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Let Me Fall - 3
しおりを挟むウッドヴィルの街は、伯爵家の馬車を迎えて陽気に湧いた。
通りで遊んでいた子供たちはそろって馬車を指差し、男たちは帽子を脱いで胸に置いて敬意を示し、若い娘たちは黄色い声の混じったひそひそ話を始める。
御者台からローナンが手を振ると、娘たちの声は甲高い悲鳴へと変わった。
馬車はそのまま街の中心まで進み、中央に噴水のある広場に入ると、ゆっくりと止まった。
バレット家の馬車は、都会の者から見れば何の変哲もない質素な造りだった。しかし、この小さな街では屋根付き馬車というだけで十分な憧れの対象になる。多くの者は馬に素乗りするか、木材を組み立てただけの荷台で満足している小さな世界だ。
広場に集まったいくらかの見物人に囲まれて、ローナンはすらりと御者台を降りた。
ここまでの道程にたっぷり時間をかけたおかげで、時刻はもう昼近くをさしている。ローナンは頭上の太陽を仰いでそれを確認した。
その間、ローナンは一度も休憩を取らなかった ウッドヴィルの街は、伯爵家の馬車を迎えて陽気に湧いた。
通りで遊んでいた子供たちはそろって馬車を指差し、男たちは帽子を脱いで胸に置いて敬意を示し、若い娘たちは黄色い声の混じったひそひそ話を始める。
御者台からローナンが手を振ると、娘たちの声は甲高い悲鳴へと変わった。
馬車はそのまま街の中心まで進み、中央に噴水のある広場に入ると、ゆっくりと止まった。
広場に集まったいくらかの見物人に囲まれて、ローナンはすらりと御者台を降りた。
ここまでの道程にたっぷり時間をかけたおかげで、時刻はもう昼近くをさしている。ローナンは頭上の太陽を仰いでそれを確認した。
その間、ローナンは一度も休憩を取らなかった──つまり、もう結構な時間、問題の二人は狭い密室の中で二人きりだったということだ。
(なにか成果はあったかな)
確かに馬は駆ったが、ローナンは正式な御者でもなければ、使用人でもない。
目的地に着いたからといって、うやうやしく馬車の扉を開けてやるような真似をするつもりはなかった。しかし馬が完全に止まってしばらくしても扉は閉ざされたままで、彼は大勢の見物人たちの前で立ち尽くすことになった。
(……え、と)
遠巻きに集まっている見物人に適当な愛想笑いをしながら、ローナンは待った。
扉は閉ざされたままだった。
(もしかして、期待以上の成果があった……とか)
いくら待っても内側から扉を開こうとする気配がないのが分かって、ローナンはだんだん、期待と不安が混ざった落ち着かない気分になってきた。見物人たちの存在がそれを煽る。
しばらく待ってみたが、扉が開く気配はない。
ローナンは今さらこちらから扉を開けてやるのも癪な気がして、ゴホンと大袈裟な咳をすると、小窓を軽く叩いてみた。
反応はすぐに返ってきた──領民の目の前で、冷静沈着で名高い、罵り言葉とは無縁の穏かなノースウッド伯爵の怒声が響いた。
「ローナン、このくそが! 少しぐらい待てないのか! 首をへし折るぞ!」
ローナンは精一杯の笑顔を作って、目を点にしている領民たちを振り返り、微笑みかけた。
さも、今のは皆さんの空耳ですよと言わんばかりの爽やかさで。
*
「これ……チクチクします、ノースウッド伯爵。まるで藁わらを巻き付けているみたい」
「文句ならローナンに言いなさい。どうやら全ての元凶はあいつのようだからな。次に奴が何か入れ知恵をしようとしたら、その感覚を思い出すといい」
エドモンドに言われて、オリヴィアは、分かったような分からないような神妙な気持ちでうなづいた。
オリヴィアの首周りには布が巻かれている。
布こそ真紅のベルベットだが、その端は糸があちこちに飛び出していて、なかなか個性的な見栄えだ。それもそのはず、その即席のスカーフは、エドモンドが馬車の座席の張り布を引きちぎって作った苦肉の策のなれ果てだったからだ。
おかげで馬車の中は熊に襲われた後のようなあり様だった。
それでも、妻の胸元を他の男から隠すことにつながるなら、エドモンドに悔いはない。
「私から離れないようにするんだ」
「はい」
妻が素直にうなづいたので、エドモンドはついに覚悟を決めた。
馬車の扉を開くと、まず、気持ちのいい新鮮な風が吹きぬけてくる。エドモンドは慣れた仕草で馬車から降り立ち、あたりの見物人を見渡した。危険がないのを確認すると後ろを振り向き、オリヴィアのために手を差し出す。
オリヴィアはすぐにエドモンドの手を取って外に顔を出した。
こういう時の彼女の立ち居振る舞いは、都会育ちらしく洗練されていて、見物に来ていた街人たちに息を飲ませる……美しいレースに身を包んだオリヴィアが地面に降り立つと、見物人たちは感嘆の声を漏らした。
「おんや、まあ!」
と、どこかの果物売りが声を上げた。「もぎたての桃みたいに美味しそうな娘っこだね!」
それに反論する声は一つも聞こえなかった。
オリヴィアはまず周囲の見物人たちを見回して、それからエドモンドを見上げた。
彼もオリヴィアを見下ろしている。
「……紹介して、いただけますか?」
控えめだが明るい口調でオリヴィアがねだると、エドモンドは短い溜息と共に前を見すえた。
群集の中にいくつか見知った顔が並んでいたので、その中から最も年配の、最も害のなさそうな男を選んでその前に進み出る。
「オリヴィア、こちらは元町長のヘンリック氏だ」
ヘンリック氏には歯がなかった。
町長だったというのも、多分百年くらい昔の話だろう。干からびたスモモのような肌で、白内障のためか目が白く濁っている。しかし優しそうな顔付きの老人だった。ヘンリックは震える手をオリヴィアに差し出した。
「ヘンリック、こちらはオリヴィア・バレット──私の妻だ」
エドモンドが紹介すると、ヘンリックとオリヴィアは手を握りあった。
「オリヴィアと申します。どうぞよろしくお願いします」
「光栄ですぞぉ、レイディ・ノォースウゥッド」
そう言って、ヘンリックはさらに何かありがたそうな祝辞をもごもごと続けたが、方言のようなものが混じっていてオリヴィアにはよく分からなかった。助けを求めるようにエドモンドを見たが、彼は軽くうなづくだけだ。
元町長と手を握り合う伯爵夫人を、町人たちは遠巻きに見ている。
とにかく重要なのは、エドモンドがオリヴィアを妻と公言したことだ。これで誰もがオリヴィアを新しい伯爵夫人として受け入れることになる。
ある者は驚きをもって。ある者は歓喜をもって。そして少数ではあるが、ある者は嫉妬の混じった感情をもって、ウッドヴィルはオリヴィアを歓迎した。
ローナンは笑いを堪えるのに必死だった。
オリヴィアを紹介する相手に老ヘンリックを選んだのも愉快だが、どうも兄は、新妻の胸元を他の男たちに見せるだけの心の広さは持ち合わせていなかったらしい。
可哀想なオリヴィアは年季ものの馬車の張り布を首のあたりに巻き付け、まるで変わった鶏のような姿にされている。ただ幸いなことに、この田舎町では、一種のファッションとして受け入れられているようだった。都会だったらこうはいかなかっただろう。
エドモンドはぴったり彼女の後ろに張り付いて、警戒するような視線を四方に巡らせている。
多分、オリヴィア以外の全員が気付いているはずだ。
オリヴィアはエドモンドのものであり、彼女に手を出そうとする者は誰であれ、かなり厄介な目にあうことになる……と。
感心したくなるほど器用に若い男を避けながら町人に挨拶して歩くエドモンドを少し離れたところから眺めていたローナンだが、ふと、人垣の向こうにマーガレットの顔を見つけて首を伸ばした。
──仕立て屋の女主人は、早くオリヴィアを紹介して欲しくて痺れを切らしているようだった。
「分かっていますよ」
と、ローナンは遠くから呟いて見せた。
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