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第二章
第九話
しおりを挟むその日の夜、絵里はこの世界に来て初めて元居た世界の夢を見た。
ベビーシッターが帰った夜、だだっ広い屋敷で一人ぼんやりと座り込んでいる幼稚園生の絵里。
参観日の日、周りの子が親と一緒に工作している中一人で俯いて作業している小学生の絵里。
机にある一万円札の札束を冷めた目で見る中学生の絵里。
元の世界に思い出なんてない。
愛着なんてない。
家族という鎖から解き放たれることができて、素敵な人たちと出会うことができて、本当に良かった。
翌朝目覚めた絵里は、しみじみとそう思った。
*~*~*~*~*~*~*~*~*
朝食後、部屋に来たロベルトの様子に絵里は苦笑いする。
いかにも何か聞きた気ですという表情だ。
「昨日も言いましたが、ザギトスさんと何を話したかは言えませんよ」
ぎくりとした顔をするロベルト。
最近の彼は、本当に表情豊かになった。
「今日は私が何かすることありますか? もしなければ一日中小説書きたいんですけど」
「ああ、大丈夫だ。じゃあ、護衛を一人残していくから、何かあったらそいつに言ってくれ」
「はい。お仕事頑張ってくださいね」
「あ、ああ」
ぱたりと閉まる扉。
――なんか、ちょっと夫婦っぽかったかな……。
幸いなことに、赤くなった顔を見られることはなかった。
一方、扉の外では。
「団長、顔赤いですが大丈夫ですか?」
「うるさい」
赤らんだ顔のロベルトを心配した部下が、理不尽にも怒られる。
――お仕事頑張ってって……まるで夫婦じゃないか!
絵里と全く同じことを考え、同じように恥ずかしがっていた。
*~*~*~*~*~*~*~*~*
「昨日、絵里さんと話したんだろ? どうだった?」
今回はザギトスの部屋をハリーが訪れていた。
「え? ああ。話せてよかったよ」
そう答えるザギトスの表情は、普段より柔らかい。
「俺も絵里さんと話してみたいな」
「いいんじゃないか? きっとおまえも気にいるよ」
「お前がそんなに推すなんて珍しいな。女嫌いのおまえが」
「俺と彼女は似た者同士なんだ。俺の気持ちを彼女はくみ取ってくれるし、彼女の気持ちを俺は理解できる。……なぁ、絵里さんにもあの事を話していいか? 絶対賛成してくれるから」
「……本気か? 失敗は許されないんだぞ?」
「大丈夫。言ったろ、俺と彼女は似た者同士だって。俺は彼女が受け入れてくれると確信してるぜ」
「……まずは俺が彼女に会ってみて判断する。だからちょっと待ってくれ」
「わかった。だがあまり待たせるなよ」
――彼女の何がザギトスをここまで駆り立てるんだ? 目が曇ったんじゃなきゃいいけどな……。
*~*~*~*~*~*~*~*~*
そして、ザギトスの部屋からさほど離れていないとある一室では。
「何故だ。何故ザギトスが捕まらないんだ! 国宝が盗まれたという話も聞かないし……。いったいどうなっているんだ!」
「落ち着いてください、ロナルド王子。大丈夫です。この城で一番に疑うべきなのはサザール帝国の奴らです。騎士たちも分かっているはずです。ただ、相手が王族だから慎重になっているのでしょう。いいですか、我々は国宝が盗まれたことを知らないのです。くれぐれも話す内容に注意してくださいね」
「わかっている」
ロナルドは忌々し気に吐き捨てた。
――捕まらなくたって別にいいのだ。ただ、ザギトスを疑うだけでも。疑心暗鬼になれば、あの計画は絶対に成功しない。この国は守られる! エミリー、見守っていておくれ。
今は亡き妻に祈りを捧げ、レイはロナルドの部屋を後にした。
同日、同時刻、同城で、それぞれの思惑が絡み合う。
*~*~*~*~*~*~*~*~*
数日後、絵里は王妃からお茶会に招かれた。
お茶会と言っても王妃様と絵里、そしてハリー王子の三人だけの内々のもので、気軽に参加してくださいとのことだ。
どうやらハリー王子をパーティーの前に一度紹介しておきたいらしい。
――堅苦しくないし、何よりケーキが食べたいし……行きますか!
お茶会の場所である赤の薔薇園に着いた時、二人はすでに席についていた。
「遅くなってしまい、申し訳ありません」
王族二人を待たせてしまい、さしもの絵里も少し焦る。
「いいのよ、私たちが早く着きすぎただけなの。まだ時間前よ」
絵里が席につき、紅茶と色とりどりのお菓子が運ばれてくる。
――美味しそう!
思わずガン見してしまい、真正面に座ったハリー王子にクスリと笑われてしまった。
「すみません、あまりにも可愛らしくて。初めまして、この国の第一王子、ハリー・ヴェリトスと申します。自己紹介が遅くなってしまい申し訳ありません」
よどみない口調。
お世辞を嫌味にならない程度に織り交ぜてくるあたり、流石だ。
「ご丁寧にありがとうございます。絵里です。この国の方々にはお世話になっています。えっと、素敵なお召し物ですね」
ぷっと噴き出すような音と共に肩を震わせる王族二人。
――恥ずかしいー。
元来、絵里はコミュニケーション能力が高くない。
自分も何か褒めなきゃと思った結果のアレだ。
――笑いたきゃ笑えー。
「ふふ、ごめんなさい。でも、絵里さんがこんなに気さくな人で良かった。仲良くしてくださいね」
にっこりキラキラスマイルでハリー王子がフォローしてくれるが、
――笑顔が胡散臭い……。
絵里の頬はわずかに引き攣った。
「二人が仲良くなれそうでよかったわ! どうせなら、若い二人で楽しみなさい」
しばらく三人で和やかに話した後、王妃がウキウキしたようにそう言ってさっさと城へ引き上げた。
それを見送る絵里の顔は、正に唖然とした表情だ。
――え、え、え。気まずすぎるんですけど。
「母がすみません。せっかくですし、もう少しお付き合いしてもらってもいいですか?」
「え……。まあ、はい」
「なんだか壁を感じるんですが……私、何かしてしまいましたか?」
「え! いえいえ、そんな。すいません、人と話すのが苦手で……」
「ですが、ザギトスからは、絵里さんととても親しくなったと聞いたんですが……。私とも仲良くしてくれませんか?」
――なんだろう、この腹黒そうな感じ……。マックス副隊長に通じるものがある……。
「えっと、じゃあ、敬語はやめてもらえませんか? ハリー王子の方が年上ですし、敬語で話されると私も身構えてしまうんです」
「絵里さんがそれでいいなら……」
「はい! ……ハリー王子はザギトス皇子と親しいんですか? ちょっと意外です」
「親しいよ。どうして意外? 彼はいいやつだよ」
「それは分かります。私も、まだ会ったばかりだけどいい人だと思います。でも、この国の人はあまりサザール帝国にいい印象を持ってないんじゃないかなって思って……」
きらりと目を光らせたハリー。
絵里はそんな彼の様子に気づかない。
「なんでそう思うの? 誰かに何か言われた?」
「え? いえ、何も言われてませんが。でも他国のことについて教えてもらった時、先生がサザール帝国の人は信用しないほうがいいって言っていて。戦を経験したことがある人にとっては、割り切れないものがあるんだろうなって思うんです」
「驚いた。まだ十代なのによく考えているね」
――少し甘く見ていた。
「私の国でも、私が生まれる前に大きな戦争があって沢山の人が死んだんです。もちろん今ではかつて敵だった国とも仲良くしているし、世界中どんな人種であれ差別はダメだって思想が広まっています。でも、中には失った家族を思って憎しみを捨てられない人もいます。その国全てを憎むのは間違っているけど、憎しみを捨てられない彼らの気持ちもわかります。時間じゃないんです。憎しみは、時間が解決するなんて嘘ですよ」
そう語る絵里の横顔はハッとするほど大人びていて、ここではないどこか遠くを見つめる瞳に惹きつけられる。
――参ったな。送り人がこんな子なんて……反則だよ。これはザギトスが落ちるわけだ。
「許可しないわけにはいかないね……」
ごくごく小さくつぶやかれたその声は、絵里の耳には届かなかった。
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