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第三章 あなたがいるから
口づけ 2
しおりを挟む次の日、デラールフは村から姿を消した。
「昨日今日と、しばらくデラールフを見かけないな。彼がどこに行ったのか聞いているかい、ローサシア?」
デスクで物書きをしていた父が、ふと思い出したようにローサシアに尋ねる。
ローサシアはその時、父の隣の安楽椅子で本を読んでいたが、答えられなかった。
「わ、わからないわ……。お父さんもデラからなにも聞いてないの?」
「ああ。そもそもあの子は、わたしなどよりお前に話していくだろう。この寒さでいったいどこへ向かったのだろうな」
「そうね……」
過去これまでも、彼が急にどこかへいなくなることはあった。数日帰ってこないと思ったら、ふらりと無精髭を生やして戻ってきたりする。
彼はもう大人の男だし、いくら仲がいいとはいえ、伴侶ではない。
だから毎回、いつ、誰とどこへ行くとか、ローサシアに説明する義務はないのだ。それでも大抵の場合デラールフは行き先と目的を告げてくれたが、なにも言わずにふらりと消えることもあった。
でも、今回は……いつもと違う気がしてならない。
ローサシアは椅子から立ち上がり、居間にある唯一の小さい窓から外の世界を眺めた。
雪が降っている。粉雪だ。
まだ昼下がりだというのに、灰色の雲が重苦しく、辺りは暗かった。
(やっぱりキスなんて、ねだらないほうがよかったのかな……)
三日前の夜、誕生日のプレゼントの代わりとしてローサシアがねだったキスを、デラールフは与えてくれた。
初めてのキスだったローサシアには、あれが世間の常識と比してどのくらい情熱的だったのか、もしくは情熱的ではなかったのか、比べる術はない。でも、ローサシアにとっては一生の思い出になる、熱い口づけだった。
ーー冬の空気にさらされたふたりの唇は、とても冷たかった。
ただ、割れた唇の間から漏れる吐息が熱くて、抱きしめてくれたデラールフの体が力強くて、寒さは一切感じなかった。
身体の芯が火照り、恋心を秘めた胸が高鳴ったが、魂はやっと安楽の地を見つけたかのように安堵していた。
それがふたりのキスだ。
少なくとも、それがローサシアにとっての、ふたりのはじめてのキスだった。
(でも、デラにとっては違ったのかな。わたしとのキスなんて、妹としてるみたいで気持ち悪かったとか……。それでわたしを避けるために、どこかへ行ってしまった……とか?)
そんなはずはないと……思いたい。
でも、確信は持てなくて、こんなことならキスなんて頼まなければよかったいう後悔が頭をもたげはじめる。
結局、ローサシアが求めるのはデラールフの存在そのものであって、キスが欲しいとか、ローサシアを女として愛して欲しいとか、そういったことは二次的な願望にすぎないのだ。彼がそばにいてくれれば、それでいい。
それだけで。
「わたし、探しに行こうかな」
外を眺めながらローサシアはささやいた。
小さなささやきのつもりだったのに、父と、台所にいた母がバネに弾かれたように顔を向ける。
「とんでもない! この寒さで外を歩き回るなんて言語道断、もってのほかだ。雪で森に迷うのが関の山だぞ」
「そうよ、そんな無茶なことデラールフも望んでいないわ! やめなさい」
父と母が次々にローサシアを止めた。
「た……ただの思いつきよ。そんなにムキにならなくても……」
ローサシアはもごもごと言い訳をし、父母ともそれにすんなり納得してくれたのに安堵して、安楽椅子に戻った。しょうがなく読んでいる途中だった本をまた開いたが、そこにある文章はもう頭に入ってこない。
父と母は、時々ローサシアに目を向けては、互いに小さくうなずき合ったりしている。思春期独特の親を鬱陶しいと思う気持ちと同時に、そんな、長年連れ添った夫婦の息の合った掛け合いを、羨ましいと思ってしまう自分がいる。
(わたしとデラールフも、こんなふうになれたらいいのに)
(いつか)
(今日じゃないのはわかってる。でも、いつか)
ローサシアは暖炉の火に目を移した。
よく燃えている。
おそらく、くべてある薪の量に比して、大きすぎるほどの炎が煌々と踊っている。
(きっと……遠くにいても……デラはこの家を温めてくれているのよ、ね?)
彼の優しさに胸がいっぱいになる。
でも……
(すごい《能力》よね。どんどんすごくなっていく……。離れた場所の火まで正確に操れるなんて)
もしかしたらデラールフは、ローサシアが思っているよりずっと遠くに行ってしまうのではないだろうか。
これだけの《能力》を持った者が、こんななんの変哲もない田舎町に居続けていいはずがない。きっと中央政府の正規軍がいつか彼を欲しがるだろう。
なぜならローサシア達が住むこの世界は、ある驚異に包まれつつあるからだ。
「デラールフなら心配ないとは思うが、無事であることを祈るよ」
父はささやくように言った。
そして続ける。
「天上の悪魔どもが首都を荒らし、時には人間の命を奪っているという。このままではいつか虐殺が起きるだろう。戦争が。我々はどうなってしまうのか……」
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