Bright Dawn

泉野ジュール

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Chapter Seven

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「では、詳しく説明してもらおうか、ローナン」
 ネルとジョージを客室の一つに残したあと、ローナンとエドモンドはそこから離れた伯爵夫婦の一間に移動していた。

 最初、エドモンドはゆっくりと身体を揺らして赤ん坊をあやしていたが、やがて乳が欲しくなったのか泣いて、ぐずり出したので、妻に小さな娘を預けていた。
 今は、衝立ての向こうの安楽椅子で、エドモンドの妻であるオリヴィアが赤ん坊に乳をふくませている。

 この伯爵夫妻はイザベラの養育を乳母に任せきりにせず、ほとんど自分たちの手で世話しているので、寝室は甘い赤ん坊の香りが充満していた。
 こんな甘やかな空気の中で男同士が真剣な話をするのは向いてない気がしないでもないが、賑やかなバレット家の屋敷では、他に誰にも邪魔されず話し合いを出来る場所はほとんどない。
 とはいっても、衝立ての向こうにはオリヴィアと赤ん坊がいるのだが、エドモンドは滅多なことではこの二人の側を離れたがらなかったので、これは仕方が無い。

 ローナンは焚き付けられた暖炉のマントルピースに肩肘を乗せ、暖炉前の長椅子に腰を下ろした兄と向き合った。
「どの辺りを説明したらいいのかな、兄さん。僕のあふれ出る魅力についてかな?」
「それは今度にしよう。今聞きたいのは、あの盲目の婦人とその従者についてだ」
 ローナンはまるで驚いたようなふりをして、肩をすぼめてみせた。
「彼女の名前はネル・マクファーレン。従者の方はジョージで、苗字は分からない。領内を見回っていたら、ウッドヴィルから出て少し行ったところに馬車が倒れていたんだよ」
 そこまで説明して、ローナンは付け加えた。「馬車はボロかったね。うちの古馬車より酷かったよ」

 エドモンドは抗議するように片眉を上げた。
「うちの馬車は古いが、修繕は行き届いている」
 すると、衝立ての後ろからオリヴィアの笑い声が聞こえてきた。やはり二人の会話を聞いて、面白がっているのだろう。
 オリヴィアは醜聞に首を突っ込みたがる種類の女性とは違ったが、この田舎の領地で、しかも閉ざされた冬、こうした話題は格好の楽しみになる。
 実際今までは、ローナンこそが兄夫婦をだしに、こうして彼らをからかって遊んでいたのだ。
 ついに自分の番が来たことを、ローナンははっきりと自覚した。

「……まぁ、とにかく。その倒れた馬車を調べてみたけど、もぬけの殻だった。かわりに馬車からずっと、森へ続く方向にそって足跡が残っていたんで、それを追ってみた」
 ローナンはここで一息ついた。
「そうしたら、彼女を見つけたんだ」
 エドモンドはいかにも伯爵然とした、厳めしい表情でローナンの説明に耳を傾けている。早く話が核心に届くのを辛抱強く待っているようだった。

 ローナンは降り積もる雪の中に佇んでいたネルの姿をまざまざと思い出した。
 細くて、頼りなさげなのに、寒さの中でぴんと背筋を伸ばして、前に進もうとしていた小さな身体。
 きらめく金髪は雪に溶けそうなほど眩しかった。
 彼女の震えた肩に触れたとき、ローナンは手のひらが疼くのを感じた。彼女をぎゅっと抱きしめたい。彼女をこの腕に抱えて、温めてあげたいと、強く願った。
 それは使命感からというよりも、もっと本能的な、彼女を守ってあげたいという欲求の発露だった。
 そして彼女の瞳……青い、春の空のように澄んだ青の瞳。

「彼女はすっかり凍えきっていたのに、あの気絶した従者を一生懸命担いでいた。僕が声を掛けたときも、彼女は彼女自身のことなんかこれっぽっちも気に掛けていなかった。ジョージを助けてくれ、とだけ言ってね」

 それからローナンは、ネルから聞いたいくつかの事情を兄に説明した。
 ノースウッドからさらに北東へ進んだ小さな領地・クレイモアの伯爵が彼女の従兄であるということ。どういうわけか、こんな天候の中、そのクレイモアへ旅をしていたということ。
「クレイモアといえば、ロチェスター・マクファーレン卿がいらしたな。あまり見たことはないが」
 エドモンドはうなづきながら指摘した。
 ローナンもうなづく。
「……どうしてか分からないけど、僕は彼が好きになれそうにない予感がするね」

 そのとき、また衝立ての後ろから、オリヴィアの押さえたくすくすという笑い声が聞こえてくる。
「聞こえているよ、噂好きの伯爵夫人どの!」
 ローナンがわざと芝居がかった声を上げると、オリヴィアはもう笑いを隠そうとはしなかった。
 衝立て越しの楽しそうな声がローナンをからかう。
「あなたがそんなふうに、あからさまに不機嫌な口調で話すのを初めてきいたわ」
「そりゃそうさ、僕はノースウッドの聖なるローナンだからね」
「とにかく……彼女はとても勇気のある女性のようね。見えない目で旅をするのはとても怖いことでしょうに。しかもこんな季節に、北部を」
 オリヴィアはしんみりと、実感のこもった声でささやいた。「助けてあげたいわ」

 ローナンは今ほど、この都会育ちの可愛らしい義姉を誇りに思ったことはなかった。
「そう言ってくれると思ったよ、義姉上あねうえ
「とりあえず、あの従者の足が良くなるまでは、ここに滞在してもらうべきじゃないかしら。ピートが大人しくしてくれればいいんだけど」
「案外、あの従者とピートは仲良くなれるんじゃないかな? 年も近そうだし」
「東側の部屋を用意してあげましょう。彼女には、わたしの服を貸してあげられるわ。妊娠前のものなら……」
「少し待ちなさい、マダム、ローナン」
 いそいそと話を進めようとする二人を、エドモンドは立ち上がって牽制した。「まずは先方の意見を聞かなくてはならない。もちろん、彼らがここに滞在したいのなら、わたしは彼らを歓迎し、出来る限りの庇護をする義務がある」
 理詰めではあるが、正論を語るエドモンドに、二人は口をつぐんだ。
「そしてクレイモア伯爵にも連絡を取らねばならないだろう。心配なさっている可能性もある」
 しかし、その『可能性』という単語を、エドモンドは本当に疑わしそうに言った。

「そして、ローナン」
 エドモンドは弟の前に立ち塞がるようにそびえ立ち、腰に手を当てると、ゆっくりとした口調で告げた。

「わたしは一地方の領主だ。守るべき住民と家族がいる。他の地方の領主と軽々しく決闘しているわけにはいかない。もしくは、わたしの弟がそれをするのも……」

「なんの話だい?」
 平静を装ったつもりだったが、微妙にローナンの声はうわずった。
 エドモンドは珍しく、皮肉っぽい微笑を見せた。
「わたしの目が節穴だと思うのか? お前があの娘を見る目に、気が付かないとでも?」
「なにを言いたいのか分からないな」
「少なくとも将来、わたしの娘にあんな視線を向ける男がいたら、わたしはその男を殺しかねないだろう」
 決闘をするわけにはいかない云々という己の台詞を棚に上げ、エドモンドはそう宣言した。
 ローナンは黙って兄と対峙した。

「彼女は盲目だ。その意味が分かっているのか?」

 エドモンドの口調に、ネルを卑下するような響きはなかったが、それでもローナンは苦い思いを味わった。
 ああ、ネルは、一体何度こんな台詞を耳にしたのだろう──。

「……兄さん、自分でもまだどう説明してもいいのか分からないから、単刀直入に言うよ」
 エドモンドはうなづいた。
「僕が誰かを愛したとき……そういったことはまったく問題にならない。なにがあっても、どんな条件でも、僕は彼女を守り、助け、寄り添って生きて行く」
 衝立ての後ろから、イザベラが赤ん坊独特の甘い声でなにかをささやいていた。
 エドモンドの険しい顎がひくりと動く。

「兄さんだってきっと、そうするだろう?」

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