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番外編第一話(ルーダ視点)
しおりを挟むカティアとルーダの出会い(ルーダ視点)
「ルーダ、君は明日からグラシエール公爵家の奥様にダンスと一般教養の授業をしてくれ」
いつものように教会で働いていたルーダは、上司から告げられたその言葉に首を傾げた。
「私が、ですか?」
彼の眼には、孤児で何の後ろ盾もない自分が何故?という疑問が浮かんでいる。
普通なら、公爵家へのつながりを持ちたい同僚たちが我先にと手を挙げるだろうに。
「奥様はついこの間嫁いできたばかりらしいんだが、どうやら公爵様に歓迎されてないみたいでな。皆下手に彼女とお近づきになって公爵様の不興を買いたくないんだ。ルーダ、頼めるか?」
それは、まぎれもない命令だった。上司の眼には、何のしがらみもないお前なら例え公爵の不興を買ったところでたいしたことではないだろうという侮りの色が隠しきれていない。
上司からの、同僚からの、部下からの、侮りと侮蔑の視線など、ルーダはとうの昔に慣れてしまった。
雑用事を押し付けられるのにも、もう慣れてしまったのだ。
「分かりました」
引き受けた次の瞬間には、上司の興味はもう別のところにあって。ぞんざいに振られた手に背を向け、ルーダは静かに部屋を出た。
――これが運命の出会いに繋がる一歩になるなんて、この時のルーダは思ってもみなかった。
*~*~*~*~
「初めまして、カティア様。一般教養とダンスを教えるルーダ・トレダンスです」
使用人一人いない殺風景な部屋。サイズの合わない、妙にけばけばしいドレスを身にまとった目の前の女性、カティア。
「初めまして、ルーダ様。本日からよろしくお願いしますね」
少しぎこちなく、それでも精一杯の感謝の気持ちを込めたお辞儀。
ちらほらと彼女に関する噂は耳にしていたけれど、彼女は決して噂通りの人ではないと、そう感じた。
自分が院長から学んだ全てで、彼女を貴族社会で生き抜いていけるようにしてあげたい。
決してダンスと知識で侮られることのないように。
強風に打たれながらも折れまいと必死に立つ一輪の花。
それが、ルーダが抱いたカティアに対する第一印象だった。
しおれた花が水を吸うかのように、カティアはみるみる知識を吸収していった。
学ぶ喜びに瞳を輝かせたかと思えば、ダンスの練習では近すぎる距離に顔を赤らめるカティア。
無邪気で、優しくて、凛としていて。それでいてどこか幼さを残した少女が輝きを取り戻していく様を間近で見ていたルーダが、彼女を好きにならないはずはなかった。
カティアの過去を知って胸が痛かった。
彼女の置かれた環境を知って怒りで手が震えた。
そんな不遇の中で光を失わずに生きるカティアの姿が、ルーダには眩しかった。
彼女の全てが、愛おしかった。
*~*~*~*~
カティアとの最後の授業の日、ルーダはもう彼女と会うことはないのだと思うと悲しかった。
彼女と過ごした日々はルーダにとって宝物で。
彼女の強さを知ってもなお、自分が彼女を守りたいという想いは強くなる一方だった。
だからあの日、孤児院にカティアが現れた時には驚いたけれど、それ以上に嬉しくて。
「ルーダとの勉強が楽しかったから……。私、友達もいなくて、寂しくて……」
この言葉がどれほどルーダを揺さぶるか、きっとカティアは欠片も気づいていないのだろう。
彼女が会いたいと願ってくれた。
たったそれだけのことが、ルーダにとって泣きたくなるほど嬉しかったのだ。
孤児院でカティアと過ごす日々は本当に楽しくて。
孤児として生き、理不尽な世の中で常に気を張りどこか生き急いでいたルーダ。
そんな彼が初めて心を許し側にいたいと願った人は、手を伸ばしてはいけない人だった。
それでも、手を伸ばさずにはいられない人。
彼女が夫から虐げられ顧みられずにいることに付け込んだルーダは、めいっぱい彼女を甘やかす。
ほんのわずかな可能性に縋るのは、彼女のためではなく自分のため。
傷つく彼女を慰めたいという想いと同じくらい、この時が永遠に続けばいいのにと願ってしまう身勝手な自分。
彼女の笑顔を見るたび胸が苦しくなるほど嬉しくて、だけど同時に切なさとやるせなさが襲うのだった。
*~*~*~*~
「ルーダ、君には辺境の地へ移動してもらう」
休日はカティアと孤児院で過ごすのが当たり前となったある日、上司から移動を伝えられた。
王都から最も離れた辺境の地。
そこへの移動は事実上の左遷だ。
「何故私が……」
同僚の貴族の子息たちのようにさぼることもなく真面目に働いていた自分が何故移動なのだと呆然とする。
「人手不足なんだ。君ならあの地でも立派に働いてくれると信じてるぞ」
そう言ってニヤニヤと笑う上司。
いつもそうだ。理不尽は全てルーダに降りかかり、努力しない奴らが甘い汁をすする。
努力すれば夢はかなう――そんな言葉はルーダのような孤児上がりには適用されないのだ。努力すればするだけ馬鹿を見る。
それでも、生きるためには働くしかない。
努力を止めれば、きっと自分を嫌いになってしまう。
だから。
結局のところ、ルーダには従うほかに道は残されていないのだ。
移動の件を伝えると、泣いて悲しがってくれたカティア。
その涙を嬉しいと思ってしまう自分はまだまだだ。
もしまた会うことができたなら。その時は純粋な気持ちで再会したいと思う。
彼女が夫と仲を深め、そしてそんな彼女と友人として笑い合える日を願って。
自分の煩悩も。彼女の不遇も。
全てが消えてなくなることを毎日祈るよ。
だから。
一人残していく彼女がこの先笑えますように。
――彼女の未来に幸福あれ。
寂しさをこらえ、ルーダは一人静かに旅立った。
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