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聖女だって人間なので、好きな人と結ばれたいのです。

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この国では、聖女は人間扱いされない。



「酷い扱いを受けてるわけではなくて、むしろその逆で……」



 他に誰も居ない神殿の中庭で、丹精込めて育てているレモンに向かって独り言を繰り出す私は、この国唯一の聖女サラだ。10歳の頃に神聖力を発現して以来15年間、この神殿で暮らしている。



 神聖力は女性にしか発現しない。発現したら即座に聖女認定され、瘴気を祓い人々の傷病を癒し国に尽くすことが定められている。私は神殿で教育を受けながら、これまで大勢の人を怪我や病気から救ってきた。比較対象がいないのあまり自覚はないけど、一般的な聖女より力が強いらしく、国王陛下からは未来の大聖女になれる逸材だと期待されている。



「おかげで衣食住は保証されてるし、政治的に利用されたり力が枯れるまでこき使われたりはしないんだけど……だけどなぁ」



 ここオーディール王国では年々聖女の数が減少し続けていて、私より後には一人も増えていない。そのため3年前に大聖女様が78歳で亡くなってからは、殊更大事に扱われるようになった。平民上がりの聖女の元に週に一度王族が様子を見に来るという破格の待遇だ。



 だけど、私は人間扱いされていない。

 ”聖女”扱いしかされない。



「私、もう25歳よ?貴族でも平民でも立派な行き遅れ認定される歳よ?誰もおかしいと思わないのかな……!?」



 大聖女様も生涯独り身を貫いたが、あの方はお若い頃に婚約者に裏切られた経験があり、元から結婚する気がなかった。だけど私はそうじゃない。



「”聖女はかくあるべし”なんて、最初に言い出したのはどこの誰よ!!!」



 苛立ちを押さえつけるために、ぶちぶちと雑草を引っこ抜く。己を鎮めるのには単純作業が一番だ。



「私だって、好きな人と結ばれたい……!」



◇◇◇



 ”聖女はかくあるべし”



 一に、聖女は民のために生涯尽くすべし。

 二に、聖女は清貧を尊ぶべし。

 三に、聖女は他者の手本となるべし。

 四に、聖女は異性に想いを寄せるべからず。



 要するに、死ぬまで国のために尽くして誰とも結婚せず、贅沢をせず必要最低限の暮らしをし、民の手本となるよう立派な人物でありなさい、ということだ。元平民にそこまで求めるかフツー?と懐疑的なのは私だけで、この国の人たちはこの教えを心の底から信じている。うちの祖父母も例外じゃなく、私が聖女として神殿に引き取られる日の朝もこの教えを説いてきた。



『サラ、私たちの事は気にしなくていいからね』

『聖女様として、この国のために尽くしなさい。病で苦しむ人を一人でも多く救えたら、お前の両親も神の庭で喜んでくれるさ』



 瞳に一杯涙を溜めながら力強く抱きしめて送り出してくれた祖父母は、二年前に病で揃って神の庭に招かれた。両親は私が5歳の頃に流行り病で逝ってしまったので、私は25歳にして天涯孤独の身の上なのだ。



(でも、ここにはあの人が来てくれるから寂しくない)



「なんだ嬢ちゃん。まーた草むしりしてんのか」

「リカルドさん!」

「ずっと中腰でよく疲れねぇなぁ。おっちゃんには無理だわソレ」

「あ、どうぞ私の事は気にせず座ってください。もうちょっとで済みますから」

「んじゃ遠慮なく。聖女様に草むしりをさせて一人で座ってたなんて、神殿長には黙ってくれよ?」

「もちろんです!私とリカルドさんだけの秘密です……えへへ」



 リカルドさんは四年前に隣国からやって来た研究員で、神聖力の専門家だ。



 この国では「神聖力を人間の手で解明しようだなんて理に反する」という考え方が根強いけど、リカルドさんを受け入れて研究に協力することで、各地の神殿を束ねる聖国の大神殿から補助金がたんま貰えるため神殿長が強く希望したらしい。国王陛下は迷った末に受け入れることにしたそうだ。



「あんま根詰めすぎんなよ。ほれ、これでも食って一休みしな」

「わぁい!いつもありがとうございます!!」



 衣食住は保証されているけど、清貧を尊ばねばならない身の上なので嗜好品が与えられることはほとんどない。マカロンもビスキュイもフロランタンも、全部リカルドさんからの差し入れで初めて食べた。



「これがいつでも食べられるなんて、神殿の外で暮らしてる人がうらやましい……」

「嬢ちゃんはよく食べてくれるから、差し入れのしがいがあるなぁ。ほら、こっちも食っときな。限定のマスカット味だってよ」

「マスカット!?大好きです!!」



 今日持ってきてくれたのは初めて見るお菓子で、パートドフリュイというらしい。カラフルでゼリーのような見た目で、果物の味がギュッと詰まっている。表面にキラキラしたお砂糖がまぶしてあって、宝石みたいだ。



「贅沢したいわけじゃないんですけど、食べたいときに食べたいものを食べて、聖衣以外の服を着て、外を自由に出歩いてみたいですね」

「嬢ちゃんは他の国でもちょっと見ねぇくらい能力が高いし、この国たった一人の聖女だからな。王家としてはいずれ大聖女になる尊い御方を、世俗に染まらせるのは嫌なんだろう。もっとも、そんなんは体制側の都合だけどよ」

「世俗に染まるもなにも、ここに来るまでは生粋の平民だったんで今更ですよ。リカルドさんの国の聖女は、親元から神殿に通ってる子がほとんどなんですよね?」

「あぁ。嬢ちゃんみたいな暮らしは、うちの国だと修道女だな」

「いいなぁ。そっちの国に生まれたかったです」

「嬢ちゃんほどの治癒の使い手は俺も見たことがないから、他国でも保護対象になると思うぞ?」

「それでもここよりマシですよ、たぶん」



 王族の人たちは私が神殿からちょっと外に出ることすら嫌がるので、年に一度の建国記念日のパレードくらいしか外出の機会がない。毎日神殿で寝起きして、週に4日神殿に集められた傷病者に癒しをかけるのが、ここ何年も変わらない私の日常だ。ごく稀王族に連なる血筋の高位貴族の治療で屋敷に招かれることがあるけど、大勢の護衛を引き連れて行くので自由時間はまったくない。



「国内のあちこちに瘴気が発生する国では、聖女の御役目は浄化がメインになるんですよね?」

「その通りだ。この国がこんなに閉鎖的じゃなければ、サラ嬢ちゃんは友好国に派遣されて瘴気の浄化をして回ってたかもしれん。もっとも、他国への派遣なんざここの国王陛下が認めるわきゃねぇな」

「ですよねー……」



 うなだれる私の手を取って、リカルドさんはボンボンショコラをそっと乗せてくれた。大好物だけど、聖女様がアルコールを摂取するなんてとんでもない!と神殿長が卒倒してしまうに違いないので、今のうちにこそっと食べるしかない。匂いでバレないよう、食べた後は自分に浄化をかけるのも必須だ。本来なら瘴気を祓い土地を浄化できる能力をお酒の匂い消しに使うなんて、我ながら贅沢な力の使い方だ。



「ご馳走様でした!いつもありがとうございます」

「いいってもんよ。じゃあ、先週の続きを手伝ってくれるか?」

「もちろんです。浄化の水薬の効果はどうでしたか?」

「かなりいい感じだ。お陰で南方の公国で大発生した瘴気がかなり抑えられたんで、助かったよ。ありがとな」



 そう言ってリカルドさんは、私の頭をわしゃわしゃと撫でてくれた。これが嬉しくて最近は頭巾をあまり付けなくなった。目立った変化を見せると神殿の人たちからリカルドさんが警戒されてしまうので、ほどほどにしなきゃいけないとはわかっているのだけど。



「もっと強力な治癒の水薬を作れるようになりたいです」

「嬢ちゃんの治癒は効果が強いから、浄化の水薬に使った薬瓶じゃ効果を閉じ込めらんないのが今の課題だ。今日は色んな素材を用意したから、片っ端から試してみよう」

「はい!」



◇◇◇



 リカルドさんは聖女の持つ治癒や浄化の力を薬にする研究をしていて、その研究に協力することで、私の神聖力を大勢の人に届けられるようになった。私はここから自由に出られないため、神殿に来られない程の重傷者は治療出来ない。直接治療しに行きたいと国王陛下に願い出ても「その心映えが素晴らしい!」とヨイショされるだけで外出許可は下りない。だから私はリカルドさんには感謝しているし、この人の研究にはなんでも協力すると決めている。



 神殿長は大神殿から評価されたことで研究への協力を推奨してくれるし、最初は難色を示していた貴族たちも、聖女を外に出さず他国に恩を売れるので今や黙認状態だ。



 リカルドさんは、神殿に籠って指示されたことだけこなして過ごしていた私の世界を広げてくれた。それに何より、リカルドさんは私に”聖女とはかくあるべし”の考えを押し付けず、嗜好品を差し入れしてくれて、聖女様じゃなく嬢ちゃんと呼んでくれる、たったひとりの人だ。



◇◇◇



「リカルドさん、このまえ38歳になったって言ったよね。13歳差かぁ……私の両親もたしかそれくらいだったような?」



 研究への協力を終えて、自室に戻ってローズマリーの鉢植えに話し掛ける。気軽に話せる友達なんていないし、こんな話物言わぬ植物相手にしかできない。定期的に顔を合わせて喋る機会のある同性はお姫様たち(18歳と15歳)ぐらいだ。あの人たちは私に恋愛感情があるなんて思いもしないだろう。聖女はいつだって清廉で俗っぽいことなんて一つも考えず、自分より他人の幸せのために尽くす生き物だと信じているから。



(だけどリカルドさんは違った。誰にも内緒で私を祖父母の元に連れて行ってくれた。私にそれが必要だと思って、バレたらきっと困ったことになるのに、私のためだけに動いてくれた。そんな人他にいない……)



 聖女の治癒の力は、人間が元々持っている生命力を最大限に引き出すものだ。そのせいか高齢者への効きはあまり良くない。肉体への負担も大きいし、そもそも人間には定められた寿命があるため、それを無視して延命のための治癒を施すことは理に反するとされている。恐らく神殿長や王族の人たちは、今際の際の祖父母を前に動揺した私が治癒を掛けてしまい、この国唯一の聖女が聖女らしからぬ行いをするのを防ぎたかったんだろう、とリカルドさんは言っていた。



『だからといって、嬢ちゃんがじいちゃんばあちゃんを看取っちゃいけない理由にはなんねぇ。家族を想う気持ちは誰にも止められないものだし、それを知っていて黙ってるなんて俺には無理だ。バレたときの責任は全部取るって約束するから、一緒に行こう』



 神殿関係者が口を滑らせてたことで、私の祖父母が病に侵されてもう長くないと知ったリカルドさんは、リスクを承知で私を祖父母の元へ連れて行ってくれた。神殿に入ってからは滅多に会えなくなった二人はすっかり痩せ細っていたけど、最後に私に会えて嬉しいと泣いて笑ってくれた。別れた日と同じようにしっかり抱きしめてくれて、眠るように神の庭へ旅立った。リカルドさんは、見付からないうちに神殿に戻らないといけないのに涙が止まらない私にずっとついていてくれて、落ち着くまで何も言わないでいてくれた。

 

 そんな人、世界中を探してもリカルドさんしかいない。



「リカルドさんにとって私は貴重な研究への協力者で、私のメンタルが研究に影響するから気遣ってくれるだけだと思うけど……それでも、リカルドさんが好き」



 あの日からずっと、私は恋をしている。



 彼に会えるのは、研究のため神殿を尋ねて来る日だけ。週に1、2回くらいで、忙しいとひと月くらい来ないときもある。ここから出られないので、自分から会いに行くことは叶わない。



(こないだの治癒の水薬の試作品は上手くいったかな。リカルドさんの任期は五年だから、あと一年でおしまいだ。それまでに少しでも多くの成果を持って帰ってもらいたい。実らないとわかりきってる恋だけど、だからこそ私の事をずっと忘れないで欲しい。国に戻った後も研究に協力したいし、繫がりが持てるよう結果を出して、離れても役に立てるよう頑張らなきゃ……!)



 だけどその日以降、リカルドさんは神殿に来なくなった。



◇◇◇



「聖女サラディーナよ、息災か?神聖力にますます磨きがかかっていると妹から聞いたよ」

「まぁ、王女殿下がそのようなことを?大変恐縮でございます」

「私も王太子として、君が民のために力を振るうことが出来るよう全力で補佐しよう」

「そんな、畏れ多いことでございます」

「君はいつだって謙虚で清廉だね。流石オーディールが誇る未来の大聖女だ」



 リカルドさんが来なくなってふた月が経ち、今日はアーサー王太子殿下が神殿にやって来た。私と同じく御年25歳の殿下には三人の妻と四人の御子様が居て、国民の信頼も厚い。同い年の私がいつまでも独り身で居ることに、この人は何の疑問も抱かない。ちなみにサラディーナは神殿入りする際に新たに付けられた名前で、リカルドさん以外は私の事をこう呼ぶ。サティ母さんとライル父さんの子でサラなのに、随分仰々しい名前にされたものだ。



「そんな君の神聖力が、よりによって野蛮な南国に利用されていたなんてね。思い出すだけでも腹立たしいことだよ」

「えっ?」



 殿下の言う野蛮な南国は、たぶんヴァルム公国のこと。武力を尊ぶお国柄で知られていて、少し前に瘴気の大量発生があって、リカルドさんが私の水薬を使って鎮めたと話してくれた。



「あの研究員は強制帰国させたから、安心してくれ。聖女サラディーナの御力は蛮族に分け与えるものではなく、君を育んだオーディールの民たちにのみ与えられるべき恩恵だ。これからも励んでくれたまえ」

「……強制帰国、ですか?」

「あぁ。いくら大神殿からの覚えがめでたくても、我が国の意に反するような研究者は到底受け入れられない。水薬の製法は聞き出してあるから、君の癒しを各地に届けることは出来るので安心してほしい」



 癒しの水薬はまだまだ不完全なのに、この人は何を言ってるんだろう。これからもっといい薬を作るために二人で頑張っていたのに、製法だけ取り上げて強制帰国だなんて。どうしてそんなことをするのだろう。



 その後は何を喋ったかあまり覚えていない。王家の人たちが最近好んでいる甘い香りの紅茶を出されたけど、ただただ甘ったるい匂いがしただけで、ちっとも味がしなかった。



◇◇◇



「こんなとこ!出ていってやる!!」



 この恋が叶わなくても、想いを告げることが出来なくても、いずれ来る別れの日まで悔いの無いよう共に過ごせたらそれでよかったのに。こんなのってない。



 そもそもリカルドさんの薬は本人の研究成果で、この国が研究に資金援助をしているわけでもなんでもない。どこに薬を届けるかはリカルドさんが所属する研究所が決めることだ。そのことをまるでわかっていない王太子殿下の言い分に、怒りだけじゃなくこの国に仕えていくことへの不安を覚えた。いつまでもここに居たら、自覚がないままにいいように利用されてしまいそうだ。というより、既にされていると思っていいだろう。



「ここまで不自由のない暮らしを与えてくれたことには感謝してるけど、その分の働きはしてきたもの。これから先は自分で働き口を見付けて、他の国で生きていくんだ……!」



 三階にある自室の窓を静かに開けて、こっそりかき集めたリネンを繋げてカーテンにしっかり結び付けて、伝いながら外に降りていく。誰かに見付かったら、治癒の応用で目撃者を眠らせてしまえばいい。しくじってうっかり落ちても、即座に自分に治癒を掛ければいい。その後は下働きが使う通用口から外に出て、夜闇に紛れながら生家のある街を目指そう。夜通し歩けばなんとか辿り着けるだろう。



 ここから出たところで祖父母はもう居ないし、頼れる相手のアテもない。だけど、とにかくここから離れたかった。



(もう、ここで神聖力を発揮できそうな気がしない。心が枯れると力も枯れちゃうのかな……)



「サラ嬢ちゃんなにやってんだ!!!!」

「えっっ?」



 一心不乱に降りていた私は、もう二度と会えないと思っていた愛しい人の慌てた声に動揺して、うっかり手を放して落下した。



◇◇◇



「すみませんでした…」

「いや、こっちこそ悪ぃな。こんなところで治癒の力を使わせちまってよ」

「とんでもないです!!助けてくださってありがとうございます!!」



 二階相当の高さから落下した私を受け止めたリカルドさんは腰を強打し、自分に掛ける予定だった治癒を即座にリカルドさんに掛けて、予定通り通用口から抜け出した。



「しかし、嬢ちゃんの治癒は凄まじいな。膝の古傷まで治っちまったぞ」

「古傷があったんですか?早く言ってくださいよ!すぐに治したのに……」

「サラ嬢ちゃんのそういうところ、まさに聖女の鑑だな。他人の痛みに敏感で、自分に出来ることをしたくってたまらないって顔してる。そんな嬢ちゃんが神殿を抜け出すたぁ、遂にあの王家がなんかやらかしたか?」

「いや、それはなんというか、そのですね……」



 脱走の理由は、好きな人と引き離されたからだ。それを本人に言えるわけがない。



「そ、そういえばリカルドさん!その髪と目の色はどうしたんですか?」



 今まで赤茶の髪に緑の瞳だったリカルドさんは、きらきらしたプラチナブロンドと深みのある灰青の瞳になっている。パッと見ただけじゃリカルドさんだとすぐにわからないぐらい印象が違う。いやもちろん私にはわかるけど。



「あぁ、こっちが本来の色なんだ。ちっと事情があって、この姿じゃこの国に入り込むのに都合が悪くてよ」

「え、入り込むって……?」

「まず最初に謝罪させてほしい。今まですまなかった」

「へ?」



 謝られる心当たりが何一つないので、どうか頭を上げて欲しい。好きな人に謝られるのってなんだか心臓に悪い。



「俺は隣国から派遣された研究員って名目でここに来たが、本当はこの国における聖女の実態調査のために聖国から遣わされた調査員だ」



(……あぁ、なるほど。だから私に近付いたのか)



 リカルドさんから教えてもらった話だけでも、この国と他国で聖女の在り方がかなり違うのだとわかったぐらいなので、きっとここは何かがおかしいのだろう。



 ”聖女はかくあるべし”



 最初にそう言いだした誰かは、聖女をいいように操りたかったのかもしれない。妙な野心も権力欲も持たない、都合のいい存在が欲しかったのではないか。



「発端がどこの誰かはまだ調査中だが、聖女の認識を少しずつ歪めてきた歴史がこの国にはある。しかも王族が率先して乗っかってるようじゃ、この先の是正は望み薄だ」

「私も色々あって、この国の王族に愛想が尽きたところだったんです。だから、リカルドさんは私に謝らなくていいんです」



 そもそもリカルドさんが来てくれなかったら、私は祖父母を看取ることさえ出来なかった。与えられた環境に疑問を抱くこともなく、王族が選別して連れてきた民だけを癒して、自分の意思で人々を救った気になって一生を終えていたかもしれない。



「それでも、俺が嬢ちゃんを騙したことに変わりはねぇ。嬢ちゃんはいつだって協力的で、俺の研究を自分事だと思って真剣に取り組んでくれた。口でどう言ったところで薄っぺらく感じるかもしれんが、心からの謝罪と感謝を伝えたい」

「……やっぱり、リカルドさんは優しいです。この国の聖女の実態調査が目的なら、私にこんなに優しくする必要も、謝る必要もないのに、こうしてちゃんと向き合ってくれるんですもん。だから、頭を上げてください!」

「サラ嬢ちゃん……」



 灰青の目を丸くして私を見たリカルドさんは、いつもみたいに頭をわしゃわしゃと撫でてくれた。



「……なぁ、嬢ちゃんがよければ、俺と一緒に聖国に来ないか?」

「行きます!!!!!」

「決断早すぎねぇ!?」



 好きな人から「俺の国に来ないか」と誘われて断る理由がない。願ったり叶ったりだ。これは日々真面目に聖女業をこなしたご褒美だろうか。ありがとうございます神よ!



「もう家族も居ないし、王族の皆さんや神殿長にはお世話になりましたけど、前者に関しては今日完全に見切りをつけたところなのでちょうどよかったです。明日からどうやって日銭を稼ぐかこれから考えるところだったので、むしろ有難いです!旅費は出世払いにしてもらえると助かるんですが、それでもよいでしょうか?」

「そんな行き当たりばったりで脱走したのか、大したもんだなぁ!さっすが未来の大聖女は器がデカい!!」



 私の言動の何かがツボに入ったようで、リカルドさんは迎えの人が来るまで笑い続けていた。



◇◇◇



「殿下、お帰りをお待ちしておりました!」

「こちらの方がオーディール王国の聖女様ですね。長旅お疲れさまでした!

「聖国へお越しくださりありがとうございます!」

「我が家と思ってお寛ぎください!」



 リカルドさんが手配した馬車で辿り着いたのは、なんと王宮の一室だった。

 そして今、騎士服を着た人たちからリカルドさんが殿下と呼ばれていた。ような気がする。



「お前らちょっと黙っとけ。一旦散れ!」

「ちょっと殿下、俺たちにも紹介してくださいよ」

「そうですよ殿下!予定を一年早く切り上げて戻って来たかと思えば「連れて帰りたい聖女がいる」って急に言い出して、俺たちめちゃくちゃ驚いたんですから!」

「ちょっと早いかもしれませんが、おめでとうございます殿下!で、いいんですよね!?」

「うるせぇいいから散れ!!!!!」



 どう考えてもこれは聞き間違いじゃない。めちゃくちゃ殿下って呼ばれてる。ということは、ただでさえ手が届かない人だと思っていたリカルドさんは、やんごとない御方なのだろう。ますます手が届かない……!



「あの……」

「悪かったな嬢ちゃん。馬車で移動中に説明するつもりだったんだがよ……」



 苦い顔をしたリカルドさんは、改めて私に自己紹介をした。



「俺の本名はクリストフ・リカルド・クルドレースっていうんだ」

「えっと、以前聞いた時は「リカルド・クルス」さんってお名前だったと思うんですけど、偽名を名乗ってたってことです?」

「あぁ、その通りだ」

「……リカルドさんじゃなくて、クリストフさんって呼んだ方がいいですか?」

「そこ!?」



 またしてもツボに入ったらしい。大声で笑いだしたリカルドさんにびっくりしたのか、一旦外に出たはずの騎士さんたちが中に入ってきて「殿下が爆笑してる!」「一体何が!?」「仏頂面以外も出来るんですね!?」と言い合っていた。騎士さんたちに随分慕われているようだ。



 その騎士さんたちを押しのけて、物凄い美女がやって来た。



「ちょっとクリストフ!あなたの表情筋はまだ機能したのね。姉さん驚きだわ!」

「なんだ姉さんまで来たのか。暇してんのか?」



 豪奢な金髪にリカルドさんと同じ灰青の瞳の美女がやって来た途端リカルドさんは仏頂面になったけど、そんな彼を意に介さず美女は真っすぐ私の元にやってきた。



「はじめまして、サラさん。わたくしはこの国の女王兼大神殿長のマルガレーテ・リラ・クルドレースよ。弟の研究に協力してくれてありがとう」

「は、はじめまして。母国では聖女サラディーナと呼ばれておりましたが、本名はただのサラと申します。こちらこそ、リカルドさん……クリストフ殿下には大変お世話になっております!」

「あらやだ、殿下だなんて畏まっちゃって。礼儀正しいのね!ご両親があなたをしっかり育てたことがよくわかるわ。サラさんさえよければ、弟を末永くよろしくね」

「おい!勝手なこと言ってんじゃねぇぞ!!」

「あら、これでも姉は貴方の意を汲んだつもりなのよ?まったく素直じゃないんだから」

「うるせぇ……!」



 あまりに怒涛の展開で理解が追いつかないけど、どうしても一つ確認しておかねばならない。



「あの!」

「あぁ、すまねぇ嬢ちゃん。このうるせぇ女はすぐ追っ払うから」

「クリストフはお黙りなさい!サラさん、まずは湯浴みと着替えが必要ね。すぐ侍女に用意させるから待っててちょうだい!」

「いっ、いいえ!その、一つお聞きしたいことがあるのですが!」

「なにかしら?なんでも聞いてちょうだい」



「リカルドさんは、独身ですか…!?」



 その質問をした直後、緊張の糸が切れた私はぶっ倒れた。



◇◇◇



 目が覚めたら、清潔なベッドで大勢の聖女に囲まれていた。



「あらっ、目が覚めたのね!」

「無理に身体を起こさない方がいいわ。具合はどう?」

「疲れが溜まっているのではなくて?ずっと神殿暮らしだったなら、馬車の旅は堪えたでしょう」

「クリストフ殿下、あんまり気が利かなそうだもの。道中ちゃんと休憩は取ったのかしら?」

「あーそういう気遣い出来なそうねあの殿下」

「わかるわ」



 どうやら聖女たちのリカルドさんの評価は辛口のようだ。



「みなさん、お静かに。あっちに行ってなさい!騒がしくてごめんなさいね、サラさん」

「あ、いいえ、大丈夫です。ここは……?」

「王宮の治療室よ。クリストフ坊ちゃんがあなたを抱きかかえて血相変えて飛び込んできたものだから驚いたけど、軽い貧血だったみたいね。もう大丈夫よ」



 眠っている間に癒しを掛けてもらったみたいで、身体が軽くなっている。聖衣から簡素だけど可愛らしい部屋着のような服に着替えもされていた。



「嬢ちゃん、目が覚めたって!?」

「あら坊ちゃん、お早いお着きで。よほど心配してらしたのですね」

「ヒルダ、サラ嬢ちゃんはもう大丈夫なのか?」

「えぇ、問題ございませんよ。あとは二人でお話なさるとよいでしょう」



 ではごゆっくり、とヒルダさんは部屋のドアを少し開けて去っていった。



「嬢ちゃん。具合はどうだ?」

「寝てる間に癒しを施してもらったみたいで、凄く元気です!」

「ははっ、そりゃよかった……安心した」



 はー、と長い溜息をついて、リカルドさんはその場にしゃがみ込んだ。随分心配してくれたようで、申し訳ないけどなんだかむず痒い。



「えっとな……その、俺は独身だ」



 何から話そうか考えてたら、リカルドさんから話を切り出してくれた。これはチャンスだ。



「なら、婚約者がいるんですか?」

「いや、それもねぇ。聖国ではその代の王族で一番力の強い聖女が女王になると決まっているから、男の俺の婚姻はそこまで重要視されてないんだ。おかげで自由にやらせてもらってるよ」



 オーディールの王家の人たちは男女どちらも15歳くらいで婚約する上に、男性の王族はお妃さまが複数いるのが当たり前なので、同じ王家でも全然違うことに驚く。



「女王の姉だけじゃなく、神聖力を持った妹も沢山居る。俺一人くらい生涯独身でも問題ねぇと思ってたし、俺と結婚しようなんていうご令嬢も今更現れないと思ってたんだが……」

「ちょ、ちょっと待ってください!少し私の話を聞いてもらえますか!?」

「お、おう?」



 この人とずっと一緒に、一番近くに居られる未来が欲しい。そのためにはプレゼンが必要だ。



「えっと、私はご令嬢じゃない平民上がりですが、力の強い聖女です。治癒も浄化もいくらでもしますし、やったことないけど需要があるなら魔物討伐にも行けるよう訓練します。お役に立てるよう全力を尽くすので、お傍に置いてもらえませんか?」

「ちょっと待った嬢ちゃん……」

「女王様が力の強い聖女様だし、沢山聖女がいるこの国ではどれだけ役に立てるか全然わからないんですけど……あ、植物を育てるのも得意です!癒しと浄化の掛け合わせで育成促進も出来ますし、枯らしたことは一度もありません。生家では農業をやっていたので、多少の経験もあります。そっちの分野で使ってくれても構いません」

「いや、だから、ちょっと待って」

「世間知らずだけど、市井で暮らしていたので生活に関することは一通りできます。教養も神殿で叩き込まれたので、侍女として雇ってもらう形でもいけると思うんです。まずはお試しで三ヶ月、そこからは働きぶりを評価していただけたら―――」

「ちょっと待てって、ほら!」



 断られるのが怖くて喋るのを止められずにいたら、開いた口に甘いチョコレートを放り込まれた。ほんのりナッツの味がして美味しい。



「まだあるから、食べながら俺の話を聞いてくれ」

「ふぁい」



◇◇◇



 ここクルドレース聖国は、リカルドさんのお姉さんことマルガレーテ女王陛下が8年前に即位して以来、国内外の聖女の育成に力を入れている。そんな中、オーディール王国が聖女協定を破っているとタレコミがあったため、そ知らぬふりをしてオーディールの神殿と接触。当時まだ存命だったかの国の大聖女様から「この国の聖女の在り方はおかしい気がするので、調査してほしい」と依頼されたのだという。



 そうして研究員としてやって来たリカルドさんは、私と出会った。



「小さいうちから家族と引き離されて、名前まで変えられて王族に囲い込まれて、外出の自由すら与えられない。そんなのはおかしい、と俺は思った」



 オーディール王国は聖女が複数人いた数十年前から、聖国を含む近隣諸国と結んでいる聖女協定をいくつも破っていたらしい。国によって聖女の能力に偏りが出るため、その偏りをなくし聖女の能力向上を図り、聖女絡みで困ったことがあれば協力し合うために作られた協定だが、優れた聖女を輩出するオーディール王国はその神聖力を自国で独占したかったのだろう。



「嬢ちゃんは絶対にあの神殿には戻さないから、安心して欲しい。いずれ情勢が落ち着いたら家族の墓参りに行けるようにする、それまで待っててくれ」

「何からなにまで、ありがとうございます」

「俺が攫って来ちまったんだから、これくらいはさせてくれ。で、今後のことなんだが……」



 私は突然リカルドさんに抱きしめられた。心臓が跳ね上がる。



「あー、しばらくそのまま、何も言わずに聞いてくれ」

「は、はい」



 リカルドさんの心臓もドキドキしてるのがわかる。顔が熱い。



「この国では、聖女は平民出身でも能力に応じた地位を得ることが出来る。女王陛下の承認が得られれば、貴族との婚姻も認められるんだ。嬢ちゃんは既に浄化の水薬をもたらしたことで、伯爵位相当の地位が約束されてる。だから、俺の傍を望んでくれるなら討伐も農業も必要ないし、侍女にならなくたっていい」



 そっと離されたと思ったら、リカルドさんは騎士のように私に跪いた。



「俺はずっと、嬢ちゃんに惹かれてた。聖国にいるどの聖女よりも真っすぐで、神殿育ちで箱入りなのに思い切りが良くて、いつだって元気に笑ってる嬢ちゃんが眩しかった。あの国は聖女の在り方が歪んではいるが、衣食住は保証されて手厚く守られてはいる。嬢ちゃんが望まねぇのにそこから連れ出したりなんて出来ないと思ってたが、二人で作った薬の製法を奪われて強制帰国させられる羽目になったとき、こんな環境に置いておきたくねぇと強く思ったんだ」



 やっぱり、こんなに私の事を考えてくれる人は、他に居ない。



「迎えに行くのに二ヶ月も掛かっちまって、やっと着いたと思ったら窓から降りてくる姿を見付けて、どれだけ驚いたことか」

「うっ……その節はご迷惑を……」

「いいや、いいんだ。お陰でかっ攫う覚悟が決まった」



 真っすぐにこちらを見つめるリカルドさんと視線を交わす。



「どうか生涯共にあってほしい。俺は、サラのことが好きだ」

「はい、ずっと傍にいます!私もリカルドさんが大好きです!!」



◇◇◇



 それから二年の婚約期間を経て、私とリカルドさんは正式な夫婦になった。

 結婚式は盛大に執り行われて、オーディール王国からはアーサー王太子殿下夫妻が参列した。リカルドさんのお相手が私だと知らなかったようで、大層驚かれた。



 聖女を失ったあの国には瘴気が発生するようになり、今は私が作った浄化の水薬で何とか凌いでいるらしい。マルガレーテ様は「聖女を不当に扱ってきた報いを受けるといいわ!」と言いながら私の水薬を売りつけている。どうも神殿を住まわせることで瘴気が抑えられる仕組みだったらしく、他にも色々私には明かされていないことがあるようだ。でも、それはもう私が気にすることじゃない。



「リカルドさん、出来ました!こっちの治癒薬は毒消し効果があって、食前に飲めば予防もばっちりです。危険だけど回避できない会食の時にお役立ちだと思います。大抵の毒には効果を発揮するハズですけど、効果測定がまだ出来てない毒があるのが今後の課題です。あと、こっちの塗布薬は寝る前に傷口に塗っておけば、数センチの欠損なら翌朝には元通りになります!」

「やっぱサラの能力は半端ないんだよなぁ……」



 そんな私は、リカルドさんと共に神聖力の研究に励んでいる。マルガレーテ様や妹殿下方は治癒より浄化を得意とするため、治癒ばかり使ってきた私にも役に立てることが結構あって、毎日が充実している。



「サラ、夏にはオーディール王国への訪問許可が下りそうだ。一緒に行こう」

「ほんとですか?おじいちゃんおばあちゃんと、両親のお墓参りに行きたいです!」

「勿論だ。挨拶もまだ出来てねぇし、緊張するな……」





 墓前への挨拶で緊張すると言う愛しい人に、胸がときめく。出会ってからずっと、私はリカルドさんのことを好きになり続けている。



 いつかあの国に新しく聖女が現れたら、その子は聖女扱いじゃなく人間扱いされた上で聖女の道を歩めるといいなと思う。私にも出来ることがあるなら、協力は惜しまない。



「ところでサラ。リカルドって呼ぶのはいいんだが、まださん付けはやめねぇのか?」

「う……神殿育ちの世間知らずにはまだ難易度が高くてですね……」

「いいけどさ、可愛いから。それに、俺の事をそう呼ぶのはサラだけだから、特別だな」



 昔みたいに、頭をくしゃっと撫でてくれる。こうやって私は、一人の女性として愛する人と共に歩んでいくのだ。
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