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第73話:レウシア、禁書庫を歩く

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 書架の通路を突き進み、扉を抜け、入り組んだ廊下を通り、さらに扉を開け――そしてエルたちは

【王立図書館】の裏手にひっそりと隠された《禁書庫》は、書庫というよりはまるで、巨大な鳥籠の中に造られた庭園のようだった。

 敷き詰められた芝生には黄色い花が散見し、無作為に点在する大きな本棚のいくつかは、絡みついた蔦で覆われている。

 足元から伸びる白い石畳の道の先には、小さな丘があるのが見えた。
 その丘へと続く橋の下には、人工と思しき川が流れているようだ。

 あちこちに散らばる書架と共存して、やけに葉の大きい樹木が茂っているのを眺めつつ、ヴァルロは怪訝な顔で傍らのエインに問いかけた。

「これが書庫だぁ? お貴族サマがピクニックでもしながら、昼の駄弁だべりに使う場所にしか見えねぇぞ? お嬢サマ、お紅茶をお淹れいたしましょうか? ってな」
「あ、じゃあボクはお砂糖多めでお願いするのですっ!」
「ざけんなよケット・シーかぶり。……こりゃどういうこったよ? どう見たって本を保管するって場所じゃあねぇぞ?」
「え? それってボクがケット・シー並みに超絶可愛いって意味ですかぁ? ――あ、違う? むむむ、なーんでだよーぅ。素直になろうよぉ」

 じろりと睨まれ、改造修道服姿の少女は不満げに頬を膨らます。
 エインはヴァルロを半眼で見据え返すと、次いでびっと、川の上流にあたる方角を指差した。

「まあ、説明もしてあげますけど、見てもらったほうが早いかもですよ?」

   *   *   *

 先に歩き始めたエインに続き、一同は白い石畳の道を外れ、芝生の上をゆっくりと進んだ。

 鳥籠内の景観は、四方を高い煉瓦の壁に取り囲まれているというのに妙に明るく、不思議な解放感すらあった。

 ふとレウシアが首を傾げて、サーシャの袖を引き立ち止まる。

「……なんか、いる、よ?」
「えっ!?」
「あ?」

 ヴァルロとエルが驚いて、即座に足元の地面に視線を落とす。
 レウシアはぼんやりと周囲を見回してから、四角く切り取られた空を見上げて、小さな指をすっと伸ばした。

「……いた」
「――っ!? なんすか、ありゃあ!?」

 サーシャの口から驚愕の声が漏れる。

 レウシアの指し示す先、白く光る小鳥のようなモノが鳥籠の鉄格子を抜けようとして、ぱちりと弾け、消滅した。

「鳥……いや、虫っすかね?」
「あー、本の妖精さんですよぅ。っていうかエル様、地面になにかいるんですかぁ? なんか驚いてましたけど」
「えっ? あ、いえ、少し嫌な思い出が……」
「ほえ?」

 きょとんとした顔で地面を見やり、エインが二度、三度と大きく足踏みをする。
 ミニスカートのスリットから白い太ももを晒しつつ、足元になにも潜んでいないことを確認してから、エインは川の始点を指し示した。

「……まあいっか。ほらほら、あれがかの有名な〝水の魔導書〟です。〝湧き水ちゃん〟って、ボクは呼んでますけれど」
「私は〝川の元〟って、呼んでました……」
「センスないですねぇ」
「…………」

 伸ばしたエインの指の先、大理石の台座の上には一冊の本が置かれている。
 そこからとめどなく溢れる水が、庭園を流れる川を作り出しているようだ。

 黙り込んだ聖女をちらりと見やり、改造修道服姿の少女は別の台座をぴっと指差す。

「まあ、あんまり《禁書庫》に来る暇なんてなかったでしょう聖女様はさておき。あっちが〝封印の書〟、つまり〝白紙の書〟さんが置かれてた台座です。見覚え、ありませんかね?」
「……ある、ような、ない、ような。……いや、たしかに我は、ここから書を――」
「うーん、やっぱりそうみたいですねぇ……」

 レースの袖で口元を隠し、エインがぼそりと独り言ちる。
 丘に点在する書架を眺めて、エルはぽつりと提案する。

「あの、私は向こうの本を見て来るので、ヴァルロさんたちは待っていてくれませんか? 本棚には、触れないようにお願いします。あっちにテーブルがあるので、レウシアさんと一緒にそこに――」
「あん? だからどういうこったよ? 水が出る本があるから川を拵えて流してるのはわかったが、かといって書庫をこんな草っぱらにしちまうこたぁねぇだろうが。……やっぱり休憩所かなんかなんじゃねぇのか? ここは」
「理解の遅い人ですねぇ」

 エルの言葉を遮るようにヴァルロが問うと、エインが嘆息し、両手を広げてくるりと回る。

「だからぁ、ここにある本はほとんどみーんな、魔導書なんですよぅ! この草も木も、さっきの妖精さんも、ぜんぶぜんぶ本から出てきたのですっ! この【魔封じの檻】に閉じ込めておかないと、いまごろ王都は〝魔法の森〟の中ですよぅ?」
「――ッ!?」

 息を呑み、ヴァルロとサーシャが周囲を見回す。
 明らかに自然のものと思える植物たちは、よく観察すればそのどれもが、二人の見たことのない種類のモノであるようだった。

「……なるほどな。ここにあるのが、やべぇモンだってこたぁわかったよ。つーか、そう考えるとレウシアの持ってるそいつも、じつは相当危ねぇもんなんじゃねぇのか?」
「んー? まあそうなんですけどねぇ。レウシアちゃんは気に入っちゃってるみたいですし、勇者であるサーシャお姉さんの仲間なら、無理やり取り上げるのもどうなのかなぁって。……いちおう訊きますけど、返してくれたりしないですよねん?」
「……やだ、よ?」
「ですよねぇ。まあボクも、自我の芽生えた魔導書ちゃんをここに幽閉するのって、なーんか可哀そうだなぁと思いますし……」

 ぽりぽりと頬を掻きながら「それにボク、その本の回収なんて命じられてないですし」と付け加えるエインを見て、サーシャが思い出したようにぽんと手を打つ。

「ああ、そういやっすね――」
「ほえ? どしたんです? ……ふむふむ? えっ!? なにそれおもしろ――あっ、いや、問題ないですよぉ! じゃあじゃあ、そのまま大事にしてあげてくださいねん?」
「ぅ? わかっ、た」

 サーシャが苦笑いを浮かべながらエインに何事か耳打ちすると、エインはぶっと噴き出してから、レウシアへ向きなおり魔導書を所持する許可をした。

 前下がりボブのもみあげの下、ぴくぴくと痙攣する頬を眺めて、レウシアはこてんと首を傾げる。

「……なあ、そもそも我は、いや我には、なにゆえ自我が芽生えたのだ? この記憶は、まさか……」
「えー? そんなのボクに訊かれてもなぁ、と言いたいところですけどぉ。……魔導書ちゃん、自分の出身地、わかります?」
「は? 出身地だと? それは王都の……いや、我は港町で……我は貴族の――きぞ、く?」
「それが答えじゃないですかねぇ。まあボクの考えどおりなら、生贄にした勇者サマ御一行の記憶を混ぜて生まれたのが、魔導書ちゃん、あなたですよぅ」

 改造修道服姿の少女は呆れたように、三日月形の口元を、レースの袖で隠して告げる。

「……き、おく。いや、我は偉大なる魔導書で……我は、我は偉大なる……なら、我は、俺は、私は、いったい、誰なのだ……?」

 前任の勇者と同じ声音で、
 貴族出身の神官らしい尊大な自尊心で、
 そして、いまは虚ろなその自己意識で――魔導書がぽつりと、問いかけた。
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