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第26話:エル、船長に呼び出される

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 背もたれが邪魔なのだろう。横向きにした椅子に座し、足をぷらぷらさせながら料理を待つレウシア。

 やがて二人ぶんの食器を持ったエルが、たむろする海賊たちを避けてテーブルへとやってくる。
 イカサマ聖女はレウシアの前に木製の器をことんと置くと、自分も対面の席に腰かけた。

 器の中身はとろみがついた半透明のシチューのようだ。
 具材には煮崩れたじゃがいもと干し肉のかけら、砕いたクルミが浮いている。

 木さじを握り込んだレウシアが少々危なっかしい手つきでシチューを掬って口に運ぶと、この船の〝料理番見習い〟であるエルは満面の笑みでそれを眺めた。

「どうでしょうか? 今日のは自信作なのですよ?」
「……ん、おいしい、よ?」
「わぁ、よかったです。頑張った甲斐がありました!」
「……今日は、なにした、の?」
「じゃがいもの皮を剥きました!」

 えへん、と胸を張って告げる聖女様。

 本当に皮むきしかやっていないのだが、彼女の料理歴はまだ二日目である。むしろ快挙といえるだろう。

「なあ、それより良いのか? 聖女が賭け事など――」

 ぼそりと魔導書が問いかける。
 聖女エルはぴっと立てた人差し指を唇に当て、片目を閉じて囁き返した。

「あら、いまの私は聖女などではありませんよ?」

 現在の彼女は白い神官服姿ではなく、簡素な木綿の長袖シャツとダボっとしたズボン姿である。
 髪はバンダナでサイドテールに結われており、いつもの聖女然とした雰囲気ではない。

 エルは自らもシチューを口に運びながら、そっと周囲の喧騒に視線を巡らせた。

 荒くれ者の群れに混ざった少女二人は、控え目にいっても浮いている。あまりにも場違いな彼女らであるが、気にする者はいないようだ。

「よう、。お前また、ジヌイの奴を苛めたみてぇだな?」
「……なんですか? 人聞きの悪い」

 ふいに背後からしゃがれた声がかかり、エルがすっと後ろを振り向く。ジヌイとは、先ほどカードゲームに興じていた片耳のない犬獣人の名だ。
 じとりとした目で見据えられ、声をかけてきた初老の男は片側の口角を上げて苦笑した。

「私はただ、少しカードゲームに付き合ってあげただけですよ?」

 心外だ。といわんばかりの態度でエルが告げると、男はテーブルに肘を乗せて、ひょいとその顔を覗き込む。

「そうかい。……まあ確かに、俺はお前のクソ度胸とカードを操る器用さは認めてやると言ったがな」

 ――背の高い、枯れ木のような男であった。
 白髪混じりのくすんだ金色の長髪、無精ひげ。羽織った丈の長い外套はえんじ色。
 薄汚れてはいるが、他の海賊たちよりも多少豪華な身なりである。

 男の翡翠色の瞳が、エルの蒼い瞳を見透かすかのように射抜く。

「はしゃぎ過ぎは感心しねぇ。あんまり手癖の悪いようだと、そのうちネズミに齧られちまうぞ?」
「あら、なんのことでしょう?」

 エルがにこりと微笑むと、初老の男もにやりと笑う。

「ひんむいてやってもいいんだが、そんなひでぇ仕打ちをにしてやるのは、いくら俺でも気が引けるってもんだ。なぁ?」
「…………」

 男の視線がエルの着たシャツの袖口に向けられる。
 イカサマ聖女は居心地悪げに手元のシチューをじっと見やった。

「……まだまだ甘ぇな。――まあいい、お前に見せたいもんがある。飯食ったら甲板に来い」
「なんでしょう? デートのお誘いならご遠慮したいのですが?」
「ハッハー! そういうセリフはもうちっとばかし育ってから言うんだな!」
「ぐぬ……」

 男はエルの言葉を笑い飛ばし、踵を返して食堂を出て行く。

 エルがむっと頬を膨らませると、新入りと船長キャプテンの会話風景を訝しげに窺っていた船員たちは、興味を失った様子でそれぞれシチューを胃に収める作業へと戻った。

 どうやらまた、からかわれていただけだろうと判断したようだ。

 ――海で拾った素性の知れない少女たちを船に置いてやっているのは、船長の気まぐれか、もしくは趣味なのだろうというのが船員たちの共通認識である。

 船での身の安全を賭けて、エレーヌと名乗る銀髪の少女が彼に賭け札カードで勝ってみせたのも、船長が仕組んでやった茶番だろう。――ほとんどの船員はそう考えていた。

「……娘どころか孫ほど歳の差がある女なんざ船に乗せて、なんの気まぐれなのかねぇ? 船長キャプテンはそういう趣味なのか――うわっ!? なんだよジヌイ、汚ねぇな!?」
「ごふッ、いや、てめぇが急に変なこと言うからだろうがッ!?」

 隣席で禿頭の男が所感を口にした途端、仏頂面でシチューを啜っていた片犬耳の男――ジヌイは盛大に噴出した。
 この犬獣人も、初日からエルにちょっかいをかけている一人である。おかげさまで彼の財布袋はだいぶ軽い。

「……一体なんの用でしょうかね? 面倒です」

 その騒ぎをちらりと横目で流し見ながら、エルはシチューを口へと運ぶ。
 大儀そうに芋の欠片を飲み込む姿に、正面のレウシアが不思議そうに問いかけた。

「……える、楽しそうだ、ね?」
「えっ!? そ、そう見えますかッ!?」

 レウシアの指摘に、エルが視線を泳がせる。
 銀髪の少女は少し考え込むように目を伏せてから、やがてゆるりと首を振った。

「――いえ、そう見せているだけですよ。私には、使命がありますから」

 確かめるように自らの太もも辺り、ズボンの布地をぎゅっと握りしめて嘆息する。
 エルのポケットには小さな銀色の指輪が隠されていた。

 ロンドの父親から受け取ったものではなく、勇者によって教会から持ち出されていたものだ。
 その指輪を王都の教会へ持ち帰ることこそが、聖女に課せられた使命であった。

「一刻も早く、王都へ向かう方法を考えなくてはなりません」
「……我はべつに、このままこの船に乗っていてもいいと思うのだがな? 教会の連中には、あまり良い印象がないぞ」
「それは――」

 小声で囁かれた魔導書の意見に反論しようとして、しかしエルは続く言葉を呑み込んだ。

 あの修道女――ヌルはなにを考えてレウシアを海へ落としたのか? それは教会全体の意思によるものなのか? ――わからないことだらけであった。

「……でも、ぺん、ない、よ?」
「む? そうであったな……」

 物思いに耽り始めるエルをよそに、シチューを食べ終えたレウシアは魔導書を見つめてぽつりと申告する。

 魔導書は「ふむ」と一声置き、声を潜めてエルに尋ねた。

「なあ聖女よ? あの男に筆記用具を融通してもらうことはできないだろうか? まさか船にないわけもないとは思うのだが……」
「たぶん持ってはいるでしょうけど……」

 海図に書き込みをするのに使うであろうし、ペンとインクはおそらく船長室にあるはずだ。

 問題はどう頼めば貸してくれるかなのだが、エルには怪しまれない理由がぱっと思いつきそうにない。
 ――賭け事の勝敗を、記録しておきたいとでも言ってみようか?

 しばらく考え込んだのち、エルは魔導書に向かって片目を閉じる。

「……そうですね。私にカードで勝ったら、頼んでみてあげてもいいですよ?」
「いや、それは遠慮したいというか……。なあ聖女よ、それでいいのか?」
「なにがです?」
「いや、なんでもない……」

 ――なんだかんだで、カードゲームにハマってしまっている聖女様なのであった。
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