死者の恋

泉野ジュール

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第一章 我、君を想う

対面 2

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 ローサシアの口調があまりにも柔らかくて、愛情に満ちていて、トウマはしばらく喉がつかえて喋れなかった。
 ──「デラ」と「ローサ」。
 そんな親密なやりとりに自分が関わらなければならないことに、気恥ずかしさと居心地の悪さを感じる。

 それだけではない。
 そんなふうに心を寄せ合う相手と巡り合えた彼らへの憧れと、わずかな妬みと。これから彼らの絆は永遠に失われることを知っている、悲しみと。
 その別れを言い渡す死神の役目が自分であることへの、罪悪感と。

 すべてを振り払うために、トウマは激しく頭を振った。覚悟を決めなければならなかった。

「起きてくれ、デラールフ。ここにはローサがいるんだ。デラのことが心配で、どこにも行けないと言っている。僕は彼女の伝言を届けに来たんだ」

 嗚呼、デラールフの反応は素早かった。
 そして凄まじかった。
 死にゆくように力なく横たわっていた体が、瞬時に生気を放つ。背筋がピンと伸び、緩んでいた筋肉が緊張を帯びてさらに固くなった。
 と、思うと、デラールフは疾風のような速さで立ち上がった。
 ひざまずいていたトウマは突き飛ばされ、床に尻餅をついて孤高の戦士を見上げていた。

「なんだと……? 今、なんと言った?」

 腰に来た痛みを受け止めながら、トウマは目をしばたたいてデラールフの立ち姿を見つめた。床に寝っ転がっていた時からすでにわかっていたが、立ち上がったデラールフの身長は相当なものだった。
 天井が低い造りの寂れた酒場では、特にその長身が際立っている。

 対するトウマは、やっと平均に届く程度の背だった。
 ついでにいえばローサシアはもっと小柄だ。このふたりが本当に恋人同士として機能したのか、疑問を覚えるほどの身長差だった。

「だから……ローサだよ。ローサシア……君の恋人だったんだろう? 長くてまっすぐな黒髪で、瞳は水色で、童顔だけどとっても綺麗なひとだ。なんでも、君が戦いに赴いている間に、不幸な……火の事故で命を落としてしまった……とか? 違うかい? 実は僕には死者が見える《能力》がある。彼女はその噂を聞きつけて、君に伝えたいことがあると僕に頼んできたんだ」

 トウマは早口にまくし立てた。
 ゆっくり会話をできそうな雰囲気ではなかったからだ。デラールフの顔はみるみる血の気をふくみ、表情はどんどん険しくなった。

 彼の頭はまだフードの下に隠れている。
 小さな窓が数カ所しかない光源の乏しい酒場で、目視できるのは彼の輪郭くらいだった。

 しかし──それでも感じる、デラールフの悪魔のような形相。
 暗がりでさえも、デラールフはその長身に見合った、雄々しい顔つきをしているのがわかった。額の影になってしまうほど彫りの深い目元に、大きくて高い鼻、頰は秀でていて立体的で、顎は男らしい広がりを持っている。

 そんな男に憤怒の表情ですごまれて、ひるまないはずがない。
 その上、トウマはこれから、死んだ彼の恋人の言葉を伝えなくてはならないのだ。控えめに言って、恐怖だった。そしてまったく正当な恐怖だった。

「お、おい……っ! ぎゃっ!」
 デラールフは目にも留まらない速さでトウマの襟首を捕まえると、そのままトウマの背を壁に打ちつけた。衝撃でまぶたの裏に星が散る。

「今、その口で……なんと……言った……」

 デラールフが発した空気を揺らすほどのバリトンは、質問の響きを持っていなかった。すでに許せないとトウマを断罪していて、どうやっていたぶるか思考している者の声色だ。
 トウマはあえぎながらローサシアに視線を向けた。
(どうする……?)
 と、唇を動かす。

『わたしが見えるともう一度言ってください! わたしが……泣き出しそうだと!』
 蒼白になったローサシアが声を上げる。
 トウマはデラールフに向き直り、声の限りに叫んだ。
「ぼ……僕にはローサシアが見えるんだよ! 彼女は今もここにいる。くそ、蒼白になっているぞ! 今にも泣きそうな顔だ!」

 最後のひと言は魔法のようだった。デラールフはピタリと動きを止め、トウマを拘束していた手をゆるめた。ぶらりと宙に浮いていたトウマの足が床につく。
 トウマは咳き込み、空気を求めて肩で荒い呼吸を繰り返した。

 その間に、デラールフはゆっくりと後ろに数歩下がった。ふらふらとした足取りは心許なかったが、それが酒のせいだとは思えない。
 きっとローサシアだ。彼女の名前が、この巨人のような英雄に衝撃を与えたのだ。

 ローサシアの幽体はトウマの隣にいて、役には立たないと知りながらも、心配そうに彼を助けようとしてくれている。しかし彼女の視線はデラールフを見つめたままだ。

『デラ……』
 ローサシアは小さくささやいた。世界で一番優しい声だった。

「ここにいるのか……? ローサシアが?」
 デラールフがつぶやく。
 こんなに切ない声は、聞いたことがなかった。

 喉がつまって息苦しくなり、トウマは無言でうなづいた。
 デラールフはさらに数歩、後方に下がる。
 この信じられない現実から逃れようと、神に気づかれないようにそっと距離を置こうとしているみたいだった。実際、そんなものなのだろう。

 トウマから十分な距離を置くと、デラールフは不信に首を横に振った。
「俺は信じない。ローサシアは死んだ。殺されたんだ」
 そして、その苦い真実から目をそらすように、そっぽを向いた。トウマは深く息を吸った。

「そう……だからこそ僕には彼女が見えるんだ。僕の《能力》は死者が見えることなんだよ。つまり、この世界にまだ残っている死者を、という意味だけど。天国に行ってしまった死者は見えないから」
「……おまえは誰の手先だ?」
「誰の手先でもないよ! あえて言えばローサシアの、だけど。僕は彼女に頼まれてここにいるだけなんだ。できれば、こんな茶番はさっさと終わらせたい!」

 デラールフはやっと、苦々しそうに歯を食いしばりながら、再びトウマに視線を戻した。
 とはいえ、英雄の上半身は頭からすっぽり外套のフードに包まれている。
 表情の機微までは読めなかった。

『フードを下ろしてと、伝えてください。トウマさんに失礼だわ』
 場違いなほどやんわりと告げられたローサシアの言葉を、トウマは繰り返した。「フードを下ろしてくれと言っているよ。僕に失礼だから、って」

 するとなんと、デラールフの唇から、低い、笑い声のようなものが漏れ聞こえた。
 笑う?
 この男が?
 どういうわけか、デラールフはわずかに警戒心を解いていた。……のかもしれない。とにかく長身の戦士は両手でフードの脇を肩に下ろし、顔を露呈させた。

 ローサシアの言は正しかった。
 胸まで伸びた長髪は白だ──長く風呂に入っていないのかもしれない、薄暗さもあって灰色に見えたが、時折見かける銀髪とは違った光沢のない色味だ。頭のてっぺんと両脇の髪を、後頭部、つむじより少し下に無造作にまとめている。

 そして、彼の顔つき。

 野獣のような荒々しい顔を想像していたのに、トウマの目の前に現れたデラールフは端正で精悍な青年だった。
 いや……青年と呼んでしまうには歳をとりすぎているかもしれない。

 多分、三十歳は越しているだろう。
 とはいえ、四十には届いていない。

 まっすぐで力強い眉は、頭髪と同じ白だった。
 しかし肌は色白ではない。すべての造形が鋭く、雄々しさに溢れた男らしい顔だ。いわゆる優男とは対極にある種類の美しさが、そこにある。

 ただ、死相を思わせるほど暗い目のクマがくっきりと刻まれていて、この偉丈夫の美しさをひどく不気味なものにしていた。

 デラールフ・センティーノ。
 悪魔をも震え上がらせたという、稀代の超能力者。最高の戦士。大陸を救った英雄。そして、愛する者を失ったひとりの男。

 ……が、トウマに向けて悪魔そのものの冷笑を浮かべた。

「そうか……お前はローサシア達を殺した連中の一味だろう……。俺を嘲笑いに来たか……だが、残念だったな」

 え、とトウマは口を丸く開けた。

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