三鏡草紙よろづ奇聞

み馬

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第一章

初めての銭湯

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 斧を振りあげて薪を割る結之丞は、ひと息吐いてひたいの汗を手の甲でぬぐった。

 時代の流れで、武士や武家に使えていた者は、庶民生活へと様式が移り変わっていく最中さなか、売却や解体される屋敷があったり、湯屋の改良などが進んでいる。柘榴口ざくろぐちを廃して肩までつかれる湯舟や、板張りの洗い場の設置、天井を高くして明るく開放的な浴室が増えてきた。二階の座敷に休憩処を設け、お茶などを提供する湯屋も登場し、庶民の社交場のひとつとなった。ちなみに、入込み湯といって、男女混浴の形式が多く、のちに禁止令がでるまで、空間を仕切る湯屋は、ほとんどなかった。

 家に入浴設備がある上層の者はかぎられていたが、湯屋の拡大と浴場形態の変化は目ざましく、評判を博している。

「小僧」

 割って間もない薪は乾燥させる必要があるため、屋外の薪棚へ積んでいると、抄子との無駄話を切りあげてきた番頭から「今夜、銭湯に行くぞ」と、声がかかった。

 鹿島屋の奉公人たちは、番頭に連れだされないかぎり、銭湯で入浴することはできない。ふだんは三日にいちど、裏庭の井戸水で身体の汚れを手ぬぐいでくていどである。同室の男衆も、銭湯へ連れだしてもらう回数は少なかった。

 夕餉のあと、浴用の手ぬぐいと寝巻を持って表にでた結之丞は、慈浪の幅広い背中のあとをついて歩き、しばらくすると、木造二階建ての湯屋に到着した。妻入りの町家を思わせる外観が特徴で、軒下に吊りさげた提燈ちょうちんあかりが、ぼんやりゆらいでいる。下駄箱に草履ぞうりをしまい、ふたりぶんの入浴料金を番台の老婆に払った慈浪は、脱衣場に困惑する結之丞をふり向いた。

「なにしてるんだ。早くしろ」

 番頭に着脱を急かされて、ためらいながら裸身はだかになる少年の脇を、妙齢の女が形の良い乳房をゆらしながらとおりすぎていく。見れば、銭湯は男女混浴につき、さまざまな年代の利用客でにぎわっていた。腰に湯褌を締めて湯舟に浸かる慈浪は、勝手がわからず見よう見真似で入浴する少年を放っておき、いつものように、さっさと着がえをすませた。

 熱い湯を浴びてあか火照ほてほおをした結之丞が通りにでてくると、腕組みをする番頭に見おろされた。いつのまにか湯舟に慈浪の姿がないことに気づき、あわてて飛びだしてきたが、「お待たせして、すみません」と頭をさげた。

「新右衛門さんじゃないの」

 淡い黄色の小袖に雪駄せったを着用した女が、暗がりから姿をあらわすなり、慈浪のほうへ歩み寄った。

「相変わらず、いい顔してるねえ。やもめ、、、にしては、勿体ない男だよ。おや、そっちの子は誰だい。どこぞの丁稚でっちかい」

 軽口をたたく女は、蕎麦処の女中頭じょちゅうがしらで、鹿島屋とは古くから付き合いがあり、彼女は若旦那より歳上だった。無遠慮に顔をのぞき込まれた結之丞は、返すことばに詰まった。

「そいつは千幸かずゆき小姓こしょうだ。睦月結之丞という」

「へえ、あの若旦那さまのお気に入りかい。なるほど。よく見ると、かわいい顔してるじゃないのさ」

 なにやら紹介の仕方に語弊があるような気もしたが、結之丞と彼女の交流は、この先もつづくことになる。

「あたしはね、美津子みつこだよ。洗い場で行き合ったら、背中の垢すりをして、汚れを流してやるよ」

 結之丞だけでなく番頭をも茶化して笑うおみつ、、、は、明るい表情のまま銭湯の暖簾をくぐり、姿を消した。茫然となる結之丞だが、無言で歩きだす慈浪の足音が聞こえると、あとを追いかけた。


〘つづく〙
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