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(12)書庫で声をかけられただけ
しおりを挟むソファーは、見た目は古くて地味だったが、意外に座り心地はいい。
僕の家にあったものと遜色ないように思えて、申し訳ないけど首を傾げてしまった。
「そのソファーは昔の上官から譲り受けたものなんだ。上官は貴族だったから、古くて多少汚れているが、物はいいんだ」
「ああ、それで。とてもいいソファーだね」
「俺も気に入っている」
ギーズは少し笑った。
思わず見入ってしまうような優しい顔だ。
顔に傷跡が入る前の、ずっと昔の子供の頃によく見た笑顔で、僕は何だかうれしくなった。
と油断した途端に。
「それで、だ。お前が話しにくそうにしていたのは……若様、いや、もう伯爵様か、あの方の婚約者に横恋慕していることか?」
……え?
…………横恋慕? 僕が?
いったいなぜそう言う発想になったんだろう。
というか、話しにくい件は借金であって、そういうのではないんだけど!
僕は慌てた。
「それはない。僕は兄上が婚約していたことすら知らなかったんだ! ……確かにトリジアという女性は知っている。名前は知らなかったけど、何度か声をかけられたことがあったから。でも、図書院で道を聞かれたとかその程度だよ。書庫にいたときにも声をかけられたことはあったかな。その時は急に気分が悪くなったようで、僕一人ではどう考えても支えられないから、司書官に来てもらったんだよ」
「……司書官が、近くにいたのか?」
「貴重書物がある場所だったから、司書官がよく出入りしているんだ。だから、その女性をすぐに医務室に案内できたし……ギーズ?」
状況を説明しているのに、ギーズが眉間に皺を寄せてうなった。
こめかみも指で押さえている。
えっと、僕、何か変なことを言ったかな?
「お前、よく無事だったな」
「え?」
「トリジア嬢はお前に惚れていたんだろうな。あるいは、ちょっと寝てみたいと思っただけかもしれんが、とにかくその書庫で色仕掛けをやろうとしたんだよ」
色仕掛け?
寝る?
それは……いわゆる色事を仕掛けようとした? ……僕に?
「……書庫で?」
「司書官がいたのは誤算だったんだろう。いや、そもそもお前にそんな周りくどい誘いをかけても通じないよな」
「うーん……でも、書庫で人に話しかけられるのはそんなに珍しくないんだけど」
愚痴めいてつぶやいた途端に、ギーズが愕然とした顔をした。
水色の目が僕を見つめ、全身をちらりとみたような気がした。
なんだか、妙にピリピリした表情だ。昔は見慣れていたはずの三白眼が、ちょっと怖い。
「……他にも、書庫で話しかけられたことがあるのか?」
「え? まあ時々。急に気分が悪くなる人も多かったけど、近くにいた司書官に対応は任せていたかな」
「……なるほどな。司書官が気を遣っていたようだな。よく理解した」
「……あ。もしかして僕は……他の方々にも誘われていた?」
「やっと理解したか」
ギーズがため息をついた。
思わず言葉を途中で途切らせてしまうくらいに、重々しいため息だった。
黒い短髪をぐしゃぐしゃと掻き乱し、ギーズは首を振った。
「他は大人しく引き下がったようだが、トリジア様は美女として名高い女性だ。プライドも高い。相手にされなかった逆恨みで、伯爵様に嘘を吹き込んだんだろう」
「……でも兄上は、そんな嘘に簡単に引っかかる人ではないよ」
「あの人はあの人で、お前を追い出す機会を狙っていたんだろう。……だがそういう事情なら、お前の貴族籍への復帰は難しいな。前代伯爵様が亡くなっているのが痛い」
ギーズは吐き捨てるように言って、最後にため息をついた。
僕は呆然としていたけど、やっと頭が整理できてきた。
そうか。兄上は……そこまで僕が嫌いなんだな。
知ってはいたけど、流石に落ち込んでがっくりとうつむいてしまった。
ギーズはじっと見ていたけど、やがて立ち上がった。
「悪いが、他の部屋には布団がないんだ。必要な時だけ貸し布団を使っていたからな。だから……俺のベッドを使ってくれ。そこの部屋だ」
「ありがとう」
僕は素直に頷いて、ギーズの後についていく。
武器が転がっている部屋はやっぱりギーズの部屋だったらしい。中に入ってみると、確かに他の場所に比べれば生活感がある。
多少は、だけど。
近くで見るとベッドも貴族仕様のようで、木彫りの模様が美しい。
そっと押してみると、布団も柔らかくて上質だ。僕の部屋のベッドよりも上質かもしれない。
「鍵はここに置いておくから、家は好きに使ってくれ」
「うん。……うん?」
ベッドを見たせいか急に疲れを感じたけど、僕はふと首を傾げた。
ギーズはまた制服の上着を着てマントを羽織ろうとしている。
いや、どうしてかな?
「もしかして、どこかへ行こうとしている?」
「兵舎だ。いつも俺はそこで寝泊まりしている」
うん、兵舎によくいるということはリザから聞いていたから知っている。職場と近くて便利からだろうと思っている。思っていた。
でも、今日はそうではないのに、兵舎?
「自分の家にいるのに、わざわざ兵舎に?」
「仕方がないだろう。この家で布団があるのは俺のベッドだけだ。ああ、食事は明日の朝持ってくるから、少し我慢してくれ」
「いや、待ってよ。僕は床かソファーで寝るよ! 布団がわりに、君のマントを貸してもらえれば……」
「だめだ。お前はベッドで寝ろ。伯爵家のお坊ちゃん育ちがソファーで眠れるわけがない。まして床なんて論外だ。シーツを替えてから一度も寝ていないから、安心しろ」
そう言うと、本当に出ていこうとしている。
僕は慌てて立ち上がってギーズのマントをつかんだ。
「僕一人で、この家の戸締りができるとは思えないんだけど!」
「……わかった。お前が眠るまでいてやる」
「目が覚めたら知らない場所に一人きりなんて、寂しいじゃないか!」
「そんなガキじゃないだろう」
「寂しいよ! そうだ、寝具がないなら一緒に寝れば……」
「それだけはだめだ」
言葉の途中なのに、きっぱりと断言されてしまった。
ちょっとショックだ。
昔は一緒に寝てくれたのに。
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