Bright Dawn

泉野ジュール

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Chapter Six

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「この子の名前はイザベラっていうんだ。兄と義姉の娘だから、僕にとっては姪っ子だね」
 奇妙なほど優しい声で、ローナンはそう説明した。
「そしてこっちが我が兄であり、我らがノースウッド領の伯爵、エドモンド・バレット卿。趣味は石臼いしうすを挽くこと。妥協を許さない厳しい領主であられるけどね、奥さんと娘の前ではいつも心配ばかりしている哀れな男だよ」
 淡々とした引き合わせだったが、素直にまあそうですかと答えるには疑問の多い紹介文句だった。ただネルは、なぜかそれほどショックを受けなかった。
 人間は適応する生き物だという。
 そういうことなのだろう。
「ネル・マクファーレンと申します……この度は、わたしとジョージを助けて下さってありがとうございます」
 今できる限りで最も礼儀正しく、ネルはノースウッド伯爵に向けて挨拶をした。
 寒さに固まっていた身体はだいぶほぐれてきていて、震えはもう止まっていたが、一伯爵の前ではさすがに緊張する。

 特に、ネルの最もよく知る伯爵は従兄・ロチェスターだった。
 高慢で、冷たくて、そのくせ臆病者の。
 ノースウッド伯爵がそういった人物でないのは声からだけでもすぐ分かるけれど、それでもネルにとって伯爵という肩書きは、どこか気後れする存在だ。

 しかしノースウッド伯爵は穏やかな口調でネルに告げた。
「あなた達を助けたのは、わたしではなくローナンだ、ミス・マクファーレン。だが、いくらでも必要なだけ滞在なさるといい。どのみちこの雪ではしばらく動けまい」
 そして付け加えた。「そちらの従者殿の足も治療しなくてはならないだろう」

「ネリーお嬢さん、申し訳ねぇ!」
 ジョージが泣き声まじりに叫んでいるのが聞こえた。
「俺ぁ、馬から放り出されて気絶してたって話じゃねぇか……目の見えねぇお嬢さんを一人にして……どうやって先代に顔向けしたらいいのか分からねぇ! ああ、お許しを!」
「ジョージ」
 ネルがジョージの方へ手を伸ばそうとすると、ローナンはさっと彼女を従者の目の前まで誘導した。ネルはそれに有り難く従った。
「いいのよ、ジョージ。わたしこそ無理を言ってごめんなさい」
 ネルは手探りでジョージの手を求め、探り当てるとその場にひざまずいて許しを乞いた。「あなたは、こんな雪の中に旅を続けるべきでないと言ってくれたわ。それをわたしが無理を言ったの」
「それは仕方ねぇ……お嬢さんは見えないんだから。俺が判断すべきだったんだ」
 ──いいえ、それは違うわ、ジョージ。
 ネルは心の中で呟いた。
 ──悪いのはロチェスターなの。こんな真冬に、盲目と年老いた従者を旅させて平気でいる。きっと自分は暖炉の前でぬくぬくと暖をとりながら、酔っぱらっているのよ。
 しかし、ネルは口をつぐんだ。
 初対面の大勢の前で言いはばかるようなことではない。

「さあ、当て木は終わりました。今から軟膏を用意しますから、一日に二回、朝と夜に患部へ塗ってください。しばらくは歩かないよう」
 ネルの右側から医師が忠告して、パタパタとなにかを畳む音を立てながら立ち上がった。ネルは「ありがとうございます」と呟き、医師に礼を言った。
 顔は上げたが、相手の顔とは違う方向を向いてしまっていたのかもしれない。
 医師からの答えはしばらく無かった。
「……いいえ。どうぞお大事になさってください」
 寸刻の沈黙のあと、医師はそう言うと部屋を出て行ったらしかった。
 ネルは急にどっと疲れが襲ってくるのを感じて、深いため息を吐きながら周囲を見回した。
 イザベラがまた、クークーとなにかをねだるような声を出している。
 最初に口を開いたのはノースウッド伯爵だった。

「お疲れだろう、ミス・マクファーソン。少しジョージ殿と二人きりになりたいのではないかな。小間使いに部屋を用意させるので、それまでしばらくここにいるといい」





 ベッドの脇に用意された椅子に落ち着いたネルは、しばらくジョージが足の痛みに文句を並べ続けるのを大人しく聞いていた。
 部屋の端の暖炉が、パチパチと火の粉がはぜる音を響かせながら、室内を暖めている。
 ネルは疲れていたが、気分はまだ落ち着かなかった。
 ノースウッド伯爵がジョージとネルを二人きりにしたのは、ネル達への配慮というよりも、ネル達に聞かれないように、今後について話し合うつもりだからだろう。
 いくら心地よいからといって、あまり長く甘え続けてはいけないのだ。
 ネルは深いため息を漏らした。

「それにしても、ネリーお嬢さん。ノースウッド伯爵の旦那はたいした偉丈夫さんで、迫力もあるし、でかいし、俺ぁ最初、ちびっちまうかと思いましたよ。おっと、汚い言葉を失礼失礼」
「そうだったの」
「そうですとも。しかし、いやはや、ネリーお嬢さんが部屋に入ってきた時はもっと驚いたってものですよ。だってね、お嬢さんの隣に、ノースウッド伯爵がもう一人いるじゃありませんか」
「え?」
 正直、ノースウッド伯爵の容姿については、知識として知っておきたいという程度の関心はあっても、それ以上の興味はなかった。
 しかし今、ジョージはローナンについて語っている。
 ジョージの口から早口に飛び出す言葉をたとえ一つでも聞き逃さないように、ネルはしっかりと耳をすました。幸い、この従者は、ネルが一々質問をしなくても詳細を微に入り細に入り語ってくれる。
 時々それに疲れることもあるが、今はそれが有り難かった。

「あのご兄弟はそりゃあそっくりでしてね! まぁ、近づいてじっくり見ると、ちょっとした違いはありますけどね。二人とも濃い感じの金髪で、獅子みたいな容姿ですよ」
 濃い金髪。
 ローナンは濃い金髪なのだ。
「目の色は……?」
 黙っていてもそのうち聞けるのだろうが、ネルは質問していた。
 知りたかった、早く。
 どうしても。
 ジョージはしばらく考えるようにうなった。
「ハシバミ色……だったかねぇ? いや、違う。緑だ。綺麗な緑色ですよ。緑の目といやぁ、普通、いくらか茶色が混じったような色になるでしょう? それがお二人のは、ちょっと珍しいくらいはっきりした緑でしたね」

 緑……ローナンの瞳の色。
 ああ、ネルはまるでこの目で見たようにその姿を想像できた。

「背が高くてね、こう、肩幅なんか俺の二倍はありましたよ。お嬢さんの細腰なんか、きっとあの人達の太腿くらいしかないでしょうねぇ。まるで不死身の騎士のようですよ。おっと、これは言い過ぎかねぇ」
 いいえ、もっと話して。
 ネルは言葉にせずともそう求めていた。
「あえてお二人の違いを言えば、ノースウッド伯爵の方がほんの少し背が高いってことくらいでしょうか。といっても、あの方も十分長身ですよ。弟君。なんて名前でしたっけ?」
「ローナン、よ」
 思わず即答したネルに、ジョージが「ふむ?」という声を出して驚きを示す。
 自分の頬が紅潮しているのが感じて、ネルは戸惑った。
 長年の従者に隠し事などしても無駄だと分かっていたが、かといって明け透けにローナンに惹かれる気持ちを教えるわけにはいかない。

 だって、ネルは彼にふさわしくないと、一番よく分かっているのは自分自身だ。
 それをさらに誰かから指摘されるのはたまらなかった。

「ネリーお嬢さん、よからぬことを考えるもんじゃねぇ」
 ジョージの声には深い同情がこもっているように思えた。
 ネルは首を振る。
「分かってるわ、ジョージ」
「いいや、お嬢さん、分かってねぇよ。お嬢さんは美人で、きらめくような金髪と、優しい心をお持ちでいらっしゃる。若くて、肌も綺麗で、賢いじゃねえか。まぁ、近頃の男どもの中には、賢い女を嫌煙する連中も多いですがね、皆が皆そうって訳じゃねえ」

 祖父が幼い孫に言い聞かすような、穏やかなジョージの口調だった。
 実際、そのようなものなのかもしれない。

「俺ぁ、反対なんですよ。ロチェスターの旦那と結婚なんて。あのローナン坊やがネリーお嬢さんを気に入ったっていうなら、そこに収まるのが一番いいじゃないですか」
 そこまで言って、ジョージは小さく笑いながら弁明した。「おっと、あの立派な殿方に、坊やとは失礼でしたね。けどまぁ、俺みたいな年になると、若者なんて皆子供みたいなもので」
「ジョージ、彼はきっと誰にでも優しい方なのよ。少し親切にされたからって、好意を寄せられていると考えるべきじゃないわ」
 ネルは反論した──彼に繋がれた熱い手を、少しの親切、と言いきってしまうには抵抗があったけれど。
 ジョージはしばらく沈黙した。
 珍しいことだった。ジョージは考えながら、その考えていることをすべて喋り続けるような癖があって、よほどのことがなければ黙り込まない。
 ネルは切なく微笑んだ。

「だいたいどうして、彼がわたしを気に入っただなんて思うの? 手を繋いで部屋へ入ったのは、目の見えないわたしを助けてくれるためだったのよ」

 ネルは感情を抑えて話そうとしたが、声が震えてしまうのを止めるのは難しかった。
 ローナンが見せてくれた夢を、自ら壊そうとしている。
 本当はもう少し夢を見ていたかった……ジョージの言うとおりの、夢を。
「お嬢さんは見てないんだ」
 ジョージがぽつりと呟いた。
「なにを?」
「あの方がお嬢さんを見下ろす目を。えもいわれぬ情熱を秘めた目ですよ」
 えもいわれぬ情熱……。
 とは?
「それに、あの医者がお嬢さんに興味を示したときに見せた顔といったら。今まさに嫉妬に狂おうとするポセイドンのようでした」
 嫉妬に狂うポセイドン……。
 ジョージは時々、知性的なところを見せようとして変に古典や神話を引用することがあったから、これもその一つなのだろう。
 多分、凄まじいさまを表現したかったのだろうと思う。

「駄目よ、ジョージ」
 ネルは静かに従者をいさました。
「ネリーお嬢さん、あの方はきっと……」
「言わないで、お願い。わたしは目が見えないのよ。あなたもよく知っての通りね。きっと彼のお荷物になってしまうわ……それが堪えられないの」

 ジョージはまた黙り込み、ネルはこれ以上この話題について語るのを拒否した。
 暖炉で弾ける火の音だけが、しばらく部屋に響いていた。

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