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第29話:エル、交渉を任される

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 エルたちの乗った船が〝海賊船〟である以上、その日は必然として訪れた。

 商業船を見つけ、襲撃し、制圧する。
 それは海賊としての稼業、すなわち〝略奪〟の時間であった。

 襲われた船の甲板にはおびただしい量の血が飛び散り、簡素な鎧姿の男たちが幾人か倒れ伏している。彼らは用心棒だったのだろう。すでに息はしていない。
 物言わぬ骸をじっと見つめて、レウシアはこてんと首を傾げた。次いで傍らをついっと見上げる。

「……これ、食べる、の?」
「ん? ああ、心配すんな。魚が食う」
「…………そっ、か。わかっ、た」

 そこにいた男――片足ニックは、まるでデッキブラシの片づけ場所でも訊かれたかのように淡々と答えた。
 レウシアはもう一度赤い瞳で伏した骸をぼんやり眺め、こくりと頷く。

 商業船の甲板にはまだ一人、生きて動いている用心棒の男がいた。
 片腕を斬り飛ばされた茶髪の男は膝をつき、血飛沫の噴き出す切断面をもう一方の手で押さえて荒い呼吸を繰り返す。

 胸部には磨き上げられたプレートメイル、赤い裏地の派手なマント。
 顔は美丈夫といって差し支えない。妙に英雄然とした男であった。

 実際彼は戦う前に名乗りを上げ、悪を許さぬ旨の口上を述べて海賊たちへと斬りかかったかもしれない。

 だとしても怒声と銃声、そして悲鳴に掻き消され、誰の耳にも届かなかったが――

「――いつまでも、こんなことを、続けていられると思うなよッ! このクズどもがッ!」

 いまは届くとばかりに英雄が吠え、ぎろりと海賊船の船長――ヴァルロを睨みつける。

 怒鳴られたヴァルロは欄干に背を預けたままひょいと肩を竦め、その正面、だらりと片手剣の切っ先を下げ佇む片犬耳の男へ顔を向けた。

「おお、怖え怖え。――おいジヌイ、てめぇがチンタラやってっから俺がお叱りを受けちまったじゃねぇか。どうしてくれんだよ? 怖くてちびりそうだ」
「はぁ? なんすか船長キャプテン、歳のせいで便所が近ぇのを俺のせいにしねぇでくれやせんかね?」
「うるせぇよ犬っころ。減らず口を叩く元気があんなら魚に餌でもやってきな」
「へいへい」

 レウシアたちの会話を聞いていたのか、ヴァルロが立てた親指で海を示す。
 片犬耳のジヌイが億劫そうに返事をしながら片腕のない男へ歩み寄ると、傷口から血を飛ばし、口から唾を飛ばして男は叫んだ。

「やめろッ! 俺に近づくんじゃないッ! この薄汚い亜人がッ!!」
「あー、だる……」

 ジヌイはなにも言い返さず、ぼやきながら男の髪を引っ掴む。悲鳴とともに髪が抜け、犬獣人は軽く嘆息して男の襟首を掴みなおした。

「――ッ!? ――ッ!! ――ッ!?」

 ずりずりと男が引き摺られていったのち、ぼちゃんと大きな水音が響き、怨嗟の言葉が海面に赤染みを残して沈んでいく。

 その赤もすぐに大海原に溶け消えて、辺りには波音と鳥の鳴く声が残った。


「――っ」

 一部始終を黙って見ていた聖女エルが、顔を伏せ苦々しげに歯噛みする。
 硬く握りしめられた小さな拳に白い魔力光が僅かに輝き、誰も癒すことなく霧散した。

「さて、と」

 欄干から背を離してヴァルロが告げる。

「あとは船内に逃げた連中の掃除だ。それが済んだらエレーヌ、そっからはお前の初仕事だな。戦利品を帳簿につけろ。見落としたり、誤魔化されたりしねぇようにな」
「……まだ、殺すつもりなのですか?」
「あん?」

 キッとエルが船長ヴァルロを睨みつける。翡翠色の瞳がエルを見下ろし、訝しげに細まった。

「そりゃあ殺すさ。皆殺しだ。なんか問題あるか?」
「っ、人の命を――」
「よせよ。冗談だろう? 鳥や魚にだって命はあらぁな。人間サマだけ贔屓はいけねぇぜ。――皆等しく、獲物だ」

 強調するように語気を強め、長身のヴァルロは腰を曲げてエルの顔を覗き込む。
 エルの蒼い瞳がヴァルロの翡翠色の瞳を一瞬だけ睨み返し、しかしふっと避けるように逸らされた。

「……貨物だけ、奪えばいいと思います。なにも殺す必要までは――」
「あるんだよ。恨みを買った連中を残しといてやる義理はねぇ。さっきの伊達男の話じゃあねぇが、いつ逆に殺されてもおかしかねぇのが俺たちだ。背中に突きつけられる剣先は、少ねぇほうが夜も静かだ」
「ですがっ!」
「ああん? ならてめぇが交渉してこいよ? 大人しく積荷を渡してくださいってな」
「っ!?」

 息を呑むエルの顔を値踏みするかのようにじろりと見据え、船長ヴァルロは言葉を続ける。

「それができりゃあ皆殺しは勘弁してやるよ。さて、どうする?」
「……わかり、ました」

 俯き、絞り出すような声で了承するエル。
 ヴァルロはふっと覗き込んでいた顔を離して、伸ばした腰をとんとんと叩いた。

「最低でも二割だ。この船はご新規さんだからな。次からは通行料としての荷を用意する契約書も書かせろ。文面はニックの奴に教わるといい」
「っ!? あなた、最初から――」
「あん? なんか文句でもあんのかよ? 俺ぁべつに、構やしねぇんだぞ?」
「――っ、いえ……わかり、ました」

 ヴァルロの瞳に気だるげな殺気がにわかに滲み、エルは渋々といった様子で首肯した。
 彼女の〝聖女〟としての在り方が、これ以上の人死にを良しとしないのだろう。

 銀髪のサイドテールがふらりと揺れて、エルは海賊団の一員として船内への扉に顔を向ける。
 背を向け歩き去っていく少女の背中を見据え、船長ヴァルロは誰にともなく呟いた。

「……それでいい。まあ面倒くせぇが、拾った俺の責任だ。野垂れ死んだりしねぇよう、ちゃんと一人前に仕込んでやるよ」
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