翠の子

汐の音

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あたらしい紡ぎ手へ

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 一言でいうと、てんやわんやだった。

 素性を「王都の騎士」と偽って怪我人の救助や兵団の指揮に当たっていたフランは、頭上に現れた神話そのものの天馬と指名手配中の男女一組によって、あっさりと身の上をバラされてしまう。

「……っ! え…………??」

 口をぱくぱくと開け閉めして絶句するフランをよそに、天馬から降りたスイの言上ごんじょうは、まるで魔術を用いたかの如く辺り一帯に響き渡った。


「――古き、始まりの精霊の怒りに触れた地でなお民草のためにご尽力を賜り、かたじけのうございます殿下。ケネフェルはまことの王家を戴き、次代においても慈悲深き貴方様の統治を約束されている。
 此度こたびのこと、大変つらくもありましたが、大難を未然に防がれたこと、不幸中の幸いと存じ上げます。ご祝辞を」
「……古き精霊? あ、いや、ちょっと待ってスイ。……怒り?」

 内心、わたわたと動転が収まらぬ王太子は懸命に平素の顔を心がけた。
 確かに塔の倒壊にかこつけておさに難癖をつけ、責任問題に発展させられないか画策はしていた。が、話が大きくなりすぎだ。

 すらすらと押し流す勢いで喋るスイ。
 ついて行くので精一杯らしい兄を、なんとも言えない顔で見守るセディオがいる。天馬の傍らに立ち、賢明にもいっさい口を挟まない。行儀よく「待て」の姿勢だ。
 ばちり、と青い瞳とヘーゼルブラウンの瞳が視線を交えた。

 ――遠い記憶。
 幼かったころ、確かに存在した二つ違いの弟の面影を見出だしたフランは瞬間、言葉に詰まる。
 早急に確認したいのを後回しにされている感は大いにあるが。

 空気を読むのに長けた王太子の呟き――鸚鵡オウム返し――は、さも由々しそうな表情の魔術師によって、まるっと取り上げられた。

「えぇ、非常に残念なことですが。塔の長は長く、万物のもとたる精霊の命を軽んじていました。あまつさえ《精霊付きの宝石》の更なる乱獲の提唱まで――……また、それ以前に」

 優雅に半身を傾ける。
 いわゆる淑女のお辞儀ではなく、紳士の礼に近かった。
 こびを含まぬその仕草は、凛とした気配、水面みなものようにしずかな美貌をたたえる彼女にとてもよく似合う。

 長い黒髪が二筋、顔の横にこぼれて揺れた。
 広場に集う一同は、思わず目を奪われた。

「……わたくしは、《学術都市》のいわゆる旧式魔術師。貴方様の母君よりご依頼を受け、数年かけて国中、すべて調査いたしました。新式魔術師らの付与魔術の実態。媒体となる宝石の扱いも。その後のの流れも。
 先の、塔を直撃した光の轟音は紛うことなき古き精霊。風の力の司グレートエレメンタルでございます。塔の老人……ヨーヴァ殿は、宝石いしを用いて多くの精霊に隷属をいました。自由であるべきこの世界のいしずえを、です。それを知らしめるために、姿を顕したのです。どうか」

 す、とおもてを上げる。
 まなざしは真摯な黒紫。

「殿下からも今一度、母君にご奏上を。本当にこの国に。民に必要なものが何であるのか。まつりごとの舵取りを、一新していただきたい」
「それは、学術都市の民として?」
「学術都市の民として」
「…………わかった、スイ。ずっと我らを支えてくださったこと、深く感謝します。必ず陛下に伝えましょう。この身に流れる始祖王の血に誓って。……で、そちらが?」
「あ、えぇ」

 神妙なやり取りのあとで、ふいに空気が緩んだ。
 気のせいでなく一斉に回り中から視線を浴びたセディオが苦笑いで一歩、スイより前に進み出る。

 宮廷の忠臣もかくや、と思える完璧なる一礼。そっくり同じ色の髪。
 雰囲気や瞳の色の差異は、まさに兄弟レベル。およそ二十年越しの邂逅だった。

「久しぶり……と、申し上げるべきでしょうか兄上。この度は国難を乗り切られたこと、寿ことほぎ申し上げます。市井に紛れた身では全くお力になれず、口惜しい限りでしたが」
「セディオ……なんだね?」
「はい」

 歩み寄る。兄からの一歩。それでもまだ距離がある。
 ――当然だ。
 また、そうあって然るべきだと魔術師は笑んだ。そっと手を、王太子に差しのべる。

「スイ」
「どうぞ。見たところ、こちらは配下の方にお任せしても大丈夫でしょう。宜しければ、こちらの友の背に乗ってみられませんか。弟君と。最高ですよ」
「……前から言いたかったんですが。貴女の顔の広さと来たら、呆れるばかりですね……」

 スイと、天馬と。
 交互に眺めたあと漏れた一言は脱力の極みにあった。それを軽やかに笑い飛ばしながら。

 レギオンとは顔見知りのセディオが手綱を握る。後ろにフラン。馬上でふと、セディオが地面に立ったままのスイに問うた。

「あんたは?」
「私? 平気だよ。“風の子、運んで”」

「「あ」」

 ふわり。ゆるやかに長衣をなびかせて浮かび上がる女性に、一同の顎が落ちる。自重をやめたスイは、あっという間に高度を増した。空から甘やかな声が降ってくる。

「レギオンは、人の子の言葉がわかるから大丈夫! ゆっくり、兄弟水入らずでどうぞ!」





 ほどなく、追うように空へと舞い上がった天馬レギオンの背で。

「苦労するよ? セディオ。相手が彼女だと」
「もうおせぇよ兄上」

 ……――などと親睦を深めた青年達がいたとか、いないとか。


 それは、珍しく楽しげないななき声をあげたレギオンのみぞ知る。



   *   *   *



 激動の一幕を経て、平穏を取り戻したかに見えるケネフェル。けれど、問題は時おり持ち上がる。

「キリク! まだー? 日が暮れちゃうわ!」

 学術都市の一隅いちぐう、手入れの行き届いた菜園が自慢の庭でもある魔術師の家で、元気な声が響いた。エメルダだ。

 もう……と、ため息まじりに玄関から出てくるのは、やや背の伸びたキリク。兄弟子としてどう言えばいいのか。そんな葛藤の時期はすでに遠い。

「大丈夫、まだ七時だよ。今回は泊まりだし長丁場だってお師匠様も言っただろ?」
「でもっ……はやく行きたいわ。初めてだもの、私たちだけで辺境なんて」
「ピクニックじゃないんだからね? 魔物もいるんだからね?」
「それが、いいんじゃない……!」

 爛々と翠の瞳を輝かせる少女。
 だめだ、止まりっこない――と再びの嘆息。ちらりと後ろの館を振り返った。

「お師匠様、さすがに身重だからね。セディオさんが力づくで止めてる間に出よっか」
「言うようになったよね、キリクも……」
「そりゃ、もう十五だし」

 しれっと告げる声は、そのくせまだ声変わりしていない。成長が遅いのは相変わらずのようだった。

 じゃ、行こうか――と。




 和気あいあいと連れ立つ兄妹弟子の失われし言語ルーンによる歌の詠唱が終わる。消える。薄蒼い燐光のみ残して跡形もなく。

 それは、物語のあらたな紡ぎ手への祝福のように。
 おだやかな静けさ、鳥の啼く声に彩られた庭に晴れやかな光が白く差す、旅立ちの朝だった。





 〈了〉



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