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第1章 婚約破棄に至るまで

8.守り石

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結局、あれから何日も経ったが街に出ることはなく。男の名前さえ聞かなかったため、リシュベルはブレスレットを返すことが出来なかった。

怪我が完治したリシュベルの生活は、以前のそれに戻った。部屋も前と同じ物置部屋だ。それまで柔らかいベッドを使っていたリシュベルは、幼い頃から使い慣れた固いベッドで眠ることに何故だか妙に安心した。

ただ一つ変わったことと言えば、継母の暴力に怯える必要がなくなったことだ。
 

***

その日もリシュベルが淹れた紅茶の温度が低いだなんだと言ってくだらない理由で激昂し、罰だと言ってリシュベルを鞭で打とうとした。

振るわれた鞭がリシュベルの背中を切り裂こうとしたその瞬間、バチッ!!!と何かがショートしたような凄まじい音が辺りに響き渡った。

「きゃあっ!!」

突如として背後から発せられた衝撃音に、身をすくませたリシュベルは、守るように両手で頭を覆うと反射的にその場に伏せた。

声を出す間もなく何かに弾き飛ばされた継母の身体は、勢いを殺すこともなく、そのまま激しく壁に叩きつけられた。

「かはっ!!  ⋯⋯ぐっ」

うずくまるリシュベルの耳に呻き声が聞こえた。

慌てて後ろを振り返ったリシュベルの目には、真紅の絨毯の上に倒れている継母の姿が飛び込んできた。

「⋯⋯ぅ⋯⋯くっ」

床へと沈み、呻き声を漏らしていた継母は、一度だけビクンッと大きく身体を跳ねさせると、やがてピクリとも動かなくなった。

「なっ⋯⋯」

何が起こったのか訳がわからず、リシュベルは呆然とその場に立ち尽くした。

とその時、リシュベルの服のポケットが光を放ち始めた。

「きゃっ⋯⋯」

淡い光は、やがてどんどんと威力を増し、目を焼きそうなほど強烈な光へと変貌を遂げると、それ以上目を開けていられず、リシュベルは腕をかざして両目を庇った。が、それも数秒の出来事である。

やがて徐々に小さくなっていった光は、リシュベルの身体に吸い込まれるようにして溶け込むと、後には何も残さずそのまま消失した。

部屋にはただ静寂だけが訪れた。
聞こえるのは、ドクドクと早鐘を打つ己の心音だけである。

「な、に今の⋯⋯」

周りを見回しても、特段それ以外に変わったところは何もなく、見慣れた継母の部屋だ。

ふとリシュベルの脳裏にあの男の言葉が蘇った。

「ま、さか⋯⋯」

ハッと我に返ったリシュベルは、ポケットを探ると、そこからある物を取り出した。

「⋯⋯これの、せい?」

リシュベルの手には、あの日礼だと言って強引に渡されたあのブレスレットが握られていた。華奢な金の鎖に石が一つ通されている。

あの男は、要らなければ捨てろと言ったが、他人ひとの厚意を無下にもできず。お守りになればいいなという軽い気持ちで持っていたリシュベルだったが、それ以外に原因が思い当たらず、手の中にあるブレスレットをまじまじと見つめた。

瑠璃石ラピスラズリかしら。きれい⋯⋯」

雲一つない夏の夜空のようなその深い深い青は、ずっと見つめていると引き込まれてしまいそうな危うさがある。

その時、離れた場所から衣擦れの音がした。

「⋯⋯あっ、そうだ。大変!   誰か呼んでこないと!」

一先ひとまずブレスレットのことは置いておいて、気を失った継母のために人を呼ぶことを優先した。


***

あれから幾日か経ったが、その不思議な現象はその時だけでなく、リシュベルの身体に危害が及びそうになるたび発生した。

あの男が言った守り石という名に相応しく、それは常にリシュベルを守り続けた。

その度に継母とマリエルは歯噛みし、あの手この手でリシュベルを痛めつけようとしたが、不思議なことに小さな傷一つ彼女に付けることは出来なかった。

それが何度も続くとなると、リシュベルに恐れをなした継母は、今度は彼女を忌避し始めた。リシュベルを視界に入れることすらいとった継母が、その存在を徹底的に無視し始めたのだ。暴力はもちろん、声をかけることも何かを命じることもなく、リシュベルの声が聞こえただけで金切り声で喚き散らした。

それに怒りを募らせたのはマリエルである。父親に訴えても面倒事を起こすなと一蹴され、母親は日に日におかしくなっていく。それなのに、憎いリシュベルには傷一つ付けることが出来ない。

日を増す毎に大きくなるどす黒い感情は、徐々にマリエルの心を覆い尽くしていった。

最早この時、マリエルが糧とするのは、怒りと憎しみだけであった。

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