婚約破棄のその先に悪魔が笑って待っていた。

ノワール

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第1章 婚約破棄に至るまで

28.

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色々とあった建国祭を終え、季節は、春から夏へと変化し、最近は、汗ばむことが多くなってきた。

毎年、建国祭から一月ほど経った今頃は、秋に行われる収穫祭に向けて、皆が動き出す。

いくつかある年中行事の中でも、収穫祭は二番目に大きな祭りだ。

各街や町村では、様々な催し物が開催される。

いくつか例を挙げると、その日ばかりは浴びるようにビールを飲めるビール祭、甘辛く炊いた芋を無料で配る芋煮祭、限定ワインが一斉に店に並ぶワイン祭などなど。
変わり種で言えば、収穫した野菜で作ったパイを顔に投げ合うパイ祭りだ。

特に、サイラスなどの大きな街では、羽目を外した祭りが多い。

夏が終わると同時に、社交シーズンも終わりを告げ、貴族達はそれぞれのカントリー・ハウスへと帰っていく。そうなると、大きな街は閑散かんさんとし、なんとなく物悲しい気持ちになってしまうため、少々派手な祭りが開かれるのだ。

今は、皆がその準備に追われている。


リシュベルとベルンハルトも、収穫祭の後に控えている結婚式の準備で、忙しい日々を送っていた。

と言っても、リシュベルが直接関わることなど、ほぼ無いのだが。
招待客の選別から教会の予約まで、ほぼ全ての準備を両家の両親が取り仕切っていたからだ。
まあ、伝統やら家の面子めんつなどが大きく絡んでくるため、それもやむを得ないのだろう。
貴族の結婚とは、家同士の繋がりをもつためのものだ。そこに、個人の感情など関係ない。リシュベル達のように、互いを想い合って結婚するなどまれなことなのだ。


そうは言っても、ベルンハルトは、「二人の結婚式なのだから」と言って、可能な限り、リシュベルの意見を取り入れようとしてくれた。

そのため、ウエディングドレスのデザインや身に付ける小物類など、リシュベル自身に関することは、おおむね、彼女の意見が通ることとなった。

まあ、その過程では、度々、継母の横槍よこやりが入ったようだが、その度にベルンハルトが取り成してくれたおかげで、ほぼほぼ満足のいく物に仕上がった。

数ヶ月前から準備していたものが、どんどんと現実味を帯びていき、リシュベルの感慨もひとしおだ。


各方面から招待状の返信も届き始め、ウエディングドレスの完成まであと少し。

リシュベルとベルンハルトは、ここ一月ほど、ほとんど会えない日が続いていた。

騎士団に所属し、普段、王宮に詰めているベルンハルトの休みは、週に一度。
いつもならその日は、二人でのんびりと過ごせていたのだが、もともと騎士としての職務で多忙な彼は、結婚式の準備も重なり、多忙を極めていたのだ。


そんな中、今日は、ベルンハルトとお茶の約束をしている。

まあ、それも結婚式の打ち合わせを兼ねているのだが。



***

午後のお茶の時間に、シュタイナー家に到着したリシュベルは、出迎えた老齢の執事に庭へと案内された。

侯爵夫人ご自慢のイングリッシュガーデンには、クレマチスやジギタリス、チェリーセージなどが見事に咲き誇っている。奥へと続くレンガのアプローチには、途中、木製のベンチやオレンジトッドというスプレーバラで作られたアーチがある。

素朴さと華やかさを兼ね備えたこの庭は、いつ来ても素晴らしい出来だ。


「リシュベル様」

思わず見惚れていたリシュベルは、案内役の執事に促され、そちらを振り向いた。

そこには、真っ白なガーデンテーブルが置かれ、既にお茶の準備がなされていた。

自然の緑の中に白が混ざり、美しいコントラストを描いている。


「坊っちゃまはすぐに参りますので、こちらにてお待ち下さい」

テーブルには、ケーキやスコーン、クッキーなどが並べられ、軽食としてサンドウィッチも用意されている。

甘い物が苦手なベルンハルトが、それらを食べるわけもなく。一目で自分のために用意されたものだと分かり、リシュベルはその心遣いを嬉しく思った。

「ええ、どうもありがとう」

にっこりと微笑んで礼を言うと、彼も目尻に皺を寄せて微笑みを返した。


彼を待っている間、執事に淹れてもらった紅茶を一口飲み、ぼんやりと庭を眺めた。


前夜祭から一月。

こうして自由な時間ができると、つい考えてしまう。


あの日から、とは会っていない。

あんなに毎日会いに来てくれていたのに、そのおとないは、ぱったりと止んでしまった。


ベルンハルトから話を聞いた当初は、ひどく混乱し、何も言ってくれなかった彼への憤りや悲しみ、落胆でいっぱいだった。

それでも、時間が経つにつれ、徐々に冷静になってくると、変に納得できる部分もあったのだ。


諜報活動を生業なりわいとしているのなら、自分のことを調べるなど、造作ぞうさもないことだっただろう。


だから、名前を知っていたのだ。

だから、自分の境遇きょうぐうを知っていたのだ。

だからいつも、自分の居場所が分かったのだ。

でも、なぜかは分からない。


そうやって納得がいくと、怒りや悲しみは、全部消えた。
それらの感情を超えて、彼への疑問で心がいっぱいになったからだ。


なぜ、自分のことを調べたりしたのだろう。

なぜ、自分に近づいてきたのだろう。
何かしらの目的があったのだろうか。
彼が興味を持ちそうなものなど、何もないのに。

なぜ、いつも優しくしてくれたんだろう。

なぜ、いつも⋯⋯

なぜ、なぜ、なぜ

答えの出ない問いばかりが、日に日に増えていく。


「会いたい⋯⋯」

心の中だけで、彼を呼ぶ。


あれだけいつも、何かあったらすぐに呼べと言っていたくせに、肝心なときにその姿を現さない。

そんな彼に対して、焦燥しょうそうだけがつのっていった。

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