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第8話:レウシア、寝ぼけて弾かれる

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 朝日が昇り、部屋にカーテン越しの光が射し込む。

 本日も空は快晴である。窓の外では小鳥がさえずり、村人たちは働く準備に取り掛かっているようだった。

 ベッドの上で丸くなり、自分の尻尾を抱いてすやすやと眠っていたレウシアは、ちゃり――と金属の擦れる微かな音に目を覚ました。

 いままでずっと、薄暗い洞窟で寝ていたレウシアである。
 眩しそうに瞼をこしこし擦りながら体を起こし、くぁぁと長い欠伸を漏らす。
 こんなに早い時間に起きるのは、彼女にとって非常に稀な出来事であった。

「……?」

 次いで室内をぼんやりと見回し、いつもと違う寝起きの光景に首を傾げる。
 寝ぼけまなこを窓へ向けると、そこには跪いて両手を握り合わせているエルの姿。

「……んぅ?」

 カーテンの隙間からこぼれる斜光が聖女の銀髪を煌めかせ、握り合わせたその手には、細やかな造形のロザリオが輝いている。
 蒼い宝石の珠をエルが手繰ると、銀のロザリオは光を反射し、ちゃり――と微かな音を漏らした。

「……きらきら」

 レウシアは吸い寄せられるようにベッドから降り、窓際のエルへと近づいていく。
 銀色の煌めきに触れようと竜の少女が手を伸ばし、その気配に気づいたのか、白の聖女は伏せていた瞼を薄っすらと開いた。

「――あっ!? レウシアさんッ!? だめっ!」
「ぴっ!?」

 伸ばされた腕を避けエルが身を捩ったときには既に遅く、彼女の体に触れてしまったレウシアが、ばちん! と大きく手を弾かれて悲鳴をあげる。

「っ、うぅぅッ!」

 レウシアは飛び上がるほど驚くと、ベッドの布団に頭からずぼりと潜り込んだ。

「あああ――っ! ごめんなさい! ごめんなさいレウシアさんっ!! 私、そんなつもりじゃ……。ああ、どうしましょう――!」

 取り乱したエルが布団団子と化したレウシアをおろおろと見つめていると、部屋の片隅に置かれた机の上で、魔導書が「ふむ」と興味深げに声を漏らす。

「おおかた、聖女の〈神気〉に弾かれているのだろうな。このような姿に変わっても、邪竜は邪竜ということか……。祈りの最中だったせいで、威力もかなり増していたようだ」
「うう……。わざとやるのは楽しいのですが、これは本当に申しわけないのですよ……」
「おい聖女、いまお前なんて言った?」
「いえ? なにも? ――ごめんなさいレウシアさん、私の不注意で驚かせてしまって……」

 しばらくの間、布団の中でぷるぷると震えたのち、やがてレウシアはぴょこりと顔を覗かせる。

「……える、おは、よ?」
「っ、おはよう、ございます」

 不安そうに目を伏せたままのエルにレウシアが朝の挨拶を告げると、エルはほっと胸を撫でおろし、竜の少女を見つめ返して微笑んだ。

   *   *   *

「――今日は、レウシアさんのお家にお邪魔したいのですが、よろしいでしょうか?」
「……むぐ?」

 朝食のパンを頬張っているレウシアにエルが尋ねると、竜の少女は頬の膨らんだ顔をあげ、もごもごと咀嚼しながら首を傾げた。

 テーブルの上には既に空になったジャムの瓶が三つ、いずれもレウシアの前に並んでいる。
 バスケットに山盛り入っていたパンは、ほとんど彼女の胃の中だ。

 二人の神官――マーティスとニミルは未だ部屋から出てきていないようで、現在貸し切りとなっている宿の食堂にいる客は、レウシアとエル、そしてサーシャ、テーブルに置かれた魔導書のみであった。

 昨夜の歓待で酒が振舞われた際に、神官二人は「安っぽい味だ」と文句を言いつつも、浴びるほど大量に飲んでいた。恐らく、まだ眠っているのだろう。

「……んぐ。いい、よ?」
「ありがとうございます。――よかった。実は回収しなければならない物がありまして。……勇者様が勝手に持って行ってしまった物なのですが、とても困っていたのです」

 パンを飲み込んだレウシアが頷いたのを確認し、エルは安堵の表情を浮かべた。
 邪竜である彼女が勝手に住み着いているだけとはいえ、住処は住処だ。無理やり押し入り荒らすのではなく、ちゃんと事前に了承をとっておきたかったのである。

「……さがしも、の?」
「えっと、ミスリルっぽい素材の小さな指輪なんですけど……見ていませんか?」
「……みす、り? しらな、い」

 エルが〝探し物〟の特徴を伝えると、レウシアはこてんと首を傾げた。
 魔導書が「ううむ」と低く唸り、エルに述べる。

「そのような物品があったのならば、この欲深い竜が見逃しているはずがないと思うのだが」
「それは、困りましたね……。えっと、とにかく一度、お邪魔させて頂きますね?」
「……ん、わかっ、た」

 魔導書の言葉を聞き、少し考え込んでから、改めてエルはレウシアへと頭を下げた。とにかく探してみないことには始まらないし、勇者たちがそれを持ち去ったのは事実であるのだ。〝探し物〟の所在地として、いま最も可能性の高い場所は、やはりレウシアの住む洞窟だろう。

 エルがそう思考に耽っていると、隣で話を聞いていたサーシャが、僅かに顔をしかめながら会話に参加する。

「あのぅ、それって、邪竜の巣に行くってことっすよね? あたしゃちょっと、気が乗らねぇんすけど……」
「あら、サーシャ? 次期〝勇者〟様候補がそんなことでどうするのです?」
「それはお断りしてぇって言ったと思うんすけど……。あたしなんかにゃ務まらねぇっすよ……」
「私は適任だと思いますけど……。まあ、それに――」

 エルはにっこり微笑んで、自分のぶんのジャム瓶をレウシアの前へ差し出した。

 中身のジャムをたっぷりと、嬉しそうに丸パンに乗せるレウシアを見ながら、落ち着かない様子のサーシャに告げる。

「――その邪竜さん本人に、こうして許可をお願いしているのですから。なにも危なくないですよ?」
「いや、本人と言われても……。その、未だに信じられねぇつーか、本当にこの小っちゃい聖女サマの正体が〝邪竜〟なんで?」
「あら? サーシャは昨日の夜にレウシアさんの体を拭いてあげるとき、翼とか尻尾とか、色々と触っていたじゃないですか?」
「いや、竜人ドラゴニュートだってのは疑いようもねぇんすけど、どうにも〝邪悪〟って感じがしねぇっていうか……」

 もぐもぐと幸せそうにパンを頬張るレウシアを眺めて、サーシャはぼりぼりと頭を掻いた。

「まあ〝邪竜〟なんていうのは、人族の作った枠でしかありませんからね」

 エルはわざとらしく咳払いし、厳かな口調でサーシャへ述べる。

「――主の御前では皆等しく、愛する我が子であることでしょう」
「……なるほどな。お前の〈神気〉がこの娘を弾くのも、人族の語る〝神の愛〟というわけ――」
「なにか?」
「…………いいえ、なにも」

 ぼそぼそと余計なことを言いかける魔導書に、エルが慈しみ深い眼差しを向けてやると、不信心者は直ちに意見を呑み込んだ。
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