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第1章 婚約破棄に至るまで
31.
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「リシュベル。母のでよければ着替えを用意しよう」
「⋯⋯ええ、ありがとう」
リシュベルは、ベルンハルトの気遣いに感謝しながらも、二人の間に漂う気まずい空気から逃げるように、ルーカスと共に屋敷の中へと入っていった。
その背中を見ていたベルンハルトは、苦い思いで、先程のリシュベルとのやり取りを思い出していた。
『これは⋯⋯町に行ったときに私が自分で買ったものよ。シンプルだけど、この青い石がとっても綺麗で⋯⋯。一目見て気に入ったの』
『町で? あんな小さな町に、そんな高価な物を扱っていた店があったか? ⋯⋯本物の金のように見えるが』
ステイン家から歩いていけるほどの距離にあるその町は、店の数が十店舗ほどしかない小さな町だ。サイラスのように流行を取り入れた店もなく、宝石などを取り扱う高級店があるわけでもない。店主も、流行には疎い老齢の者ばかりで、お世辞にも洒落ているとは言いがたい店ばかりなのだ。
『あ、の⋯⋯、えっと、その日は偶々、露天商がお店を出していて。ずっと見ていたら、おじさんが安くしてくれるって言うから⋯⋯」
『⋯⋯』
ベルンハルトの指摘に、明らかに動揺しているリシュベルは、言葉に詰まりながらも、必死になって言い訳を探す。
だが、そんなリシュベルを見つめるベルンハルトの目は、彼女の嘘を見抜いているかのようだ。
後ろめたいことがあるから、そう感じるのだろうか。
『その、本物の金なわけがないじゃない。金メッキよ。それにほら、瑠璃石なんて高くもないし、珍しくもないでしょう?』
焦りを募らせたリシュベルは、なおも弁明を続ける。
それまで黙って話を聞いていたベルンハルトは、静かに彼女を見つめたまま、徐に口を開いた。
『⋯⋯リシュベル、私は嘘が嫌いだ。その話は本当か? 本当に信じていいのか? 私は、君が平気で嘘をつくような人間だとは思っていない。何かあったのか? 何か私に言えない事情があるのか? ⋯⋯どうか話してくれないか』
自分に向けられる彼の優しい言葉が、胸に突き刺さる。
『⋯⋯ほん、とうよ。何もないわ⋯⋯』
カラカラに乾いた喉からは、同じく枯れた声しか出てこない。
リシュベルは、苦しくなる胸の痛みにそっと蓋をした。罪悪感という名の身勝手極まりない感情と共に。心の中のずっとずっと奥に仕舞っておけるように。
俯いてしまいそうになる顔を上げて、リシュベルも彼をじっと見つめる。
ー嘘を選んだのは自分だ。
傷付くことなど許されはしない。
『⋯⋯分かった。君がそう言うのなら信じよう』
ややあって、ベルンハルトの方から口火を切ると、彼はぎこちなく笑った。
着替えるために、屋敷の中へと戻っていく彼女の背中を見ていたベルンハルトは、ぽつりと呟いた。
「まさか、な⋯⋯」
リシュベルの手首に巻かれていた物を見たとき、ベルンハルトは驚いた。
あれと同じ物を幾度となく、目にしていたからだ。
じっくりと間近で見たことはないが、あの方がいつも身に付けていた物によく似ている。
だが、同時にそれを否定する思いもあった。
あの方と彼女に接点などあるはずがない。
自分でさえ、おいそれと話ができる人物ではないのだ。
ーならば、何故⋯⋯
ベルンハルトは、さらに混乱した。
そして、浮かび上がる一つの疑念。
「まさか⋯⋯。そんなことあるはずがない」
一瞬、自分の中に生まれたあらぬ想像が、ひどく突拍子もないことのように感じて、思わず苦笑した。
金の鎖に青い石の装飾品など、この世にいくらでもある。
彼女の言うように、石だって珍しいものではない。
ーきっと、よく似たものだ。
ベルンハルトは、疑念を振り払うかのようにふるりと頭を振ると、下衣のポケットを探り、そこに入れてあった箱を取り出した。
手のひら半分ほどの大きさのそれは、今日、彼女に会ったら渡そうと思っていた物だ。
自分の中に芽生えた疑念という種が、決して芽吹くことのないように、彼はその箱をぎゅっと握りしめた。
このとき、リシュベルが彼についた、たった一つの嘘が、後に二人の運命を大きく狂わせることになる。
運命さえも操る彼の思惑に、既に乗せられていたことなど、このときの二人には知る由もなかった。
「⋯⋯ええ、ありがとう」
リシュベルは、ベルンハルトの気遣いに感謝しながらも、二人の間に漂う気まずい空気から逃げるように、ルーカスと共に屋敷の中へと入っていった。
その背中を見ていたベルンハルトは、苦い思いで、先程のリシュベルとのやり取りを思い出していた。
『これは⋯⋯町に行ったときに私が自分で買ったものよ。シンプルだけど、この青い石がとっても綺麗で⋯⋯。一目見て気に入ったの』
『町で? あんな小さな町に、そんな高価な物を扱っていた店があったか? ⋯⋯本物の金のように見えるが』
ステイン家から歩いていけるほどの距離にあるその町は、店の数が十店舗ほどしかない小さな町だ。サイラスのように流行を取り入れた店もなく、宝石などを取り扱う高級店があるわけでもない。店主も、流行には疎い老齢の者ばかりで、お世辞にも洒落ているとは言いがたい店ばかりなのだ。
『あ、の⋯⋯、えっと、その日は偶々、露天商がお店を出していて。ずっと見ていたら、おじさんが安くしてくれるって言うから⋯⋯」
『⋯⋯』
ベルンハルトの指摘に、明らかに動揺しているリシュベルは、言葉に詰まりながらも、必死になって言い訳を探す。
だが、そんなリシュベルを見つめるベルンハルトの目は、彼女の嘘を見抜いているかのようだ。
後ろめたいことがあるから、そう感じるのだろうか。
『その、本物の金なわけがないじゃない。金メッキよ。それにほら、瑠璃石なんて高くもないし、珍しくもないでしょう?』
焦りを募らせたリシュベルは、なおも弁明を続ける。
それまで黙って話を聞いていたベルンハルトは、静かに彼女を見つめたまま、徐に口を開いた。
『⋯⋯リシュベル、私は嘘が嫌いだ。その話は本当か? 本当に信じていいのか? 私は、君が平気で嘘をつくような人間だとは思っていない。何かあったのか? 何か私に言えない事情があるのか? ⋯⋯どうか話してくれないか』
自分に向けられる彼の優しい言葉が、胸に突き刺さる。
『⋯⋯ほん、とうよ。何もないわ⋯⋯』
カラカラに乾いた喉からは、同じく枯れた声しか出てこない。
リシュベルは、苦しくなる胸の痛みにそっと蓋をした。罪悪感という名の身勝手極まりない感情と共に。心の中のずっとずっと奥に仕舞っておけるように。
俯いてしまいそうになる顔を上げて、リシュベルも彼をじっと見つめる。
ー嘘を選んだのは自分だ。
傷付くことなど許されはしない。
『⋯⋯分かった。君がそう言うのなら信じよう』
ややあって、ベルンハルトの方から口火を切ると、彼はぎこちなく笑った。
着替えるために、屋敷の中へと戻っていく彼女の背中を見ていたベルンハルトは、ぽつりと呟いた。
「まさか、な⋯⋯」
リシュベルの手首に巻かれていた物を見たとき、ベルンハルトは驚いた。
あれと同じ物を幾度となく、目にしていたからだ。
じっくりと間近で見たことはないが、あの方がいつも身に付けていた物によく似ている。
だが、同時にそれを否定する思いもあった。
あの方と彼女に接点などあるはずがない。
自分でさえ、おいそれと話ができる人物ではないのだ。
ーならば、何故⋯⋯
ベルンハルトは、さらに混乱した。
そして、浮かび上がる一つの疑念。
「まさか⋯⋯。そんなことあるはずがない」
一瞬、自分の中に生まれたあらぬ想像が、ひどく突拍子もないことのように感じて、思わず苦笑した。
金の鎖に青い石の装飾品など、この世にいくらでもある。
彼女の言うように、石だって珍しいものではない。
ーきっと、よく似たものだ。
ベルンハルトは、疑念を振り払うかのようにふるりと頭を振ると、下衣のポケットを探り、そこに入れてあった箱を取り出した。
手のひら半分ほどの大きさのそれは、今日、彼女に会ったら渡そうと思っていた物だ。
自分の中に芽生えた疑念という種が、決して芽吹くことのないように、彼はその箱をぎゅっと握りしめた。
このとき、リシュベルが彼についた、たった一つの嘘が、後に二人の運命を大きく狂わせることになる。
運命さえも操る彼の思惑に、既に乗せられていたことなど、このときの二人には知る由もなかった。
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