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初恋の人と婚約しました。

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◇◇◇



桜の精の祝福があるといっても、リディアーヌは深窓の姫君。最初から草花を上手に育てられたわけではない。しかし自分でも美しい花を咲かせてみたかったので、ココたち侍女に協力してもらい、第三王女の身分を隠し王城に行儀見習いに来た下級貴族の娘ディアナとして、王城の庭を手入れする庭師たちに教えを請うことにした。



王城の庭園の手入れをしていたのは、老齢の庭師ヨブとその弟子である黒髪の少年ノワだった。



今思えば、お忍びだということを理解した上で協力してくれてたのだろう。

二人は私にイチから丁寧に植物のことを教えてくれた。



はじめこそノワは『そんな傷一つない綺麗な手のオジョウサマに庭仕事が出来るのか?』と懐疑的だったけど、週に二度決まった時間に必ず訪れるディアナの姿勢を好ましく思ったのか、次第に兄弟子として接してくれるようになった。



『ヨブ爺は、精霊界でも高名な庭師だからな。あの頃は光の精霊王女の婚約式の飾花の依頼や、代替わりしたダイヤモンドの王の依頼で王城中の花を入れ替えたりと、かなり忙しい時期だった。そんな中、何を教えても楽しそうに聞いて実践してくれるディアナとのやり取りは癒しの時間だと言って、どんなに忙しくても必ず教えに来ていたんだ』

「ヨブお爺さんも精霊だったの…!?」

『あぁ、爺さんは俺の曽祖父だ。俺たちのように、人間に紛れて生活している光と闇の精霊は珍しくないぞ?光は目くらましが、闇は紛れ込むことが得意だからな』



衝撃の事実が次々に判明し、もはや何に驚いたらいいのかわからない。



「お爺さんは、もう年なので引退したいとおっしゃって二年前に故郷に帰られたのだけど…」

『爺さんは今、俺の専属庭師を務めてるよ。もう年だと言って人間界には滅多に顔を出さなくなったが、俺たちの結婚式の装花は全て自分が育てた花を使うんだと、専用の庭園にせっせと準備している。早くお前にも見せてやりたいな』

「え、えぇっと、ちょっと待って…!まだ混乱していて…」

「姫様…私も混乱しています。まさかこんな身近に最高位精霊が居ただなんて…」

『ココも久しいな!俺が不在にしていた間のディアナの話を沢山聞かせてくれ』



正体を偽っていたのは私だけではなかった上に、なんなら相手は種族まで偽っていたとは…。

ようやく理解が追いついてきたところで、色々なことが気になりだした。



「王城に精霊が忍び込んでいるだなんて…防犯面に問題はないのかしら」

『お前の両親は気付いていないようだが、先代王は承知の上で我々を雇い入れていたぞ?』

「お祖父さまが!?」

『人間の中には時々感覚が鋭い者が居て、俺たちのように人間に紛れて生活している精霊を見つけ出してしまうんだ。ディアナは生まれつき桜の精の祝福があるから、他の精霊の気配を感じ取るのは

難しいのかもしれんな』



精霊は人間のよき隣人で、人の目には見えない秘密の住処から時折姿を現し、ほんのひとさじの幸福を授けてくれる存在。自分のように人型の精霊と交流を持てる人間は滅多にいないと教えられていたリディアーヌにとって、あまりにも衝撃的な事実だ。



「ノワは、ご家族から呼び戻されて国に帰らなきゃいけなくなって、見習いをやめたわよね?あれからどうしていたの?」

『呼び戻されたのは事実だ。闇の精霊王の代替わりの時期が迫り、継承権を持つ王族は皆その座を賭けた選定の儀に出ねばならなかったのだ』

「…本当は帰りたくないって、ずっとこの庭園の世話をして過ごしたいって言っていたよね」

『もちろんそうだった。だが、義務を果たさねば今得られている自由さえ失ってしまう。戻らざるを得なかったのだ』



ディアナが6歳の頃に出会ったノワは当時12歳で、そこから三年間欠かすことなく、週に二度庭園で共に過ごした。



ノワの15歳の誕生日に彼の口から国に帰ることを知らされ、悲しみをこらえてお別れ会の準備をしていたのに、次に庭園を訪れたときにはノワはもう帰国した後だった。ヨブお爺さんから渡された餞別の薔薇は大事に育てて増やし、今でもこの部屋に飾っている。



二人の教えがあったからこそ、リディアーヌは沢山の植物の祝福を得られたのだ。



『ディアナが俺の求婚のバラを大事に育ててくれたお陰で、こうして迎えに来ることが出来た。与えられた植物を育てることは、求婚に応じることと同義だからな』

「…あれって、求婚のバラだったの?聞いてないわ!」

『言ってないからな…言って断られたら、二度と会えないだろう』



複雑な表情のノワが、誤魔化すように全力で私を抱き締めた。黙っていたのも突然抱き締めるのも、ずるいではないか。



もし最初から求婚の薔薇だと知っていたら、私はどうしただろうか。

そう考えたけど、知っても知らなくても変わらなかったように思う。

大好きだった兄弟子との最後の繫がりが失われないよう、ヨブお爺さんの力を借りて大事に大事に育てた。いつかまた会える日が来たら、こんなに立派なバラが育てられるようになったのだと披露して褒めてもらいたかった。



ノワは私の初恋だった。

本格的な婚約者探しを始める前に抱いた身分違いの淡い想いは、胸の奥にずっと封印していた。

どうせもう会えないだろうし、もし会えたとしてもその頃には自分も誰かと婚約していると思っていた。



『お前がただのディアナで、俺が庭師見習いのノワだった頃が、俺の人生で最も幸福な時間だった』

「…何か、あちらで辛いことがあったの?」

『辛いと言うか、そうだなぁ。俺は元々王位に就けるような立場ではなかったんだ』



ノワの母は一族の中でも身分が低く、王位からは程遠くいずれ臣下に下る末端の王族としてノワは生まれるはずだった。しかしノワは、一族の中でも滅多に現れない原初の精霊王の先祖返りで、絶大な力をもって生まれてきた。ノワの存在は精霊界に大きな衝撃を与え、まだ幼いうちに彼を手中に収めようと多くの精霊が動いた。



自分の存在が無益な争いを生むことを厭った彼は、誰にも言わずに精霊界を出奔。当時一線を退いた王族として人間界で余生を満喫していた曽祖父のヨブを頼り、当時の闇の精霊王を説得。当面を人間界で生きていく許可を得て、こちらに馴染むために庭師の技術を身に付けた。



あちこちの国を旅し、ギスレンで出会った先代国王陛下と意気投合したヨブお爺さんは、しばらく王城の専属庭師を勤めることになり、そこでノワは私と出会った。



『お忍びの孫娘に庭仕事を教えてやってくれと先代王に頼まれたときは、俺も師匠も驚いた。花の精霊の中でも高位な桜の祝福を持つ深窓の姫君が庭いじりに興味を持つなんて、沢山の国を見て回ったがそんな王族は他にいなかったぞ?』

「だ、だって…!窓から見える庭園がいつも温かくて優しくて、あんな素敵な植物を自分の手で育てられたら、素敵なことだと思ったのよ…!」

『ディアナのそういうところが、俺たちは好ましく思ったんだ』



ノワはずっと私を抱き締めたままなので、きっと心臓の音は丸聞こえだ。彼の顔が見たいのに自分は見られたくなくて、されるがままになっている。



「さ、さっきからずっと聞きたかったのだけど、ノワは…私のことが、好きなの?」

『あぁ、お前が好きだ』

「いっ…いつから?花嫁にするって、本当に?そ、そもそも精霊界って人間が住んでも大丈夫なの?あと、人間と精霊の寿命の差って――」



畳みかける私の口元にそっと触れたノワは、抱き締める腕の力を緩め、私の顔を覗き込んだ。

真っすぐに見つめられて息が止まりそうだ。



『ディアナを好きだとはっきり自覚したのは、ここで過ごした最後の日だ。別れを告げたら必死に涙をこらえて、決して俺に気を遣わせないよう笑顔で「お別れ会をしよう」と言ってくれたお前に、このまま二度と会えなくなるのは嫌だと思った…だから、何も言わずに去ったんだ』

「どうして何も言ってくれなかったの…急にいなくなって、悲しかったわ」

『もう一度顔を見てしまえば、離れがたくなるからなぁ。次に会うのはお前を迎えに来る時だと決めたんだ。二度と離れなくても済むように力を手にして、周囲に文句など言わせず、環境を整えてから正式に求婚しようと思っていたんだ』



そう言ったノワは、跪いて私の手を取った。



『リディアーヌ=シャロン・フォン・ギスレン第三王女殿下。俺、闇の精霊王ノワールはお前を花嫁として迎え入れるため、準備を重ねてきた。一族の頂点に立ち、同じ最高位の光の一族と同盟を結び、精霊界で人間が暮らしやすいよう環境を整えた。ただ、家族と離れるのは心細いだろう?なので人間界にも城は用意してあるから、あちらとこちらを行き来しながら暮らそうか』

「そ、そんなことが出来るの…?」

『できるさ、俺が王だからな。そして人間と精霊では寿命も歳の取り方も違うが、まずは二人で普通の人間と同じように人生を謳歌しよう。一度目の人生を終えたら、次は闇の精霊として二度目の人生を始めてくれないか?精霊化の秘術の用意も出来ている。そこからは俺の妃として精霊界で暮らしてくれると有難いが、無理強いはしない。いつだってお前の意向を最優先しよう』

「また情報量が多い…!人間が精霊になれるの!?と、というか一族の王が女性ににうつつを抜かしてどうするの!?」

『一族よりもお前の方が大切なのだ。必要最低限の仕事さえこなせば問題ないし、愛する者との日々を邪魔する精霊などいない』

「精霊ってそうなのね…」

『愛に生き、己の愛を全うするのが精霊の生き方だ』



人間と精霊は、異なる理から生まれる存在なのだ。精霊の考え方や在り方に慣れるには時間が掛かりそうなので、いきなり精霊界で暮らすより行き来して徐々に学んだ方がよいだろう。



――ごく自然にそう考えた自分に、我ながら驚いた。



『俺たちは違う種族だから、わからないことや理解が難しいことがあれば、話し合おう。俺は人間界での暮らしも長かったし、ディアナを迎えるためにたくさん勉強もした。不自由はさせないと誓うから、どうか俺と結婚してくれないか…?』

「はい、よろしくお願いします」



だから自分の心に正直に応えたら、ノワは物凄くびっくりしていた。



『い、いいのか?本当に?やっぱやめたはナシだぞ!?』

「ふふ、さっきまでカッコよかったのに」

『だってこんな…すんなり頷いてくれるなんて思ってなかった……どうやって口説くか、ずっと考えていたのに』

「だって、嬉しかったもの。私ってばまだ初恋を忘れていなかったのだなって、あなたが迎えに来てくれてわかったの」



そう応えるとノワは、今まで見た中で一番の笑顔で私を再度強く抱き締めた。



「私のこと、たくさん考えてくれてありがとう。お互いに尊重し合える夫婦になりたいから、あなただけが歩み寄るのではなくて、私もたくさん勉強するわ。精霊のこと…ノワのことを、教えてね」

『もちろんだ…愛してるよ、ディアナ』



そうしてノワは私に口付けた。

心臓が爆発しそうで、まともに彼の顔を見れず目を背けてしまう。

だけど、ずっとこうしたかった。

誰かを愛して、その人に愛されて、これから先を共に生きていくのだと実感を得たかった。



「ココも見てるのに…」

『お前の忠臣は流石だな、こちらを見ないようさっきから背を向けているようだぞ』

「わぁ、姫様!外の桜が満開になってます!!きっと姫様をお祝いしているのですね」



はしゃいだココに促されノワと二人で外を見ると、月明かりに照らされてほんのり輝く美しい桜が咲き誇っていた。



『桜の一族も粋なことをするなぁ。これほどに美しいとは…』

「まぁ…!女王にお礼を言わなくちゃ!」

『俺にも挨拶させてくれ。桜の精霊女王とはまだ会ったことがないが、闇と桜は相性もいい。良い関係を築けるだろう。これから先長い付き合いになるだろうしな』



祝福をくれた精霊たちには、なかなか婚約者が決まらないことで随分心配させてしまったので、良い報せが出来て嬉しい。



まさか初恋の相手と再会して想いを交わせるだなんて、思ってもみなかった。きっと今日この時のために今まで婚約者が出来なかったんじゃないかと、都合よく考えてしまう。





『あぁ、その通りだ。ディアナがあの求婚のバラを受け取った以上、俺以外の相手とは決して結ばれないようになっているからな!』

「………………………えぇっ!?」





その夜「私の苦悩はなんだったのよー!」という第三王女の叫びと全力でビンタする音がギスレン王宮に響き渡ったのでした。
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