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第三幕 『誤解』
28. ☆
しおりを挟むゴードンの愛の行為は激しかったが、情事が終わった後の彼は、まるで人が変わったように優しく穏やかになることを……オフェーリアは思い出した。
夫から放たれた白濁や汗に濡れて横たわるオフェーリアの体を、ゴードンの黄金の瞳がじっと見つめる。
ダマスク織のカーテンの隙間から漏れる朝日が、穏やかにふたりの主寝室を照らしていた。外ではもう小鳥が歌い、新しい朝の到来を盛んに告げている。
どのくらいの時間、交わっていたのだろう。
寝台に寝そべって肘をつき、体を横に倒したゴードンは、無防備な仰向けのままでいるオフェーリアの裸体を崇拝するように眺めていた。
本当は、胸や恥部を手で隠すべきなのだろう……。
でも、激しかった行為に疲れ切って満足した体は、なかなか言うことを聞いてくれなかった。
呼吸に合わせて裸の胸が上下する。
乳首はまだピンと固く立ったままだった。
普段は桃色なのに、今は情愛を誘うように赤く膨れている。
ふと、全身を眺めていたゴードンの視線が、そのふたつの点に集中しているのに気がついた。
「君の姿を見ていると……」
ゴードンの人差し指がつーっとオフェーリアの肌を滑り、お腹ではがゆい円を描いた後、ゆっくりと左の胸を上ってきた。
「あ……アンッ!」
乳首を指でころりと転がされる。すぐに甘い疼きがオフェーリアの性感帯すべてに広がっていった。この体は……ゴードンに愛されるためにあるのかもしれない。
「ひぁ……ゴー……ドン……だ、だめ……」
「神の存在を信じたくなる。天使とか、そういった偶像も……実は存在するんじゃないかとね」
「んん……!」
ぴん、と乳頭を弾かれた。背が反り、手足が小刻みに震える。ゴードンはオフェーリアの反応を試すように、その乳首にたくさんの悪戯をした。
「ひぅ……ん、あ、あぁ……や……」
「やめて欲しいなら言ってごらん」
「や、やめ……っ」
──やめないで。もっと。そんなもどかしい動きじゃなくて、もっと強くいじめて……。
もちろん、オフェーリアにそんな赤裸々な台詞を言う勇気はなかった。ただ、抵抗せずに身をよじっていると、ゴードンはその声にならない願いを理解してくれた。
体勢を立て直すとオフェーリアを組み敷き、両手を広く思う存分に使って、妻の胸を揉みしだきはじめる。
「あ……ゴードン……そ、う……あ、ァ……」
「可愛い体だ、オフェーリア……そして君の声……何度夢に見たか……」
「ひぅ、ひぅぅ……っ」
「先ほどはあまり愛撫をしてあげられなかったからね。気持ちよくしてあげよう。すごく、ね。抵抗しないで……わたしにすべてを預けて」
そしてゴードンは、まさしくその通りにした。
己の快楽のためではなく、ただただオフェーリアのためだけに、指と口と舌を使ってオフェーリアの感じる場所を次々に攻め立てた。
オフェーリアの体は官能の海にたゆたう小舟となった。ゴードンは海だ。きっともうすぐ呑み込まれる……でも、その瞬間を待ちきれない。
「あ……あぁ! い、イっちゃ……ぅぅ!」
信じられないくらいの卑猥な声がオフェーリアの口から漏れた。それくらい甘美な愛撫が、オフェーリアの全身に施されていた。
激しい男女の結合とは違う、女のためだけの甘やかな動き。
片方の胸をゴードンの口に吸われて、逆の胸を手で可愛がられる。ゴードンのもう片方の手はオフェーリアの恥部をあれこれといじっていて、花弁をつまれたり、撫でられたり、突かれたり、蜜壺を指でかき混ぜられたり……そのすべてが同時に起きて、もう、自分がなにをされているのか次第にわからなくなっていった。
オフェーリアが達して痙攣すると、ゴードンは満足げに優しく微笑み、彼女のほおを両手で包んで口づけの雨を降らせた。
「愛しているよ、オフェーリア。会いたかった……」
「あ……わ、わた……し、も」
絶頂の余韻に包まれたまま、うまく舌が回らないでとまどうオフェーリアの髪を、ゴードンは優しく撫でた。
「わかってる。わかっているよ、ありがとう。それは……わたしにとってとても深い意味のあるものだ」
ゴードンの口調はすっかり穏やかなものに変わっていた。
口調だけじゃない。再会した瞬間の必死さは影を潜め、代わりに落ち着いた……満足を覚えた、穏やかなウィンドハースト伯爵ゴードン・ランチェスターの姿があった。
全裸、で。
その裸体は、年月による緑青に飾られ、戦いを生き抜いた男らしさと、情事の後の色気に満たされて香り立つような魅力を放っていた。
「君に愛されていることが」
ゴードンは静かにささやき、オフェーリアの額に唇を寄せた。
「死に溢れた戦場でわたしを生かしてくれた。君のために……帰らなければならないと」
オフェーリアは潤んだ瞳で夫を見上げた。
ゴードンの瞳は俗にいうヘーゼル色で、金色味が強かったが、光や、感情の加減によってわずかに変化することがある。金色に見えたり、わずかに緑色がかって見えたり、薄い茶色のように見えたりする、万華鏡のようなところがあった。
今の彼の瞳は鈍くて深い金色だ……。
感情的になった時によくある色合いだった。それだけ、彼が本気でこの言葉をオフェーリアに捧げてくれている……ということ、なのだろう。
淡く微笑んだオフェーリアは、ささやきを返した。
「わたしも……いつも、あなたのことを想って……頑張ってこれたの。会いたくてたまらなかった」
「本当かい?」
「本当よ」
「浮気はしていないね?」
「まさか!」
オフェーリアは思わずカッとなって、握った拳でゴードンの肩を叩こうとした。とはいえ、その拳は当然のようにゴードンの大きな手に包まれ、効力を失う。
ゴードンは楽しそうに声を上げて笑った。
「我が妻はこの二年半で本当にたくましくなったと見える。まずは階段を飛び降りようとし、今度はわたしに襲いかかろうとする……このわたしに」
「だって……ひ、ひどいです……っ。こんなことでからかうなんて……疑うなんて……!」
オフェーリアが涙声になって抗議すると、ゴードンはぴたりと笑うのをやめた。
「すまない。疑ってはいないよ。たとえ一秒たりとも、君を疑ったことはない」
ふたりの裸の肉体はまた折り重なった。
ずしりと感じるゴードンの体の重みが愛しかった……。触れ合う肌の熱さが、乾いていた心をゆっくりと潤していく。
「すまないね、オフェーリア。ただ……あまりにも多くの裏切りを見てきたせいかな。戦場でも、この屋敷でも……」
「戦場でも……?」
その言葉に、オフェーリアはぶるっと身震いした。
男たちが命を賭して戦っている間に、その愛を裏切る女性がいた……ということだろうか。オフェーリアには信じられなかった。たとえあの戦争が二十年続いたとしても、オフェーリアは一途に待ち続けたはずだ。
(でも……)
ふと、戦時中のあの寂しさ、不安、多くの女性に襲い来る経済的困難……そういったものを思い返すと、切ないながらも理解できる部分があるのも、事実だった。比較的恵まれていたとはいえ、オフェーリアもあの困難を生き抜いた。
だから、理解はできる。同調はできなくても。
「かわいそうですね……。裏切る方も、裏切られる方も、どちらも苦しんだんだと思います」
「そうかな」
ゴードンはごろりとオフェーリアの横に転がった。大柄な彼が寝台の上で動くと、マットレスが軋み、シーツが向こう側に引っ張られる。
「君は優しいんだな。わたしには、裏切る方の苦しみとやらは、よくわからないが」
夫の視線は天井を据えていたが、見ているのはきっと、天井の塗装ではなく辛かった過去の残像だ。父親、兄、義母……。
オフェーリアは切なくなり、体をよじってゴードンに寄り添った。
──どれだけ傷ついても。
どれだけの裏切りをその目で見ても。
彼自身は、愛する者を裏切ったりしない。頑固で、誠実で、少し意地悪なオフェーリアの伯爵。それがゴードンだった。
思いが溢れて、胸が高鳴って……オフェーリアはおずおずと自分から、ゴードンの体の上に乗った。
なぜか、今度はオフェーリアがそうする番だと、そんな気がしたのだ。
ゴードンは驚きに片眉を上げた。
そして、心から嬉しそうに、オフェーリアの細腰に片手を添えた。
「まだ足りなかったかい? わたしの可愛い淫魔」
「違います」
オフェーリアはぱちりとゴードンの片手を叩いたが、彼の笑みは楽しそうに深まるばかりだった。
「誰もがあなたのように強い意志を持っているわけじゃないんです。わたしは、あなたを夫に持って幸福でした。でも、わたしの半分も幸せじゃない女性たちが、町にはいっぱいいたもの……」
「フゥン?」
ゴードンの手はオフェーリアの臀部を触りだして、あまり話を聞いていない感じがした。が、オフェーリアは続けた。
「一日の終わりが一番……あなたのことが恋しくなりました」
彫りの深いゴードンの目元が、じっとオフェーリアの裸体を見つめている。
一糸まとわぬ姿で重なり合い、決して明るくはない心の秘密を打ち明けていく。別々に生を受けたふたりの人間が、これほど親密になれるなんて、不思議だとオフェーリアは思った。
「これから夜の闇が来ると思うと、あなたのことを考えないと心が潰れそうだった……。ひとりだけでは生き抜けなかったの。あなたは誰よりも手紙を書いてくれたし、わたしの生活の助けになることを、たくさん残しておいてくれた……」
少し勇気が必要だったけれど、オフェーリアは身を屈めて両手でゴードンのほおを包み、ゆっくりと口づけをした。
「それでも、寂しかったんです。本当に、本当に」
「わたしはもうここにいるよ」
「ええ……神に感謝を。そしてわたしも、ここにいます。あなたのことだけを想って。あなただけを愛して。もう、不安になる必要なんてないんです。そうでしょう?」
離れていた心が再びひとつになるのを、肌で感じることができた。
そのまま、朝のまどろみを存分に味わった後、ふたりは服を着て髪を整え、一日の支度をはじめた。
そんなありふれた日常の活動が、今はなによりも貴重で、愛しい。
べっ甲製の櫛で髪を整えているゴードンに、オフェーリアは黙って見惚れていた。その彼がふと、なにかを思い出したようにオフェーリアを振り返った。
「そういえば、ハロルドの容態については、なにか聞いているかい?」
「え」
オフェーリアは驚いて息を呑んだ。
ハロルドが嫌いな訳ではない。ゴードンの数少ない親友のひとりだし、少なくとも最初のうちのハロルドは優しかった。ただ、ここ一年ほどの執拗な求愛行為が、ひどく迷惑だっただけで……。
このことは、多分、ゴードンは知らない方がいい。
少なくとも、今はまだ。
「いいえ……数ヶ月前に一度、ここにいらしたきりです。なんでも肺の病がかなり重いとか……お医者様は、あまり長くはないとおっしゃっていると……そんな話を聞きました」
「そうか……」
ゴードンは心底無念そうな顔をした。
無理もない。血みどろの戦場から帰ってきたばかりなのに、今度は平和だったはずの故郷に残っていた大の親友が、死の床にいる。泣きっ面に蜂とはこのことだ。
「お見舞いに行きますか? あなたが帰ってきたのを見れば、ハロルド様も少し勇気づくかも……」
「そうかもしれないね。君も来るかい?」
──ここでイエスと答えていれば、オフェーリアの運命は変わっていたかもしれない。
でも、オフェーリアは無垢すぎた。
純粋すぎた。
紳士であるハロルドが嘘など吐くはずがないと、勝手に盲信していた。ゴードンがそれを信じるはずがないと、愚かにも信頼していた。
「ゴードン、わたし、これだけ……そ、その……体を使った後に、馬や馬車には乗れません。それにハロルド様のご容態も、たくさんの人に会えるようなものではないと思いますから……」
だから、わたしのことは気にせずに、お見舞いに行ってきてください。
オフェーリアはそう告げた。
ゴードンは……では、夕方までには帰るよ、今夜はふたりきりでロマンチックな夕食を食べよう……そう約束して、ウィンドハースト邸を発った。
その夕方、帰ってきたゴードンは、もうオフェーリアの知るゴードンではなかった。
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