上 下
22 / 82

第22話:レウシア、エルをへこませる

しおりを挟む
 枯れ木の並ぶ坂の途中。
 石造りの小さなその家は、まるで他の民家から離れるようにぽつんと一軒だけで建っていた。

「おい! もういい加減いいだろ!? 逃げたりしないから放してくれよッ!」
「ん? あー……」

 家の前、割れ欠けの目立つ石階段にサーシャが足をかけたところで、首根っこを掴まれたロンドが抗議する。
 ぺたりと伏せられた猫耳を半眼で見やり、サーシャはぱっと手を離した。

「ぎゃんッ!?」

 ロンドが地面に尻もちをつく。

「そいやガキ。落とし物を拾ったんすよ、エル様が」
「あの、これを……」
「いってぇなッ! なんッ――あ! あああっ!?」

 エルがキャスケット帽を取り出すと、ロンドは目を丸くして驚いた。
 拾い主がなにかを言う前に、ばっと奪い取るように帽子を受け取る。

 そのまま逃げるように石階段を駆け上がったロンドは、段差の上からエルを見下ろし、ひとこと。

「……どうも」

 不機嫌そうに目を逸らし、帽子を目深に頭に乗せる。
 サーシャが苦笑し、エルは優しげに微笑んだ。

「……ふん」

 ロンドが古びた木製の扉をぎぃと開く。

「父ちゃん、帰ったぞ! 客が来てる!」
「……おう、来たか。入ってもらえ」

 少し間を置いてから返事がある。
 ロンドは顎でしゃくってエルたちを家の中へと促した。

「…………」
「えっと、お邪魔しますね」
「ああ、いらっしゃい。座ったまんまで、申し訳ないが」
「いえ、構いません」

 さっさと先に入っていったロンドに続いて、サーシャが無言で扉をくぐる。
 あとに続きエルが挨拶をして家に入ると、ベッドに座った家主の男が頭を下げた。

 家の中には家主のほかに、先ほど出会った老人も聖女たちの到着を待っていたようである。
 無言のまま、部屋の隅で椅子に座している。

 家主の男――ロンドの父親はひょろりと線の細い優男だ。「ここで一番よく働く」というロンドの言葉に少しそぐわない印象である。

 こけた頬に切れ長の瞳。
 農家というよりは、むしろ学者のような雰囲気の男であった。

「あの――」
「いや、待ってくれ」

 色褪せた麻ズボンの裾から覗く薄汚れた包帯にエルが目を止めると、聖女がなにかを言う前に、ロンドの父が口を開いた。

「足を治してくださるとは聞いている。だがそれなら、これを先に受け取って欲しい」
「え……あの、これは?」
「お布施だ」

 テーブルの上に無造作に出された二つの指輪に、エルが戸惑いの視線を向ける。
 ロンド父は短く返答し、じっとエルの顔を見やった。

「っ!? 父ちゃん!? それは父ちゃんと母ちゃんの――」
「ロンド、お前は黙っとけ。……聖女様、足を治してくれるというなら、どうか受け取ってはもらえないだろうか? 安物だが、俺にはもうこれくらいしか差し出せるものがない」
「いえ、そんな、受け取れませ――」
「なら、治療は受けられない」
「――ッ!?」

 ロンド父がぴしゃりと言い放つ。

 気圧されたエルは続く言葉を詰まらせて、佇むサーシャへ目を向けた。
 ――助け舟を求めたつもりはなかったのだが、赤毛の傭兵は苦笑を浮かべる。

 サーシャはゆるりと首を振り、部屋の隅にいる老人をじろりと見据えた。
 事の成り行きを黙して見ていた老人は、居心地悪げに目を逸らす。

「……なるほどっすね。いやでも、久しぶりにほっとしたっす。……ようガキ? お前、少しは自分の親父を見習えよ?」
「あっ!? うるせぇ! お前に父ちゃんのなにが分かるんだよッ!!」
「少なくとも、馬鹿じゃねぇってこたぁわかりやしたよ。――エル様、受け取っといたほうがいいっすよ?」
「いえ、しかし……」
「しかしもなんも、そのおっさんのためっす」
「そのとおりだ」

 ゆっくりと頷き、ロンド父はエルを見据えて言葉を続ける。

「聖女様、あんたがこのあとここら一帯の住人――いや、この街の住人すべてを無償で癒して周るってんなら、俺もこれを受け取ってくれとは言わん。だが違うなら、俺はこれからもここで生きていくために、一人だけ特別扱いは受けられない」
「っ――」

 諭すような説明に、エルが目を見開いて黙り込む。
 レウシアがとことことテーブルに近寄って、その上に置かれた指輪にじっと目を向けた。

 エルも黙ったまま指輪を見据える。
 ――古びてくすんだ銀の指輪だ。
 小さい物と大きい物、どうやら同じデザインの一対らしい。夫婦の証だったのだろう。

「……これも、ぴかぴか?」
「まあ、金の代わりっすね」

 サーシャが短く答えると、レウシアはロンド父の顔を見て不思議そうに問いかけた。

「……えるに、あげたい、の?」
「ああ、そうだ」
「……そっ、か」

 返答を聞き、次いでレウシアはエルのほうへと向きなおる。

「……える、よかっ、た、ね?」
「…………はい」

 奥歯をきりりと噛み締めながら、聖女はこくりと頷いた。

   *   *   *

「――ちょっと、外の様子を見てきますね」

 治療が終わり、エルは顔を伏せたまま家の外へと歩み出る。

 すっかり傷の治ったロンド父は足の調子を確かめながら、壁に背を預けて佇むサーシャへ目を向けた。

「いいのかい? あの方の護衛なんだろう?」
「……いや、一人になりてぇときもあるでしょうよ。それにアンタのおかげで、いちばん嫌な仕事をしねぇですみそうだ。そこはまあ、どうも」
「そうか……。大変そうだね、聖女様の護衛は」
「おかげさんで」

 ロンド父が頷いて、部屋の隅の老人に目を向ける。
 老人は深々と嘆息し、ひらりと片手を振って顔を背けた。

「儂は別に、ただこの場にいただけだ。そんな目で見るな」
「わかっていますよ。あなたがここらに住む人々のことを考えていることも、さっきのはただの、俺の自己満足に過ぎないことも」
「儂はなんも言っておらん。これだから変わりもんは……」

 ぶつぶつと口の中で文句を呟く老人の姿に、ロンドの父はふっと苦笑する。
 納得のいかない様子のロンドは机の脚を蹴りつけて、父親の顔をぎろりと睨んだ。

「なんで神官なんかにやるんだよッ!? 母ちゃんの、大事な指輪を……勇者の奴らにだって、盗られないようにずっと隠してたじゃないかッ!」
「ああ、そうだな」
「父ちゃんの馬鹿ッ!!」

 父親が短く答えると、ロンドはぶすっとした表情で捨て台詞を怒鳴り、さっと家の外へ飛び出していった。

 レウシアがきょろきょろと首を巡らして、ふっとサーシャの顔を眺める。そしてついっと、窓の外へと視線を移した。

「……いや、見える範囲にいてくれりゃ、行ってきていいっすよ? つーかあのガキ、気に入ったんで?」
「……ぅ?」
「ああいや、なんでもねーっす。……本気でわかんねぇって顔っすね」
「む? うちの娘は世界一可愛いと思うんだが、気に入らないだと?」
「は?」

 ロンド父の言葉にサーシャがにわかに振り返る。
 少年らしき姿の猫耳〝少女〟の父親は、切れ長の瞳の奥にぎらりと鋭い光を湛え、ぐっと拳を握って力説を始めた。

「あのぴょこりとした可愛らしい猫耳ッ! そして妻譲りの気の強そうな目元ッ!!」
「いや、そうじゃねぇっす。訊いてねぇっす。――ええっと、嫁さんはもう……?」
「ああ、逝ってしまったよ。あの娘は妻の忘れ形見だ」
「そっすか……。あの喋り方とか見た目とかは、親父さんの趣味っすか?」
「恥ずかしながら男手一つで育てたからね。少し粗野になってしまったが、だがそこも可愛らしいだろう?」
「あー……。そっすか」

 サーシャは窓の外へと目を向けた。

 ロンド少女はレウシアが家から出てくると、ぼっと顔を赤くしながら帽子を何度も被りなおす。なんだかそわそわしているようだ。

「…………まあ、あたしにゃ関係ないっすね」

 ふとサーシャは、ロンドの父親に問いかける。

「そいや異種族同士の結婚なんて、ないってわけじゃねぇっすっけど、珍しいっちゃ珍しいすよね?」
「なにを言う」

 ロンド父は握った拳を掲げると、天井に向かって力強く宣言する。

「猫耳は、可愛いだろうがッ! 愛があれば種族の違いなど、些細な障害にもならんッ!!」
「そっすか」

 興味なさげに相槌を打ち、サーシャは窓へと視線を戻した。
しおりを挟む

処理中です...