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It Happens In A Forest - 1
しおりを挟むエドモンドは静かにオリヴィアを見下ろしていた。
身動きもまばたきもせず、まるで森の木々の一部になったように立ち尽くしている。動くのは風に揺れてなびく彼の髪だけだった。
わずかに茶色の混じったエドモンドの濃い金髪は、生気に溢れた艶やかさを持っており、その色合いも相まって、淹れたての紅茶のようにオリヴィアの心をくすぐり、誘う。
彼からはとてもいい香りがする、ということにオリヴィアは今気付いた。
緑と土の匂いと、清潔な石鹸の香り。
まぁ、石鹸に関しては、先日オリヴィアが間違えて商人に注文しすぎてしまったせいで、屋敷中に匂いがたちこめているせいもあるのだろうけれど。
とにかく、エドモンドの視線はいっそ頑固なくらい強くオリヴィアに固定されていて、動かない。眼力で物が燃やせるとしたら、きっとオリヴィアはもう灰になっているだろう。オリヴィアも熱心に彼を見つめ返した。
「ノースウッド伯爵……。そんなに睨まなくても、なにも変なものは入れてませんから、安心してください」
「睨んでいるわけではない。昼食について心配しているわけでも」
「では、行きましょう。歩いていける距離でしょうか?」
オリヴィアはとにかく気丈なところをエドモンドに見せたくて、彼の腕から手を離すと、前に進もうとスカートの裾を持ち上げて歩き出した。
──急にくらりと立ちくらみがして、膝から崩れ落ちそうになったのはその時だ。
「……っ」
倒れる! しかもエドモンドの目の前で。
オリヴィアは息を呑み、最悪の瞬間を覚悟した。──ああ、やはり『使えない』脆弱な都会の小娘だと彼に呆れられる。
倒れてはだめ。でも、立っていられない……。
貧血に意識を手放さざるをえなかったオリヴィアは、そのまま目を閉じた。
また服を汚してしまうと、そんなことをぼんやり遠くに思いながら、身体が土の上に投げ出される瞬間を待つ。しかし、どういうわけか、その瞬間はなかなか来なかった。
その代わりに、気持ちのいい香りが再びオリヴィアの鼻腔をくすぐった。そのうえ二の腕の付け根にがっしりとした力を感じて、オリヴィアは不思議に思い、しばらくの躊躇のあと……ゆっくりと目を開いた。
「まったく……あなたは私の息を止める才能があるらしい」
という、エドモンドの声が聞こえた。それも、息がかかりそうなほど近くに。
「ノ、ノースウッド伯爵」
オリヴィアはエドモンドの腕に横に抱きかかえられていた。
それを自覚するのに長い時間はかからなかった。エドモンドの彫りの深い男性的な顔は、オリヴィアの目と鼻の先にあって、背はしっかりと彼の腕に支えられている。
助けてくれたのだと、すぐに分かった。
「あ、あの……は、は、離し……」
離してくださいと、オリヴィアは言おうとした。
それは条件反射のようなもので、別にエドモンドの腕が嫌だとか、居心地が悪いから離してくれという意味ではなかったけれど、エドモンドは渋い顔をして眉間に皺を作ると、頭を振った。
「しばらくこうしていなさい。こうしているのが嫌な気持ちは、分かるが」
エドモンドは優しく言った。エドモンドが、優しく、言った。
オリヴィアは、まだ少しぼんやりとする意識の先に、エドモンドが彼女の帽子の紐を緩めるのを感じた。あごの下で結ばれていたリボンがするりと解かれ、帽子が地面に落ちそうになる。エドモンドは器用に、オリヴィアを抱いているのとは別の方の手で、帽子のつばを掴んで落とさなかった。
そしてオリヴィアの胸の上に、被せるように、そっと帽子を置く。
一連の動作はとても自然で──オリヴィアの直感が間違っていなければ──とても愛情深い動きだった。
「少し、こうして休んでいなさい。あなたはよく頑張った」
そう言うと、エドモンドはオリヴィアを抱いて立ったまま、空を仰いだ。
実際の空は木の葉に隠れていて、見えるのはただ背の高い木々の枝ばかりだったが、エドモンドはしばらくそうして上の方を見ていた。
鳥が枝から飛び立って、カサカサと木を揺らすのが聞こえる。
木漏れ日は風にしたがって踊り、二人を気紛れに照らしていた。静かで平和な昼下がり。
オリヴィアはしばらく、ぼうっとエドモンドの喉元あたりを見ていた。白くて細い自分の首とは似ても似つかない逞しい造りに、一種の神秘を感じてしまう。
同じ人間なのに、神さまはずいぶん彼を贔屓なさったんだわ、とオリヴィアはぼんやりと思った。近くで見つめ続けていると、エドモンドはそのくらい美しい。都会によくいる垢抜けたブロンドのハンサムとは違った、もっと原始的な美しさだ。男性そのものの美しさ。
綺麗に刈られた芝生ではなくて、荒々しく切り立ったむき出しの崖……。
美しいけれど、近づいては危険なもの……。
「あの……」
オリヴィアが小声で呟くと、エドモンドは視線を彼女に戻す。「もう大丈夫です。少し、立ちくらみがしただけなので」
「あなたはまだ顔色が悪いように見える」
と、エドモンドは不機嫌に返した。
このとき気付いたのだが、エドモンドの喋り方にはいつも断定の響きがある。相手に是非を尋ねたり、同調を求めたりといった、女っぽい喋り方を滅多にしないのだ。彼の領主魂は本物らしい。つまり、反論はあまり賢い選択ではない、ということだ。
「もう少しだ……。もう少しだけでいい、こうしていなさい」
エドモンドの言葉に、オリヴィアはなぜか心地のいい疲れを感じた。
そして、こうして二人で寄り添っていることが、どうしてだろう……まるで正しい運命のように思えた。
数分後、さすがのエドモンドもオリヴィアを開放し、二人は昼食の場を探しに森の中を歩き始めた。といってもそれは近場で、すぐに辿り着いた。
森の中に小さな丘のようなものがあって、その周辺だけ開けている。
ただ、まるで飾りのような若木がちょこんとその丘のてっぺんに伸びていて、おまけに座りやすそうな長さのすべすべの石がその若木の隣に座っている。
「ここですか? 素敵な場所ですね。小人が現れそうだわ」
「あいにく小人が現れたことはないが、リスは多い。あの石に腰を下ろしていなさい。荷物は私が運ぼう」
オリヴィアは石の上に座り、エドモンドは若木に背を預けて地面に腰を下ろしながら、二人は昼食をとるという運びになった。
エドモンドがバスケットを開く。
おもむろに出てきたオリヴィア作のサンドウィッチはひじょうに個性的で、中身は生のほうれん草とチーズというものだった。ほうれん草がギザギザに切られたパンの間からこぼれ落ちんばかりに挟まれていて、なかなか野性味溢れる見栄えだ。
それに、水で薄めたワインの皮袋(きちんと閉められていなかったので、こぼれていた)。
そしてつまみ用のナッツ類(これも外に飛び出して、粉々になっていた)。
ほうれん草の水洗いが十分でなかったのか、サンドウィッチを振るとわずかに砂が落ちてくる......。
嗚呼!
オリヴィアはすっかり意気消沈して、泣き出したい気分になった。先程はオリヴィアがエドモンドに声を上げたけれど、今度は彼がオリヴィアにそうしても文句は言えない番だ。
今朝これらを用意したときは、何故か完璧に見えたのに!
「お屋敷に戻るべきでしょうか、ノースウッド伯爵」
できるだけ誠意を込めて、オリヴィアは謝った。「昼食のバスケットを用意するのは初めてだったんです。許していただけますか」
肩を落としているオリヴィアに、しかし、エドモンドの返事は意外なものだった。
「あなたが謝る必要はどこにもない。私は、いただこう」
そう言って、まるで普通のサンドウィッチに噛り付くように、オリヴィアのサンドウィッチを頬張った。
「ま、まぁ……」
「あなたも、砂が気になるならチーズとパンだけにするといい。あとで果実を取ってこよう」
「そ、それは嬉しいです。でも、あの、無理なさらなくても……」
「マギーのスープよりずっと美味だ」
かなり真剣な口調でエドモンドがそう言ったので、オリヴィアはつい、緊張を忘れて笑い出した。
オリヴィアの明るい笑顔を見て、エドモンドは顔を崩す。
「まさか、私が本当にあのレバーのなれ果てを好いていると思ったのか?」
それは、エドモンドが初めてオリヴィアに見せる、笑顔、そして親しげな口調だった。
「ノースウッド伯爵……」
オリヴィアは呟いた。
そして気付く。私はこの男性を愛している──。もう、どこにも逃げ道がないほどに。
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