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第十二話
しおりを挟む刺繍を覚えたカティアはたちまちその魅力のとりことなった。
費やした時間がそのまま形となって残る。
ただの針仕事が作品となって誰かの喜びとなることが嬉しかった。
ハンカチやリボンにワンポイント入れて孤児院の子供たちや使用人たちプレゼントするとみんなが喜んでくれる。
それがとても嬉しいのだ。
「カティア様、今日は何を作りますか?」
厨房を訪れたカティアを朗らかに迎え入れてくれる恰幅のいいこの男。
彼はこの屋敷のシェフ、アーノルドだ。
彼もまた、カティアの噂を信じる者の一人で、わざと質素な食事を出したりしていた。
けれどカティアの境遇と噂が事実無根だということを知った彼は号泣しながら謝ってくれた。
今ではすっかり打ち解け、こうして毎日のようにカティアが厨房でお菓子を作るのを手伝ってくれている。
「今日はガトーショコラを作ります」
最近カティアは孤児院に自作のお菓子を持って行っており、これが意外に好評なのだ。
最初はクッキーやマドレーヌなどの焼き菓子を作っていたが、ここ最近はカティアのお菓子作りの腕が上がり、スポンジケーキやタルトにも挑戦している。
ガトーショコラは、前回孤児院を訪れた時に子供たちにリクエストされたのだ。
刺繍もそうだが、誰かが喜んでくれることが嬉しい。
誰かに必要とされていると感じることができ、カティアは生きている意味を実感できるような気がする。
子供たちだけではない。
マリアも、セバスも、アーノルドも。
一番最初。
遠慮がちにふるまった少し焦げたクッキーを大げさなまでに褒めてくれた彼ら。
それから何を作っても美味しそうに食べてくれる彼らのおかげで、カティアは自分に少しだけ自身を持つことができた。
少しずつ、自分のやりたいことが出てきた。
自分の生きる意味はまだ分からないけれど。
それでもこんな穏やかな日々がこの先も続けばいいと思うようになった。
カティアの世界で、彼女はずっと一人ぼっちだった。
それが今では優しくしてくれる人がいる。
カティアの存在を認めてくれる人がいる。
カティアを歓迎し、愛情を示してくれる人がいる。
想像し、願い、それでも叶わなかった日々。
それが今、現実となってカティアを満たしている。
だから。
レオナルドと共に在りたいとは思わない。
ただお互いに干渉せずに生きていきたいと思う。
――彼は彼で。私は私で。
今のカティアにとって、この穏やかな日々が続き、そしていつか、いつの日か。
またルーダと笑い合える日々が来ること。
それが一番の願いだ。
「カティア様、怪我をしたら大変です。私が刻みましょうか?」
「カティア様、重くないですか? 私が持ちますよ」
「カティア様、熱くないですか? 私に任せてください」
チョコレートを刻んでいれば心配し。
鍋を持ち上げていても心配し。
チョコレートを湯煎で溶かしていても心配するアーノルド。
過剰なほどの心配を、普通はうっとおしがったりしつこく思ったりするのだろう。
だがカティアにとってその心配は心地いい。
誰かに心配されるということは、自分の存在を認められ、そして自分を大切に思ってもらえているということだ。
だから、毎日のように繰り返されるアーノルドとのこのやり取りの度にカティアは心がくすぐったくなり、クスクスと笑う。
「ふふ。大丈夫ですよ。この間だって私できましたもん」
「そうですけど……。カティア様の綺麗な手に傷がついたらと思うと怖くて怖くて」
そう言ってぶるぶると震えて見せるアーノルド。
カティアはそっと自分の手を見つめた。
カティアの手は決してきれいではない。
水仕事のせいであかぎれ、節くれだった指。
貴婦人らしくないこの手はカティアの気持ちを酷く惨めにした。
荒れた手を見るたびに、幸せではない事実を突きつけられるような気がした。
でも今は。
アーノルドだけでなく、マリアもセバスも何度も彼女の手を褒めてくれる。
「もっと誇っていいのです。これはカティア様が頑張って生き抜いた証なのですから」
そう言われた時、カティアは不覚にも涙を零してしまった。
今までの全てを肯定されたようだった。
自分の頑張りを認められたようで。
辛くても悲しくても。
必死に生きてきた自分に少しだけ誇りを持てた。
――この先なにがあっても。
自分の手を嫌うことはもうないだろう。
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