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第十四話

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 十一月になると一気に冷え込み、風邪で休む人もちらほらいる。


 だが、萌の日常に変わりはない。
朝起きてお弁当を作り、学校へ行って授業を受ける。
放課後はバイトや勉強、小説の執筆に取り組み、夜は雅也と電話する。
そして週末は雅也と会って打ち合わせをする。

 変化はないが充実した毎日だ。
噂も今ではフェードアウトし、学校が苦痛ではなくなった。




 停学後、明菜は萌に対する態度を改めた。
と言ってもそれは反省からではない。
明菜の父親が桜道社で働いており、父親にこっぴどく叱られたからだ。


 明菜もバカではない。
自分の態度次第で父の仕事にも影響が出ると分かり、萌に対する嫌がらせを止めたに過ぎない。


 萌に謝ったわけでもなければ、萌を嫉む気持ちに変わりはない。

だが、この先明菜は苦労するだろう。
いじめをし、停学処分になった以上、推薦で大学に行くことは叶わない。

また、いじめをしたという事実がこの先の高校生活を惨めなものにするのは確実だろう。
だれもいじめをするような人と仲良くなりたいとは思わない。



 萌も、停学が明けて以降、明菜がクラスに溶け込めていない事には気づいている。
だが、助けようとは思わない。

 萌はお人よしじゃない。
自分がされた分は罰を受けてほしいし、何でもかんでも許すのは、優しいことのように思えるが本当はバカなことだと知っている。

 萌はきちんと現実を知っているのだ。






*~*~*~*~*~*~*~*~*~*




 最近萌が気になることと言えば、潤が過保護ということだろうか。

 家から遠いのに萌がバイトするカフェに訪れたり、放課後や休日にラインがきたりする。

 友達がバイト先に来てくれるのも、友達から連絡が来るのも嬉しいのだが、やはり過保護すぎるのではないかと思ったりもする。――少し。


 潤としては、必死のアピールのつもりなのだがいまいち萌には伝わっていない。




 対して、雅也からの毎日の電話には何の疑問も抱かない萌。
だが、萌はまだ芽吹き始めた淡い感情に気づいていない。


 萌は今まで誰かを好きになったことがない。
恋愛をする余裕がなかった。


 自分の気持ちにも、他人からの気持ちにも鈍い萌だが、潤の努力次第では二人が結ばれる結末は十分あり得るのだ。





 そしてそれは、雅也も感じている。
誰よりも信頼されているという自負はあるし、萌の何気ない仕草――恥ずかし気な顔や、照れて赤くなる顔、打ち合わせの時にオシャレをしてくるようになった様子――を見て、少なからず好意を寄せてもらえているんじゃないかという期待もある。


 だが、萌がまだ恋愛から一歩引いているということも知っている。
無理やり好きになってもらいたいとか、もし無意識にでも好きになってもらえたとして、その気持ちに無理やり気づいてほしいとは思わない。

 萌の意志、萌のペースを尊重する。


 しかし、焦りを感じることは止められない。


 体育祭で雅也が潤に会った時、潤が萌のことを好きなことに気づいた。
そして電話で学校の様子を聞く中で、最近、潤が萌にアピールしていることが分かった。


 萌を好きな気持ち、大切に思っている気持ちで負けるつもりは毛頭ない。
だが、ふと思うのだ。

 俺は萌にとったらオジサンすぎるんじゃないか。
同い年の子と付き合うことが、萌にとったら良いことなんじゃないか、と。



 人の気持ちは複雑だ。
そして、人と人との関係はもっと複雑だ。





*~*~*~*~*~*~*~*~*~*



――土曜日。

 萌は潤と二人でショッピングに来ていた。


 普段だったら雅也と打ち合わせなのだが、用事があるらしく、今日は打ち合わせはなしになった。
そしてそれを知った潤が、母親の誕生日プレゼント選びに誘ってくれたのだ。




 最初にお昼ご飯を済ませ、最近できたばかりのショッピングモールの中を見て回る。

 エプロンやマグカップといった定番の物から、アロマキャンドルやバスジェルなんかも可愛いと思い、迷ってしまう。
 潤と遊ぶのは初めてだが、すごく楽しい。

 潤も、そんな萌を見て嬉しくなる。




 あれもこれも見ているうちに少し足が疲れ、のども乾いたのでフードコートで休憩する。
萌はアイスを食べながらふと何気なくあたりを見回した。


 すると、雅也の姿が目に飛び込んできた。

 びっくりして反射的に目をそらしてしまい、それからもう一度見る。
やっぱり雅也だ。


 そして、あの時の女の人と一緒にいる。
夏休み、バーベキューをしたときに、萌に負の感情のこもった視線をあびせてきた人だ。



――今日の用事って、デートなのだろうか。

 萌はなぜだか胸がもやもやしてじっと二人を見つめてしまう。



 浮かない顔で何かを凝視している萌に気づき、潤は萌の視線の先を追う。
すると、腕を組む男女が目に入る。

 あの男の人……大橋さんだ!
一度会っただけだが、すぐに雅也だと気づいた潤。



 潤は、雅也が萌のことを恋愛的な意味で好きなことに感づいている。
だから、意味が分からなかった。
なぜ女性と腕を組んでいるのか。



 ショックを受けているように見える萌。
萌が雅也に対して好意を抱いていることが見て取れる。


「あれ、大橋さんじゃない? 隣にいるの、綺麗な人だね。デートかな?」
務めて何気なく、世間話のように潤は言う。



 萌が雅也に対する気持ちに気づいているのか、無意識なのかは分からない。
もしも無意識なのならば、気づかせたくない、自分に振り向いてもらいたいと願う潤。



「うん……雅也さん……。デートなのかな……」
悲しそうな顔で二人を一心に見つめている萌。
自分が雅也を名前で呼んでいることにも気づいていない。





 そんな萌の様子に、潤は己を反省する。
気持ちばかりが先走り、萌のことを全然思いやれていなかった。

 萌が笑顔でいてくれることが一番だ。
萌が幸せなのが何よりだ。――例え、潤の力によるものじゃなかったとしても。




「萌、ちょっと待ってて!」
潤は優しさと切なさが交ざった瞳で萌を見つめ、一言いい残すと、雅也の方へ向かった。




 潤が雅也の方へ行くのを呆然と見送った萌。


 潤が雅也に何か話しかけ、しばらくしてから雅也が萌の方を見た。
目が合った。



 潤と、雅也と、それから真紀が萌の方へやって来る。
萌はどう反応していいか分からない。




「萌もここ来てたんだ。偶然だね」

 雅也が声をかけてくれるが、萌はまともに目を合わせられない。


「二人はデートじゃないってさ」
潤が言う。

 萌はハッとして顔を上げた。


「今、担当作家さんの要望に応えて恋人っぽい雰囲気出してるだけ。全然デートじゃないからね! ほら、あそこにいる人」

 雅也が指さしたほうには確かにこっちを見ている人がいる。
萌と目が合うと手を振ってきたので、つられて萌も振り返す。


 安心すると、ようやく強張ってた顔から力が抜けた。



「でもぉ~、私たちお似合いだと思うんですよ! 雅也先輩もそう思いますよねっ!」
空気を読まない真紀の声が穏やかな空気に割り込む。



「そんなわけないだろ!? これは仕事だ。勘違いしないでくれ」
うんざりしたように雅也が答える。


 会社でなにかとベタベタ纏わりつかれていい加減うっとうしいのだ。
萌に勘違いされたくもない。
雅也は萌一筋だ。



 真紀は真紀で、雅也が萌を好きなことに何となく気づいている。
そしてそれが面白くない。



「デートじゃないんですね。――よかった」

思わず漏れてしまったかのような “よかった“ の言葉に、雅也は嬉しくなる。



 面白くないのは真紀だ。

「よかったってなによ!? まさかアンタ雅也先輩のこと好きなわけ? ハッ、身の程を知りなよ! アンタみたいなお子様雅也先輩が相手にするわけないじゃん」

 きつい口調で萌を責め立てる。


「夏休みの時も忠告したでしょ!? いい加減身の程わきまえなさいよ!」

 嫉妬と憎しみがこもった目で喚き散らす真紀。



 真紀は縁故入社で、父親は真紀に甘く、幼いころから真紀が望めば叶わないことはなかった。
 
そのため、多少問題を起こしたとしても父親がどうにかしてくれるというのが真紀の考えだ。
編集者の何たるか、仕事のやりがい、作家さんへの気遣いなど、働くうえで大切なことを何一つ知らない、知ろうともしない。


だからこそ、作家である萌を私情で責めたり、暴言を吐くといった行為ができるのだ。


 真紀は、イケメンで仕事ができる雅也は自分と付き合うことが当然だと本気で考えている。





「いい加減にしてくれないか。おまえ自分が何してるか分かってる? 俺らが何よりも大事にしなきゃなんない作家さんに対して言いがかりつけて怒鳴って。夏休み萌の様子がおかしくなったのはおまえのせいか!人としてどうかしてんぞ」


 滅多に怒らない雅也がキレる。

 大事な萌に対する暴言に怒りが抑えられなかった。



「!! ――ほ、ほら、聞いた? やっぱり雅也さんは作家だからアンタに優しくしてんのよ。調子乗らないでよね」
 雅也の怒りにビビりながらも、なおも萌を責める真紀。
プライドの高い彼女は間違いを認めることができない。


「それにこんなキャリアの低い作家をどうこうしたところでなかったことに出来るわよ。私のパパは人事部長だから」

 勝ち誇った顔の真紀。
その顔は醜悪だ。



 萌はコンテスト入賞の常連であり、決してその作品の出来を否定することはできない。
だが、キャリアや年齢を見た時、舐められてしまうことも事実だ。




「じゃあ、ワシが社長あたりに言っとこうかの。おたくの米澤真紀って編集者は人として最悪だから、そんな人が働く出版社では原稿書きませんってのぅ」

 新たな人の声に、みんな一斉に声の主を見る。
そこには、先程萌に手を振った男が立っていた。



「風宮先生!」

 雅也の言葉に萌はまさかと思う。
潤もハッとして見知らぬ男を見た。

――まさか、風宮隼人先生!?


じっと見てくる二人の視線に気づき、白髪の男はにっこり挨拶する。
「初めまして。風宮隼人って名前で小説書いております。しってるかのぅ?」


 萌も潤も大興奮だ。

「もちろん知ってます! わたし、大ファンです! 先生の作品が一番好きです!」

「俺も大ファンです! 先生の本は全部読みました!」




 真紀だけが風宮の言葉に反発する。


「はあ? なにアンタ。そんなことできるわけないじゃない。たかが作家が社長に会えるわけないでしょ」

 蔑むような口調の真紀に、雅也は頭が痛くなる。

 風宮隼人は数々の文学賞を受賞し、出版された本は即重版となる大作家だ。


「風宮先生、うちの米澤が本当に申し訳ありません」
雅也が深々と頭を下げた。


「おまえ今まで何やってきたんだよ。はっきり言って風宮先生は社長が頭を下げる存在だぞ! おまえなんかが見下していい方じゃない! そんなことも分からないでよく編集者名乗れるな」

 雅也の冷たい視線と、言われた内容にようやく真紀も状況が呑み込めたようだ。
――もう手遅れだが。



「ち、違うの。風宮さ……先生を見下したわけじゃないんです。この子が、この子が悪いのよ」
 ヒステリックに捲し立てて、萌のせいにしようとする浅ましさ。

 潤でさえ呆れて不快な視線を隠そうともしていない。



「米澤、おまえもう帰れ。これ以上桜道社の恥をさらさないでくれ。風宮先生は俺が送るから。――ああ、月曜日、おまえの席があると思うなよ」


 絶対零度の雅也の声に、真紀は何か言いかけたが、結局何も言えず、逃げるように立ち去った。



「萌、傷つけてしまって本当に申し訳ない。風宮先生も、礼儀がなっていなくて申し訳ありません。後日きちんとお詫びに伺います。潤君も、嫌な場面を見せてごめんね」


「ふぉっふぉっ、ワシは気にせんよ。たださっきの事は社長に伝えるがな」
 風宮は真紀に怒っているだけで、雅也に対してどうこう思っているわけではない。

むしろ、先に萌に謝罪したことに好感さえ持っている。
人を肩書で区別せず、より大きな被害にあったほうに先に謝るのは当然のようでいて、誰もができるわけではない。


「私も大丈夫です。雅也さんのせいじゃありません。それに、結果的に風宮先生とお会いできたのですごく嬉しいです」

「僕も気にしてません」






 その後、萌と潤は風宮からサインを貰い、雅也が風宮を送っていった。



「今日はいろんなことがあったな」

 帰りの電車で潤がしみじみと言う。


「ほんとにね。でも素敵なプレゼントを買えたし、風宮先生にもサイン貰えたし、よかったよね」


「そうだな」




 その後少し沈黙が続き、思い切ったように萌が言った。

「私ね、雅也さんのことが好きみたい」


 今日一日、萌の様子を見て覚悟はしていた潤。
だが、それでもショックを受けてしまう。


「多分、もっと前から好きだったんだと思う。でも今日米澤さんと一緒にいるのを見て悲しくて、デートじゃないって言われてほっとして、自分が雅也さんに恋してるって分かったの」

「潤君が雅也さんに聞きに行ってくれなかったら、勘違いして自分の気持ちを押し込めちゃってたかもしれない。自分の気持ちに気づけさえしなかったかもしれない。ありがとね。本当にありがとう」



「――うん。よかった。俺は萌に笑顔でいてほしい。だから、ちゃんとその気持ちに向き合いなよ!」

 泣きたいような、切なくて悲しくて悔しい気持ちを押し殺し、潤は穏やかにそう言った。

 萌を好きな気持ちは変わらぬままだ。
きっとこの気持ちが風化するまでにすごく時間がかかると思う。
萌との未来を想像して後悔する日も沢山あるだろう。



 でも。
潤は萌の恋を応援すると決めたことに後悔はない。
潤にとって、萌が幸せでいてくれることが何よりだ。
たとえ自分の手でなくても、萌が笑っていてくれたなら――きっと潤も笑える。


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