33 / 50
3巻
3-1
しおりを挟む1 いきなり迷子
会社の後輩とのトラブルで死んでしまった私、カンナ。
目が覚めると、真っ暗な部屋の中でカローナと名乗る女神と向かい合っていた。
彼女は私に『記憶を持って転生させる代わりに、自分の分身を異世界へ連れて行って欲しい』と頼んでくる。それを承諾した私は、光の玉のような姿のカローナさんを連れてこの異世界へとやってきた。
しかしいざ転生した私の体は、カローナさんの思いつき……というか気まぐれのせいで、彼女の本体とそっくりのとんでもない美少女になってしまっていた。
しかもカローナさんの能力をまるまるコピーしたというおまけ付き。魔力などは文字通り女神クラスなのに、体力は皆無というなんともアンバランスな体に変えられていたのだった。
慣れない体に戸惑いつつも、異世界を旅する私とカローナさんは、王都グリーディアで出会った狼の獣人リッカと共に、高位ハンター養成学校に入学する。しかしその卒業試験の日、グリム王国唯一のSランクハンター、アスティーさんが私の前に現れ、「私のものになれ」と迫ってきた。
丁重にお断りして、なんとか試験場から逃げ出した私とリッカのもとに、今度は王女であるミリアから助けを求める手紙が届く。王女という立場に縛り付けられたミリアを救うため、私は王宮へと侵入し、ミリアの従者であるエレナさんの力も借りて、無事に誘拐に成功したのだった。
犯罪者になってしまった私は、リッカ、ミリアと共に国外へと逃亡し、ソイルの大森林に辿り着く。そしてその森の中で、ルルというエルフの少女と出会った。
彼女と共に暮らしていたデュランタさんの言葉によれば、ルルの故郷であるエルフの村は、獣人の部族によって支配されているそうだ。死の間際のデュランタさんからその話を聞いたルルは、悩んだ末、獣人たちと戦って自分の故郷を取り戻す覚悟を決める。
そして、私たちはその手伝いをすることになった。私、リッカ、ミリア、ルルの四人が森の家を出て、エルフの村を目指して歩き始めたのが二週間ほど前のこと。
途中で道を間違えたり、体力のない私が足を引っ張ったりしながらも、賑やかな道中を楽しみつつ、着実にエルフの村に近付いている――はずだった。
それが、いったいどうしてこんなことになってしまったのか。
この世界に来てからのことを一通り思い出し、私は深い溜息をついた。
すっかり気が重くなってしまって、必死に動かしていた足を止める。既にどれくらい移動したのか分からないほど歩き続けて、貧弱な足は鉄の塊のようだった。
『どうしたの?』
目の前でふわふわと飛んでいたカローナさんが問いかけてくる。その声からは、悪びれている様子は少しも感じられない。
「……どうしたの、じゃないですよ。本当にこっちで合ってるんですか?」
さっきから、一向に人と出会う気配がない。静かな森の中で聞こえるのは、私の足音と乱れた息づかい、そしてカローナさんの呑気な鼻歌だけだ。
『さあ? でももし間違っていても、それも素敵な経験よ。道中を楽しみましょう』
「はあ!? やっぱり適当に進んでたんですか!?」
カローナさんの無責任な発言に、つい私の声も大きくなる。
だが、それも仕方ないことだろう。みんなとはぐれて二人で迷子になったと分かった瞬間、『ふむ、こっちね』とか言い出したのはカローナさんなのだ。そもそも迷子になったことすらカローナさんのせいなのに。
『適当じゃないわ。勘よ』
「勘って、適当ってことじゃないですか!」
『ただの勘じゃないわ。女神の勘よ。それはもう、運命といっても過言ではないわ』
カローナさんはそう言い切ると、再び私を先導して進み始める。
仕方ないので、私も疲れた体に力を入れて、付いていった。
「っていうか、誰のせいでリッカたちとはぐれたのか分かってます?」
『それは違うわ、カンナ。リッカたちが私たちからはぐれたのよ』
「よくそんな無茶苦茶なこと言えますねえ!」
この人、自分の非を気にしてないんじゃない。そもそも悪いことをしたという自覚がないんだ。
カローナさんからすれば、迷子になったのはリッカたちの方。それを私たちが探してあげているという認識なのだ。なんてポジティブな迷子だろう。
「まさかカローナさんが……名ばかりとはいえ女神ともあろう人が、蝶々を追いかけて勝手に飛んでいっちゃうなんて思いもしませんでした……子どもでももう少し危機意識がありますよ」
『だって、なんだか追わずにはいられなかったんだもの』
「だから、ミリアが注意してたじゃないですか! そうやって獲物を魅了して巣に連れ帰って、そのまま仲間たちの餌にする魔物がいるって!」
森の中をみんなで歩いていたら、いきなりカローナさんが蝶々を見つけたと言い出して、すごい勢いで飛んでいってしまったのだ。それを追いかけている内に私もリッカたちとはぐれ、こうして二人で森の中を彷徨っているのである。
もうどれくらい歩き続けただろう。疲労で足ががくがく震えている。
座り込んで休みたいけれど、じっとしていると弱っているか眠っていると思われて、すぐに魔物や獣が集まってきてしまう。
複数人で固まっていればまだなんとかなるのだが、一人では気軽に休むこともできなかった。
「しかも地図はルルが持ってたから、ここがどの辺なのかも分からないし……」
森に慣れたルルがいてくれれば、地図を見ながら効率的に森の中を進むことができる。
いや、ルルだけじゃない。リッカなら野生の勘と嗅覚で道が分かるはずだし、ミリアは一度通った道順を絶対に忘れずに覚えているだろう。私の仲間たち、みんな優秀すぎる。
それに比べて……
『なんだか失礼な視線を感じるわ』
「気のせいですよ」
カローナさんの気まぐれに振り回されるのにももう慣れたと思っていたのだが、どうやら甘かったようだ。いっそのこと、このまま森に捨てていってしまおうか。
疲労のせいでそんなことまで考え始めた時、急に目の前が開け、大きな広場のような場所に出た。
点々と生えていた木々の姿が消え、広い森の中にぽっかりと穴が開いたみたいに、緑の芝生が広がっている。
高位ハンター養成学校の授業で習った覚えがある。たしかこういう場所は、昔大型の魔物が縄張りにしていた時の名残なんだとか。
「ちょうどいいですね。ここなら見晴らしもいいですし、ゆっくり休めそうです。ちょっと休憩していきましょう」
森の中に比べれば、いきなり襲われるようなことがない分、いくらかマシだろう。
私が芝生の真ん中に腰を下ろすと、カローナさんが膝の上に乗っかってくる。
『日差しが気持ちいいわね』
「そうですね。ずっと森の中にいましたから」
鬱蒼と茂った木々は、太陽の光を覆い隠してしまう。全身に日光を浴びるのは、随分と久しぶりのような気がした。
芝生の上に体を投げ出し、だらしなく寝そべってみる。
全身に温かい陽の光を浴びていると、途轍もない眠気に襲われた。
「……やばいです。寝ちゃいそうですよ、カローナさん」
『そう。それなら一緒に寝ましょうか』
「だめですよ、こんなところで寝たら……」
風邪をひいてしまうかもしれないし、寝ている間に魔物に襲われる恐れもある。私の体は想像以上に頼りなく、寝ている間はとても無防備になってしまうのだ。
ああ、だけど、この陽気と眠気に身をゆだねられたらどれだけ気持ちいいだろう。
そんなことを考えながら空を見上げていると、自然と瞼が落ちてくる。
「……だめですね。横になってたら本当に寝ちゃいそうです」
反動をつけて勢いよく体を起こすと、一瞬カローナさんがふわりと浮いた。
「ちょっと魔法の練習でもしましょうか」
『またやるの? ここのところ毎日じゃない。カンナったら、熱心ね』
「いつ何が起こるか分かりませんし。それに……はぐれる前のルルの話だと、もうすぐ村に着くそうですから」
最近、カローナさんに魔法の訓練をつけてもらっている。
今までも魔法の使い方を教えてもらうことはあったのだけど、それらは主に大きすぎる魔力をきちんとコントロールできるようになるというのが目的だった。治癒魔法など、いざという時のための魔法なんかも学んではいたけれど。
それらとは異なり、今私が学んでいるのは魔法を使った本気の戦い方だ。
アスティーさんとの戦闘を経て、私は自己防衛のための力を持つことの重要性を嫌というほど痛感した。
カローナさんが助けてくれなかったら、私は今頃アスティーさんの家で彼女の着せ替え人形にでもなって、ショーケースに入れられていただろう。
今度彼女に狙われた時、ちゃんと自分の力で撃退できるようになっておかなければならない。ないと思いたいが、彼女みたいな異常者が他にいないとも限らない訳だし。
それに、ルルの村を獣人たちから取り返す時、きっと争いは避けられない。私が戦えるようになっておくことで、傷つく仲間が一人でも減るなら、それに越したことはない。
『そうね……まあ、本物の獣人を相手にするなら、それくらい入念に準備しておいた方がいいのかもしれないわね』
膝の上に座っていたカローナさんが、ひとり言のようにそう呟く。なんだか、妙に含みのある言い方だ。
その様子が気になって、つい声をかけてしまう。
「カローナさん?」
『……やっぱり獣人って、可愛い系の女の子が多いのかしら。動物だものね。ああ、でも格好いい系も捨てがたいわ。ねえカンナ、どう思う?』
「……何くだらないことで悩んでるんですか……」
『くだらなくなんかないわ! 大事なことよ!』
カローナさんの口調があまりに真剣すぎて、頭を抱えたくなった。『こっちのモチベーションに関わるわ!』なんて堂々と宣言しているこの光の玉が女神だなんて、本体の方を見ていなければちょっと信じられないだろう。
「あの、カローナさん。私たち、一応獣人の敵になるんですからね。分かってます?」
『分かってるわ。でも、ちょっとくらい楽しんだっていいじゃない』
私たちは、エルフの村を取り返しに向かっている。それはつまり、獣人たちに真っ向から喧嘩を売るということだ。
私だって動物好きだから、獣人に興味はある。実際リッカのことは大切だし、可愛いと思っている。できれば他の獣人たちと仲良くしたいとも。
だけど、ルルの味方をすると決めた。それはつまり、そういうことだ。
「……できれば、戦いたくなんてないんですけどね」
愚痴るようにそうこぼすと、カローナさんがふわふわと浮かんできて、私の頭の上に乗る。励ましてくれているのか、頭の上で二回、ぽんぽんと跳ねた。
それがなんだかくすぐったくて、私は空気を変えるように立ち上がる。
「……さ、魔法の練習をしましょうか! 努力なくして成功はありませんよ!」
気持ちを切り替えて、明るく声を上げる。
静かな森の中の休憩所に、私の声だけが虚しく響いた。
2 森での邂逅
しばらくカローナさんと魔法の練習を続け、そろそろまたリッカたちを探しに行こうと準備を始めた頃。森の向こうから、不規則な音が聞こえてきた。
「……ん?」
『何かしら?』
何かを引きずるような重い音がしたかと思えば、木がへし折れるみたいな豪快な音が響く。すると今度は、ズドン、ドシンという爆発音にも似た音が鳴る。
いったい何事かと、警戒しながらそちらを向いた。
理由は分からないが、ものすごく嫌な予感がする。こういう時は、大抵ろくなことがない。
「どうしてこう、面倒なことばかり起こるんでしょうねぇ……」
『捉え方ひとつよ。面白いことが起こりそうじゃない』
カローナさんはいつでもポジティブで、たまに羨ましくなる。
周りを騒動に巻き込んででも楽しもうとするのは、勘弁してもらいたいところではあるが。
そんなことを考えていると、木々の奥から何かが飛び出してくる気配があった。
「……白猫? いや、獣人ですかね?」
まるで本物の猫のように、森の中から四足歩行で飛び出してきたのは、真っ白な髪の毛と耳、そして尻尾を持った小柄な獣人の女性だった。
肩の長さで揃えられたふわふわの猫っ毛が、走るたびにぴょんぴょんと跳ねている。
そんな彼女は、焦った様子でこちらに駆けてくる。そして私の存在に気付くと、驚いて目を見開いた。
「にゃ!? どうしてこんにゃところに人間がいるにゃ!?」
おお、猫語……生まれて初めて、実際に使ってる人に会ったな……
慌てている獣人には悪いが、ちょっとだけ感動してしまう。私がこの世界で出会った獣人はリッカだけ――リッカは人間とのハーフだけど――だが、彼女は幼い頃からハンターの世界で生きてきたからか、若い男性のような口調で話す。
それはそれでギャップがあってとても可愛らしい。しかし、やはりこういうあざといくらいに動物っぽい癖があるのもまた、非常にいいものである。
「おい、お前! にゃにをボーッとしてるにゃ! さっさと逃げるにゃ!」
「え? わわわっ!」
一人で猫語の感動を噛みしめていた私は、いきなり獣人に腕を引っぱられる。
我に返って獣人に視線を戻すと、その背後から、何か巨大なものがやってくるのが見えた。
木々をへし折り、押し潰しながら現れたのは、視界いっぱいに広がるイモ虫の群れ。一匹一匹が私の何倍も大きく、それが何十匹と固まって走ってくる。
「ひえっ……」
あれ? ここってどこの風の谷?
真っ白になった頭の中で、昔見た映画の光景がフラッシュバックする。それが実際に目の前に広がっているのだ。一気に血の気が失せる。トラウマになるのは間違いない。
私は、基本的に虫は苦手だ。私くらいの年齢の女性なら、それはごく一般的なことなんじゃないかと思う。むしろ大好きという人の方が少数派なんじゃないだろうか。
何が言いたいかというと、虫が苦手な私がいきなりこんな状況に陥れば、パニックになってしまうのは仕方がない訳で。
「い……いやあああああああああああああああっ!!」
女神の力のせいか、それとも日ごろの訓練の賜物か。
反射的に使ってしまった魔法で、私の目の前は一瞬で更地と化したのだった。
「いやー、助かったにゃ! あいつらに目を付けられた時は、マジで死を覚悟したからにゃー」
「あ、あはは……そうですよね……人助けになったんですよね、結果的に……」
暴走してやりすぎてしまったことを後悔しつつ、獣人の女性からのお礼に苦笑いを返す。
彼女は嬉しそうにニコニコ笑いながら、私の顔を興味深く覗き込んできた。
白い尻尾を山なりに丸め、赤い瞳を輝かせている。日が当たる場所だからか、瞳孔が細長く伸びていた。
「お前、めちゃくちゃ強いんだにゃー。あいつらを一瞬で消し炭にするにゃんて」
「いや、したくてしたわけじゃなかったんですけどね……はは……」
私はただ我を忘れてパニックになってしまっただけだ。そんないい笑顔で褒められると、なんだか申し訳なくなってくる。
話を逸らすため、獣人の女性に問いかけた。
「あの、あなたは――」
「わたしはシロニャにゃ」
イモ虫たちのことについて尋ねようと思ったら、話を遮られてしまった。
あなたと呼ばれるのが嫌だったのか、獣人の女性は自分の名前を教えてくれた。
「……シロニャさん?」
「シロニャじゃにゃいにゃ! シロニャにゃ!」
「……え?」
「シロニャ!」
「…………あ、シロナさんですか?」
「そうにゃ!」
や、ややこしい。ただ名前を聞いただけなのに、頭がこんがらがりそうだ。
でも、シロナさんか。白猫のシロナさん。うん、名前は覚えやすい。
「シロナさんですね。私はカンナといいます」
「カンニャか。よろしくにゃ!」
カンニャ……なんだか恥ずかしくなる呼び名だが、まあ仕方ない。
それよりも、聞かなければならないことがある。緊張感のない会話で忘れかけていたけれど、私はついさっき魔物の群れに襲われかけたのだ。
「あの……シロナさんはどうして、あんなのに襲われてたんですか?」
イモ虫たちの名称が分からずこういう聞き方をしたが、なんとなく危険な生き物だったことは理解できる。ランクで言えば、一匹でもA級相当くらいにはなるんじゃないだろうか。
私の質問に、シロナさんは赤い瞳をこちらに向けたまま、うーんと首を傾げた。
「多分、わたしがあいつらの巣を壊しちゃったからだと思うけど……よく分からにゃいにゃ!」
「いやいや、巣を壊したんなら絶対それが原因でしょう」
逆にどうしてそこまでやっておいて、堂々ととぼけることができるのか。なんだか、この子からはカローナさんと同類の香りがする。
しかし、そうか……巣を壊されて怒っていただけなんだとしたら、あの虫たちには悪いことをしてしまったかもしれない。襲われそうになっていたとはいえ、いきなりあれは流石にやりすぎただろうか。
「そんにゃに気にしにゃいでもいいにゃ。あいつらは森の生き物を食い尽くす困ったやつらで、みんにゃうんざりしてたんだにゃ。森にはまだ生き残りがたくさんいるだろうし、カンニャが気にすることじゃにゃいにゃ」
「え……私、声に出してましたか?」
「顔に出てたにゃー」
そう言われて、私は自分の顔に手を当てる。シロナさんはそんな私の様子を、ニヤニヤしながら見つめていた。
「あんにゃ危険にゃやつらのことを気にするにゃんて、カンニャは変わってるにゃ」
変わっている……そんなことはない、と思いたい。
私からすれば、私の周りにいる人たちの方がよっぽど変わっている。変人だらけだ。
頭の中で何人かの顔を思い浮かべていると、シロナさんが口を開いた。
「そういえば、カンニャはどうしてこんにゃ森の奥深くにいるんだにゃ? 最初見た時は驚いたにゃ」
確かに、こんなところで人間に会う機会などそうそうないだろう。
そもそもこのソイルの大森林という場所は、人間がほとんど足を踏み入れない未知の土地である。シロナさんからすれば、きっと私は見慣れない不思議な存在のはずだ。
ただ、全部を正直に話すこともできない。なんと説明したらいいのだろうか……
「えっと……迷子になっちゃって」
「迷子?」
とりあえず、私は自分の現状をかなりかいつまんで説明した。
カローナさんのことは話せないし、かといって代わりに私が蝶々につられたということになんて絶対にしたくない。迷子になった原因はごまかしつつ、同行者とはぐれてしまったのだと伝えた。
「ふーん。カンニャも大変にゃんだにゃー」
私の話を聞いたシロナさんは、無関心な態度でそう呟く。
そして私と視線を合わせると、すっと目を細めて尋ねてきた。
「それで……カンニャたちはどこに向かってるんだにゃー?」
「え? えっと……」
気付けば、シロナさんの口元から笑みが消えていた。
細められた目の奥から赤い輝きを放つ瞳が、私の戸惑った表情を映している。
それを見て、「しまった」と思った。私はこれから、エルフの村に向かうのだ。獣人と戦うために。
魔法の訓練に集中して、その流れでいきなりイモ虫たちに襲われたから、獣人が敵になるということをすっかり忘れてしまっていた。ここはもう、エルフの村まですぐの森の中だというのに。
シロナさんが悪い人に見えなかったから、というのもある。彼女はイモ虫に追われて必死になっている時、私の腕を引いて一緒に逃げようとしてくれたのだ。
だけど、それは信頼の証拠にはなりえない。
本当に狡猾な悪い人というのは、感じの良さとか、初対面の印象とか、言動の端々とか、それら全部を使って相手を騙そうとするからだ。
私はそれをよく知っている。
目の前では今も、シロナさんが真っ赤な目を細くして私のことを見つめている。
視線を逸らせないまま、私も黙って見つめ返した。
何か……とにかく、何か言わなければ。
「……北に、向かってるんです。森の中を突っ切って、北方の小国へ。外の街道は、ちょっと訳ありで通ることができなくて」
震えそうな口から出てきたのは、そんな言葉だった。
人は咄嗟に嘘をつこうとする時、百パーセントの作り話はできないとよく聞くが……なるほど、確かに難しいものだなと思う。
ミリアなんかは、こういうの得意そうだけど。与える情報を選んだり、事実と嘘を織り交ぜたりしながら、どうすれば最大限に相手を利用できるかというところまで考えそうだ。
「にゃるほどにゃ。確かに森で、訳ありの人間を見かけることはたまーにあるにゃ。大抵は魔物の餌ににゃるか、迷って行き倒れににゃるけどにゃ」
そう言って、シロナさんは再び口元に笑みを浮かべる。
そして甘えるように、私の体に顔を寄せてきた。
「……聖樹の隠れ家――ハイレンティアに用があるのかと思ったんだけどにゃ」
「ハ、ハイレンティア……?」
「エルフの村のことにゃ」
いきなり核心を突かれて、私は自分の心臓が大きく跳ねたことを自覚する。シロナさんの白い猫耳が、小さくぴくりと動いた。
「ま、違うにゃら別にいいにゃー。訳ありの人間ににゃんて関わりたくにゃいし」
シロナさんは私を見つめながら、ケラケラと笑う。
私も笑みを浮かべるが、背には冷や汗が流れていた。
バレただろうか。私がルルの関係者で、エルフの村へ向かっているということが。
例えば、私にエルフであるルルの臭いがついていて、シロナさんがそれに気付いたんだとしたら。そしてそれを確かめるためにカマをかけて、私の反応を見ていたのだとしたら。
そうすると、言葉の意味も変わってくる。『違うなら別にいい』とは、『違わないならよくない』ということだ。それに、人間になんて関わりたくないというのは、無関係の人間は関わってくるなという警告なんじゃないだろうか。
……いや、流石に考えすぎか。単に本心を語っているだけかもしれない。無意味な勘繰りはやめておこう。
「ところで、シロナさんは――え?」
話を逸らそうとして、私はあれこれと頭を働かせながら口を開いた。しかし直後に、その口を閉じてしまう。
気付けば、急に周囲が暗くなっていた。
さっきまであんなに日が当たって、温かな光に包まれていたのに、今はどこか肌寒い。
周りを見渡してみれば、注意しなければ気付かないような薄い霧が充満していた。
0
お気に入りに追加
3,480
あなたにおすすめの小説
S級冒険者の子どもが進む道
干支猫
ファンタジー
【12/26完結】
とある小さな村、元冒険者の両親の下に生まれた子、ヨハン。
父親譲りの剣の才能に母親譲りの魔法の才能は両親の想定の遥か上をいく。
そうして王都の冒険者学校に入学を決め、出会った仲間と様々な学生生活を送っていった。
その中で魔族の存在にエルフの歴史を知る。そして魔王の復活を聞いた。
魔王とはいったい?
※感想に盛大なネタバレがあるので閲覧の際はご注意ください。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
幼い公女様は愛されたいと願うのやめました。~態度を変えた途端、家族が溺愛してくるのはなぜですか?~
朱色の谷
ファンタジー
公爵家の末娘として生まれた6歳のティアナ
お屋敷で働いている使用人に虐げられ『公爵家の汚点』と呼ばれる始末。
お父様やお兄様は私に関心がないみたい。愛されたいと願い、愛想よく振る舞っていたが一向に興味を示してくれない…
そんな中、夢の中の本を読むと、、、
(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」
音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。
本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。
しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。
*6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。
貴族に生まれたのに誘拐され1歳で死にかけた
佐藤醤油
ファンタジー
貴族に生まれ、のんびりと赤ちゃん生活を満喫していたのに、気がついたら世界が変わっていた。
僕は、盗賊に誘拐され魔力を吸われながら生きる日々を過ごす。
魔力枯渇に陥ると死ぬ確率が高いにも関わらず年に1回は魔力枯渇になり死にかけている。
言葉が通じる様になって気がついたが、僕は他の人が持っていないステータスを見る力を持ち、さらに異世界と思われる世界の知識を覗ける力を持っている。
この力を使って、いつか脱出し母親の元へと戻ることを夢見て過ごす。
小さい体でチートな力は使えない中、どうにか生きる知恵を出し生活する。
------------------------------------------------------------------
お知らせ
「転生者はめぐりあう」 始めました。
------------------------------------------------------------------
注意
作者の暇つぶし、気分転換中の自己満足で公開する作品です。
感想は受け付けていません。
誤字脱字、文面等気になる方はお気に入りを削除で対応してください。
特殊部隊の俺が転生すると、目の前で絶世の美人母娘が犯されそうで助けたら、とんでもないヤンデレ貴族だった
なるとし
ファンタジー
鷹取晴翔(たかとりはると)は陸上自衛隊のとある特殊部隊に所属している。だが、ある日、訓練の途中、不慮の事故に遭い、異世界に転生することとなる。
特殊部隊で使っていた武器や防具などを召喚できる特殊能力を謎の存在から授かり、目を開けたら、絶世の美女とも呼ばれる母娘が男たちによって犯されそうになっていた。
武装状態の鷹取晴翔は、持ち前の優秀な身体能力と武器を使い、その母娘と敷地にいる使用人たちを救う。
だけど、その母と娘二人は、
とおおおおんでもないヤンデレだった……
第3回次世代ファンタジーカップに出すために一部を修正して投稿したものです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。