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3巻

3-3

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 カローナさんのことは、ルルにはまだ言っていない。
 カローナさん自身がルルの前に姿を現す気になるまで、私たちからは言わないようにしているのだが、気まぐれなカローナさんのことだ。いったいいつになることやら、見当もつかない。

「カンナのせいじゃない? じゃあなんで迷子になったの?」

 不思議そうな表情をしたルルが、首を傾げて聞いてきた。
 まずい、なんと答えればいいのか。

「ねえねえ、カンナ! なんで迷子になったの? ぼくたちかなり必死で探し回ったんだけど」
「うっ……」

 責めるような目を向けられて、答えない訳にはいかなくなる。
 だが、いい言い訳は思いつかない。うう、正直に話すしかないか……

「カンナ?」
「……ちょ、蝶々を見つけて、追いかけてたら、その……」

 風が吹けば消えてしまいそうなか細い声でそう言うと、一瞬の沈黙が訪れる。
 そしてルルの驚く声と、ミリアの噴き出す音が同時に聞こえてきた。

「はあ!? カンナ、今いったいいくつ!? 子どもだってもうちょっと危機意識を持ってるよ!?」
「くっ、ふふふふ……ル、ルルさん。あまりお姉様を責めないであげてください……きっととびきり綺麗きれいな蝶々を見つけたんでしょうから……ぷふっ」

 ルルには全力で言い訳したい。犯人は私じゃないんだと。同じことを既に真犯人に伝えているんだと。あとミリア、自分で話して自分で噴き出すとはどういうことか。一人だけ楽しんでるんじゃない。
 地味に一番きついのは、リッカ。「案外可愛らしい一面もあるんスね!」みたいな微笑ほほえましい顔をしないでほしい。あなたもカローナさんの存在を知っているし見えてるでしょうに。

「ちょっとカンナ、聞いてるの!? 君のために言ってるんだからね!?」
「わ、分かったから! 次からちゃんと気を付けるから! お願いだからもう許してもらえないかな!?」

 いい歳してこんな理由でルルのような少女からお説教されるなんて、恥ずかしくて死んでしまいそうだ。顔が火照ほてって仕方がない。
 後でミリアに何かお返しをしてやろうと心に誓いつつ、私は三人に話しかけた。

「と、ところで三人は、どうして私がここにいるって分かったの?」

 あまりに露骨ろこつな話題転換だが、なんとか上手くいったようだ。ルルだけはまだ言い足りない様子だったけれど。
 三人は一度顔を見合わせると、うんと大きくうなずいて、再びこちらを見た。

「元々かなり遠くにいたんスけど、この辺りで何か大きな音が聞こえてきたんスよ。それで、騒動が起こってるならカンナさんに違いないと思って、急いでここまで来たんス」

 代表して口を開いたリッカの言葉に、ルルもミリアもうんうんと頷く。
 突っ込みどころはいくつかあるが、なるほど。聞こえてきた大きな音というのは、おそらくイモ虫たちを消し飛ばした時のものだろう。それからも不滅の蛇王ウロボロスに襲われたりと色々あったため、彼女たちは迷うことなくここまで到着できたという訳だ。
 ……元々かなり遠くにいたって、おい。やっぱりカローナさんの勘とやらは、まったくの的外れだったということか。
 カローナさんの適当さに呆れつつ、私は三人分の椅子とテーブルを出して、もう一度椅子に座り直す。
 ずっと私を探して歩き回ってくれていたのだから、三人も疲れているだろう。

「だいぶ探させちゃったみたいで、ごめんね……私も色々あって疲れたし、ちょっと休憩しよう」
「ああ、それならお姉様。どうせもうすぐ暗くなり始める頃ですし、今夜はここで一泊しませんか?」

 ミリアの言葉に、ルルとリッカも同意する。

「そうだね。はぐれてる間、何があったのかも聞きたいし……あの辺の木とか、なんでほとんどへし折れちゃってるのさ……」
「ミリアさんもルルさんも、カンナさんのことずっと心配してたんスよ!」

 リッカがそう言うと、ミリアとルルが音が聞こえてくるような速度で首を横に振って、リッカをにらみつける。
 なるほど、どちらも素直じゃないということか。

「心配かけちゃってごめんね、みんな」
「…………」
「べ、別に……ちょっとリッカ、余計なこと言わないでよ!」

 私が謝ると、ミリアは顔を赤く染めてうつむき、ルルはリッカに文句を言う。
 リッカだけが、なんの照れも感じさせない晴れやかな笑顔で、「また会えてよかったっス! カンナさん!」と言った。



 4 大蛇の正体?


 森の中にテントを広げ、テーブルや椅子を置き直す。
 火をおこして食事の支度をし、みんなの手元に深皿に盛られたシチューと木匙きさじが行き渡った頃には、もうすっかり日が暮れてしまっていた。
 とはいっても、テントや火の用意などは魔法ですぐに済むものばかりだ。時間がかかったのは、私を含めて全員がダラダラとなまけていたからなのだが。
 やはり今日だけでなく、ここ最近の森の中での移動生活に、みんな疲労が溜まっていたのだろう。
 ズズズ、と音を立ててシチューをすする。疲れた体に野菜の優しい甘みが染み渡り、何とも言えない幸福感がお腹を満たしていった。
 食事が始まって数分は、消耗しょうもうしたエネルギーをたくわえるように、みんな食べるのに夢中だった。
 しばらくして鍋が半分ほど空になり、全員が一息ついたところで、自然と昼間の騒動のことが話題に上る。

不滅の蛇王ウロボロス!? ほ、本当にそう言ったの!?」

 私がみんなとはぐれてからの出来事をかいつまんで説明すると、ルルが仰天ぎょうてんして大声を上げた。その声の大きさに、危うくシチューをこぼしそうになる。リッカとミリアも驚いていた。

「うん、言ってたけど……ルルは知ってるんだね、あのヘビのこと」
「いや、ぼくも話で聞いたことしかないんだけど……」

 ルルは記憶を辿るように顔を上に向け、うーんと悩み始める。その間に、私はリッカとミリアにも聞いてみることにした。

「二人はどう? 不滅の蛇王ウロボロスって聞いたことあった?」
「自分はまったく知らなかったっス!」

 リッカが真っ先に返事をする。まあ、うん。予想通りというか、聞いたことがあったとしてもリッカなら忘れてそうだ。
 私はミリアへと視線を向ける。ミリアは顎に手を当ててしばらく考えた後、ゆっくりと首を横に振った。

「……ダメですね、記憶にありません。いくら情報のとぼしいソイルの大森林とはいえ、それだけ危険な存在がいればうわさくらいは聞いたことがあってもおかしくないのですが……」

 ミリアでも知らないか。ということは、本当にソイルの大森林内でしか情報が出回っていないのだろうか。

「ぼくもおばあちゃんに何回か聞いたことがあるだけだよ。でも、その話はすっごく印象的だったからよく覚えてる。子どもの頃に初めて聞いた時は、怖くて眠れなくなったなあ……」

 昔を思い出しているのか、ルルがしみじみとそう呟く。おばあちゃんというのはデュランタさんのことだろう。デュランタさんが実際に不滅の蛇王ウロボロスと遭遇したことがあるかどうかは不明だが、昔のエルフの村ではその存在は知られていたようだ。

「どんなお話だったんスか?」

 リッカが首を傾げて尋ねると、ルルは途端に青くなって体を震わせる。

不滅の蛇王ウロボロスを本気で怒らせたら、一週間で森の生き物は全部食べられちゃうって……ずっと昔、不滅の蛇王ウロボロスのせいで森全体が壊滅しそうになったことがあるんだって。その時の昔話だよ……というかカンナ、よくそんな怪物と戦って無事だったね……」

 ルルが呆れたような目をこちらに向けてくる。私は曖昧な苦笑いを返して、少し冷めたシチューを口へと運んだ。
 確かにあのヘビは恐かった。今思い出しても不安と恐怖が鮮明によみがえる。
 私が不滅の蛇王ウロボロスの姿を頭から追い払おうとしていると、ミリアが何かを考え込みながら、ぽつりと呟いた。

「……でも、おかしいですよね。いきなり姿を消すなんて」

 その言葉に、私も頷きを返す。
 実際、不思議でしょうがなかった。目の前で見ていた私にも何が起こったのか分からなかったのだから。

「それに、ルルさんが聞いたという昔話……あながちただのお伽話とぎばなしでもないかもしれませんよ」
「えっ……ど、どういうこと?」

 ミリアの言葉を聞いて、ルルが不安そうに尋ねる。きっとルルの中では、子どもの頃に聞いたという昔話が若干トラウマになっているのだろう。

「話を聞く限りですが……それだけの巨体と、その重量を支える筋力を持っているなら、生命維持のために相当量なエネルギーが必要になるはずです。それこそ森の生き物なんて残らず食べ尽くすくらいに……」
「……い、いやいや。流石にそれは……」

 ルルは笑って否定するが、その額には冷や汗が流れていた。
 ミリアはよく冗談を言ってルルをからかったり、困らせて楽しんだりすることがある。だが、今回はどうもそういう訳ではないようだ。ミリア自身も考えを整理するために話をしている感じがする。

「それに、あの巨大な移動痕いどうこん……ただ移動するだけで、あれだけ木々が倒されているんですよ? 地面の陥没かんぼつもすごかったですし。単純に、普段どうやって生活しているのか謎です」
「うっ……そ、それはまあ……そうだけど」
「話では、大昔から森に棲んでいるんですよね。それなら、今この森がこれだけ綺麗に形を保っていられるはずがありません。もっと荒れ果てていないとおかしいです」

 ミリアは周囲の様子を見渡しながら、不思議そうに呟く。
 確かに、ここに来るまでの森の中はとても綺麗だった。
 もちろん倒木や獣の通り道らしき場所もあるにはあったが、それはあくまでも自然の範囲内。不滅の蛇王ウロボロスのような、圧倒的な存在による破壊の跡はどこにも見当たらなかった。

「確かに不思議だね……どうしてこんなに森が綺麗なんだろう……」

 私がそう呟くと、ミリアが手元を見つめたまま声を返してくる。

「森が今の形を築くまで、不滅の蛇王ウロボロスが何百年も動かずにじっとしていたという可能性も一応ありますが……急に消えたということは、現れる時も、どこかから突然現れるのかもしれませんね」
「え、と、突然って……どういうこと?」

 ルルが慌てたように尋ねる。ミリアは眉間みけんしわを寄せて、空になった深皿を見つめていた。

「……例えば……誰かが召喚した、とか?」

 返事をしないミリアに代わって、私が恐る恐る口を開く。
 私の知識の中で、いきなり魔物が現れるとすれば、まず真っ先に思いつくのが召喚魔法だ。
 召喚魔法とは、魔法で魔物を呼び出し、魔力を用いて従わせるものだとカローナさんに教わった。どこか別の場所にいる魔物を、自由に呼び出したり消したりできるのだという。
 本来の召喚魔法はそんな仕組みらしい……私は召喚魔法のつもりで、自分の魔力でドラゴンを一から作り上げてしまったが。
 誰かが不滅の蛇王ウロボロスを召喚していたというなら、一応話のつじつまは合う。ただ、そんなことがあり得るのだろうか。

「……そうですね。そもそも不滅の蛇王ウロボロスを従えることが可能なのか、という話は置いておくとして……仮に可能だとした場合、目的がまるで分かりません。何のために森の中に、そんな危険な生き物を放ったのでしょう……それに、おそらくはずっと昔から数回にわたって……」

 召喚主がいるということは、その人物は相当な年月を生きているということになる。少なくとも人間の寿命では無理だろう。ということは……エルフや、あるいは他の長寿種族の仕業しわざだろうか。
 不滅の蛇王ウロボロスは、私がとどめを刺そうとした瞬間に消えてしまった。偶然にしてはあまりにタイミングが良すぎる。あの瞬間、何者かが私を観察していたとすれば――
 そこまで考えて、背筋が寒くなった。もし本当にそうだとしたら、今この瞬間だって安全とは限らないのだ。
 もしかしたら、この暗い森のどこかに……

「ちょ、ちょっと待ってよ! いつの間にか不滅の蛇王ウロボロスを召喚した犯人がいるみたいになってるけど、流石にそれはないって!」

 ミリアと私が嫌な想像を働かせていると、ルルが焦った様子で立ち上がった。
 顔を上げると、ルルは少し怒ったような顔をしていた。

「カンナもミリアも考えすぎだって! そんな怪物を召喚できるとんでもない魔法使いがいる訳ないよ!」

 ルルは私とミリアを交互に見つめると、強い口調でたしなめてくる。
 まずい。変に考えすぎて、必要以上に恐がらせてしまっただろうか。嫌がるルルの前で、そこまで話を広げることはなかったかもしれない。
 配慮はいりょが足りなかったと、反省して口をつぐむ。しかしミリアはまだ納得できないのか、話を続けたそうな顔をしていた。

「まったく……君たちは放っておくとすぐに悪い方向に話を持っていくんだから。ちょっとはリッカを見習ったら?」
「ふえっ?」

 ルルはそう言いながら、黙々と食事を続けていたリッカに視線を向ける。リッカはもうだいぶ前から話についてきていなかったようで、きょとんとした顔で大きな肉を頬張ほおばっていた。

「リッカはどう思う? 不滅の蛇王ウロボロスが召喚された魔物だなんて、あり得ないよね?」

 ルルがリッカに尋ねる。
 リッカはもぐもぐと肉を噛み、ごくりとのどを鳴らして呑み込むと、悩んだ様子で口を開いた。

「えっと……別にどっちでもよくないっスか?」
「はっ?」

 その答えが予想外だったのか、ルルとミリアが揃って間の抜けた声を上げる。
 リッカはその様子を見て、慌てて続けた。

「えっ、だってカンナさんは勝ったんスよね? ならもう一回襲われても、またやっつけちゃえばよくないっスか?」

 ……なるほど、その発想はなかったな。
 どこまでも楽観的というか、単純というか……とてもリッカらしい考え方だ。

「……ま、うん。そうだよね……一度勝った相手だもんね……」

 ルルがそう言いながら、力が抜けたようにドサッと椅子に座り直した。
 ミリアも何か言いたそうにしているが、なんとなくこの空気の中で言うのははばかられるようだ。
 もしも本当に召喚主がいるなら、そう簡単に割り切れる問題ではないだろう。悪意があるならなおさらだ。
 いつまた襲われるか分からないし、その時には何か魔法への対策をされているかもしれないのだから。
 それでも、考えてもキリがない問題というのはある。ずっと警戒しているのも疲れてしまう。
 それなら、リッカの純粋で場当たり的な考え方を見習うのもいいかもしれない。

「……とりあえず、村に着くまでは寝る時の保護と、警戒の魔法の量と範囲を増やそうか。今はひとまずそのくらいにして、また何か起こったらその都度考えるってことで……どうかな?」

 ミリアにそう尋ねると、しばらく悩んだ後、溜息をついて頷いた。
 そして可愛らしい笑みを浮かべ、ぺこりと頭を下げてくる。

「そうですね。お姉様に負担をかけてしまって心苦しいですが……よろしくお願いします」

 ああ、私のことを考えてくれていたのか。
 こんな時くらいもっと頼ってくれてもいいのに。やっぱり優しい子だな。

「ん、任せといて。さあ、ご飯食べちゃわないと……ああ!?」

 照れているのを隠すように短く告げた私は、火にかかっている鍋に視線を向け、中身が既に空になっていることに気付いて情けない声を上げてしまった。
 私の様子を見て、ルルが鍋の中を覗き込む。

「どうしたの? カン――なあ!? シチューがない! リ、リ、リッカぁあああああっ!!」

 私たちが話に夢中になっている間に、しれっと一人で全部食べてしまったのだろう。
 ルルが地面に刺さっていた木の枝を抜いて、リッカの頭をぺしぺしとたたいた。

「だ、だってみんな食べなかったじゃないっスかぁ!」
「だからって全部食べる!? ふつう! ちょっとは! 残しとくでしょうが!」

 ルルが涙目になって声を上げながら、リッカをぺしぺし叩く。細い木の枝なので痛くはないだろうが、リッカは鬱陶うっとうしそうにぎゅっと目をつむっていた。
 ……うん、頑張れルル。私とミリアの分も。
 誰もルルのことを止めないまま、リッカはしばらく叩かれ続けた。
 ルルと、ついでにミリアの機嫌は、食後に収納魔法からお菓子を出すまで直らなかった。


   ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


 グリム王国の南端、やや東寄りに位置する町、ソドム。
 そこそこ大きなこの町は、百年ほど前、大勢の犯罪者たちによって作られた町である。かつては国中の犯罪者たちがこの町に集まり、独自の秩序ちつじょを形成していた。そのことから、「犯罪者の楽園」などと呼ばれていた歴史もある。
 今でもその名残として、有名な盗賊団が公然と本拠地を構えていたり、盗品を専門に扱う店が表通りに堂々と立ち並んでいたりする。
 王国による法整備や管理体制の強化が進み、表面的にはこの町も随分と平和になった。しかし一歩町の裏に入れば、まだまだ犯罪者たちがひしめき合っているというのが実態だった。
 憲兵けんぺいは当たり前のように賄賂わいろを受け取るし、その顔見知りが指名手配犯というのも珍しくない。当然他の町に比べて治安はいいはずもなく、わざわざこの町に近付く一般人はほとんどいなかった。
 そんなソドムの町の裏通り、町の中でも特に危険な地域にある一軒のお店の前に、グリム王国唯一のSランクハンター、アスティー・アルバリウスが不機嫌そうな顔をして立っていた。
 看板かんばんもなく、何のお店かも分からない怪しい建物。入り口は地下にあるのか、下へ続く階段にちらりと視線を向けた後、アスティーは苛立いらだたし気に舌を鳴らす。

「……おそい」

 固く腕を組み、トントンと指を動かしながら、低い声でそう呟いた。彼女が店の前で待ち始めてから、三十分が経過しようとしている。

「ああ、くそっ! イライラする!」

 アスティーは眉間に皺を寄せながら、足元に転がっている男の頭を思いっきり蹴り上げた。
 八つ当たりを受けた男は、悲鳴にもならない声を上げながら吹き飛んで、向かいの壁に激突する。
 アスティーの隣には、この三十分足らずの間に彼女に声をかけた男たちが、山のように積まれて意識を失っていた。全員、アスティーのストレスのぐちにされた犯罪者たちである。
 こんな治安の悪い裏通りで、アスティーのような目立つ外見の女性が何をするでもなく一人で立っていれば、目を付けられるのは至極当然のことである。アスティーは苛立ちをぶつけるがごとく、足元にいた男の頭をげしげしと踏んづけた。
 そんなアスティーの後ろから、呆れたような女性の声がかけられる。

「……何をしているんですか? アスティー様」

 そう言いながらコツコツと音を立てて階段を上がってきたのは、かつてミリアの侍女として働いていたエレナだった。肩まである暗い茶色の髪を下ろし、着慣れた給仕服とエプロンドレスを身に着けている。
 アスティーはエレナに睨みつけるような視線を向けると、苛立ちをこらえて小さく口を開く。

「……遅いぞ、エレナ。どれだけ待たせれば気が済むんだ」

 そんな文句を聞いて、エレナは面倒くさそうに溜息をついた。

「だから、どこかお店の中で待っていていいと言ったではないですか。時間がかかるかもしれないと伝えておいたでしょう。これでもかなり急いだんですよ?」
「こんな汚い町の店になんぞ入れるか! 私はゴミの中で食事をする趣味はないんだ!」

 アスティーは不快そうな目で男たちを一瞥いちべつし、またすぐにエレナへと視線を戻す。エレナはアスティーの前まで歩いてくると、腰に提げたバッグから、小さく折り畳まれた地図を取り出した。
 それを見て、アスティーが尋ねる。

「……収穫しゅうかくはあったのか?」
「ええ。有意義なお話が聞けました」

 エレナは満足気ににっこりと微笑むと、地図を広げてアスティーに見せる。
 そしてポケットからペンを取り出し、地図の上に小さな丸を六つ書いた。

「カンナ様と思われる人物の目撃情報があったのは、こちらの六つです。その内、こことここの二つは間違いないかと」

 エレナは地図をペンで指しながら、懇意こんいにしている情報屋から得た情報をアスティーに伝える。ミリアの部下だった頃に築いた人脈は、今でも十分に役に立っていた。

「最初の目撃情報は、王都から北へ向かった場所にあるとりでです。そこから少しずつ北東へ逸れていって、この町で憲兵に見つかっていますね。このルートだと、おそらく行き先は……」

 エレナは地図上の丸を線で結び、さらにその行き先を推理していく。記憶にあるミリアの言動、彼女が好んでいた本の内容、カンナの人柄など……様々な要因を思い返し、地図上に一つの点をつけた。

「……ソイルの大森林、でしょうか。最初にカンナ様が北へ向かったのは、おそらく偶然……というか、そこまで考える余裕がなかったのでしょう。途中から行き先が逸れているのは……ミリア様の案? いや、違いますね。直接向かってはいないようですし、きっと少しずつ誘導ゆうどうしていったんでしょう」

 かつての自分の主人ならどう行動するか、それを思い浮かべて地図の上に書き込んでいくエレナ。
 彼女は無意識にぶつぶつと呟きながら、ひたすら予想の確度を上げていった。

「最後に目撃されたのがここ……タイミングからして、既に主要な街道は見張られた後。ということは、それを避けるために森の中を……ふふっ。ミリア様ならそんなことに関係なく、興味本位で森の中を進みたがるかもしれませんね」

 そして、もっともらしい理由を語って周囲の賛同を得る。ミリアのやりそうなことだ。
 そこまで考えて、エレナは顔を上げた。口元には薄く笑みが浮かんでいる。行き先の予想は、既に確信に変わっていた。

「間違いなさそうですね。ミリア様は今、ソイルの大森林にいらっしゃいます」

 エレナがそう言うと、アスティーがニヤリと笑って言う。

「そうか。やはりお前を連れてきて正解だったようだな。最初に南へ向かうと聞いた時は、人選を間違えたかと思ったが」

 アスティーとしては、カンナが飛び去っていった北側をしらみつぶしに探すつもりだった。しかしそれでは非効率的だと、エレナがアスティーをこのソドムの町へ連れてきたのだ。
 アスティーの言葉を聞いて、エレナは不敵な笑みを浮かべる。

「回り道をした方が、早く目的に辿り着けることもあるんですよ」
「お前は随分とミリアに毒されているみたいだな……まあいい、居場所が分かったのならさっさと向かうぞ。ここは汚すぎて、ゆっくり休むことすらできん」

 そう言うと、アスティーは速足で歩きだす。そして数歩も進まない内に、すぐに立ち止まってしまった。
 アスティーが歩き出した瞬間、たまたま先の通りを歩いていた男と目が合ったのだ。アスティーの顔が嫌そうにゆがむ。

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