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第1章 ウェルカム・トゥ・ザ・ジャングル

#1 魔界都市のブルース

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「………………平和だなぁ」


 呟きを漏らす彼女の周囲に、全ての光景が広がっている。



 灰色の大気と陰が作り出す暗い空の下、アール・デコと無機質な現代建築が混ざりあった全高の低いビルが、ひび割れたストリートの狭間に連なる。行き交う無数の自動車の群れが路上でごった返し、各々けたたましいサイレンを鳴らす。


 その上空を飛ぶのは、背中に翼を生やした人間達。鳥か、あるいはドラゴンのような姿。何かに追われるようにスーツ姿で羽ばたいていく。また、渋滞の狭間をすり抜けていくのは、各々身体に奇妙な特徴を持った人間達。


 異様に足が細かったり、あるいは車輪がついていたり。歩道を通るのは邪道と言わんばかりに、運転座席の渋面を無視しながら行き交っていく。


 路地裏には美しい服装と容貌の男女が妖精のごとく佇んで、身体に獣の意匠を持つ者達はその前の歩道を幻のごとく歩いて行く。帽子やフードを目深に被り、まるで何かの罪を犯したかのように。


 それらの人、車。隙間はどこにもない。空気は暗く淀み、あちこちから怪しげな蒸気や煙が立ち込めている。どこかで銃声のようなものが聞こえた。だが誰も意に介さない。


 ここはダウンタウン、イースト9thストリート。



 シャーリーは交差点の信号の前に立っていた。行き交う人々の会話、クラクション。その他無数のアナウンスや広告。全ての光景が彼女の周辺を包み込んで離さず、他の何もかもを封じている。


 ストリートに面した宝飾店やブティックの前を通り過ぎていく異形の者達。ほとんど人間といえるのに、どこかが人間と激しくかけ離れた者達。絶えることのない交通量。セダンも、ワゴンも、二輪車も。

 まるで濁流のように車道のただ中をどろりと過ぎていく。そして幹線道路の行き先を示す標識には、各方面に『これより先危険区域』の文字が『乱立』している。


 ビルの群れを外れたところにある時間制駐車場前の赤レンガの壁には、夥しいスプレー落書きグラフィティ


無機人テロドに雇用を!』


『世界の終わりは近い』


妖精フェアリルを売女と呼ぶな』


獣人モロウも人間』。


 建物の上を人々が跳ねるように移動し、また裏腹に、路地裏では猜疑に歪んだ目をしたものたちが座り込む。


 そこには何もかもがあった。喧騒も、倦怠も。明日への希望も、未来への絶望も。全てが一つの大鍋に煮られて、路上にぶちまけられていた。その街の名はロサンゼルス。車道の狭間に申し訳なさげに佇んでいるヤシの木の列こそ、すべての象徴――“どうだ、俺達を見ろ。”



「てめぇよくも俺の女に手ぇ出せたもんだな、えぇおいッ!?」


 シャーリーの後方で声がする。


「ちっ違う、僕が君をカスタマイズしてあげると言っただけで……」


 一人の大柄な男と、両腕が作業機械のような異形となった眼鏡の男が、中華料理店のガラス張りの前で喧嘩している。その間には美しい容姿をした、淡く輝く女が一人。


「やめて! このヒトはその両手で私をマッサージしようとしただけなのよ! 彼ったら凄いのよ――」

「……じゃあてめぇやっぱり手出したんじゃねぇか腐れドーザー野郎が!」


 男は咆哮すると、シャツをバリバリと引き裂きながら異形に変貌する――ライオンの獣人に。


「ひいいいいッ!」


 眼鏡の男は両腕を回転させながら逃げようとするが、そこにライオン男が組み付いた。女から、そして周囲から悲鳴が上がる。料理店のガラスが割れ、もみ合いながら二人の男が店の中へ。間もなく悲鳴と鈍い打撃音、機械のけたたましい作動音、店内のエキゾチックなBGMがミックスされて聞こえてくる。


「うん、平和平和。そうに違いないぞ」


 シャーリーは呟く。その頬に冷や汗が流れた気がした。背後の騒ぎはまだ続いている。

 間もなく信号が青になった。人混みと共に渡りながらイヤホンをはめて、ラジオをつけた。


『――2018年4月20日、時刻は午前8時三十分。LAグロリアス・モーニングのお時間です。DJは変わらぬツイードを身につけて二十五年、エディ・ホランドがお送りします。やぁ、いい日差しだねジェニー。今日も景気良く始めよう』


 人の波――あまりにも混交とした、人々の波。獣の意匠を持つ者。機械の身体を持つ者。妖精のように美しい容姿を持つ者。踏みしめる場所すべてが、人種の坩堝だった。


「……まったくもって平穏無事…………」


 キャリーバッグを引っ張りながら進む。


「…………」


「キャアアアアアアアアア!!」

「テロリストだああああああああ!!」


 すぐ近くで再び声。チョコレート色の商業ビル・エントランス――人が集まっていく。全身の筋肉をどす黒く膨張させた大男が、緑色の肌の小男を羽交い締めにしながら吠えている。


「てめぇら動くんじゃねえぞ! 俺がクビになった理由教えてやるよ、ふざけやがって、脳の足りない奴は雇えねぇだと!? 俺にそいつを言ったのは爬虫類野郎だったんだぞ! 俺は人間だ、こんな身体クソッタレ!!」


 そしてサイレンの音――滑り込んでくる車のホイール。


「――そこの男止まれ、LAPDだ! 今から15秒数えるから人質を離せぇッ!」


「やなこった!」

「そっか、じゃあ数えんの短縮するから覚悟しろ!! 1357911……」

「キャアアアアアアアアア!!」


 騒ぎ。悲鳴。サイレン。混沌、混沌、混沌――爆発。ほど近くで。何かが上から降ってきた。看板の欠片だった――シャーリーは避けた。

とはいえ、人の波は続いている。


「…………」


 シャーリーは、立ち止まる。

 そして、頭を抱えた。


「ヤバいとこ、来ちゃった…………」


 ラジオに言うべきことがあるとすれば、それは――決して良い日差しではない、ということだ。





 十年前、『ある存在』によってロサンゼルスに起こった『天震ヘヴンクエイク』は、街の様相を一変させた。


 たった一瞬で特定の地区が『空中へと浮かび上がり』、『寄り集まり』。


 たった一瞬で上空から何フィートもある巨大な剣がそこに突き刺さり。


 そこから十数時間後には、『ハイヤーグラウンド』と呼称される浮島が生み出された。


 そして、その生誕と同じ刻。

 天と地を突き刺した巨大な剣と同じように、空から無数の小さな剣が降り注いだ。まるで豪雨のごとく。


 誰も逃げることは出来なかった。あまりにも唐突に、何の前触れもなく地に注ぎ始めたからだ。


 それはただの剣ではなく、命中した人間を異形の化け物――『種から外れた者達アウトレイス』へと変える数インチの楔だった。


 誰も彼も、自らの身体に起きた変化を拒絶することが出来ず……天地が鳴動し混乱するさなか、人々の姿は複数種類の異形へと各々変化していった。

 

 子供が大人になるようにそれは起きて、変貌に対して発狂することさえ出来なかった。全ての運命は、彼らを呑み込んでいた。


 それはあまりにも、あまりにも急激な変化であり、臨時に集められた世界中の生物学者達が匙を投げた――“もう沢山だ。”“きっとこれはダーウィニズムの敗北だ。今私は神を見ている。”“週末に子供の野球大会があるんだ。”


 更に、逃げ場を消し去るかの如く、街の周囲には巨大な壁が――まるで天地創造の如くせり上がり、ロサンゼルスは一つの異界として外界から隔絶された。


 米軍が動き出した頃には何もかも遅く――その黒檀の壁が外から、衛星写真からはっきりと確認される頃には、事態はとっくに『普通の人間』の手を離れていた。


 そうして生み出されたのが、ここ『アンダーグラウンド』である。人々の視界、その真上に塔のごとくそびえ立つ剣と浮島のせいで、常に薄暗い空が広がり、陰が降り注ぐ世界。


 かつて人間であった異形の者達が、自らの変わり果てた姿を見つめながら日々を生きる、閉ざされた煉獄。


 シャーリーは今日、ハイヤーグラウンドからその地に降り立った。

 ひとえに、天と地に分かたれたかつての友人と出会うために。

 年齢は十八。ようやく手にした自由と独立が、その行動を可能にしていた。


「まいったな……」


 立ち直った彼女は通りを歩いていた。既にエディ氏のラジオ放送は終わり、物憂げな時事ニュース番組に切り替わっていたので、ラジオを切っている。


「ダウンタウンに降りてからこっち、頭の中がシェイクされてた……あてもなく歩くのはやめにして、方向性を決めなきゃ……頑張れシャーリー」



 彼女は、空の上での生活を忘れることが出来ない。


「この十年間に比べれば、どうってことないはずなんだから」


 その浮島をなす土地は、ロサンゼルスの中の『選ばれた』地域のみ。それは政治、経済の要所として重要な場所であり、あるいは富裕層の多く居住する地域であったり。

 ある意味で、それなしでは街が成り立たない場所ばかりが、『何故か』あの日剣に選ばれ、ハイヤーグラウンドとなった。そこでの月日を、シャーリーは鬱屈した思いとともに過ごしていた。


 裕福な家庭の中、騒動とは無縁の安穏とした生活を送れば良いはずだった。自分達は『選ばれた』のだから。


 ……しかし、常軌を逸した出来事を、日々の瑣末事と忘却によって『そうあるべきだったこと』として開き直ってしまった多くの大人たちとは違い、まだ子供に過ぎなかった彼女は、空の上での生活に順応できなかった。


 空の下にかけがえのない友達が居て、そこで大変な暮らしを送っているはずなのに。自分はどういうわけか、空の上で、これまでよりも恵まれた生活をしている……。


 それが、我慢ならなかった。

 今、地上にまで降り立った原動力は、その溜め込んだフラストレーションだったのだ。


 彼女に出会えて、もう一度友達として時間を過ごせればいい。その後のことを、特に考えているわけではなかった。しかし、後悔するよりも行動の方が優先だった。


「そう……頑張ろう」


 周囲のざわめきを防ぐ呪術のように、写真を取り出し、見つめた。


「見てろよアンダーグラウンド、ボクはやってやるんだからっ!」


 シャーリーは叫んで、意気軒昂とストリートを歩いていった。








 ……それから、たっぷり数時間。

 アンダーグラウンドの空。陰の上にたっぷり藍色を施して、夜が訪れた。街はまだまだ眠らない。むしろこれからが本番とばかりに、どこまでも眩しく、怪しい光で溢れていた。巨大なモニタの中で、陽気にテレビ番組が映る。



『さーーーーーーーーーて始まりましたロズウェル・ナイト・ショウ、今夜も最高のゲストが僕のザイオンに遊びに来てくれてるよ! 紹介しよう、先日ニュー・アルバムを出したばかりのこの男――――』



「……――なんで誰も! 相手すらしてくれないんだっ!!」


 シャーリーは叫んで、そのままカウンターの木机を殴りつける。しばらくすると手の甲がじんじんと痛みだし、そこから逃げるように視線が彷徨った。


 ――そこはダウンタウンのグランド・アベニューにある小さなバー・ダイナー。

 レンガと木材の設えを中心に暖かな茶色のテーブルと椅子が並び、カウンターの向こう側にはヴィンテージウィスキーやワインが豊富に立ち並ぶ。

 やや埃を被った回転灯が頭上を照らし、古びたジュークボックスは70年台のサザン・ロックのヒット曲を立て続けに流し続けている。


 客入りは多く、店内は明るい騒ぎに満ちていた――無論、多種多様な姿の者達が見て取れる。


「それで姉ちゃん。何にするんだい。そこに座ってるだけじゃあ――」


「ビール。ノンアルコール」


 カウボーイハットをかぶった髭面の男が聞いてきたので、ぴしゃりと言った。攻撃的に。目を合わせる気にはなれなかった。


 殴った手がまだ痛くて、頭の中に、この数時間中に出会った愉快な連中フリークスの顔がミックスダウンされた状態で走り回っていた。


 ……その男は騒がしい中でも十分聞こえるほどの大きなため息をついて、言った。


「そんなもんうちには置いてないよ。営業許可証、見るか?」


「じゃあコーラッ!」


 顔を上げて、思い切り怒鳴った。店主の男は目の前を蚊が通ったような表情をして少しのけぞり、一応その注文を受け取った。

 ……それから2,3分。シャーリーは落ち着かない状態で座っている。


「ほらよ」


 そして、大きめのグラスの上に切ったレモンを添えた冷たいコーラが運ばれてきた。シャーリーはそれを受け取ると、間髪入れずに飲み始める。

 体が急激に冷えてきて、ますます気分が悪くなる。そうして、今日一日の成果を振り返る。





 ――1軒目。

 荘重な建物の、探偵事務所。

 対応――トカゲのようなエラを持つ、スーツを着た男。


「人探し? ……悪いけど、そんな金額じゃあとてもやれないな。何故って? ははは、一日に何人行方不明になると思う?」


 ――2軒目。

 やや古い家屋の事務所。

 今度は対照的に、まるまる太った陽気な義眼の男。


「はいはい、お受けしますよ。なんせ引っ越したばかりで……この前も引っ越し、今度も引っ越し。今回は朝起きてたら部屋の外に放り出されていてね! 裸で!」


 だが、事情を説明すると――。


「ふざけんじゃねぇ、ハイヤーの奴が何しに来やがった、帰れ帰れッ!」

さしものシャーリーも、突きつけられたレミントンからは逃げるしかなかった。


 ――3軒目。

 ……重低音が響き渡る乱雑な部屋。耳が吹き飛びそうになる。


「あのおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!」

 

 返事はない。もう一度叫ぶ。半開きのドアに足を突き入れながら。


「すいませえええええええええええええええええええええん!!!!何でも屋って聞いたんですけどおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!」

 

 返事はない――奥を見る。

 ……それから、すぐに翻り、出て行く。

 散らばった床に注射針と茶色い粉が転がっていて、その奥に裸の男が、震えながら天使の微笑を浮かべて倒れていた。


 ――4軒目。


「あンらあああああ? お探しの男なら先日サンペドロに引っ越したわよ? 残念だったわね。それよりねぇ、あたし女もイケるのよ……どう、一緒に楽しまない? チカーノから良いヤクが流れてきてね、うふふ……」


 ランジェリーを着込み、髪を膨らませた巨漢。

 その奥では、仲睦まじい喘ぎ声が重奏している。シャーリーは引きつった笑顔を浮かべたまま、顔を青ざめさせて退出する。

 ……そこまできて、正気にかえりかけた。だが、それが何の意味もないことは知っていた。だから彼女は冒険を続けた。


 ――5軒目。6軒目。7軒目…………。





 ……そうして、今に至るというわけだ。


「何一つ成果がない……やっぱ写真しかないんじゃ無理だったのかな」


 彼女は今、街に呑まれかけていた。今後の自身の行動に対する自信というべきものをなくしかけていた。


「お嬢ちゃん。なんだかよく分からねぇが、元気出しなよ」


「出せるもんなら出してますよう。手立てもなく家を飛び出したボクを笑ってくださいよう……ぐすっ」


「後な、ウチはあんまり未成年は歓迎しないんだが……」


「飲んだら出ますよ、それでいいんでしょ……ボクは馬鹿エアヘッドだ……」


 このままでは、自分は友達の――エスタの消息について何も掴めないままになる――。

 残り少なくなったコーラをストローで泡立たせながら、悔しさに歯噛みする……。


『さて今夜のロズウェル・ナイトショウもそろそろ終わりの時間となってきました。皆さん良い眠りを――』



 ――その時だった。



 地鳴りのような音が響いた瞬間、何かが窓の外から飛び込んできた。



 泥水の濁流のように見えたが、違った。衝撃音とともにガラスが割れて、大量の破片が室内に吹き込んだ。立て続けに突風が揺れて、壁が、床が、天井が激しく振動した。


 それは一瞬だった。“スローモーションだ――。”どこかの知覚が、瞬間をそう捉えた。しかし、道路沿いの壁面を破壊して店の中に入り込んできたそれは、決して濁流などではなかった。


 室内の明かりが明滅して、全ての場所から悲鳴が噴き上がった。塊だった――巨大な、赤黒い肉の帯を丸めた、肉の塊。


 シャーリーは反応が遅れかけたが、ギリギリのところで頭を床に抑えつけて、ガラス片の炸裂から身を守った。煙。瓦礫。阿鼻叫喚。何が何だか分からない。

 壊れたジュークボックスがノイズを奏でる。視界が僅かに晴れて、シャーリーは身を起こす――。


 その場に座り込み、動けない人々。夥しい瓦礫が店内に広がっていて、そのただ中――へし折れたテーブルや椅子を周囲に撒き散らした状態のただ中に、その巨大なモノは身を起こし、立ちすくんでいる。


 ――やはり、こう表現するしかない。巨大な、筋肉の塊の化け物、と。


 静寂。僅か数秒のみのその間に、『それ』は煙の向こう側に明確な姿をとった。化け物――だが、ヒト型だった。というよりも……。

 人間が、肉の塊に飲み込まれ、異形に変質したというべき姿。


 誰もがその存在を見ていた。

 誰もが。

 

 ……カウンターからグラスが落ちて、小さな音を立てて割れた。


「――――――――――――――――!!!!」


 ――咆哮。ブラックボードを爪で引き裂き、ギターのノイズを重ねて、更にその上に大勢の女の悲鳴と男の阿鼻叫喚を重ね合わせたような悲鳴。他に表現するすべはない。周囲に散る人々の耳を斬り裂くように響き渡る。空気が震えて、ささくれだった壁がビリビリと振動する。


 それから化け物は、蹂躙したばかりの店内から、やにわに外の道へと駆け出した。その際室内の調度品が軒並みはじけ飛んだが、もはや誰も気にもとめなかった。

 そしてストリートから、悲鳴とサイレン、破壊音の連続が聞こえてくる。


「くそッ!! なんだってんだッ、」

「おいしっかりしろ、」

「畜生痛ぇ、頭が取れたッ」

「ファック、俺は尻尾だ!」

「トカゲでよかったなギャハハ!」

「言ってる場合じゃねえだろうが!」

「ちょっとどうなってんのよおおおおお!」

「――――?」


 シャーリーには、意味がわからなかった。先程まで頭の中を支配していたナイーブさも、一気に頭から抜け落ちた。振り返ると店主が頭をぶつけて気絶している。安らかに。


「な、何何何、今の――――」


 既に店は天井の一部も破壊され、おしゃれなカフェテラスのようになっている。


 再び咆哮が聞こえる。

 筋肉の帯に包まれた、直径にして30フィートほどの化け物が、店を出てすぐ、向かい側にある灰褐色のオフィスビルに衝突――放射状にヒビを迸らせ、間もなく大穴を開けて向こう側へ倒壊させた。


 既に手前の街路樹は弾き飛ばされ、亀裂の入ったアスファルトの上では人々が逃げ惑っている。爆炎が立ち込め、化け物が倒壊した建物から姿を現すと、悲鳴は更に広がって恐慌状態を生み出す。


「おい、こいつでかくなってないか!?」

「なんで!?」


 化け物は吼える。人々が耳をふさぐ。咆哮を転換し、蛇行しながら先に進もうとする。そのたびに後方のストリートが破壊に埋め尽くされるが、その化け物からは状況を意に介す理性など、消え失せているらしかった。化け物は進撃する――。


 が、不意に立ち止まる。その背が衝撃に覆われ、彼は前方につんのめる。炎の花が何重にも咲いていた。銃撃――後方。


 武装した警官隊が、ヒステリックにサイレンアラートを鳴らしながら路上に殴り込み、化け物に銃撃を始めていた。


「LAPDだ! 止まりやがれフリークッ!」

「バカ、聞こえるわけないだろ」

「じゃあどうするんだよッ!」

「仕留めるしかないだろう!!」

「無茶言うな!!」


 重武装の者達だ。シールドを構えた上で、一斉に構えられたHK516アサルトライフルの連続銃撃の重奏――だが、全ては肉の分厚い装甲に阻まれて全く効き目がない。薬莢が周囲に飛び散って、逃げ惑う人々を更に逃げ惑わせる。


「連中おっぱじめたぞ、逃げろ、」

「来るのが遅いんだよッ!!」


 化け物は際限なく浴びせられる火線に怒りを覚えたかのように向きを変え、銃撃する部隊に向けて特攻――アスファルトがめくれ上がる――衝突。


 ポップコーンが弾けたかのように警官たちがぶっ飛び、その衝撃を受けて、後方の街路で違法駐車していた車をまとめて盛大に縦一列に爆発炎上させる。


「あああああ、俺のシボレーがぁーッ!」

「警察は何やってんだ、引っ込め無能ども!」

「写メ撮れ写メ!」


 アウトレイス達が悲鳴の隙間に野次を飛ばし、逃げていく。


 化け物は再び踵を返すと、進んでいた道を驀進しようとする。だが警官たちは僅かに残っていた――後方で呻いている者達は役に立たない。血塗れのまま銃を構えて、放つ。再び炎の明滅、足止め。


「畜生、軍は来ないのか!?」

「連中は七年前から一切来ねぇよ!!」


「な……何がどうなって……あの化け物、何――」


 シャーリーは立ち尽くしたまま呆然と呟く。目の前の空間で戦いが繰り広げられている。窓と壁面が壊れたことで、彼女の目の前にある壁はスクリーンのようになり、向こう側がそのまま見渡せた。まるで本当に、映画のように。



『ハローワールド。ディプスのワールズエンド・チャンネルへようこそ』



 その瞬間、街中の液晶モニタ、シャーリーのスマ―トフォン、その他全ての『画面』が蠢いて、一つの画面が浮かび上がる。誰もがそれを見た、誰もが、誰もが。



 空が割れるように赤い亀裂が画面に走って、その隙間から電子の砂嵐を伴って、一人の男が顔を覗かせる。


「この男――」


 法衣のような服をまとった、陶器の肌をした青年がそこに座っていた。


 赤の空間の中に。射抜かれて動けなくなるようなエメラルドの瞳が、映像を見る全ての者達の視界に飛び込んでくる。寒くもないのに吐く息が白くなって、熱くもないのに額がぼうっとしてくる――もはや視界が正常を保てない。


 何故? その男の容姿が、あまりにも――あまりにも美しいから。


『久しぶりですね、皆さん。最近は他の都市の管理も忙しくって、中々ここには顔を出せなかったけど……元気にしていましたか?』


 その男のことは、シャーリーでさえ知っている。だからこそ、目を逸らせない。

 

 ――『混沌のディプス』。

 このロサンゼルスを異形の街へと変えた張本人。


 その男が今、人々の前に姿を現した。
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