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Whatever It Takes - 1
しおりを挟む蝋燭の炎が揺れて、ベッドのすそに落ちる二人の影をゆらりと動かした。
オリヴィアのドレスは濃い緑色で、エドモンドの白いシャツの隣でよく映えている──まるで、寄り添いあうのが自然の摂理であるかのように。
エドモンドの思いがけない提案に、オリヴィアは息を潜めて彼の続きを待っていた。
二人きりの寝室は静かで、ほんの少しの動きや呼吸の音でさえ驚くほどよく響く。
エドモンドは真っ直ぐにオリヴィアを見下ろしながら、上半身を彼女の方へ向け、わずかに二人の距離を縮めてきた。すると、いままで迫っていたのは自分の方だったにも関わらず、オリヴィアはどきりとして少し背を反らした。
そのくらい、エドモンドの瞳が真剣だったのだ。
火傷をしてしまいそうなくらい。
「バレット家には呪いがある──。少なくとも、私はそう思っている」
オリヴィアは息を呑んだ。
彼の瞳が、この世のものとは思えないくらい深く沈んでいるように見えたからだ。悲しみと後悔。そんなものがうつろに浮かんでは沈み、なにか……もしくは誰かに、救われるのを待っている。
オリヴィアはなぜか、急に彼の髪を漉いてあげたい衝動にかられたが、今はまだその時ではないような気もして、ぎゅっと両手を握って辛抱した。
エドモンドの声は平静だった。
──平静すぎた。
彼が無理をしているのがピリピリと伝わるくらいに。
「なにから話すべきだろうか。私が身を持って知っているのは、祖父の代からの話だ。それ以前についてはあまり知られていないし、私も、自ら調べる気にはならない」
今夜、屋敷は特別静かだった。
外はもう暗く、漆黒の闇がカーテンの隙間から音もなくのぞいている。
オリヴィアはいつだって夜よりも昼のほうが好きな人間だったけれど、今は……夜の静寂がありがたかった。彼の言葉を一言だって聞き逃したくなかったから。
「私の祖父は母親を知らない男だった……祖父の母、つまり私の曾祖母が祖父を産んだときに亡くなったからだ。彼が最初の子供で、兄妹も姉妹もいない。成長した彼は地元の名家の娘と若くに結婚した。屋敷に女手が必要だったこともあるし、彼自身、身近な女性の存在を必要としていたのだろう」
エドモンドは少しだけ眉をあげて、オリヴィアの全身をゆっくりと眺めながら言った。
その仕草はまるで、オリヴィアの中に思い出を探しているようにもみえる。
「その方がノースウッド伯爵とローナンのおばあさまなのですね」
オリヴィアは静かに聞いてみた。
「そういうことになるだろう。私は一度も会ったことがないので、その事実以外は何も知らないが」
「え……」
「彼女もまた、最初の出産で亡くなっている。つまり、私の父を産んだときに」
心臓が跳ねるように強く脈打つのを感じて、オリヴィアは一瞬、息を呑んだ。
一度速まりだした鼓動は、坂を転げ落ちる小石のようにどんどん速度を上げて、オリヴィアの平常心を素早く奪っていく。ただしまだ、ある事実がオリヴィアの興奮を押し留めていた。
「それが……それが『バレット家の呪い』だと仰るのですか? 曽祖母さまも、おばあさまもご出産で亡くなったことが?」
「それも、どれも最初の出産で、だ」
「でも、でも、ノースウッド伯爵のお母さまは違ったのでしょう?」
オリヴィアはすがるように言った。「あなたにはローナンがいます。弟が」
しかしエドモンドの答えは、オリヴィアが期待したよりもずっと冷酷なものだった。
「いいや、マダム。私とローナンは母親を共にしていない──異母兄弟だ。私の母は私を産んだときに、ローナンの母はローナンを産んだときに、亡くなっている」
オリヴィアはついに言葉を失った。
沢山の感情の波がいっぺんに押し寄せてきて、そのまま流されてしまいそうになるのを押し留めるのがやっとで、何も答えられない。
それでも、オリヴィアにとってもっとも衝撃的だったのは、所謂『バレット家の呪い』そのものについてよりも、エドモンドの傷付いた瞳だった。底のない悲しみの谷を覗き込んでいるような瞳。
深い緑──孤独に凍える悲しみの色。
「正確には、私たちは異母兄弟であり、同時に従兄弟いとこだ。ローナンの母、モニカは私の母の妹だった。彼女は私の母親代わりだった……しかし私が六歳のとき、ローナンを産んですぐに帰らぬ人となった」
複雑な人間関係を頭の中でなんとか整理して、オリヴィアは小さく頷いた。
現実はちっともオリヴィアを慰めなかったし、もちろん、エドモンドをも、だ。彼は短い、諦めきったような溜息を吐くと、軽く頭を振って説明を続けた。
「祖父は妻を失ったあとの悲しみで領地から失踪していた──。残された私の父は幼い頃から領主の荷を背負わされ、とんでもなく頑なな男に成長した」
エドモンドは口の端を上げて皮肉な笑いを見せた。「私のように」
オリヴィアは無言で首を横に振ったが、エドモンドの皮肉な笑いは消えないどころかますます深まるばかりだ。
「父は呪いを信じようとしなかった。本当なら私の母が死んだ時点で諦めるべきだったのだ……しかし、彼は妻に先立たれた悲しみを追い払おうとするように、妻の妹と再婚した。呪いなどないと証明してみせるとまで言って」
ここで、エドモンドは一息置いた。
短い沈黙ののち、エドモンドは一層低い声で唸るように続けた。
「モニカは若く健康的だった……。姉が死んだあと、甥である私の面倒を見るためにここに住み込み、荒れかけていた屋敷の面倒を全て見ていた。マギーが前ノースウッド伯爵夫人と呼ぶのは彼女のことだ。明るく頭のいい女性で、私には母も同然だった。多分、ローナンの性格は、彼女譲りなのだろう」
「…………」
「彼女も呪いを信じていなかった。もしくは、信じていてもそうでないフリをしていたのかもしれない。私は彼女の妊娠を知ったとき、子供心にも不安で仕方なかった。しかし彼女は大丈夫だと言って聞かなかった。私と、新しく生まれる弟か妹と、三人で遊ぼうと約束して。そして、」
『そして、』
その続きを聞くのが怖くて、オリヴィアはほんの少し首を左右に振って、エドモンドの言葉をさえぎろうとした。
エドモンドは逆にどんどん饒舌になった。
過去の秘密を告白することで、悲しみが消えるとでも言いた気なほどに。でも、エドモンドはこれから、思い出の中の最も苦しい部分を吐き出そうとしている。それが分かったから、オリヴィアはエドモンドの為に、ここで話を終わりにして欲しいと思った。
うるんだ瞳でエドモンドを見上げるオリヴィアに対し、エドモンドの瞳は怖いほど乾いている。
「ある、三月の夜だ。私は初めて弟に会った。そして同じ夜に第二の母親を失った。彼女は最期に私を枕元に呼んで、約束を守れなくてごめんなさいと謝ったあと、弟を頼むと言い残して、私の目の前で息を引き取った」
大粒の涙が、オリヴィアの瞳からまっすぐに零れた。
エドモンドはそれを見て、彼女の頬に手を差し伸べた。親指の甲で流れる涙の筋をふきとり、オリヴィアを優しく見つめたまま呟く。
「私は、彼女との約束を守っていると思うが、どうだろう」
穏かな声だった。
低く、落ち着いていて、信頼できる者の声。
オリヴィアは小さく頷いた。
「ええ……あなたはローナンの素晴らしい兄だわ。彼もそれを知っています。あなたを慕っているもの」
「ありがとう」
同じ穏かな声で答えたエドモンドは、そのまま膝元にあったオリヴィアの手を取り、その滑らかな肌の上を愛しそうに撫でた。
あれは静かな夜だった──。ちょうど、今夜のように。
よく磨かれた象牙のような……滑らかなオリヴィアの肌の感触を手の中に感じながら、エドモンドはまぶたを伏せ、あの夜のことを思い出していた。
もう三十年も昔の話になる。
それでも、記憶は刻一刻と鮮明になるばかりで、エドモンドを許しはしない。いつも、いつも。
あの夜を境にエドモンドの父は変わった。
最初から厳しく頑固な男ではあったが、それでもいくぶんかの愛情を持っていた──あの夜までは。それが、酒びたりになり、領地の管理を放棄し、十年も経たないうちに暴酒がたたって亡くなったのだ。
おかげでエドモンドは、まだ少年と呼んでもいいようなうら若き十六歳の冬に、爵位と領土を継承した。荒れ果てたノースウッドを。土地は周辺の領土に切り売りされ、家畜は痩せ細り、森は枯れ、目も当てられない状態だった領地。
そして、エドモンドは過去二十年間を、ノースウッドのために捧げてきたのだ。
そうすることで何かを──過去を──変えられるような気がして。
しかし、今、エドモンドの目の前にはオリヴィアがいる。
そして祖父や父が犯したのと同じ間違いを、犯そうとしている。
「オリヴィア」
エドモンドは自分がそう言うのを聞いた。
心から想いが溢れて、勝手に口が動いているような感覚だった。
「さあ、私の告白を聞いただろう。あなたには私から離れる百万もの理由ができたわけだ……。私を好きになどなるべきでない理由が」
「そう……そうでしょうか」
「リッチモンド家に戻ることもできる。愛人を作ることも」
二つ目の提案に、オリヴィアは驚いて両目を見開いた。
『そういう』貴族が多いことはよく知っている。姉のシェリーはよく、まるで天気の話のようにあけっぴろに、既婚男性が彼女を誘う話をしていたし、社交界に行けばいくらでもその手の話題はあるものだ。
でも、そんなことできるわけがない……。
彼らは寂しい人たちなのだ。結婚に愛を見つけられなかった孤独な人たち。
オリヴィアは違う。
オリヴィアは、エドモンドが好きだ。彼を──愛している。
「ノースウッド伯爵……」
怖いとは思わなかった。
オリヴィアは女だから、エドモンドとは違う視点で、バレット家の歴史を理解できたから。
──きっと彼らには、それだけの価値があったのだ。
自らの命を失うかもしれなくても、それでも愛するだけの価値が、ノースウッドの男たちにはあったのだ。ちょうどオリヴィアが、エドモンドにたいして抱くのと同じだけの愛が。
蝋燭の炎は揺れ続けていた。
二人を淡く照らし、過去と未来のあいだを行き来して、不確かに震える光とともに。
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