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第67話:レウシア、本の露店を発見する

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 交渉を終え、酒場から出て、貴族令嬢に扮したエルが通りを歩く。
 周囲を行き交う人々は、亜人の愛玩奴隷をも連れた彼女の姿から目を逸らし、そそくさと通りの端に寄って道を譲った。

 エルの後ろをついて歩きながら、燕尾服姿のヴァルロはオールバックに固められた己の頭に手を触れて、すぐに顔をしかめてその手を下ろした。恐らく掻こうとしたのだろうが、崩れてしまうので諦めたらしい。

「まあ、店を開く場所は確保できたんだ。なんとかなんだろ」
「だといいですけどね。……少し軽率過ぎたのでは?」
「あん? てめぇがまたカモられそうに――いや、そうだな。すまねぇ。……チッ」

 ぼそりと謝罪し、ヴァルロの口から舌打ちが漏れる。
 街で商売をするにあたり、商人組合ギルドと手を組まずにそれを行おうとすることは、かなりリスクの高い行為だ。
 今回の〝挨拶〟の結果、表向きには彼らの許可を得られた形になってはいるが、実際のところは無理やり押さえつけただけにも等しい状況だった。

「……とにかく、ヴァルロさんの正体もバレちゃいましたし、面倒事になる前に、さっさと品物を売ってしまったほうがよいのかもしれないですね」

 嘆息し、エルが意見を投げかける。
 商業許可証には他の街のものとはいえ、領主と、そして〝教会〟の印がある。

 ヴァルロたち元海賊団が衛兵に突き出されるような事態にはならないはずだが、それでも不安は拭えなかった。

「それについちゃ同意だが、値段に関してはアイツらの意見も汲んでやれよ?」
「なぜです? 滅茶苦茶な値段設定じゃないですか。仕入れた値の十倍以上ですよ……?」

 当然だが、街から街へ品物を運ぶには相応の費用と時間がかかる。
 商人たちの指定した値段はそれらのコストを上乗せした金額であり、不用意に相場を下げられることによる価格競争の発生を防ぎ、彼らの利権を守るための要求なのだが、それを知らないエルにとっては嫌がらせとしか思えない。

 売れ残るようならば一旦引き取り、あちらで売って利益を分配するとも言ってはいたが、むしろそれが狙いなのではないだろうかと邪推してしまう。

「貴族相手に売るわけではないのです。私たちが生きていける分だけ稼げれば、十分ですよ」
「……私たち、か」
「なにか?」
「いーや、なんでもねぇよ」

 ヴァルロが苦笑し、エルは怪訝な目で元海賊の男を見やった。
 いつの間にやら、彼ら海賊団への帰属意識が芽生えてしまっていることに、聖女エル本人は気づいていない。

「……つっても、次の航海と仕入れにかかる金も勘定に入れなきゃなんねぇからな、無駄に安くするわけにもいかねぇよ。商いに関しちゃ俺たちゃ素人だ。もう少し、先輩方からお話を聞けりゃよかったんだが」
「あなたが台無しにしたんじゃないですか」
「へいへい、反省してますよっと。……ん? どうした、レウシア?」
「……?」

 会話を切り上げたヴァルロがふと見ると、レウシアは通りの一角にじっと視線を向けていた。
 亜人奴隷から見られていると勘違いした通行人が、嫌そうに顔をしかめて足早に通り過ぎていく――のだが、竜の少女が見ているのは彼らではなく、通りの端に点在する簡素な露店の一つであった。

「……ごほん、だ」
「あん? 本だと? 確かに珍しいっちゃ珍しいが」
「え? 本が珍しいのですか……? あっ、レウ――ッ!?」
「――っと、おわッ!? 待てこのバカッ!」
「きゅっ!?」

 光りモノでも食料でもないのに、興味を示して近寄ろうとしたレウシアが、ヴァルロに翼の根元を掴まれる。
 レウシアはヴァルロを引き摺りかけたが、そこを掴まれるのは苦手らしい。びくりと体を震わせ立ち止まったあと、じとりと半眼で振り返った。

「……そこ、嫌」
「嫌、じゃねぇよ。〝飼い主〟から離れるなっつっただろうが!」
「……むぅ」
「まあ、いいじゃないですか。少し覗いていきましょう」
「でッ!? なにしやが――」
「なにか?」
「……チッ」

 偽執事の足を踏みつけながら、偽令嬢が露店へ歩み寄る。
 ヴァルロが翼から手を放すと、レウシアはとててっと露店に走り寄り、その後ろから顔を伏せたまま、メメリもおずおずとつき従った。

「ん? おお、お客さんだね。……あっ、しかも貴族のお嬢サマだ! どうです? どれか買っていってくれないですかい? この抒情詩集なんてどうだい?」
「え? えと……」
「ああそうだ! 英雄サマの恋愛譚もあるよっ! 女の子に大人気らしいんだ、これ!」

 貴族令嬢に扮したエルを見て、店主の男が一瞬だけ敬語になり、すぐに地を出しながら本を薦める。

 店主は茶色い髪をぼさぼさに伸ばした、歳若い男であった。
 元はよい生地を使っているのであろう彼の衣服は、しかし薄汚れてしまっており、あまり商人らしい印象ではない。

「……とくに惹かれないですね」
「え? そ、そうかい? じゃあこっちはどうだろう? 眉目秀麗な王子様と貴族のお嬢様の恋愛で――」
「普通に要らないです」
「そ、そう……」

 薦められた本をパラパラと捲り、すぐに興味を失ったエルが本を店主に返却する。
 活版印刷の技術が拙いのか、粗雑な本はどれも文字の擦れが目立つ。――内容が気に入らないのもあるが、単純に読み辛そうだった。

 レウシアがこてんと首を傾げて、露店に並んだ本たちを、不思議そうにじぃっと見つめる。

「……これ、全部、喋る、の?」
「む――」
「いいえ、喋りませんよ。どれか欲しいものはありますか?」
「……んーん、喋らない、なら、いい」
「そう、ですか」

 竜の少女の質問に、その腕に抱かれた魔導書が言葉を返しかけ、押し黙る。
 亜人奴隷が問いを発することを許し、尚且つそれに優しげに答えている令嬢の姿に、店主の男が訝しげに目を細める――と、執事姿のヴァルロが一冊の本を手に取った。

「これを頂きましょう。おいくらですかな?」
「お、まいど!」
「っ!?」

 信じられないものを見たような顔で、エルがヴァルロを振り返る。
 執事に扮した元海賊は店主に銅貨を手渡すと、貴族に扮した聖女様に恭しく本を差し出した。

「お嬢様は以前に、医学のお勉強をされたいと仰っておりましたので」
「そ、そうでしたか?」
「しっかり学ぶとよいでしょう。特に、骨折した際の適切な治療法について」
「……ええ、そうですね」

 ひくひくと頬を痙攣させながら、エルが本を両手で受け取る。
 民間に出回るような医学書など、信用できる内容だとは思えない。以前ヴァルロの骨折を《回復魔法》で治したときの手際についての、皮肉だとしか思えなかった。

「あっ! これって、もしかして料理のほ――あうっ!?」
「それにしても珍しいですね? 本の店とは」
「いやいや、これからは平民も本を読む時代ですよ!」

 料理本に目を輝かせたメメリの巻き角を掴んで黙らせながら、偽執事が店主と会話する。
 偽令嬢のエルには〝本が珍しい〟という感覚がわからず、彼女はそれよりもっと珍しい、丁寧語のヴァルロを引き攣った顔で窺い見ていた。

「ほぅ。それで、売れるものなのですか? 本というのは」
「いやぁ、それがサッパリ。でもね、私ゃいつかこの商売が――っと、失礼。そろそろ店仕舞いの時間だ」
「ほう?」

 話の途中、急にそそくさと並べた商品を纏め始める店主の男。
 彼は束ねた本を素早く紐で縛り上げ、それを肩へと担ぎ上げる。露店が跡形もなく片づくまで、ものの数秒の出来事だった。

 その手際のよさに口の端を持ち上げながら、ヴァルロは立ち去ろうとする男へ一声かける。

「明日もやってるかい?」
「――さあね」

 店主の男が走り去り、やがてそのあとを追うように、数人の男たちが足早に通り過ぎていく。
 購入した本をちらりと横目で見られたが、貴族に扮したエルの姿に声をかけてくる者はいなかった。

「……あの野郎、使えるかもしれねぇな」
「なにがです?」
「いや――」

 元船長がぼそりと呟き、店主の男の消えた先、裏路地へ鋭い視線を送る。
 街人に扮した神官たちは、男を追って、その路地へ慌ただしく入っていった。




 きょうは まちに いきました

 なんだか えるが いつもより おめめ ぐるぐるでした

 くびわは すこし じゃまだけど

 このふくは はねが だせて らくです

 ごはんの まえに くびわ はずしたら

 しょくどうから もどったとき えるが つけてました

 べつに ほしいなら あげるよ?

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