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第55話:巻き角の少女
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「――誰か、ですか?」
「……うん」
呆けたように聖女が尋ね、竜の少女がこくんと頷く。
「っ、え、あの、その方はまだ、生きていらしたのですか?」
「……たぶ、ん?」
「大変ですっ!?」
「――お前ら、無事か……」
ばっと巨大な怪物の口へ目を向けながら、エルが焦って大声を出すと、その背後からヴァルロの擦れた声がかかった。
彼は折れた右腕をだらんと下げて、片足を庇うようにひょこひょことエルたちに歩み寄り、伏した怪物の姿を見据えた。
「竜が飲まれちまったか。……クソッ、腹ぁ掻っ捌いて取り出すしかねぇな。まだ生きてっかは知らねぇが」
うんざりとした口調で言いながら、周囲の様子を窺うヴァルロ。
どうやら他の二匹の走竜は、どこかへ逃げてしまったようである。
「ヴァルロさんっ!? そ、それより《回復魔法》を! ああでも、どなたか人も飲み込まれてるみたいでっ!? 早く助けないとっ!?」
「……落ち着けよ。一個ずつやれ」
「は、はい!」
「ん? ああ、おい、ちょっと待て――」
エルが《回復魔法》をかけ始めると、ヴァルロは顔を歪めながら、自身の折れた右腕を左腕で引っ張った。
「ッ――こんなもんか。痛ぇなクソ」
「え? あの、なにをして……?」
「なにを、じゃねぇよ。折れたまま、変な形に繋がっちまうだろうが。……意外と万能でもねぇのな、それ」
「ッ!? ご、ごめんなさいっ」
エルが勢いよく頭を下げ、銀髪に付着した泥が飛ぶ。
――どうやら聖女が落ち着くまでには、まだ少し時間が必要そうだ。
ヴァルロは横たわる怪物を訝しげに見上げた。
「にしても、なんなんだこいつ? 見たことねぇ生きもんだ。カバみてぇな魔物……いや、角の生え方が気持ち悪ぃが、サイか? どのみち図体がでか過ぎる。なにを食ってこんなにでかくなったんだ? ここらじゃ餌が足んねぇだろ……?」
「っ!? そ、そうでした! まだ中に、食べられた人がいるってレウシアさんが!」
「走竜もな。……チッ、剣を取ってくらぁ。こりゃ捌くのも一苦労しそうだ――ん? なんだレウシア?」
弾き飛ばされた際に落とした剣を拾うため、ヴァルロが踵を返そうとすると、レウシアがその外套の裾を掴む。
竜の少女は元船長の顔を見つめると、小首を傾げてぽつりと尋ねた。
「……これ、食べ、る、の?」
「いや、食わねぇが――」
「……じゃあ、だめだ、よ?」
「あん? なに言ってやがる? 飲み込まれた走竜を、取り返さねぇといけねぇだろうが」
吐き捨てるように答えながら、ヴァルロがふと怪物に目を向ける。
横たわる灰色の巨大な頭部で、分厚い瞼は閉じられており、小山のような腹がゆっくりと上下して――
「――ッ!? おまっ、こいつまだ生きてッ!?」
「えっ!?」
「……とりかえす、の?」
ヴァルロが驚愕に目を見開き、エルも驚いて声を漏らす。
元船長の鋭い視線が落ちた剣のほうへ向き、レウシアは彼の外套を掴んだまま、不思議そうに問いを重ねた。
「……でも、食べなきゃ、死んじゃう、よ?」
「っ、チッ――ああ! なん、クソッ!」
レウシアが外套を離す気配はない。
ヴァルロは額を押さえてかぶりを振ってから、片膝をついて小さな少女と視線を合わせた。
「おいレウシア。あのデカブツが勝手に今日のランチにしやがったのは、俺が金払って借りた竜だ。それはわかるな?」
「……うん」
「んで、あのデカブツはランチを食うのに、俺に金を払ってねぇ。しかも俺は料理人じゃぁねぇし、もちろん給仕でもねぇ。なら、この状況は道理が合わねぇ。だろう?」
「……そっ、か。わかっ、た」
「よし」
レウシアが裾をぱっと手放し、ヴァルロは大きく溜息を吐く。
「……じゃ、あ、とってくる、ね」
「――あ?」
さっさと剣を拾ってこようと今度こそ踵を返しかけ、しかし続くレウシアの言葉にヴァルロは訝しげに振り返る。
竜の少女はとてとてと怪物に近寄ると、ぐぱっとその上顎を持ち上げた。
「レウシアさんっ!?」
止める間もなく、その中へと潜り込むレウシア。
ずらりと並んだ、奇妙に平らな歯が見えて、エルはほとんど悲鳴のような声で竜の少女の名を呼んだ。
「れ、レウシアさんがまた、食べ、食べられっ!?」
「……まあ、自分で入ってったんだ。平気だろうよ」
「で、でも――」
おろおろと取り乱すエルの様子にヴァルロが頭を掻いていると、やがてぐぱりと再び顎が開いて、レウシアがひょこりと顔を覗かせる。
「ほらな」
「レウシアさんっ!」
「……でれ、ない」
レウシアは片手でなにかを引っ張っているようだが、それがどうやら、怪物の喉に引っかかってしまっている様子であった。
竜の少女が顔をしかめて力を込めると、にわかに怪物の瞼が開き、ぐわりとその巨体が持ち上がる。
「なっ!? 起きやが――うおあ!?」
「えっ!? わっ、きゃっ!?」
ごぶん! と怪物が大きくえずき、次の瞬間、ごぼりとレウシアと走竜、そして桃色がかった髪色の少女が吐き出され、ヴァルロは大きく飛び退いた。
吐き出された諸々に巻き込まれて、エルがその場に尻もちをつく。
怪物がぐわりと少女たちへ視線を向けると、粘液塗れのレウシアが起き上がり、じっとその目を見つめ返した。
「……ごめん、ね?」
赤い瞳が、怪物の大きな眼球に映り込む。
巨大な生き物はしばらくじっとレウシアを見やり、やがてごふぅと息を吐き出してから、のそりと緩慢な動作で去っていった。
「……え、と、見逃して、くれたのでしょうか?」
「どうやら、そうみてぇだな。……しかし、こりゃあ――」
ヴァルロが頭を掻きながら、倒れた少女の姿を見やる。
着ている服は粘液塗れだが、どうやら溶けてはいないようだ。
赤に黄色、緑の幾何学模様で織られた、この地方独特の外套を着た少女であった。
頭には、羊のような巻き角がぴょこりと二つ生え揃っている。――どう見ても、髪飾りではないようだ。
桃色がかった長い髪があどけない顔にぺたりと張りつき、その表情が僅かにしかめられるのを見て、エルは思わず声をあげながら近寄った。
「まだっ、まだ生きてます! いま回復を――」
「チッ、おい、なんか厄ネタの気配がすんぞ。見たことのねぇ種族だ!」
「そんなこと言ってる場合じゃないですっ!」
白い魔力が《回復魔法》の光を放ち、少女の瞼がぴくぴくと動く。
やがてごはっと少女が息を吐き出すと、聖女は安堵した表情で差し伸ばしていた両手を下ろした。
「……もう大丈夫です。あとは意識が戻れば――」
「天使様っ!?」
「え? きゃ――っ!?」
ふいに桃色髪の少女の瞼がぱちりと開き、ぐんと体を起き上がらせて、がしりとエルの両肩を掴む。
「あああたし、死んじゃったんですか!? そうなんですかっ!?」
「へっ? え? はい?」
「やっぱりそうなんですねっ!? あなたは天使様なんですねっ!? だとするとここは天ご――て、ん……沼地だっ!?」
沼地というほどでもないが、粘液やら水やら掘り返された泥やらが飛び散った周囲を見回して、少女は目を白黒させた。
エルはがくがくと肩を揺らされながら、なんとか彼女を落ち着かせようと、途切れ途切れに言葉を漏らす。
「ちがっ、ここは、沼じゃ、なくて――」
「やっぱり天国なんですかっ!?」
「ちがっ、そと、そと、ですっ、あな、たは、たす、たすか――」
「穴です!?」
「――あなたは助かったんですっ!!」
ぐわっと少女を引き剥がし、聖女が怒鳴るように説明する。
桃色髪の少女はきょとんと動きを止めたのち、突然がばっとエルに抱きついた。
「こ、こわ、こわ――」
「な、な、な!?」
「怖かったですぅぅぅぅ!!」
縋りつくように抱きしめられて、少女の大きい胸がエルの頭を包み込む。べちゃっと、粘液が嫌な音を響かせた。
「ほ、本当に、もう助からな――グブッ!?」
エルは盛大に顔をしかめると、座ったままでボディブローを打ち込んだ。ブンと拳が風を切り、ずぼっと少女のお腹に刺さる。
――それはもう、座して放ったとは思えないほど、少女の体が見事なくの字に折れて曲がった。
「……うん」
呆けたように聖女が尋ね、竜の少女がこくんと頷く。
「っ、え、あの、その方はまだ、生きていらしたのですか?」
「……たぶ、ん?」
「大変ですっ!?」
「――お前ら、無事か……」
ばっと巨大な怪物の口へ目を向けながら、エルが焦って大声を出すと、その背後からヴァルロの擦れた声がかかった。
彼は折れた右腕をだらんと下げて、片足を庇うようにひょこひょことエルたちに歩み寄り、伏した怪物の姿を見据えた。
「竜が飲まれちまったか。……クソッ、腹ぁ掻っ捌いて取り出すしかねぇな。まだ生きてっかは知らねぇが」
うんざりとした口調で言いながら、周囲の様子を窺うヴァルロ。
どうやら他の二匹の走竜は、どこかへ逃げてしまったようである。
「ヴァルロさんっ!? そ、それより《回復魔法》を! ああでも、どなたか人も飲み込まれてるみたいでっ!? 早く助けないとっ!?」
「……落ち着けよ。一個ずつやれ」
「は、はい!」
「ん? ああ、おい、ちょっと待て――」
エルが《回復魔法》をかけ始めると、ヴァルロは顔を歪めながら、自身の折れた右腕を左腕で引っ張った。
「ッ――こんなもんか。痛ぇなクソ」
「え? あの、なにをして……?」
「なにを、じゃねぇよ。折れたまま、変な形に繋がっちまうだろうが。……意外と万能でもねぇのな、それ」
「ッ!? ご、ごめんなさいっ」
エルが勢いよく頭を下げ、銀髪に付着した泥が飛ぶ。
――どうやら聖女が落ち着くまでには、まだ少し時間が必要そうだ。
ヴァルロは横たわる怪物を訝しげに見上げた。
「にしても、なんなんだこいつ? 見たことねぇ生きもんだ。カバみてぇな魔物……いや、角の生え方が気持ち悪ぃが、サイか? どのみち図体がでか過ぎる。なにを食ってこんなにでかくなったんだ? ここらじゃ餌が足んねぇだろ……?」
「っ!? そ、そうでした! まだ中に、食べられた人がいるってレウシアさんが!」
「走竜もな。……チッ、剣を取ってくらぁ。こりゃ捌くのも一苦労しそうだ――ん? なんだレウシア?」
弾き飛ばされた際に落とした剣を拾うため、ヴァルロが踵を返そうとすると、レウシアがその外套の裾を掴む。
竜の少女は元船長の顔を見つめると、小首を傾げてぽつりと尋ねた。
「……これ、食べ、る、の?」
「いや、食わねぇが――」
「……じゃあ、だめだ、よ?」
「あん? なに言ってやがる? 飲み込まれた走竜を、取り返さねぇといけねぇだろうが」
吐き捨てるように答えながら、ヴァルロがふと怪物に目を向ける。
横たわる灰色の巨大な頭部で、分厚い瞼は閉じられており、小山のような腹がゆっくりと上下して――
「――ッ!? おまっ、こいつまだ生きてッ!?」
「えっ!?」
「……とりかえす、の?」
ヴァルロが驚愕に目を見開き、エルも驚いて声を漏らす。
元船長の鋭い視線が落ちた剣のほうへ向き、レウシアは彼の外套を掴んだまま、不思議そうに問いを重ねた。
「……でも、食べなきゃ、死んじゃう、よ?」
「っ、チッ――ああ! なん、クソッ!」
レウシアが外套を離す気配はない。
ヴァルロは額を押さえてかぶりを振ってから、片膝をついて小さな少女と視線を合わせた。
「おいレウシア。あのデカブツが勝手に今日のランチにしやがったのは、俺が金払って借りた竜だ。それはわかるな?」
「……うん」
「んで、あのデカブツはランチを食うのに、俺に金を払ってねぇ。しかも俺は料理人じゃぁねぇし、もちろん給仕でもねぇ。なら、この状況は道理が合わねぇ。だろう?」
「……そっ、か。わかっ、た」
「よし」
レウシアが裾をぱっと手放し、ヴァルロは大きく溜息を吐く。
「……じゃ、あ、とってくる、ね」
「――あ?」
さっさと剣を拾ってこようと今度こそ踵を返しかけ、しかし続くレウシアの言葉にヴァルロは訝しげに振り返る。
竜の少女はとてとてと怪物に近寄ると、ぐぱっとその上顎を持ち上げた。
「レウシアさんっ!?」
止める間もなく、その中へと潜り込むレウシア。
ずらりと並んだ、奇妙に平らな歯が見えて、エルはほとんど悲鳴のような声で竜の少女の名を呼んだ。
「れ、レウシアさんがまた、食べ、食べられっ!?」
「……まあ、自分で入ってったんだ。平気だろうよ」
「で、でも――」
おろおろと取り乱すエルの様子にヴァルロが頭を掻いていると、やがてぐぱりと再び顎が開いて、レウシアがひょこりと顔を覗かせる。
「ほらな」
「レウシアさんっ!」
「……でれ、ない」
レウシアは片手でなにかを引っ張っているようだが、それがどうやら、怪物の喉に引っかかってしまっている様子であった。
竜の少女が顔をしかめて力を込めると、にわかに怪物の瞼が開き、ぐわりとその巨体が持ち上がる。
「なっ!? 起きやが――うおあ!?」
「えっ!? わっ、きゃっ!?」
ごぶん! と怪物が大きくえずき、次の瞬間、ごぼりとレウシアと走竜、そして桃色がかった髪色の少女が吐き出され、ヴァルロは大きく飛び退いた。
吐き出された諸々に巻き込まれて、エルがその場に尻もちをつく。
怪物がぐわりと少女たちへ視線を向けると、粘液塗れのレウシアが起き上がり、じっとその目を見つめ返した。
「……ごめん、ね?」
赤い瞳が、怪物の大きな眼球に映り込む。
巨大な生き物はしばらくじっとレウシアを見やり、やがてごふぅと息を吐き出してから、のそりと緩慢な動作で去っていった。
「……え、と、見逃して、くれたのでしょうか?」
「どうやら、そうみてぇだな。……しかし、こりゃあ――」
ヴァルロが頭を掻きながら、倒れた少女の姿を見やる。
着ている服は粘液塗れだが、どうやら溶けてはいないようだ。
赤に黄色、緑の幾何学模様で織られた、この地方独特の外套を着た少女であった。
頭には、羊のような巻き角がぴょこりと二つ生え揃っている。――どう見ても、髪飾りではないようだ。
桃色がかった長い髪があどけない顔にぺたりと張りつき、その表情が僅かにしかめられるのを見て、エルは思わず声をあげながら近寄った。
「まだっ、まだ生きてます! いま回復を――」
「チッ、おい、なんか厄ネタの気配がすんぞ。見たことのねぇ種族だ!」
「そんなこと言ってる場合じゃないですっ!」
白い魔力が《回復魔法》の光を放ち、少女の瞼がぴくぴくと動く。
やがてごはっと少女が息を吐き出すと、聖女は安堵した表情で差し伸ばしていた両手を下ろした。
「……もう大丈夫です。あとは意識が戻れば――」
「天使様っ!?」
「え? きゃ――っ!?」
ふいに桃色髪の少女の瞼がぱちりと開き、ぐんと体を起き上がらせて、がしりとエルの両肩を掴む。
「あああたし、死んじゃったんですか!? そうなんですかっ!?」
「へっ? え? はい?」
「やっぱりそうなんですねっ!? あなたは天使様なんですねっ!? だとするとここは天ご――て、ん……沼地だっ!?」
沼地というほどでもないが、粘液やら水やら掘り返された泥やらが飛び散った周囲を見回して、少女は目を白黒させた。
エルはがくがくと肩を揺らされながら、なんとか彼女を落ち着かせようと、途切れ途切れに言葉を漏らす。
「ちがっ、ここは、沼じゃ、なくて――」
「やっぱり天国なんですかっ!?」
「ちがっ、そと、そと、ですっ、あな、たは、たす、たすか――」
「穴です!?」
「――あなたは助かったんですっ!!」
ぐわっと少女を引き剥がし、聖女が怒鳴るように説明する。
桃色髪の少女はきょとんと動きを止めたのち、突然がばっとエルに抱きついた。
「こ、こわ、こわ――」
「な、な、な!?」
「怖かったですぅぅぅぅ!!」
縋りつくように抱きしめられて、少女の大きい胸がエルの頭を包み込む。べちゃっと、粘液が嫌な音を響かせた。
「ほ、本当に、もう助からな――グブッ!?」
エルは盛大に顔をしかめると、座ったままでボディブローを打ち込んだ。ブンと拳が風を切り、ずぼっと少女のお腹に刺さる。
――それはもう、座して放ったとは思えないほど、少女の体が見事なくの字に折れて曲がった。
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