がおり、高尾が舗へ足を運ぶたび、率先して対応した。齢十六あまりの鶴子は生娘(まだ男との性体験なし)だが、父親よりも歳上の高尾に、好意を寄せているようだった。
高尾は長身を屈め、桜木の首筋に顔を近づけた。互いの息が肌に触れる距離につき、さすがに驚いた桜木は、「な、なんですか」と、声がうわずった。
「今朝と、ちがうにおいがしているなと思って」
「におい……、もしかして……」
怪訝な顔をする高尾に、蝙蝠傘の男の話をした桜木は、踊り場で相手の名前を確認していなかった。
「ほう、とんびコートの彼に逢ったのか」
「はい、そうです。おれの顔を見て、穢れがどうとか……。あのひと、何者なんですか」
「三鏡財閥の御曹司で、日和見室長の友人ってところかな」
現在の日本に財閥はなく、事業を受け継ぐ企業は残っている。財閥とは、平たくいえば複数の業種を同族が経営するお金持ちで、独占的出資による資本が中心という特徴があり、業祖の富商が財を築きあげ、最終的に解体されるまで、産業を支配した。三鏡家は、明治に勃興した財閥のひとつである。
「それでは、さっきのひとは、お坊ちゃまってことですか」
「天比古くんは謎めいた青年で、室長さえ、詳しい事情は知らないそうだ」
「そんなひとが、どうして出版社へ」
「自由気ままに旅にでて、立ち寄った土地の人々から聞いた話や実際に自分の目で見てきたものを、手土産として持参してくるのだよ」
現地に赴き、民間伝承や恒例行事などを取材(記録)して、記事の制作にあたり、情報を提供する。三鏡は[帝都あやし]の編集室に顔をだしては、ありのままを日和見に伝えた。
「なんでそんな酔狂な真似を」
「単なる物好きでは終わらないのが、三鏡という男の特徴でね」
「どういう意味ですか、それ」
木箱の中身を確認する桜木は、手をやすめて顔をあげた。紳士ふぜいの高尾は笑みを浮かべ、「さてね」と、見解をはぐらかす。一瞬、桜木は変な顔をしたが、資料室に他の従業員がやってくると、高尾は先に編集室へもどっていく。
「……なにしに来たんだ、あのひと」
資料室に用があったふうには見えなかったが、桜木は細かいことを気にする性格ではないため、本来の目的を優先した。探しものは古地図である。ふと、窓に視線を向けると、いつのまにか雨はやんでいた。視線を感じて四辺を見まわすと、資料室には桜木しかいなかった。
三鏡と出逢ったこの日から桜木の日常は一変するが、彼に巻き込まれた人間は、たくさん存在した。
〘つづく〙
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