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第13話:レウシア、雨宿りする
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蹄が土を踏みしめるたび、レウシアの視線が小さく跳ねる。
王都へ向かう馬車の御者台。
白い神官服姿の竜人の少女は、ふわぁと大きく欠伸を漏らした。
周囲の景色はずっと変わらず、ときおり草木がさらさらと音を立てる。
先ほどから空はどんよりと曇っており、雨の降りそうな気配であった。
「レウシア様、悪ぃんすけどあんま動かねぇでくだせぇ。馬が怯えやすんで」
「……おうま、さん?」
サーシャが苦笑いを浮かべると、レウシアは馬車を引く二頭の馬を見つめ、ぽつりと呟く。
「……おいし、そう」
途端にぶるりと、馬たちが大きく身を震わせる。
「へ? ちょ――っと! だから、よしてくだせぇって! ただでさえレウシア様に怯えてるっつーのに。……馬は人の言葉がわかるらしいっすから、滅多なこと言わねぇでやってほしいっす」
とっさに手綱を引き馬をなだめつつ、迂闊な同乗者を諫めるサーシャ。
レウシアはしぱしぱと目を瞬いて、彼女の額に浮いた冷や汗を見上げた。
「……喋れない、のに、わかる、の?」
「そうらしいっす。だから〝美味そう〟は禁止っすよ。レウシア様が言うと、洒落になんねっすから」
「……むぅ、わかっ、た」
少し考え込んでから、レウシアはかくんと頷いてみせる。
彼女の食べられない生き物が増えたかもしれない。
「…………」
「……降りそうっすね」
「……ん」
しばし無言の時間が続き、小さな足を退屈そうにぷらぷら揺らすレウシアに、サーシャが呟く。
なんとなしに空を見上げた二人の頬を水滴が掠め、やがて雨粒が馬車の屋根を叩き始めた。
「あっちゃ、やっぱ降ってきちまいやしたか……」
「む? 雨か。おいレウシア、我を馬車の中へ入れてくれ」
「……ん、わかっ、た」
竜の少女は振り返り、御者台側に設えられた連絡窓をこんこんと叩く。
すぐに気づいて顔を覗かせたエルに魔導書を手渡してから、レウシアは「くしゅん」とくしゃみをした。
「レウシアさんも、馬車の中に入りませんか? 風邪をひいてしまいますよ?」
「……ん、別に、へーき。さーしゃ、は?」
「いや、あたしが中に入っちまったら誰が馬車を動かすんでさ……まあ、気遣いはどうも」
「そうですか……」
エルは残念そうに馬車の中へと頭を引っ込め、正面に座る神官たちをじろりと見据えた。
レウシアを招き入れると聞き、表情にあからさまな嫌悪を滲ませていた二人である。
聖女様からの咎めるような視線を受け、マーティスとニミルは慌てて窓の外へと顔を逸らした。
村を出発してからというもの、馬車内でのエルはすこぶる不機嫌だ。
その理由は、目の前にいる彼らが強引にレウシアを王都へと連行していることが一つ。
さらに竜人と同じ空間にいるのは嫌だと、彼女を御者台へと追いやったことで二つ。
そして、当のレウシアは楽しそうに御者台に座っているのだが、もしかするとそれが理由の三つめかもしれなかった。
――この気持ちは、仲間外れの寂しさだろうか?
せっかくの旅なのだ。エルは自分も御者台側でレウシアたちと会話をしながら、共に景色を眺めていたかった。
エルが物憂げに嘆息すると、神官二人はますます居心地悪げに視線を泳がす。
「あー、こりゃいけねぇや」
やがてサーシャが面倒くさそうに頭を掻いて振り返り、連絡窓をかつんと叩いた。
「すいやせん。雨脚が強くなってきちまったんで、いったん停めさせてもらいやす」
「は? なにをいう、我々は早く王都へと――」
「いや、車輪が泥に沈んできてやすし、馬が足を挫いて駄目になっちまったら立ち往生になるっすよ」
先日の一件でサーシャも態度を変えたのか、吐き捨てるようにぴしゃりと告げ、道の片隅に馬車を寄せる。
「ぬぅッ!? なにをしておるか! 野盗が出たらどうするッ!? 逃げられないだろうがッ!」
そのまま慣れた仕草で繋いだ馬を外すサーシャの姿に、マーティスが苛立ちをあらわに怒鳴り散らした。
サーシャはちらりとそちらを見やり、呆れ顔でかぶりを振りつつ二頭の馬を大きな木の陰へと引いていく。
「キサマッ! 聞いているのかッ!!」
「……いや、ダンナ。仮に野盗が出ちまったとして、この雨でぬかるんだ道を馬車で逃げるつもりなんで? そんならてめぇの足で走ったほうが、まだいくらかマシですぜ?」
「ぐッ――」
「心配しねーでも、そんときゃお望みどおりしんがりでもなんでも務めさせて頂きやすよ。王都の立派な神官サマは、乗馬くらいお手のものでしょう?」
「あ、当たり前だ!」
――野盗の狙いは金品であるからして、まず襲われるのは馬車だろうし、神官が逃げればサーシャよりそちらを追うだろう。そもそも乗馬用の鞍もない。
マーティスはそんな事実には気づかぬらしい。
ニミルと顔を見合わせて、もしもの場合どちらがどちらの馬に乗るかと密談を始めた様子である。
いよいよ雨が本降りになってくると、二頭の馬は気だるげな瞳でそれを見つめ、やがて足元の草をむしゃむしゃと食べ始めた。
レウシアは先ほどから口を大きく開けて空を仰ぎ、どうやら雨水を飲んでいるらしい。サーシャが微かに苦笑する。
馬車の中からその光景をそわそわと眺めていたエルが、ついに我慢できなくなって立ち上がった。
「……私も、ちょっと出ていますね」
「いや、聖女様、お召し物が――」
「なにか? ああ、そういえば午後のぶんの《回復魔法》がまだでしたね?」
「っ! は、はい。お、お願いできますか……?」
「もちろんです。それが済んだら、外を見てきます」
にっこり笑う聖女様の機嫌を損ねないよう、マーティスとニミルは黙って頷く。
あれからサーシャに寄生虫だの目に見えないほど小さな魔物だのと、腹の痛みについて散々脅された彼らである。
王都に着くまでは定期的に《回復魔法》をかけないと、またお腹が痛くなるかもしれない。
そう告げられ、すっかり信じ込んだ彼らは真っ青な顔でエルに縋りついたのだった。――実際には、普段運動をしない人間が二日酔いで大量に水を飲んだのち、山道を走れば腹痛くらい起こすのは当たり前なのだが。
ちなみに治療代のお布施は、王都に到着してから払うらしい。
どうせ巡り巡って彼らの元に戻る金である。
エルはその条件を飲む代わりに、彼らに魔導書をすぐレウシアに返すよう言い渡し、二度とそれに触らないと約束させた。
「……える? 汚れる、よ?」
「はい。お揃いですねっ!」
「……そっ、か。おそろい、だ」
ぱしゃりと水溜まりを跳ねさせてエルが近寄ると、雨を浴びていたレウシアが振り返る。
レウシアの身に纏った神官ローブの長い裾は泥だらけだ。
枝に引っ掛けたのだろう、そこかしこにほつれも見られる。
次の街の教会に、予備の神官服はあっただろうか? ――そんなことを思いつつ、エルは足元に目を向けた。
「次の街に着いたら、靴を買わないとですね。レウシアさん、ずっと裸足ですし」
「……ぅ、くつ?」
レウシアが首を傾げると、黒い髪から雫が落ちる。
エルはそちらに伸ばしかけた手を止め、すっと下ろして、代わりに自分の髪をかきあげた。
銀の髪から雫が落ちて、少女二人は見つめ合う。
「……あの、なにしてんすか? 二人とも、風邪ひくっすよ?」
「ふぇ? あっ!? わ、あはは……な、なんでしょうね?」
サーシャに声をかけられて、エルは焦ったように視線を泳がせる。
――おかしな感じだと、エルは思う。
教会の〝聖女〟として生きてきたこれまでに、レウシアのような存在はいなかった。
これは〝友人〟と呼ぶのだろうか? ――少し違う。そんな気もする。
「……あ」
ふいに、レウシアが遠くを指差した。
さっと雨が過ぎ去っていく。
「通り雨だったみたいっすね。よかったっす」
「そう、ですね。……レウシアさん? 向こうになにか――あ」
竜の少女が振り返り、瞳を輝かせエルに告げる。
「……きらきら、だ!」
そこに掛かっていたのは、とても大きな虹だった。
長く続く草原の先、山々を渡すように七色のかけ橋ができている。
――明日には街に着くだろう。
ふとエルはもう、自分が不機嫌ではなくなっていることに気がついた。
王都へ向かう馬車の御者台。
白い神官服姿の竜人の少女は、ふわぁと大きく欠伸を漏らした。
周囲の景色はずっと変わらず、ときおり草木がさらさらと音を立てる。
先ほどから空はどんよりと曇っており、雨の降りそうな気配であった。
「レウシア様、悪ぃんすけどあんま動かねぇでくだせぇ。馬が怯えやすんで」
「……おうま、さん?」
サーシャが苦笑いを浮かべると、レウシアは馬車を引く二頭の馬を見つめ、ぽつりと呟く。
「……おいし、そう」
途端にぶるりと、馬たちが大きく身を震わせる。
「へ? ちょ――っと! だから、よしてくだせぇって! ただでさえレウシア様に怯えてるっつーのに。……馬は人の言葉がわかるらしいっすから、滅多なこと言わねぇでやってほしいっす」
とっさに手綱を引き馬をなだめつつ、迂闊な同乗者を諫めるサーシャ。
レウシアはしぱしぱと目を瞬いて、彼女の額に浮いた冷や汗を見上げた。
「……喋れない、のに、わかる、の?」
「そうらしいっす。だから〝美味そう〟は禁止っすよ。レウシア様が言うと、洒落になんねっすから」
「……むぅ、わかっ、た」
少し考え込んでから、レウシアはかくんと頷いてみせる。
彼女の食べられない生き物が増えたかもしれない。
「…………」
「……降りそうっすね」
「……ん」
しばし無言の時間が続き、小さな足を退屈そうにぷらぷら揺らすレウシアに、サーシャが呟く。
なんとなしに空を見上げた二人の頬を水滴が掠め、やがて雨粒が馬車の屋根を叩き始めた。
「あっちゃ、やっぱ降ってきちまいやしたか……」
「む? 雨か。おいレウシア、我を馬車の中へ入れてくれ」
「……ん、わかっ、た」
竜の少女は振り返り、御者台側に設えられた連絡窓をこんこんと叩く。
すぐに気づいて顔を覗かせたエルに魔導書を手渡してから、レウシアは「くしゅん」とくしゃみをした。
「レウシアさんも、馬車の中に入りませんか? 風邪をひいてしまいますよ?」
「……ん、別に、へーき。さーしゃ、は?」
「いや、あたしが中に入っちまったら誰が馬車を動かすんでさ……まあ、気遣いはどうも」
「そうですか……」
エルは残念そうに馬車の中へと頭を引っ込め、正面に座る神官たちをじろりと見据えた。
レウシアを招き入れると聞き、表情にあからさまな嫌悪を滲ませていた二人である。
聖女様からの咎めるような視線を受け、マーティスとニミルは慌てて窓の外へと顔を逸らした。
村を出発してからというもの、馬車内でのエルはすこぶる不機嫌だ。
その理由は、目の前にいる彼らが強引にレウシアを王都へと連行していることが一つ。
さらに竜人と同じ空間にいるのは嫌だと、彼女を御者台へと追いやったことで二つ。
そして、当のレウシアは楽しそうに御者台に座っているのだが、もしかするとそれが理由の三つめかもしれなかった。
――この気持ちは、仲間外れの寂しさだろうか?
せっかくの旅なのだ。エルは自分も御者台側でレウシアたちと会話をしながら、共に景色を眺めていたかった。
エルが物憂げに嘆息すると、神官二人はますます居心地悪げに視線を泳がす。
「あー、こりゃいけねぇや」
やがてサーシャが面倒くさそうに頭を掻いて振り返り、連絡窓をかつんと叩いた。
「すいやせん。雨脚が強くなってきちまったんで、いったん停めさせてもらいやす」
「は? なにをいう、我々は早く王都へと――」
「いや、車輪が泥に沈んできてやすし、馬が足を挫いて駄目になっちまったら立ち往生になるっすよ」
先日の一件でサーシャも態度を変えたのか、吐き捨てるようにぴしゃりと告げ、道の片隅に馬車を寄せる。
「ぬぅッ!? なにをしておるか! 野盗が出たらどうするッ!? 逃げられないだろうがッ!」
そのまま慣れた仕草で繋いだ馬を外すサーシャの姿に、マーティスが苛立ちをあらわに怒鳴り散らした。
サーシャはちらりとそちらを見やり、呆れ顔でかぶりを振りつつ二頭の馬を大きな木の陰へと引いていく。
「キサマッ! 聞いているのかッ!!」
「……いや、ダンナ。仮に野盗が出ちまったとして、この雨でぬかるんだ道を馬車で逃げるつもりなんで? そんならてめぇの足で走ったほうが、まだいくらかマシですぜ?」
「ぐッ――」
「心配しねーでも、そんときゃお望みどおりしんがりでもなんでも務めさせて頂きやすよ。王都の立派な神官サマは、乗馬くらいお手のものでしょう?」
「あ、当たり前だ!」
――野盗の狙いは金品であるからして、まず襲われるのは馬車だろうし、神官が逃げればサーシャよりそちらを追うだろう。そもそも乗馬用の鞍もない。
マーティスはそんな事実には気づかぬらしい。
ニミルと顔を見合わせて、もしもの場合どちらがどちらの馬に乗るかと密談を始めた様子である。
いよいよ雨が本降りになってくると、二頭の馬は気だるげな瞳でそれを見つめ、やがて足元の草をむしゃむしゃと食べ始めた。
レウシアは先ほどから口を大きく開けて空を仰ぎ、どうやら雨水を飲んでいるらしい。サーシャが微かに苦笑する。
馬車の中からその光景をそわそわと眺めていたエルが、ついに我慢できなくなって立ち上がった。
「……私も、ちょっと出ていますね」
「いや、聖女様、お召し物が――」
「なにか? ああ、そういえば午後のぶんの《回復魔法》がまだでしたね?」
「っ! は、はい。お、お願いできますか……?」
「もちろんです。それが済んだら、外を見てきます」
にっこり笑う聖女様の機嫌を損ねないよう、マーティスとニミルは黙って頷く。
あれからサーシャに寄生虫だの目に見えないほど小さな魔物だのと、腹の痛みについて散々脅された彼らである。
王都に着くまでは定期的に《回復魔法》をかけないと、またお腹が痛くなるかもしれない。
そう告げられ、すっかり信じ込んだ彼らは真っ青な顔でエルに縋りついたのだった。――実際には、普段運動をしない人間が二日酔いで大量に水を飲んだのち、山道を走れば腹痛くらい起こすのは当たり前なのだが。
ちなみに治療代のお布施は、王都に到着してから払うらしい。
どうせ巡り巡って彼らの元に戻る金である。
エルはその条件を飲む代わりに、彼らに魔導書をすぐレウシアに返すよう言い渡し、二度とそれに触らないと約束させた。
「……える? 汚れる、よ?」
「はい。お揃いですねっ!」
「……そっ、か。おそろい、だ」
ぱしゃりと水溜まりを跳ねさせてエルが近寄ると、雨を浴びていたレウシアが振り返る。
レウシアの身に纏った神官ローブの長い裾は泥だらけだ。
枝に引っ掛けたのだろう、そこかしこにほつれも見られる。
次の街の教会に、予備の神官服はあっただろうか? ――そんなことを思いつつ、エルは足元に目を向けた。
「次の街に着いたら、靴を買わないとですね。レウシアさん、ずっと裸足ですし」
「……ぅ、くつ?」
レウシアが首を傾げると、黒い髪から雫が落ちる。
エルはそちらに伸ばしかけた手を止め、すっと下ろして、代わりに自分の髪をかきあげた。
銀の髪から雫が落ちて、少女二人は見つめ合う。
「……あの、なにしてんすか? 二人とも、風邪ひくっすよ?」
「ふぇ? あっ!? わ、あはは……な、なんでしょうね?」
サーシャに声をかけられて、エルは焦ったように視線を泳がせる。
――おかしな感じだと、エルは思う。
教会の〝聖女〟として生きてきたこれまでに、レウシアのような存在はいなかった。
これは〝友人〟と呼ぶのだろうか? ――少し違う。そんな気もする。
「……あ」
ふいに、レウシアが遠くを指差した。
さっと雨が過ぎ去っていく。
「通り雨だったみたいっすね。よかったっす」
「そう、ですね。……レウシアさん? 向こうになにか――あ」
竜の少女が振り返り、瞳を輝かせエルに告げる。
「……きらきら、だ!」
そこに掛かっていたのは、とても大きな虹だった。
長く続く草原の先、山々を渡すように七色のかけ橋ができている。
――明日には街に着くだろう。
ふとエルはもう、自分が不機嫌ではなくなっていることに気がついた。
応援ありがとうございます!
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