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1635年 看板に偽りのみ ~佐伯興廃記~
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人は己の知る知識を足がかりにして未知の事象を知ろうとする。
現代でも「徳川家康が最も恐れた男」として数多くの武将が紹介されるのも、天下を統一した男を起点に興味を持ってもらおうという営業努力の賜物だ。
だとすれば、九州を一度は半分手にし、隠居後にキリシタンを信じた異色の大名 大友宗麟はそれなりに妥当な題材だろう。
上方の人間は大友宗麟の名は聞いたことがある。
だが、彼がどのような人物で、どんな生涯を過ごしたのかは知られていない。
そこに勝機があるかどうか。
それはこの時誰も知る由がなかった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「さて、どうするか?」
佐伯より過分の励ましを貰った杉谷は一時 炎の如き熱量で燃え上がったが、夜になって冷静さを取り戻した。
今までは己の名を売るために文を書いていた。
しかし、今度は佐伯・杉谷家という家を背負って書かねばならない。
そうなれば「売れなくともよい」という姿勢で書くのは不味いだろう。
何かを売るというのは戦略が大事だ。
どれくらいの客を相手に、どれくらいの文量・質の本を売るかを想定しないと文体や構想が練れない。
伊勢の読書人は論語や史記などの古典を好むので、内容はある程度難しくても良い。
また文量的には25枚ほどの紙数で一巻とした方が好まれる。
「すると、話は大きく分けて6つ位が限度じゃな」
と収録する話とそれに振り分ける紙数を計算する。
同じ話ばかりだと単調だ。
勇ましく戦う話の後には、組織内の悲哀など別の話も用意した方が良いのではないか?
いや、あまりにも別系統の話を持ち出すのもよくない。主題はきちんと統一すべきだ。
様々な事態を想定して物語を考える。
そのために、まずは序文から書きだす事にした。
本作を書く上で佐伯惟重から1つだけ注文があった。それは
・登場人物を悪役に仕立てる時は他家を敵に回さないよう注意する事。
である。
『縁というのは大事なものじゃ。下らぬ者にまで誠意を尽くせとは言わぬが、先祖が世話になった方たちの悪口は書かぬ方がよい』
と釘を刺された。
軍記物とは勝者と敗者が存在する。
そのため勧善懲悪という概念がつくりやすく『負けた方は悪者だったから負けたのだ』と書けば読者は納得もするし溜飲も下がる。
佐伯の言葉はそれに釘を刺すものだった。
多くの家に配慮すれば読者は多くなるだろうが、悪を退治して善が勝つと言う爽快感は薄れてしまう。
そうなれば続きを読んでもらえるかが危うくなる。
それを克服するにはどう作中の人物を動かせばよいか?
「……まるで戦の大将になったようじゃな」
と杉谷は苦笑する。
人気が出れば2巻も多くの者に読まれる。そうすれば佐伯様の名も広く広まる。
そのためにも1巻は多くの読者を呼びこむ門となる。
その門を如何に見せるか?
杉谷は2・3日黙考した後、筆をとり紙を染めながら考えた。
「さて、この本はどうやったら広く読まれるだろうか?」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
杉谷が一巻を提出したのは5月のことだった。
「さて、大友家というのはどのような運命を辿ったのでしょうかねぇ」
留吉は審査がてら、本を読み始めた。
本州人にとって九州とはなじみが薄い土地である。
筆者は大学生のみぎり和歌山に滞在していたが大分と言う地名はなじみが薄いようで、友人の中には『別府県』なる呼称で呼んでいた者もいる。
流石は世界の観光地だけあって別府の知名度だけは高い。
そんな未知の土地の歴史に、ほんの少しの好奇心を動かされて紙をめくる。
まず序文として
『予が伝える大神氏の(佐伯)惟重は緒方三郎惟栄より代々大友股肱の臣だったが今は別の場所(伊勢)に住み、随伴していた者も大半は離散した。
ある時、豊後国の80余歳の住人が雨の中を来て、同年代の老父と世間話のついでに豊後の太守義鎮公(=大友宗麟)の事を語った。
側にいた予は二老の言葉、感慨に耐えず、聞いた事を筆に任せて記す。
文が下手なのを顧みない(で出版する)のは、旅愁を慰めるためと、太守が幸薄くして、国を失われ(た事や)陪臣の働きも捨て難いためである。
これを見る方は、誤りの改補あれば(改めるのは)可である。
寛永12年(1635年)5月 日 杉谷某橘宗重』
という書き出しから始まっている。
「なかなか、作者としては興味を持たれそうな設定にされましたな」
留吉は感心したように言う。
つまりこれは『実際に九州の動乱を見た世代の子供』という『今ギリギリ存命する生き証人の証言を書いた物』とすることで本の内容に現実感を持たせているのである。
その上『この物語は古老の伝承を書き留めたもので記憶に一部誤りがあるかもしれないが、老人の勘違いなので許したまえ』という、予防線にもなっている。
そのような目線で書かれた、豊後大名にして九州探題だった大友家の貴重な記録本。大友興廃記。
「どんな内容に仕上げたのでしょうねぇ」
と興味深げに紙をめくる。
その始まりはまず『神代』という章から始まる。
「ほほう。なかなか大上段より物語を始めますな」
大友家の由来では無く、日本創造。
神様の時代から杉谷は物語を始めたのである。
内容は
『天地開闢の時、(世界は)一面黄色で混沌未分、無極だった。ある時、地水が起こり神が生まれた。國常立命、伊邪那岐・伊邪那美の2神である。天神7代の後天照大神から5代続き、4男を神武天皇という…』
世界がどのようにして生まれ、日本がどのようにして生まれたのか、神の子孫から天皇家への系図を解説している。
――となると、次は武士の始め、源頼朝公の家臣として生まれた由来から始まりますか。
そう思いながら留吉は紙をめくる。
そうして次に来たのが『大友家の由来』……………ではなかった。
『大神氏 始の事』
留吉は、無言で表紙を見返した。
そこには『大友興廃記』の字がある。決して大神興廃記でも佐伯興廃記でもない。
「どうやら大友と大神の字を間違えたのでしょうな」
苦笑しながら読み進める。
そこには、平家物語に登場した豊後の大蛇と姫の話が地元人の伝承として事細かに書かれ、何月にどれだけお腹が膨れたか?その様子はどうだったか?そして間に生まれた大神惟基と5代の孫、緒方三郎惟栄の活躍が12枚、全体の半分に渡ってかかれてある。
お陰で、大神氏は5つの氏に分かれた事や緒方三郎は流罪となって本州に来たが、最後には豊後に戻れた事など大神家という一族には非常に詳しくなれた。
大友の名は一つも出てこない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「杉谷様あぁぁぁぁぁ!!!!」
鬼気迫る声で留吉は叫んだ。そして杉谷の前に立つと
「おお、留吉か。どうだ?」
「どうだ?ではございませぬ!これでは大神興廃記ではありませぬか!!!」
題名詐欺だと言わんばかりの抗議をあげる。
当然だ。題名と中身が全然違うのだから。
これに対し杉谷は
――あたりまえじゃ。ワシが書いているのは大神家、そしてその子孫である佐伯家の歴史なのじゃから
そう思ったが、そんな本心はおくびにも出さず、留吉をさとすように言った。
「留吉よ、これは唐国の史書で書かれておる『編年体』と言うものなのじゃ」
耳慣れぬ言葉にとまどう留吉に、杉谷は一拍置いて
「物語が昔に行ったり未来に行ったのでは読む方も混乱するじゃろう?ゆえに大友家が治める前の豊後の様子を書いて、そこから年代順に話を進めた方が読みやすいというものじゃ」
とあくまでも読者の為の書き方なのだと強調する。
「ほれ、大友家が来る前の豊後がどのような状態だったか説明した後にはこの通り、きちんと大友家初代の話が書いてあるじゃろう」
杉谷が言う通り、次の回に『大友能直 豊後へ下向;大野泰基合戦』として1196年に鎌倉幕府が大友家の初代当主、大友能直に豊後を与え統治下に入れようとした話が入っている。
…文量的に、たった1枚の紙なので大神の由来とは扱いが雲泥の差であるが。
その内容は、
『源頼朝は豊後へ大友能直を遣わしたが、能直は建久7(1196)年3月10日に(家臣の)古庄四郎重吉を先に下した。
大神の一門、大野九郎泰基は「九州は先祖から大神姓伝来の国で諸将は皆、従っていた。かくなる上は一戦して名を万天に揚げよう」と神角(寺)を本城に、所々に城郭を構えて古庄と何度も戦った。
(中略)城は落ちないので頼朝が山陽、四国の軍まで出そうとしていると聞こえ(大野は家を守るため)能直に手紙を出して降伏し、自分は同年4月15日に自刎した。能直が豊後に入ると国が治り國人は喜んだ』
とある。
さらりと『九州は先祖から大神姓伝来の国』と書いているがそのような事実は無い。
その後『大友能直の母は刀禰、大友四郎大夫経家の娘。親能の妻と経家の妻は姉妹である』などと大友家の話を簡潔に記し、筑後の名将 星野に仕えたふりをして暗殺した武生という豊後武士の逸話へと話を勧めていた。
そしてその次に『栂牟礼実録』をそのまま掲載した。
大神氏と佐伯氏に関する文書はここまでで全体の3/4。
大神興廃記の名に恥じない内容だった。
そして『せっかく金を出したのだから最後まで見てやろう』と思って読んでいくと最後に『大友義鎮(宗麟)公、御誕生』という題名の話で、ほんの少しだけ大友宗麟が登場するのだ。
しかもその内容は
『大友宗麟公は若いころ武勇の志深く、子供を集めては木刀竹刀で戦の訓練をしたり、庭を見て高いところを城と名付け、大手門搦手を決め子供に攻めさせ、軍の駆け引きで毎日遊んだ。
10歳の時、豊前の時枝城攻めの評定では一方の大将を望み
「昔、坂上田村丸(麻呂)は9歳で伊勢鈴鹿山の鬼退治の大将を務めました。自分は10歳なのです」と言い、義鑑公をはじめ諸臣は「(幼いのに戦場に出て戦おうとするとは)やさしきお志」と涙した。』
という、どこにでもあるお涙ちょうだいな孝行息子の話が紙半分だけである。
後の活躍は一切ない。
なかなかに読者に喧嘩を売るような構成である。
「………姑息………姑息ですなぁ…」
留吉は思わず本音が出た。
読者が一番読みたい情報を最後に一話だけ掲載する。
そして、大友宗麟の話を期待した読者は次巻を読まざるを得ないのである。
姑息としか言いようがない。
「杉谷様。いくら何でもこれは酷いのではないのですか?」
大友家の話を聞こうとして読んだら、何故か佐伯氏と星野氏の出来事に詳しくなった。
しかも一番の有名人である宗麟の話は、どう見ても創作された作り話である。
「これでは読者は納得しませんよ」
暗に『書き直せ』と言っているのだが杉谷は素知らぬ顔で
「かまわんよ。講談の三国志でも人気が無ければ、原作ではまだ出番ではないうちから孔明を出して客寄せにしておる。史実では3歳なのにな。それでも客は喜ぶのじゃ。売るつもりならそれくらいで丁度よいだろう」
と言った。
「それでは詐欺ではないですか!」
留吉の堪忍袋は爆発した。
「大友家の侵攻に抵抗した大野泰基が、一度目は旗だけの部隊を用意して「旗に鳥が止まっているから偽物だ」と大友軍に見破らせた上で、二回目に作りものの鳥を旗に乗せたため、無人と思って攻め込んだ兵が伏兵に一網打尽にされる話は面白かったですよ!また名将 星野を倒すために単身潜入した男が、星野の寵愛をはずれた小姓を籠絡して討たせた話も面白かったです!でもその5倍は佐伯様の話ではないですか!もっとこういう話を書いてくださいよ!」
お前は分量というものを知らないのか?と言わんばかりの声で抗議する。すると
「そんな大衆に受けそうな話を3つも4つも創作できるか!読者が喜びそうな嘘を考えるのは大変なんだぞ!」
「全部ねつ造ですか!?あなた作家としての誇りをどこに捨ててきたんですか!」
たまらず留吉は言う。しかし杉谷は
「お主は朝倉宗滴様の次の言葉を知らんのか」
と急に態度を改め室町時代の名将の名を出しさらさらと筆を滑らせた。
・武者は犬ともいへ、畜生ともいへ、勝つ事が本にて候
(訳;武者というものは犬と言われようと、畜生と言われ罵られようとも、 勝てばよろしかろうなのだ)
「主命の前には誇りなど反故のように何枚でも捨ててやるわい!悪魔に魂を売って作品が売れるなら来世の分まで叩き売るわ!!」
と開き直ったものである。
すがすがしいまでに腐りきった性根で書かれた本は、流石にあんまりなので最初の大神氏が生まれる際の細かい描写(紙5枚分)を紙一枚に省略して発行された。
さて、この本の売れ行きや如何に?
なお、省略した部分は後に『剣の巻』という大神家の話だけで構成された話の付録として全て収録した。
杉谷にとって大神家に関する記録で省略する部分など無いのである。
現代でも「徳川家康が最も恐れた男」として数多くの武将が紹介されるのも、天下を統一した男を起点に興味を持ってもらおうという営業努力の賜物だ。
だとすれば、九州を一度は半分手にし、隠居後にキリシタンを信じた異色の大名 大友宗麟はそれなりに妥当な題材だろう。
上方の人間は大友宗麟の名は聞いたことがある。
だが、彼がどのような人物で、どんな生涯を過ごしたのかは知られていない。
そこに勝機があるかどうか。
それはこの時誰も知る由がなかった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「さて、どうするか?」
佐伯より過分の励ましを貰った杉谷は一時 炎の如き熱量で燃え上がったが、夜になって冷静さを取り戻した。
今までは己の名を売るために文を書いていた。
しかし、今度は佐伯・杉谷家という家を背負って書かねばならない。
そうなれば「売れなくともよい」という姿勢で書くのは不味いだろう。
何かを売るというのは戦略が大事だ。
どれくらいの客を相手に、どれくらいの文量・質の本を売るかを想定しないと文体や構想が練れない。
伊勢の読書人は論語や史記などの古典を好むので、内容はある程度難しくても良い。
また文量的には25枚ほどの紙数で一巻とした方が好まれる。
「すると、話は大きく分けて6つ位が限度じゃな」
と収録する話とそれに振り分ける紙数を計算する。
同じ話ばかりだと単調だ。
勇ましく戦う話の後には、組織内の悲哀など別の話も用意した方が良いのではないか?
いや、あまりにも別系統の話を持ち出すのもよくない。主題はきちんと統一すべきだ。
様々な事態を想定して物語を考える。
そのために、まずは序文から書きだす事にした。
本作を書く上で佐伯惟重から1つだけ注文があった。それは
・登場人物を悪役に仕立てる時は他家を敵に回さないよう注意する事。
である。
『縁というのは大事なものじゃ。下らぬ者にまで誠意を尽くせとは言わぬが、先祖が世話になった方たちの悪口は書かぬ方がよい』
と釘を刺された。
軍記物とは勝者と敗者が存在する。
そのため勧善懲悪という概念がつくりやすく『負けた方は悪者だったから負けたのだ』と書けば読者は納得もするし溜飲も下がる。
佐伯の言葉はそれに釘を刺すものだった。
多くの家に配慮すれば読者は多くなるだろうが、悪を退治して善が勝つと言う爽快感は薄れてしまう。
そうなれば続きを読んでもらえるかが危うくなる。
それを克服するにはどう作中の人物を動かせばよいか?
「……まるで戦の大将になったようじゃな」
と杉谷は苦笑する。
人気が出れば2巻も多くの者に読まれる。そうすれば佐伯様の名も広く広まる。
そのためにも1巻は多くの読者を呼びこむ門となる。
その門を如何に見せるか?
杉谷は2・3日黙考した後、筆をとり紙を染めながら考えた。
「さて、この本はどうやったら広く読まれるだろうか?」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
杉谷が一巻を提出したのは5月のことだった。
「さて、大友家というのはどのような運命を辿ったのでしょうかねぇ」
留吉は審査がてら、本を読み始めた。
本州人にとって九州とはなじみが薄い土地である。
筆者は大学生のみぎり和歌山に滞在していたが大分と言う地名はなじみが薄いようで、友人の中には『別府県』なる呼称で呼んでいた者もいる。
流石は世界の観光地だけあって別府の知名度だけは高い。
そんな未知の土地の歴史に、ほんの少しの好奇心を動かされて紙をめくる。
まず序文として
『予が伝える大神氏の(佐伯)惟重は緒方三郎惟栄より代々大友股肱の臣だったが今は別の場所(伊勢)に住み、随伴していた者も大半は離散した。
ある時、豊後国の80余歳の住人が雨の中を来て、同年代の老父と世間話のついでに豊後の太守義鎮公(=大友宗麟)の事を語った。
側にいた予は二老の言葉、感慨に耐えず、聞いた事を筆に任せて記す。
文が下手なのを顧みない(で出版する)のは、旅愁を慰めるためと、太守が幸薄くして、国を失われ(た事や)陪臣の働きも捨て難いためである。
これを見る方は、誤りの改補あれば(改めるのは)可である。
寛永12年(1635年)5月 日 杉谷某橘宗重』
という書き出しから始まっている。
「なかなか、作者としては興味を持たれそうな設定にされましたな」
留吉は感心したように言う。
つまりこれは『実際に九州の動乱を見た世代の子供』という『今ギリギリ存命する生き証人の証言を書いた物』とすることで本の内容に現実感を持たせているのである。
その上『この物語は古老の伝承を書き留めたもので記憶に一部誤りがあるかもしれないが、老人の勘違いなので許したまえ』という、予防線にもなっている。
そのような目線で書かれた、豊後大名にして九州探題だった大友家の貴重な記録本。大友興廃記。
「どんな内容に仕上げたのでしょうねぇ」
と興味深げに紙をめくる。
その始まりはまず『神代』という章から始まる。
「ほほう。なかなか大上段より物語を始めますな」
大友家の由来では無く、日本創造。
神様の時代から杉谷は物語を始めたのである。
内容は
『天地開闢の時、(世界は)一面黄色で混沌未分、無極だった。ある時、地水が起こり神が生まれた。國常立命、伊邪那岐・伊邪那美の2神である。天神7代の後天照大神から5代続き、4男を神武天皇という…』
世界がどのようにして生まれ、日本がどのようにして生まれたのか、神の子孫から天皇家への系図を解説している。
――となると、次は武士の始め、源頼朝公の家臣として生まれた由来から始まりますか。
そう思いながら留吉は紙をめくる。
そうして次に来たのが『大友家の由来』……………ではなかった。
『大神氏 始の事』
留吉は、無言で表紙を見返した。
そこには『大友興廃記』の字がある。決して大神興廃記でも佐伯興廃記でもない。
「どうやら大友と大神の字を間違えたのでしょうな」
苦笑しながら読み進める。
そこには、平家物語に登場した豊後の大蛇と姫の話が地元人の伝承として事細かに書かれ、何月にどれだけお腹が膨れたか?その様子はどうだったか?そして間に生まれた大神惟基と5代の孫、緒方三郎惟栄の活躍が12枚、全体の半分に渡ってかかれてある。
お陰で、大神氏は5つの氏に分かれた事や緒方三郎は流罪となって本州に来たが、最後には豊後に戻れた事など大神家という一族には非常に詳しくなれた。
大友の名は一つも出てこない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「杉谷様あぁぁぁぁぁ!!!!」
鬼気迫る声で留吉は叫んだ。そして杉谷の前に立つと
「おお、留吉か。どうだ?」
「どうだ?ではございませぬ!これでは大神興廃記ではありませぬか!!!」
題名詐欺だと言わんばかりの抗議をあげる。
当然だ。題名と中身が全然違うのだから。
これに対し杉谷は
――あたりまえじゃ。ワシが書いているのは大神家、そしてその子孫である佐伯家の歴史なのじゃから
そう思ったが、そんな本心はおくびにも出さず、留吉をさとすように言った。
「留吉よ、これは唐国の史書で書かれておる『編年体』と言うものなのじゃ」
耳慣れぬ言葉にとまどう留吉に、杉谷は一拍置いて
「物語が昔に行ったり未来に行ったのでは読む方も混乱するじゃろう?ゆえに大友家が治める前の豊後の様子を書いて、そこから年代順に話を進めた方が読みやすいというものじゃ」
とあくまでも読者の為の書き方なのだと強調する。
「ほれ、大友家が来る前の豊後がどのような状態だったか説明した後にはこの通り、きちんと大友家初代の話が書いてあるじゃろう」
杉谷が言う通り、次の回に『大友能直 豊後へ下向;大野泰基合戦』として1196年に鎌倉幕府が大友家の初代当主、大友能直に豊後を与え統治下に入れようとした話が入っている。
…文量的に、たった1枚の紙なので大神の由来とは扱いが雲泥の差であるが。
その内容は、
『源頼朝は豊後へ大友能直を遣わしたが、能直は建久7(1196)年3月10日に(家臣の)古庄四郎重吉を先に下した。
大神の一門、大野九郎泰基は「九州は先祖から大神姓伝来の国で諸将は皆、従っていた。かくなる上は一戦して名を万天に揚げよう」と神角(寺)を本城に、所々に城郭を構えて古庄と何度も戦った。
(中略)城は落ちないので頼朝が山陽、四国の軍まで出そうとしていると聞こえ(大野は家を守るため)能直に手紙を出して降伏し、自分は同年4月15日に自刎した。能直が豊後に入ると国が治り國人は喜んだ』
とある。
さらりと『九州は先祖から大神姓伝来の国』と書いているがそのような事実は無い。
その後『大友能直の母は刀禰、大友四郎大夫経家の娘。親能の妻と経家の妻は姉妹である』などと大友家の話を簡潔に記し、筑後の名将 星野に仕えたふりをして暗殺した武生という豊後武士の逸話へと話を勧めていた。
そしてその次に『栂牟礼実録』をそのまま掲載した。
大神氏と佐伯氏に関する文書はここまでで全体の3/4。
大神興廃記の名に恥じない内容だった。
そして『せっかく金を出したのだから最後まで見てやろう』と思って読んでいくと最後に『大友義鎮(宗麟)公、御誕生』という題名の話で、ほんの少しだけ大友宗麟が登場するのだ。
しかもその内容は
『大友宗麟公は若いころ武勇の志深く、子供を集めては木刀竹刀で戦の訓練をしたり、庭を見て高いところを城と名付け、大手門搦手を決め子供に攻めさせ、軍の駆け引きで毎日遊んだ。
10歳の時、豊前の時枝城攻めの評定では一方の大将を望み
「昔、坂上田村丸(麻呂)は9歳で伊勢鈴鹿山の鬼退治の大将を務めました。自分は10歳なのです」と言い、義鑑公をはじめ諸臣は「(幼いのに戦場に出て戦おうとするとは)やさしきお志」と涙した。』
という、どこにでもあるお涙ちょうだいな孝行息子の話が紙半分だけである。
後の活躍は一切ない。
なかなかに読者に喧嘩を売るような構成である。
「………姑息………姑息ですなぁ…」
留吉は思わず本音が出た。
読者が一番読みたい情報を最後に一話だけ掲載する。
そして、大友宗麟の話を期待した読者は次巻を読まざるを得ないのである。
姑息としか言いようがない。
「杉谷様。いくら何でもこれは酷いのではないのですか?」
大友家の話を聞こうとして読んだら、何故か佐伯氏と星野氏の出来事に詳しくなった。
しかも一番の有名人である宗麟の話は、どう見ても創作された作り話である。
「これでは読者は納得しませんよ」
暗に『書き直せ』と言っているのだが杉谷は素知らぬ顔で
「かまわんよ。講談の三国志でも人気が無ければ、原作ではまだ出番ではないうちから孔明を出して客寄せにしておる。史実では3歳なのにな。それでも客は喜ぶのじゃ。売るつもりならそれくらいで丁度よいだろう」
と言った。
「それでは詐欺ではないですか!」
留吉の堪忍袋は爆発した。
「大友家の侵攻に抵抗した大野泰基が、一度目は旗だけの部隊を用意して「旗に鳥が止まっているから偽物だ」と大友軍に見破らせた上で、二回目に作りものの鳥を旗に乗せたため、無人と思って攻め込んだ兵が伏兵に一網打尽にされる話は面白かったですよ!また名将 星野を倒すために単身潜入した男が、星野の寵愛をはずれた小姓を籠絡して討たせた話も面白かったです!でもその5倍は佐伯様の話ではないですか!もっとこういう話を書いてくださいよ!」
お前は分量というものを知らないのか?と言わんばかりの声で抗議する。すると
「そんな大衆に受けそうな話を3つも4つも創作できるか!読者が喜びそうな嘘を考えるのは大変なんだぞ!」
「全部ねつ造ですか!?あなた作家としての誇りをどこに捨ててきたんですか!」
たまらず留吉は言う。しかし杉谷は
「お主は朝倉宗滴様の次の言葉を知らんのか」
と急に態度を改め室町時代の名将の名を出しさらさらと筆を滑らせた。
・武者は犬ともいへ、畜生ともいへ、勝つ事が本にて候
(訳;武者というものは犬と言われようと、畜生と言われ罵られようとも、 勝てばよろしかろうなのだ)
「主命の前には誇りなど反故のように何枚でも捨ててやるわい!悪魔に魂を売って作品が売れるなら来世の分まで叩き売るわ!!」
と開き直ったものである。
すがすがしいまでに腐りきった性根で書かれた本は、流石にあんまりなので最初の大神氏が生まれる際の細かい描写(紙5枚分)を紙一枚に省略して発行された。
さて、この本の売れ行きや如何に?
なお、省略した部分は後に『剣の巻』という大神家の話だけで構成された話の付録として全て収録した。
杉谷にとって大神家に関する記録で省略する部分など無いのである。
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雨川 海(旧 つくね)
歴史・時代
後に新撰組副長となる土方歳三は、日野の豪農の四男として生まれる。小さい時はバラガキ(触ると怪我をするの意味)と呼ばれた若者だったが、石田散薬の製造と販売を任され、充実した毎日を送っていた。歳三は親戚の佐藤彦五郎の道場に通っていたが、そこで出稽古に来ていた近藤勇たちと親しくなる。行商の傍ら江戸の道場にも通い、試衛館に馴染んで行く。そんな時、半分侍の歳三に正式な武士になれる機会が訪れる。乗る気まんまんな試衛館の連中に誘われ、歳三も京都へ向かう事になってしまう。幕末騒乱の中、剣に生きる男たちの物語。
注 本作は実際の史実を参考にしていますが、内容は全てフィクションです。
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