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第1章 婚約破棄に至るまで

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ビーナが女王様により強制的に退場させられた後、その場に残されたラークとアレクは、ごくりと唾を飲み込んだ。

本来、いだ湖や、緩やかに流れる川のように穏やかな性質のスカーは、怒ることなど滅多にない。がしかし、一度その逆鱗に触れると、今のビーナのように徹底的にやり込められるのを彼らは身をもって体験済みだ。

「さてと。うるさいおバカさんは退場したことだし。ねえアレク」

びくっと肩を揺らしたアレクは、ぎこちなく首を動かして、傍に立つスカーを見た。

彼女は、僕たちのことを知らないんだから、ちゃんと紹介してあげたほうがいいと思うよ? 可哀想に、混乱してるみたいだし」

「あ、ああ、そうだな。⋯⋯リーシュ、さっきも軽く説明はしたが、こっちはドラーク。火の精霊だ。で、こっちは」

「改めまして、僕はスカーレル。水の精霊だよ。で、さっき消えたバカは、バンビーナって言って風の精霊なんだ。他にも地の精霊や光の精霊、闇の精霊もいるんだけど⋯⋯まあ、彼らのことはいいよ。色々事情があってね。滅多に姿を見せないんだ。それはそうと、君はよっぽど精霊や妖精に好かれるんだね。君が大変なことになってるってビーナに知らせたのも、ここらの花や木に宿る妖精たちなんだよ。で、ビーナが慌ててアレクに知らせたってわけ。ちなみに精霊と妖精の違いなんだけど、精霊は、精霊界っていう所に住んでて、妖精は花や木に限らず、この世界の物質的なものに宿るんだ。精霊は、物質世界に召喚されて人間と契約することで、初めてこの世界に留まることが出来る。まあ、そうは言っても、ちょこちょこ遊びに来る精霊もいるんだけどね」

紹介しろと言っておきながら、スカーは、自分で全て説明するらしい。

苦い顔で眉間に皺を寄せたアレクは、じろりとスカーを睨んでいる。

「アレクはね、六属性全ての精霊と契約を結んでるんだよ。すごいよね~。ま、立場が立場だから、仕方ないっていうのもあるんだけどね。でねでね、それだけじゃないんだ。アレクはなんと——」

「スカー!!」

キラキラと瞳を輝かせて、自分のことのように自慢げに語るスカーの言葉を遮ったのは、アレクの鋭い一言だった。

「⋯⋯え?」

「余計なことは言わなくていい」

「あ⋯⋯、うん、そうだね」

なぜか、ふっと顔を曇らせたスカーは、先程までの快活な雰囲気はどこへ行ったのか。その淡いアクアマリンの瞳をかげらせて、寂しそうに笑った。

そんな薄い色合いの瞳だから、そんな風に感じたのだろうか。

一つ瞬きをした後には、そんな彼の表情はどこにもなく、天使のように愛らしい顔で微笑んでいた。


「⋯⋯ドラークにスカーレル、バンビーナ?」

キョトンとした顔でリシュベルは、彼らの名前を呟いた。

「ああ、そうなんだよ。変な名前つけるよね~。僕たち精霊は、契約を結ぶときに、その人間に真名まなを預けるんだ。契約書の代わりだね。人間は、精霊の真名を知ることでその精霊を使役する。逆を言えば、真名さえ知ることが出来れば、強制的にその精霊を使役することが出来る。だから、精霊の真名は、決して他人に知られてはいけないんだ。真名っていうのは、精霊の命みたいなものだからね。で、その代わりに、契約者は、精霊に名を与える。だから、僕たちの名前は、アレクが付けたんだよ。ひどいよね~、いい加減だよね~。適当過ぎるよ。まったくもうっ」

ぷんぷんと怒るスカーの気持ちも分からないではない。

「もしかして、ラークさんって⋯⋯」

「ラークでいいぜ。俺は普段は人型だが、それ以外のときは、龍をかたどってるんだ」

ーやっぱりか。

この国の言語でスカーレルはリス、バンビーナは女の子、ドラークは龍を意味する。

ーまんまじゃないか。
 この人って、見た目王子様で、いつも余裕たっぷりで、何でもそつなくこなしそうなのに⋯⋯

ネーミングセンスは壊滅的だな。と思ったリシュベルだったが、えてそれには触れないでおいた。

「そうだなあ、センスの欠片もないよな」

スカーに続いてラークにまでけなされたアレクは、少しムッとしたようで、やや唇を尖らせている。

「見せてやるよ」

ほら。とラークが言った瞬間、またもやポンッと音がして、その場に両手より少し大きめの赤い龍が現れた。

「きゃあ、可愛い!」

そらを飛ぶラークは、リシュベルの歓声を聞いて気を良くしたのか、彼女の周りをくるくると旋回すると、甘えるように彼女の首にすりすりと身体をすり寄せた。

「ふふっ。やだ、くすぐったいわ。龍ってこんな感触なのね。ねえ、ラーク。もう少し触らせて?」

「おいおい、よせよ~。こっちだって、くすぐったいだろう。もう、よせってば~。ハハッ——」

付き合いたてのバカップルのように、イチャイチャと楽しそうにリシュベルにじゃれついていたラークは、右隣から不穏な空気を感じると、恐る恐るそちらを振り向いた。

「っ!」

そこには、如何いかにも超絶不機嫌なアレクが、凍てつくような鋭い瞳で、射殺さんばかりにラークを睨みつけていた。

「っとまあ、こんな感じだな。は、はは⋯⋯」

アレクの意図するところを瞬時に読み取った賢いラークは、素早く元の人型に戻ると、即座にリシュベルから三歩後ろに下がった。

「あら、もう戻っちゃうの? もっと見たかったのに」

「リーシュ、そんなにラークが好きなの? 俺よりも?」

ラークに取って代わって、リシュベルの目の前までやって来たアレクは、ぐっと彼女に顔を近づけると、スッとその瞳を細めた。

「へ? ⋯⋯いや、別にどっちがより好きかなんてことは。ただ⋯⋯」

「ただ?」

「いや、あの、もう少しだけ触りたかったなあって⋯⋯」

その言葉を聞いたアレクは、更にリシュベルとの距離を詰める。

「触りたい? 誰を?」

矢継ぎ早に問いただすアレクの常ならぬ様子に、リシュベルは圧倒されているようで、彼女の足はじりじりと後退している。

これは完全に彼の機嫌を損ねてしまったようだ。

「えっと、あの、ラー」

「ああ——っ!! 思い出したっ!アレク、お前早く乾かしたほうがいいぞっ。さっきのスカーの攻撃でずぶ濡れじゃないかっ。人間はすぐに風邪を引く弱っちい生き物だからなっ。ほらっ、早くしろ、早くっ」

「は? お前、何を慌てている? ⋯⋯何かやましいことでもあるのか?」

「バっ、バカ言ってんじゃねえよっ。そんなことあるわけないだろっ。俺は単純に心配してるだけであって。ほら、風邪なんか引いたら、仕事に差し支えるだろうと思ってだな」

「⋯⋯」

怪しい。

キョロキョロとあちこち視線を彷徨わせ、ちっとも目を合わせようとしない挙動不審なラークを見て、アレクはスッとその黒の瞳を細めた。

「お前——」

「ほ、本当ねー、アレク。早く乾かさないと風邪引いちゃうわ」

しめたっ。と思ったリシュベルは、ラークの言葉に乗っかることにした。

「でも⋯⋯」

「⋯⋯私、アレクが風邪を引いて苦しい思いをするのは嫌だわ。ね、お願い」

「っ」

リシュベルに上目遣いでお願いされたアレクは、ほんのりと頬を染めると、片手で口を覆い、バッと横を向いた。

心なしか、彼の身体は小刻みに震えているようだ。

「アレク? どうかしたの?」

「いや、君って⋯⋯その」

「?」

「⋯⋯⋯⋯か、わぃぃ、ね」

どうやらリシュベルの可愛さにノックアウトされたアレクは、悶絶していたらしい。

「え? ごめんなさい、聞こえなかったわ。もう一度言ってもらえるかしら」

しかし、当の本人には全く伝わっていない。

「いや! ⋯⋯何でもないよ。じゃあ、乾かしてくるから、ちょっとだけ待ってて」

そう言うなり、若干肩を落としたアレクは、リシュベルを見ることなく、そそくさと離れていった。

ちらりと見えた彼の顔は、やや赤かったような気がした。

「?」

なんだかよく分からないけど、とりあえずは上手く誤魔化せたようだ。

なぜこんな、夫の居ぬ間に間男が見つかった人妻のような気持ちになるのか、はなはだ疑問のリシュベルである。


一方、リシュベルのフォローにより命拾いしたラークは、ほっと息を吐いた。

がしかし。

アレクと同じくらい恐ろしい存在が、ラークの前に立ち塞がっていた。

「ラーク、何をグスグズしてるんだよ。お前も行って、服を乾かすのを手伝ってあげるんだよ。今はビーナが不在だから風の加護が使えない」

「あ? ビーナが使えなくても、あいつには魔力があ——」

「いいから行くんだよっ! それとも何? が聞けないって言うのかい?」

辛うじて微笑んでいるのだろうスカーの笑顔だが、彼の目尻は怒りと苛立ちでピクピクと痙攣けいれんしている。

「まっ、さかあ⋯⋯、そんな訳ないだろ。行くよ、行く。行けばいいんだろ。くそったれ」

最後の「くそったれ」だけが、やけに弱々しい。

?」

小さな声だったにもかかわらず、スカーの耳にはしっかり届いたようで、彼の額には青筋が浮かんでいる。


「おーい、ラーク。間違ってもアレクを燃やすんじゃないぞー」

スカーが何か言う前に、脱兎の如く駆け出したラークは、背中でスカーの声を受けながら、盛大に舌打ちをした。勿論、心の中で、だが。

どうして、どいつもこいつも最後まで話を聞いてくれないのか。

誰にも見られないように、ラークは一人泣いた。


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