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第1章 婚約破棄に至るまで
18.
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声も出さず、ただただ泣いている彼女が痛ましくて、辛くて、悲しかった。
同時に、感情のままに苛立ちをリシュベルへと向けたことをひどく後悔した。
アレクは、リシュベルの震える身体を強く抱きしめて、空を仰いだ。
穏やかな陽射しが降り注ぐ春の空には、もくもくと大きな入道雲ができていた。頻繁に姿を現わすようになったその雲は、夏が近いことを知らせている。
風に乗り、流れていく雲とともに、己の軽はずみな言葉も後悔も怒りも彼女の悲しみも全て、どこかへ流れて行ってしまえばいいのに。
そんな彼の願いが聞き届けられたかのように、アレクの胸に顔を埋め、肩を震わせていたリシュベルの嗚咽は、段々小さくなっていった。
「リーシュ、何があったの?」
リシュベルが落ち着くのを見計らうと、今度は失敗しないように優しい声音を心がけて、彼女から答えを引き出そうとする。
だがリシュベルは、顔を彼の胸元に伏せたまま頭を振るだけで、答えようとはしない。
それは明確な拒絶。
アレクは、リシュベルから答えを引き出すのを諦めて深く息を吐くと、両手で彼女の頬をそっと包んで顔を上げさせた。
リシュベルの頬には、涙が通った後が幾筋もできており、長い亜麻色のまつ毛は、太陽の光を受けて雫がきらきらと輝いている。もう新たな雫が零れることはないが、まだその紫の瞳は潤んでいる。
「リーシュ」
アレクは名を呼んだだけで、それ以上は何も言わず、彼女へと顔を近づけるとその目尻にちゅっと口付けた。
リシュベルは、ただ黙って瞼を閉じ、彼の温かい唇の温度を感じていた。
涙に濡れて冷えた目尻には、彼の体温はとても心地が良かった。
泣きすぎて痛い目尻も、きっと腫れているだろう瞼も、すうっと癒されていく。
「ねえ、リーシュ」
心地良い流れに身を任せていると、ふと名を呼ばれた。
夢から覚めるようにゆっくりと目を開けると、彼がこちらを見下ろしていた。
「理由は話さなくていい。だから言ってごらん。助けてって。俺に助けてって言ってごらん。そうすれば、俺は君の力になってあげる。君を助けてあげるよ?君の憂いは全て、俺が晴らしてあげよう。どんなことをしてでも」
それはひどく甘美な誘いだった。
「何も難しい事は考えなくていい。たった一言だけでいい。君を怖がらせるものも、悲しませるものも全部、俺が取り除いてあげよう。そこから助けてあげるよ?」
「⋯⋯⋯⋯ア、レク」
「うん」
リシュベルが戸惑うようにその唇を開いていくと、アレクは、うっとりと見惚れそうなまでの色気をのせた顔で微笑み、リシュベルへと手を伸ばした。
「一緒においで。君を悲しませるものも、傷付けるものも何もない。欲しい物だって、何でもあげる」
「⋯⋯わ⋯たし、」
甘くて甘くて。
その響きは、胸にまでじんわりと広がるとリシュベルの脳を痺れさせ、その思考を奪っていく。
同時に、感情のままに苛立ちをリシュベルへと向けたことをひどく後悔した。
アレクは、リシュベルの震える身体を強く抱きしめて、空を仰いだ。
穏やかな陽射しが降り注ぐ春の空には、もくもくと大きな入道雲ができていた。頻繁に姿を現わすようになったその雲は、夏が近いことを知らせている。
風に乗り、流れていく雲とともに、己の軽はずみな言葉も後悔も怒りも彼女の悲しみも全て、どこかへ流れて行ってしまえばいいのに。
そんな彼の願いが聞き届けられたかのように、アレクの胸に顔を埋め、肩を震わせていたリシュベルの嗚咽は、段々小さくなっていった。
「リーシュ、何があったの?」
リシュベルが落ち着くのを見計らうと、今度は失敗しないように優しい声音を心がけて、彼女から答えを引き出そうとする。
だがリシュベルは、顔を彼の胸元に伏せたまま頭を振るだけで、答えようとはしない。
それは明確な拒絶。
アレクは、リシュベルから答えを引き出すのを諦めて深く息を吐くと、両手で彼女の頬をそっと包んで顔を上げさせた。
リシュベルの頬には、涙が通った後が幾筋もできており、長い亜麻色のまつ毛は、太陽の光を受けて雫がきらきらと輝いている。もう新たな雫が零れることはないが、まだその紫の瞳は潤んでいる。
「リーシュ」
アレクは名を呼んだだけで、それ以上は何も言わず、彼女へと顔を近づけるとその目尻にちゅっと口付けた。
リシュベルは、ただ黙って瞼を閉じ、彼の温かい唇の温度を感じていた。
涙に濡れて冷えた目尻には、彼の体温はとても心地が良かった。
泣きすぎて痛い目尻も、きっと腫れているだろう瞼も、すうっと癒されていく。
「ねえ、リーシュ」
心地良い流れに身を任せていると、ふと名を呼ばれた。
夢から覚めるようにゆっくりと目を開けると、彼がこちらを見下ろしていた。
「理由は話さなくていい。だから言ってごらん。助けてって。俺に助けてって言ってごらん。そうすれば、俺は君の力になってあげる。君を助けてあげるよ?君の憂いは全て、俺が晴らしてあげよう。どんなことをしてでも」
それはひどく甘美な誘いだった。
「何も難しい事は考えなくていい。たった一言だけでいい。君を怖がらせるものも、悲しませるものも全部、俺が取り除いてあげよう。そこから助けてあげるよ?」
「⋯⋯⋯⋯ア、レク」
「うん」
リシュベルが戸惑うようにその唇を開いていくと、アレクは、うっとりと見惚れそうなまでの色気をのせた顔で微笑み、リシュベルへと手を伸ばした。
「一緒においで。君を悲しませるものも、傷付けるものも何もない。欲しい物だって、何でもあげる」
「⋯⋯わ⋯たし、」
甘くて甘くて。
その響きは、胸にまでじんわりと広がるとリシュベルの脳を痺れさせ、その思考を奪っていく。
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