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第1章 婚約破棄に至るまで
45.照らせし銀の光
しおりを挟むいつまでそうしていただろうか。
天井に染み込んだ雨漏りの跡が確認できるほどには薄暗かったはずの部屋が、いつの間にか真っ暗な闇の中に包まれていた。
そうして、やっと心が落ち着いてきたことに安堵したリシュベルは、ふとあることに気が付いた。
確か、自分は町に買い物に出ていたはずだ。
それがどうして、自分の寝台で目覚めることになどなってしまったのだろうか。
昼前に買い物に出たはずなのに、買い物を終えた後の記憶がリシュベルには全くなかったのだ。昼前に買い物に出たのならば、それから優に半日は経っているはずだ。それなのに、その間の記憶が全くないなど明らかにおかしい。
泣き続けたことでさらに痛みを増した頭を抱え、何がなんだか訳が分からず、急に不安になってきたリシュベルは、あちこち忙しなく視線を彷徨わせた。だが、これといった変化もなく、そこは朝起きたままの普段通りの自分の部屋だった。
ーーでも、何かが違う。
直感的にリシュベルはそう感じた。でも、それが何なのかは分からない。ただ、リシュベルの中の本能的な何かが『違う』と訴えかけてきたのだ。リシュベルは何とも言いようのない漠然とした不安と違和感を感じた。
ーーなにか、なにか大切なことを忘れている。
それがとても重要なことだと感じたリシュベルは、頭の痛みを堪えながらも必死に思い出そうとした。
「⋯⋯い、たいっ。痛いっ」
だが、いくら思い出そうとしてもリシュベルの記憶の中には何も残されてはいなかった。逆に、思い出そうとすればするほど頭の痛みは酷くなる一方だった。
「⋯⋯っ。もう、だめ⋯⋯っ」
これ以上の痛みに耐えかねたリシュベルは思い出すことを諦めた。記憶がとても重要なことなのは感じていたのに、思い出そうとすればするほど頭の痛みと共になにかが邪魔をしてくるのだ。
それはまるで、何も思い出さなくてもいいと。
思い出す必要などないと、誰かに言われているような気にさえなってきた。
その声に従うように考えることを放棄したリシュベルは、重いため息を吐くと、つい先程まで真っ暗な闇に包まれていたはずの部屋を照らす眩い光に気が付いた。
だが、それはなんてことはない、普段見慣れた夜の景色だった。
ふと、何の気なしに窓の外に目をやると、空高く昇った月が雲の陰から姿を現し、こちらを照らしているのが見えた。
光の軌跡を追うように己を照らす月に目をやると、銀の光を帯びた丸い月の姿にリシュベルの目は釘付けになった。
「つ、きの光⋯⋯? あれは⋯⋯あ、れは」
月とよく似た銀色の光がリシュベルの脳裏に一瞬、甦った。
ーーあのときと、同じ色⋯⋯。
「⋯⋯あのとき?」
それはいつのことだっただろうか。
リシュベルはその光がどこか懐かしく、それに包まれていると心がとても安らぐのを感じた。
もっとその光に触れたくて。
もっとその近くに行きたくて。
リシュベルは腰掛けていた寝台から立ち上がり、月へと手を伸ばしながら確かな足取りで窓辺へと向かった。
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