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愛 玩 人 体〔54〕
しおりを挟むバージルから譲られた、ギョーシェ文字盤の腕時計で時刻を確認したエイジは、玄関先で室の主を待ち構えていた。時計の針は、朝7時をまわっている。まもなくして、外側からドアが開かれると、エイジは腕組みをして発言した。
「やいやい、バージル。きのうの夜は、何処で何してたンだ! 正直に話せ! 場合によっては……」
などと説教を述べるエイジに、バージルは「隣室だ」と、ごく短く伝えた。
「りんしつ?」
エイジが目を見ひらくと、バージルは人差し指で真横の部屋を示した。
「云ってなかったか? 隣の377号室も、わたしが賃貸契約をしている住居だ」
想定外の返事である。エイジは「マジ!?」と(朝から騒がしく)、声を張りあげた。同時に、以前も自分を376号室にひとり残したまま、実は隣室から監視していたのではと、医師の素行を疑った。逃亡のおそれがある少年を置き去りにして帰るなど、通常では考えにくい。なにやら騙された気分のエイジだが、仕返しにとばかり、腕を伸ばしてバージルの首筋を引き寄せ、口唇を重ねた。エイジに接吻をされても、バージルはこれといって動じない。靴を脱いで室にあがると、台所で朝食の準備を始めた。
ベランダに、洗濯物が干してある。昨晩、バージルが処理していったもので、陽光を浴びてすでに乾いていた。例の女性用パンティーに目を留め、長椅子へ座るエイジに声をかけた。
「きょうの予定だが、わたしは少し、隣室で書類を整理したい。外食は夕飯時でもかまわないか」
やや不貞腐れていたエイジだが、今度こそ外食できると思い、素直に「やった!」と喜んだ。
バージルはモーニングコーヒーしか飲まないらしく、エイジの分だけ朝食を用意する。スクランブルエッグにベーコンが添えてあり、食パンは別の皿に乗せてある。飲み物は温めたココアで、エイジは「いただきます」と云って、箸を動かした。その間に、バージルは洗濯物を片付ける。ふたりきりの空間に平穏な時間が流れた。エイジは愛玩人体であることを忘れ、今だけはひとりの人間として、バージルと正面から向き合いたいと思った。
「ご馳走さまでした」
行儀よく手を合わせて云うと、自分で食器を洗った。
「昼食は冷蔵庫にあるもので、適当に済ませなさい。何か用がある時はこれを使うこと」
バージルはそう云って、エイジの手に小型の通信ツールを渡した。
「使い方は簡単だ。青いスイッチを押して呼び出し、赤いスイッチを押して回線終了、わたしの番号のみを登録してあるから、その他の操作は必要ない」
「青いスイッチを押せば、バージルにつながるンだな」
「そうだ」
「オレならひとりでも大丈夫だよ。ほら、前にバージルから借りた本も持ってきたし、のんびりしてるからさ」
「……そうか」
エイジは、まだ、あの時の分厚い本を読み終えていない。読み始めると必ず眠くなってしまうため、どんなにがんばっても2~3ページが限度だった。活字も小さくて量も多い。せっかくなので、この機会に読破しようと思い、バッグへ入れておいた。本のタイトルは“Just World”である。(愛玩人体〔40〕参照)
バージルが隣室へ姿を消すと、エイジは寂しさを感じたが、長椅子に座り、読書に集中した。とはいえ、難しい文章が(これでもかと)並んでいるため、正確に読むことは不可能だった。1時間かけて10ページほど先へ進んだ頃、ドアホンが鳴る。バージルは隣室(377号室)にいたが、応じる気配はない。3回目のチャイムを鳴らした人物は、ドア越しに「こんにちは」と挨拶をする。やや高めの声だが、男であることは察しがついた。
エイジは、早速手にした通信ツールでバージルを呼び出すべきか迷ったが、ひとまず、内側から鍵を開けた。ドアの前に立っていた男は、ごく一般的な黒いスーツを着ており、片手に書類かばんのほか、足許にアルミのアタッシュケースを置いていた。濃紺の髪を斜め分けにして、きっちり整えている。訪問セールスの類いかと思ったエイジは、無言でドアを閉めようとしたが、男から腕を使って制された。
「愛玩人体のAZ様ですね。じぶんは保健局第二書記官の、オーエン▪T▪ラビロックと申します。本日はバージル博士のご依頼を受け、あなたの健康診断に伺いました」
エイジは一瞬、頭が真っ白になったが、オーエンと名乗る男は「お邪魔します」と云って、室内へ移動した。
「なんだよ、ちょっと待ってくれ。健康診断? なんで急にそんなこと……」
口ごもるエイジをよそに、オーエンはアタッシュケースから採血用の注射器や、聴診器などをテーブルの上に並べている。
(そう云えば、バージルって、こういうの事前に説明しないヤツだった)
「AZ様、こちらにお座りください」
準備を完了したオーエンは、ぼんやりと佇むエイジを見、にっこり笑う。愛想のよさは、レインを上回る。オーエンの見た目は20代半ばくらいで、笑うと頬に靨ができた。
「本当に、バージルから依頼されて来たのか?」
念のため確認すると、オーエンは「予約表を見ますか?」と応じて、書類かばんを、がさごそあさる。エイジは「別にいい」と云って首を振り、相手の指示に従うことにした。
(まあ、確かに、定期検診みたいのは必要かもな)
愛玩人体は健康第一である。そう思い、オーエンの前に腰をおろしたが、すぐさま青ざめた。オーエンは極薄のゴム手袋を装着し、円柱のガラス瓶を手にとって云う。
「では、性病の検査をしますので、下着を脱いでください」
(だから、事前にそーゆーことは教えろよな!)と、エイジは心の中で叫ぶ。
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