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プロローグ
02.
しおりを挟むゴードンの耳にはしばらくどんな音も入ってこなかった。やがて沈痛な耳鳴りがしだして、ゴードンの絶望をさらに決定的なものにしていった。
両手で顔を覆い、天井を仰ぐ。
数え切れないほどの疑問がゴードンの頭の中を回っていた。
──オフェーリア。
どうしてこれほどまでにお前が愛しい?
どうして、それほどまでにわたしを愛してくれていたなら、ハロルドに体を許した? それとも、あれは本当に誤解だったのか? わたしはお前を許せるだろうか?
お前は、わたしを、許せるだろうか?
答えはない。
答えはすべてオフェーリアが抱え、ゴードンの手の届かないところへ消えてしまった。流し方などとっくに忘れたと思っていた涙が、溢れてきそうだった。
「それだけではないのです、ゴードン様。実は数日前……意外な人物からあなた宛に手紙が届きまして、あなたがいつ頃帰ってこられるのかまったく予想がつかなかったものですから、わたしが開封させていただきました」
チョーサーの声に、ゴードンは顔を手で覆ったまま首を振った。
「手紙などに気をかけている気分ではない。すべては、オフェーリアを見つけ出した後にまとめて処理をする」
「こちらがその手紙です」
しれっとゴードンの否定を無視したチョーサーは、上掛けの内ポケットに忍ばせてあった紙切れを手渡してきた。この執事の内ポケットは小宇宙のようなもので、屋敷を切り盛りするために必要な、ありとあらゆる書類や手紙や一筆書きが隠されている。
「受け取った時は驚きまして、悪趣味な悪戯かと思ったほどです。しかし、ご本人の筆跡に間違いないと存じます。何度も見たことがありますから」
のっそりと姿勢を戻したゴードンは、不機嫌を絵に描いたように憮然とした顔でその手紙を奪い取った。
仰々しく赤蝋で封されたビジネス上のやり取りを想像していたのに、それは一枚の薄っぺらい個人的な手紙だった。不審に思って裏返すと、差出人の名前が癖のある筆記体で短く記されている。
『ハロルド』
「なん……だと……?」
声が乾いて割れ、紙を持つ指が震えた。
数ヶ月前に亡くなった親友の名前だった。否、親友だと信じていたのに、ゴードンが戦地に赴き不在にしている間に、妻を寝取った裏切り者……。
そんな男からなぜ、いまさらゴードンに手紙が届く?
どこか憐れむように頭を下げ、じっとこちらに視線を注ぐチョーサーに見守られながら、ゴードンは素早く四つ折りにされていた手紙を開いていった。
『ゴードンへ
わたしは今、死の床でこの手紙を書いている。わたしはもうすぐ死ぬ。二年以上も最前線にいた君が生き残り、こうして平和な領地に残っていたわたしが先に死ぬとは、なんとも皮肉なことだ。
数時間前、わたしは戦地から戻ったばかりの君と会話をした。
内容をここに記す必要はないだろう。
君は怒り狂い、わたしの言葉を信じて、悪魔のような形相でわたしの寝室を出ていった。君のご立派な屋敷へ。君の美しい妻の元へ。
ゴードン。
君は物心ついた時からわたしの親友だった。隣り合った領地の伯爵の息子同士、そうなるのが運命だったのだろう。たいていにおいて、わたしは君を好いていたし、君との友情を大切に思ってきた。
しかし君は知らないだろう。
わたしは常に、君に嫉妬をしていた。
君の強靭でたくましい肉体に。物怖じをしないその性格に。豊かな領地に巨大な屋敷に。そのどれもが、わたしにはないものだった。
それでもこの程度の嫉妬は、友人同士にはよくあることだ。君だってわたしに健全な両親がいたことを嫉妬していただろう。
しかし、それだけではない。
わたしは君が妻に迎えた若く美しいオフェーリアに懸想したのだ。信じられないだろうが、その思いは君の想像をはるかに超えるほど深く激しいものだった。
わたしは彼女が欲しくてたまらなかった。
そして、君が戦場へ向かったのをいいことに、彼女を誘惑しはじめたのだ。
あらゆる手を使ったつもりだった。我が家の家宝である宝石を送り、恋文をしたため、無作法な訪問を繰り返し、彼女を懐柔しようと必死に努力した。
すべては無駄だった。
いいかい、ゴードン、君の妻はわたしに興味を示さなかった。時にわたしを優しくなぐさめ、時にわたしを叱咤し、時に笑いながらこんなことは時間の無駄だと諭そうとした。
意地もあったのだろう。そうやってあしらわれるたびに、わたしの想いはより一層強くなっていった。
一年が経ち、二年が経とうとするころ。
終戦の噂が立ちはじめ、同時にわたしの肺の病は悪化していった。こっそり聞いてしまった医師の見立てでは、終戦まで持つか持たないか……という儚さだという。
わたしはこの悪戯を思いついた。
この復讐を。
この手紙は、わたしの死後ちょうど三ヶ月後に君に届くよう手配している。三ヶ月。激しやすい君が彼女をぼろぼろにするには、十分すぎる時間だろう。
もしかしたら殺してしまっているかもしれないな。そうすれば、僕はついに君を出し抜いて、彼女と同じ世界にいられるわけだ。
君は存分にオフェーリアを傷つけただろう。これが私の叶わぬ愛への復讐だったとも知らずに。
ハロルドより』
その呪われた手紙は、散りゆく花びらのようにゴードンの手をすり抜け、足元に落ちていく。
ウィンドハースト伯爵ゴードンの狂気じみた雄叫びが、灰色の冬の空を震わせるようにとどろいた。
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