21 / 22
第四章 汝、燃え尽きるまで
熱風 3
しおりを挟むよく見ると、デラールフは紐を通した麻袋をリュックのように肩に掛けている。普段はあまり物を持ち歩かないデラールフだが、その麻袋はいっぱいで重そうだった。それをどさりと床に置くと、デラールフはローサシアを室内に手招きする。
ローサシアはそれに従った。
──帰ってきてくれて嬉しい。
──ハイデンを追い払ってくれてありがとう。
そう彼の帰りを喜んでいいはずなのに……喜びたいのに……ローサシアは不安に襲われた。ハイデンの言ったことが忘れられない。国王軍がデラールフを欲している?
そんなことが、あり得るだろうか?
いや……今日までそれがなかったことの方が、不思議なのかもしれない……。
「そんな顔をしないでくれ、ローサ」
よっぽど杞憂が顔に出ていたのだろうか、デラールフはそう言って、ローサシアを安心させるために小さく微笑んだ。その優しさに胸が切なくうずく。
デラールフは居間の代わりになっている調理場と食卓のある部屋で足を止めると、ローサシアをじっと見つめた。
二十代半ばの彼が成長するはずがないのに、そのときのデラールフは一週間前よりさらに大きくなっているように感じられた。
そんなことがあり得るだろうか?
もしかしたら彼が醸し出す雰囲気が……ずっと大人っぽく……垢抜けてきたからかもしれない。
なんだか急にデラールフが遠く感じられて、ローサシアは緊張した。
「話ってなに……?」
「まずは聞きたい。俺がいない間、どうしていた? なにか……変化のようなものはなかったか?」
最後だけ、デラールフの声が少し裏返ったような気がして、ローサシアは首をかしげた。
「ううん、変化なんてなにもないわ。退屈な女学校へ行って、帰ってきたらお父さんと本を読んだりお母さんの手伝いをしたり……。この季節だもの、ひとりじゃ森へは入れないから、ずっとデラの帰りを待っていたわ」
そこまで説明して、ローサシアは我慢できなくなった。「どうしてなにも言わずに一週間もいなくなったの? どうして行き先さえ教えてくれなかったの? どこで誰といたの? どうして──」
まるで責めるような口調になっていることに気づいて、ローサシアはそこで口をつぐんだ。
重い女だと思われるかもしれない。いや……そもそも女だとは認識されていないのだろうけれど……。
「だから、そんな顔はしないでくれ。ローサ」
デラールフはささやくように優しく言った。
「どんな……顔?」
「急に大人になってしまったみたいな」
「でも、わたしはもう大人よ。十七歳になったんだもの。いつまでも子供扱いしないで」
「俺にとってお前はいつまでも小さなローサだよ。それはずっと変わらない」
デラールフはローサシアの全身を上から下までじっと観察して、つぶやいた。「……と、思っていたいんだ」
「それは……どうして?」
デラールフは数秒、答えにつまったあとに歯切れの悪い返事をした。「さあ、兄として……かな」
ローサシアは不満にプウっと頬を膨らませた。兄と妹。いつまでも小さなローサ。デラールフばかりが大きくなって、垢抜けて、世界を知って遠くへ行ってしまう。
そんなのは嫌だった。
でも現実だ。
「……それで、デラはずっとどこへ行っていたの? ハイデンが言っていたことは本当なの? 国王軍がデラのことを欲しがっているって。もう帰ってこないかも、なんて言ってたのよ」
──嘘でしょう? 嘘だと言って……。
そう願っていたけれど、デラールフはすぐに否定しなかった。なにをどう説明するべきか考えているように、ローサシアを見つめながら片手で口元を覆って、顎の辺りをさする。
その仕草にもドキドキしてしまい、問い詰めたいのにできなかった。
「国王軍が俺を欲しがっているという話は……少し語弊がある」
結局、デラールフはそんな曖昧な表現を使った。
「違うの?」
「違う。少なくとも、違った」
「どういう……意味?」
「俺は志願したんだ、ローサ。自分の意思で首都まで選抜試験を受けに行った」
ローサシアは頭をなにか固いものにぶつけたような衝撃を受けた。──志願?
「ど、どうして!?」
「国王軍が《能力》のある人間を募集していた。それで、自分の力がどこまで通用するかどうか試してみたいと思った。手当も出るというし」
「それで……?」
「いくつか課題や任務を割り与えられて、俺はそれをこなした。先方は……それなりに評価してくれたんだろう。軍に入れと言われたが──」
長くて深いため息を吐きながら、デラールフは両腕を胸の前で組んだ。そして首を左右に振る。
「──結局、断った」
ローサシアはホッと胸をなでおろした。おそらくその安堵の表情があからさまだったのだろう、デラールフは喉の奥から低い笑い声を漏らした。
「お前を置いてはいけないからな」
「も、もう。それが理由?」
「他になにがある? お前もよく知っているように、俺は自分の家族が恋しいとは思わない。職業はただの大工だ。代わりはいくらでもいる」
「デラールフの代わりなんていないわ」
「そこだよ」
デラールフは優しくささやいた。彼がローサシアに優しくなかったことは一度もないけれど、そのときは一層その優しさに深みがあった。「そんなふうに俺を必要とする人間は、お前以外にいないから」
「だから……国王軍に入るのをやめたの?」
「まあそんなところかな」
「お父さんが言っていたわ。悪魔族が首都を荒らしはじめていて、ときには人間も襲う。そのせいでいつか戦争になるかもしれない……って。国王軍が《能力》がある者を探していたのは、そのせい? だからデラは行ったの?」
デラールフは否定せずにうなずいた。「ああ」
デラールフの方からベラベラと語ってくれる気配はなかったので、詳細を知るためには長期戦になるとローサシアは覚悟した。
「……お茶、淹れるね。疲れたでしょう? お水持ってくるから、待ってて」
と、踵を返して玄関の扉を開けると、いきなりローサシアの真横を紅焔の火の玉がものすごい速さで横切った。
「!?」
火の玉は扉の隙間をすっとすり抜けると、ものの数秒もしないうちに外に降り積もっていた雪を掬い上げて、同じ速さで室内に戻ってくる。じゅっと熱を感じる音がしたと思うと、調理場に置いてあった小さな鍋の中に雪解け水が落ちていく。
デラールフの火は、まるで使い魔みたいに自在に動いた。
自由に形を変え、焼く対象を判別し、熱の高低さえコントロールできるようだった。鍋の中に水が溜まると、火は鍋の下に移動して、まるで普通に料理しているみたいに燃えた。
多分、デラールフがその気になれば、鍋の中の水くらい一瞬にして沸騰させられる。
でも……彼はローサシアのためにそれをしない。ローサシアはお茶を淹れるのが好きなことを知っているから。
「好きな茶葉を選ぶといい」
デラールフは言った。
「でもお茶の葉っぱの種類なんてひとつしかないわ。冬だからハーブもないし」
「いくつか首都から持ってきた。その麻袋の中にある」
「え!」
彼がリュックのように背負って帰ってきた麻袋だ。大きく膨らんでいて、中にはきっといろんなものが入っている。ローサシアの目が期待に輝いたのを、デラールフが見逃すはずがなかった。
どこか少年っぽく得意げに微笑んだデラールフに、ローサシアの胸は熱くなる。
「『手当も出る』と言っただろう?」
ローサシアは喜びの悲鳴を上げてデラールフの胸に飛び込んだ。デラールフは当然のように、そんなローサシアを抱きしめ返す。
一週間離れていただけなのに、すでに懐かしいと感じる彼の香りを鼻腔いっぱいに吸い込んで、ローサシアは幸せに浸った。
その手当とやらでお土産を買ってきてくれたことよりも、首都のような楽しみの溢れた遠い都市に行っても、ローサシアのことを考えてくれたのが嬉しかった。
「ありがとう……」
ローサシアは素直に礼をつぶやいた。
「お前のためなら」
デラールフは静かに答えて、うなずいた。
11
お気に入りに追加
43
あなたにおすすめの小説
一体だれが悪いのか?それはわたしと言いました
LIN
恋愛
ある日、国民を苦しめて来たという悪女が処刑された。身分を笠に着て、好き勝手にしてきた第一王子の婚約者だった。理不尽に虐げられることもなくなり、ようやく平和が戻ったのだと、人々は喜んだ。
その後、第一王子は自分を支えてくれる優しい聖女と呼ばれる女性と結ばれ、国王になった。二人の優秀な側近に支えられて、三人の子供達にも恵まれ、幸せしか無いはずだった。
しかし、息子である第一王子が嘗ての悪女のように不正に金を使って豪遊していると報告を受けた国王は、王族からの追放を決めた。命を取らない事が温情だった。
追放されて何もかもを失った元第一王子は、王都から離れた。そして、その時の出会いが、彼の人生を大きく変えていくことになる…
※いきなり処刑から始まりますのでご注意ください。
挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました
結城芙由奈
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】
今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。
「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」
そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。
そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。
けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。
その真意を知った時、私は―。
※暫く鬱展開が続きます
※他サイトでも投稿中
【完結】捨てられ正妃は思い出す。
なか
恋愛
「お前に食指が動くことはない、後はしみったれた余生でも過ごしてくれ」
そんな言葉を最後に婚約者のランドルフ・ファルムンド王子はデイジー・ルドウィンを捨ててしまう。
人生の全てをかけて愛してくれていた彼女をあっさりと。
正妃教育のため幼き頃より人生を捧げて生きていた彼女に味方はおらず、学園ではいじめられ、再び愛した男性にも「遊びだった」と同じように捨てられてしまう。
人生に楽しみも、生きる気力も失った彼女は自分の意志で…自死を選んだ。
再び意識を取り戻すと見知った光景と聞き覚えのある言葉の数々。
デイジーは確信をした、これは二度目の人生なのだと。
確信したと同時に再びあの酷い日々を過ごす事になる事に絶望した、そんなデイジーを変えたのは他でもなく、前世での彼女自身の願いであった。
––次の人生は後悔もない、幸福な日々を––
他でもない、自分自身の願いを叶えるために彼女は二度目の人生を立ち上がる。
前のような弱気な生き方を捨てて、怒りに滾って奮い立つ彼女はこのくそったれな人生を生きていく事を決めた。
彼女に起きた心境の変化、それによって起こる小さな波紋はやがて波となり…この王国でさえ変える大きな波となる。
伝える前に振られてしまった私の恋
メカ喜楽直人
恋愛
母に連れられて行った王妃様とのお茶会の席を、ひとり抜け出したアーリーンは、幼馴染みと友人たちが歓談する場に出くわす。
そこで、ひとりの令息が婚約をしたのだと話し出した。
忙しい男
菅井群青
恋愛
付き合っていた彼氏に別れを告げた。忙しいという彼を信じていたけれど、私から別れを告げる前に……きっと私は半分捨てられていたんだ。
「私のことなんてもうなんとも思ってないくせに」
「お前は一体俺の何を見て言ってる──お前は、俺を知らな過ぎる」
すれ違う想いはどうしてこうも上手くいかないのか。いつだって思うことはただ一つ、愛おしいという気持ちだ。
※ハッピーエンドです
かなりやきもきさせてしまうと思います。
どうか温かい目でみてやってくださいね。
※本編完結しました(2019/07/15)
スピンオフ &番外編
【泣く背中】 菊田夫妻のストーリーを追加しました(2019/08/19)
改稿 (2020/01/01)
本編のみカクヨムさんでも公開しました。
愛する義兄に憎まれています
ミカン♬
恋愛
自分と婚約予定の義兄が子爵令嬢の恋人を両親に紹介すると聞いたフィーナは、悲しくて辛くて、やがて心は闇に染まっていった。
義兄はフィーナと結婚して侯爵家を継ぐはずだった、なのにフィーナも両親も裏切って真実の愛を貫くと言う。
許せない!そんなフィーナがとった行動は愛する義兄に憎まれるものだった。
2023/12/27 ミモザと義兄の閑話を投稿しました。
ふわっと設定でサクっと終わります。
他サイトにも投稿。
婚約者に消えろと言われたので湖に飛び込んだら、気づけば三年が経っていました。
束原ミヤコ
恋愛
公爵令嬢シャロンは、王太子オリバーの婚約者に選ばれてから、厳しい王妃教育に耐えていた。
だが、十六歳になり貴族学園に入学すると、オリバーはすでに子爵令嬢エミリアと浮気をしていた。
そしてある冬のこと。オリバーに「私の為に消えろ」というような意味のことを告げられる。
全てを諦めたシャロンは、精霊の湖と呼ばれている学園の裏庭にある湖に飛び込んだ。
気づくと、見知らぬ場所に寝かされていた。
そこにはかつて、病弱で体の小さかった辺境伯家の息子アダムがいた。
すっかり立派になったアダムは「あれから三年、君は目覚めなかった」と言った――。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる