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出会いのようなもの
魔王、脱ぐ。パート2。
しおりを挟むおおい隠すもののなにもない魔王の裸体が、透明なお湯を通してアンの視界にくっきりと入ってくる。
魔王の完璧に美しい顔の下には、当然のように完璧に美しい男の裸体があった。
贅肉のかけらもない引き締まった体躯。
肩幅が広く、手足の長い、見惚れるような骨格。腰は魅惑的にくびれていて、腹の表面は小さな筋肉がいくつか浮き上がっていて、規則的な縦横の線を描いていた。二の腕や太ももも、力強さを感じるもり上がりと筋が、皮膚の下にひそんでいる。
胸板にいたっては、◯×△♪□#%*……。
もう、思考が麻痺してしまう!
「せ、石鹸ならここにありますわ。どうぞご自分で……」
アンはどうにか正気を保つために視線を床に落とし、腕を精一杯伸ばして魔王に石鹸を手渡そうとした。
「ふん」
魔王はそう、アンの努力を鼻で笑って、受け取るふりをして石鹸を湯船の中にドボンと落とした。
「まあ!」
「ああ、落ちてしまったようだな。拾ってくれ」
「な、な、な……」
来客用にとっておいた、それなりに値段のするフランス産の高級石鹸だった。それが、お湯の張ったバスタブの底……ずばり魔王の股のあいだに沈んでいるのが見えた。
股のあいだに!
すごい!
……じゃなくて。
「どうしてそんなことを!」
「どうして? お前は魔界の王と風呂場にいることを忘れたのか? ひっぱがされて全裸でわたしのものに貫かれていないことのほうが、よっぽど不思議ではないか?」
「な! で、でも……」
「さあ、拾え。そしてわたしの肌をくまなく清めるのだ」
もし彼が恐ろしく醜い見てくれだったら、反感や怒りしか感じなかったかもしれない。でも、現実の彼は見るものをとろけさせるほどの美形で、さらに、完璧にたくましい裸体を惜しげなく晒していて。
こんな横暴な命令を受けているのに……なんだか悪くない気がする……どころか、わずかに期待に胸が膨らんでしまう自分が、確実にいた。オールドミスの官能ロマンス作家とはいえ、まともな淑女のひとりとして頑固拒否しなければならないはずなのに……。
はず、なのに。
これが悪魔の誘惑?
それともアンがはしたないだけ?
魔王はといえば、そんな葛藤はすべてお見通しだとでもいうように、実に楽しそうな笑みを浮かべながらアンの挙動ひとつひとつを美しい灰色の瞳で追っている。
まるで、アン・グレイスウッドが、じっくりと眺めたくなる絶世の美女であるかのような視線だった。
アンのほおが赤くなっていくのは、きっと熱い湯気のせいだけではない。
「拾えませんわ……。そんな……こ、個人的すぎる場所に、手を入れるなんて……」
「手伝ってやろうか」
「だったらご自分でやれば……きゃ!」
魔王はアンの二の腕を掴むと、強引に彼女の手を引きずりこんだ。アンの腕は洋服ごとお湯に浸かり、かろうじて外に出ている顔は、魔王の見事な胸板にぴったりとくっついていた。
「ここだ」
と、魔王は色っぽく言ったが、アンにはなんのことかわからなかった。わからないくらい、混乱していた。手が。
手が。
自分の手が。
魔王の股のあいだに挟まれるようにお湯に沈んでいる。そしてほおがぴったりと魔王の胸板に張りついている。魔王は全裸で、ありえないくらいの男性美を誇っていて、わたしはただのアン・グレイスウッドに過ぎないというのに!
「ほら、石鹸はここだろう? 拾うんだ。そして、わたしの体を清めるがいい」魔王はそう言って、ぐっと腰を持ち上げてアンの手に寄せた。「手はじめに、まずこのあたりから」
「……ひやぁっ!」
男の象徴が。
魔王のアレが。
アンの腕に触れた。触れたなんてものじゃない、押しつけられている。しかもそれはアンが想像していたよりもずっと硬くて、ずっとなめらかで、ずっと熱いものだった。まるで意思を持ったひとつの生命のように脈打ち、アンの肌に当たる、それ。
魔王の胸と湯気の熱でメガネがくもり、まわりがよく見えなくなった。
どうしよう。
今ほどしっかり周囲を見なければならない時はないというのに! いろんな意味で!
「早くしないと、石鹸が溶けてしまうぞ」
役者がかった本当に残念そうな声で、魔王はそう指摘した。
「だだだだったら……」
「さあ拾え」
引っ張られた手の先が、湯船の底にある石鹸に触れるのを感じた。アンはいっそやぶれかぶれになって、その石鹸を握った。一瞬、石鹸を握ったままこの男をぶん殴ってやろうかという誘惑が頭を横切ったものの、腕を掴まれたままではそうはいかない。
魔王は首をすこし前に垂らして、アンの耳元にささやいた。
「お前の肌からは、悪くない香りがする。春の果実の甘さにインクを混ぜたような、奇妙でそそられる芳香だ」
「あ……」
「気に入った」
『アン・グレイスウッド、盛りのついたオールドミス、享年28歳。魔王を名乗る偉丈夫の胸板とイチモツに心臓発作を起こし、この世を去る』
そんな明日の新聞の見出しがありありと目に浮かんだ。
そのくらい激しい動悸がする。
ドキドキする。
膝がガクガクと震える。
魔王はといえば、そんなアンとは正反対に、これ以上ないほど落ち着き払ってアンのうなじのあたりをクンクンと嗅いでいた。これがどれほどはしたない行為か、どれだけ常識外れなのか、まったくわかっていないか、さもなくばまったく気にしていない様子だった。
魔王の、形のいい鼻背が首筋に触れ、アンはたまらなくなって声を震わせた。
「や、やめてください……ひとの匂いをそんな……まるで、しつけの悪い犬みたいに……」
「ほう」
魔王は感心したように微笑んだ……と、思う。彼の唇の端が上がるのが、わずかに見えた気がしたから。
「わたしには様々な評判があったが、『しつけの悪い犬』ははじめて聞くな」
「だ、だって……」
「面白い、ますます気に入った。なぜだろうな、おまえには妙に惹かれるものがある……」
あ、悪魔……!!
絶世の美形からこんなことを言われて、動揺しない女性なんてこの世にいない。3歳から120歳まですべての人間のメスが、興奮して、もしかしたら大歓喜して、彼の前に降伏するはずだ。アンだけが特別にはしたないわけではない……。
多分。
「あっ」
ぐいっと手をひねられたが、不思議と痛みはなかった。
気がつくとアンは裸の魔王の胸に抱きしめられていた。魔王はバスタブから臆面もなく立ち上がり、アンを引き上げて立たせ、濡れた全身で彼女を包むようにぎゅっと抱擁している。
漆黒の髪からしたたる水滴が、アンの肩を濡らした。
目の前には、見事に引き締まった胸板がある。
吐息が耳をくすぐった。
「おまえのもとに落ちたのも、なにかの運命だろう」
魔王はささやいた。
浴室で、全裸の魔王に抱きしめられたまま、アンは気を失って意識を手放した。
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