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第1章 婚約破棄に至るまで

39.恋と似て非なるもの

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一先ひとまず落ち着けと言い聞かせながら、リシュベルは詰めていた息を吐き出した。それだけでも幾分かはマシになり、リシュベルは改めてスカーの言葉を反芻し、これまでのアレクとのやり取りを思い出してみる。

いくつか思い浮かぶワードを自分の気持ちに当てはめてみるが、なぜかしっかりとくるものはなく。

「アレクは⋯⋯友人よ。大切な」

結局、当たり障りのない答えしかスカーに返すことは出来なかった。

「友人? それって好きってこと?」

「⋯⋯あなたの言う好きがどういう意味か分からないけれど、友人として彼のことは好きよ」

『好き』
リシュベルからその言葉を引き出したスカーは、パァーッと顔を輝かせると、興奮した様子で身を乗り出して彼女へと詰め寄った。

「本当!? じゃあ、じゃあずっと、ずーっとアレクの傍にいてくれる? アレクと結婚してくれる?」

スカーの迫力に若干気圧されつつも、彼がまたまたとんでもないことを言い出したため、リシュベルはぎょっとした。

「結婚!? アレクと私が!? し、しないわっ。だって、私が結婚するのはベルンだもの」

リシュベルの口からベルンハルトの名前が出た途端、スカーは嬉しそうに笑っていた表情を一変させて、不愉快そうに眉を寄せた。

「ベルンハルト? どうして? リシュベルは、アレクのことが好きなんでしょ? なのに何で、ベルンハルトと結婚するの? 結婚って好きな人とするもんでしょ?」

「アレクのことは、友人として好きなの。恋じゃないわ」

「コイ? コイって何?」

初めて耳にした『恋』という単語に、スカーは目をしぱしぱと瞬かせ、首を傾げた。

「⋯⋯そうね。人それぞれだと思うけど、ずっとその人と一緒にいたいって思うことかしら。限られた時間の中で、あとどれくらい一緒にいられるか分からないけれど、少しでも長く、少しでも近くにいたいって思うの。恋をするとね、何の変哲もない毎日がとっても色鮮やかになったの。それまで好きでも嫌いでもなかった花が、あの人から贈られた瞬間、それが大好きな花になった。いつも一人で歩いていた道も、あの人と二人で歩くだけで思い出の場所に変わった。楽しいことばかりじゃないけど、私はそうやってあの人と一つ一つ小さな思い出を積み重ねて、一緒に生きていきたいって⋯⋯思ったの」

そう。どうして、そんな大切なことを忘れていたんだろう。

あの人のお日様のように笑う顔も、我儘を言ったときに困ったように笑う顔も、いつもぎゅっと繋いでくれる温かくて大きな手も、全部が愛おしくて、大好きだったのに。

「ふーん、何だかよく分からないけど⋯。コイをするとそんなに変わっちゃうもの?   人間の感情って、やっぱり理解できないな。つまりリシュベルは、アレクに対してコイを持っていないから結婚できないってこと?」

「ふふ、そうね。人の感情って難しいわね。言葉で説明するのも難しいわ。でも、アレクに対して感じるものとベルンに向けるものとでは全く違うのよ。恋じゃないわ」

「⋯⋯それって本当にコイなの?」

「え?」

「僕にはよく分からないけど、少なくとも、コイは人間を不幸にするものじゃないよね?   ならどうして、君は今、そんな顔してるのさ。そんな泣きそうな顔で。今の君は全然幸せそうじゃないよ。さっきだって僕が幸せかって聞いたら、答えられなかったじゃないか」

淡々と紡がれるスカーの言葉がリシュベルの心に突き刺さる。人間と違い、いくつもの複雑な感情を持たない精霊であるスカーは、少しの配慮も遠慮もなく、リシュベルの心にズカズカと踏み込むと、彼女の心を大きく揺らした。

「⋯⋯そ、れは」

「ねえ、リシュベル。ベルンハルトとアレクへの気持ちがそれぞれ違うなら、アレクのほうがコイかもしれないだろ?」

「⋯⋯ち、が」

「君も言ったじゃないか。人の感情は難しいって。確かに、君がベルンハルトに感じてのはコイかもしれない。でも、人間の感情は移ろうものだ。始まりがそれだったとしても、今もそうとは限らないだろ?   この世に絶対はない。感情なんて目に見えないものは特にね」

「やめっ⋯⋯」

鋭いナイフで胸をえぐられたような痛みを感じたリシュベルは、くしゃりと顔を歪めると、両手で耳を塞いだ。

「リシュベル」

それなのに、スカーの声は、リシュベルの両手をすり抜けてしまう。

「⋯変わらないものなんて、何もないんだよ」

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