翠の子

汐の音

文字の大きさ
上 下
83 / 87
6章 掌中に収まらぬ宝

82 魔術師の願い

しおりを挟む
 陽を遮っていた霧にも似た砂塵は、幾重にもかさねられたカーテンを払うように軽やかに分けられた。

「あぁっ…………!」

 アナエルの何かしらの術も、はね除けられたらしい。高齢のヨーヴァと眠る黒真珠を守るように立ち塞がっていた細い身体がよろめいた。

 ヨーヴァは彼女に手を貸さない。《始まりの紫水晶アメシスト》の精霊粉が詰まった小瓶を隠すように懐で抱え込み、呆然と頭上を眺めている。

 温度のない視線でそれを一瞥したスイは、独特の韻と抑揚を持つ古語ルーンで滑らかに。紫の光をたたえる黒瞳で、輝く存在へと語りかけた。

“久しぶり。わかりやすく姿をまとってくれてありがとう風の司エアリィ。ね、地上の人間達にも貴方の姿は見せてくれたの?”

「!」

 エアリィ、の単語のみ聞き取れた人の子らは、限界まで目をみひらいた。
 既に把握していたのだろうエメルダやアナエルに、そういう意味での衝撃はない。が、エメルダは実に脱力した様子で、正直な所感をこぼした。


「…………えぇと、風の司エアリィ。古来、最も古きものの一つにして、囚われぬ自由の象徴よね? どうしてそんなに無駄にきらびやかなの……?? しかも」

(若い)
 外見年齢はキリクよりも幼いだろう。
 全員、壊れた塔の最上階に知らん顔で降り立った少年に釘付けとなった。
 とにかく麗々れいれいしい。
 流れ落ちる金の髪は顎の下辺りから空気をはらみ、ふわりと浮いて肩や背の輪郭を曖昧にしている。
 たっぷりと布地をかさねた白の衣も自身を起点とする螺旋の風にゆらめき、優雅なドレープを波打たせている。
 足元は古風なサンダル。肌の色は雪花石膏アラバスタ。質感は明け時の、うすい薔薇色の雲を思わせた。

 まるでスイとお揃いのような紫の瞳。彫像めいた幼い美貌をくしゃりと歪ませ、風の司は惜しげもなく破顔した。

“どういたしまして、スイ。可愛いきみのためだもの。もちろん可能な限り威圧したし、姿も見せつけた。だって、ここの空気はひどく淀んでたし――
 『我が物顔』って、あぁいうのを言うんだよね? どうせやるなら、とことん派手にしようと思ったんだ。だめだった?”

“いや。いいけど。怪我人は出てない?”

 少年の形をまとった存在の天衣無縫さに、スイは無頓着だった。淡々と必要な確認をとる。
 エアリィはひどく人間くさい表情で、ひょい、と肩をすくめた。

“あぁ、ちょっとは血が流れたけど大したことない。全部かすり傷だよ。つまんない。早い段階でおれに気づいた奴が一人いてさ。そいつが、やたらてきぱき指示を飛ばして他の人の子やつらを誘導してんの。お陰で誰も死ななかった。つまんな――”

“次に『つまらない』と言ったら、その綺麗な頬を張り倒すわ”

“すみません”

 余人を立ち入らせぬ軽妙なテンポで、ルーンによる歌の応酬はえんえん続く。
 ふと、紫の瞳があやうい光を浮かべてきらめいた。

“で。そいつだよね、きみを人間にした元凶。どうする? せっかくだし、殺しとく?”

“こらこら”

 苦笑したスイは、目許を一瞬曇らせた。
 自分のことはいい。しかし。

(……今まで奪われた、いくつもの命があった。均衡を乱された。果ては、アナエルのような存在まで)

 わななく、血の気のない唇。整ってはいるが印象には残らない無機質な顔。
 琥珀色の女性は、まだ状況に追い付けていない様子だった。禍々しい黒縄の気配はない。出せないのだろう。
 いま、この場は風の元素霊エレメンタルで満たされている。創世の息吹に等しい神々しさで、塔を媒介にかたどられた結界は霧散していた。


 人の子としては畏怖を。
 精霊だった身体は本能で恭順を。
 それを、に誓ったのだろうヨーヴァへの帰属心だけで押し退け、奮い立たせている。

 哀れだった。
 ヨーヴァも、ひたすら哀れだった。
 かれの父だったミゲルの遺言。やっと築いた安寧の地――学術都市の片隅で、かれはひっそりと息を引きとった。その間際を鮮明に思い出す。思い出して、今も同じ悼む心で目を瞑る。息が止まる。涙が滲む。


 ――――……だめ。ころせない。

 逡巡に似た一時ひととき。スイは唇を噛みしめた。
 ためた涙を払うように、忙しなく瞬いて顔を上げるまで。


“お願いを……聞いてくれる? エアリィ。どうか”

 歌いつつ歩み寄る、つややかな黒髪の魔術師。
 彼女に甘い気まぐれな力の司は、膝をついて目線を合わせてきたスイの、揺れも嘆きも何もかもを飲み込み、ゆったりと微笑んだ。

 そのときだけは超然と、慈父のまなざしで。


 ――――うん。いいよ、と。


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

薪割りむすめと氷霜の狩人~夫婦で最強の魔法具職人目指します~

寺音
ファンタジー
狐系クール女子×くまさん系おおらか男子。 「旦那が狩って嫁が割る」 これは二人が最高の温かさを作る物語。 分厚い雪と氷に閉ざされた都市国家シャトゥカナル。極寒の地で人々の生活を支えているのが、魔物と呼ばれる異形たちの毛皮や牙、爪などから作られる魔法具である。魔物を狩り、魔法具を作るものたちは「職人」と呼ばれ、都市の外で村を作り生活していた。 シャトゥカナルに住む女性ライサは、体の弱い従妹の身代わりに職人たちが住む村スノダールへ嫁ぐよう命じられる。野蛮な人々の住む村として知られていたスノダール。決死の覚悟で嫁いだ彼女を待っていたのは……思わぬ歓待とのほほん素朴な旦那様だった。 こちらはカクヨムでも公開しております。 表紙イラストは、羽鳥さま(@Hatori_kakuyomu)に描いていただきました。

特に呼ばれた記憶は無いが、異世界に来てサーセン。

黄玉八重
ファンタジー
水無月宗八は意識を取り戻した。 そこは誰もいない大きい部屋で、どうやら異世界召喚に遭ったようだ。 しかし姫様が「ようこそ!」って出迎えてくれないわ、不審者扱いされるわ、勇者は1ヶ月前に旅立ってらしいし、じゃあ俺は何で召喚されたの? 優しい水の国アスペラルダの方々に触れながら、 冒険者家業で地力を付けながら、 訪れた異世界に潜む問題に自分で飛び込んでいく。 勇者ではありません。 召喚されたのかも迷い込んだのかもわかりません。 でも、優しい異世界への恩返しになれば・・・。

【完結】あなたに知られたくなかった

ここ
ファンタジー
セレナの幸せな生活はあっという間に消え去った。新しい継母と異母妹によって。 5歳まで令嬢として生きてきたセレナは6歳の今は、小さな手足で必死に下女見習いをしている。もう自分が令嬢だということは忘れていた。 そんなセレナに起きた奇跡とは?

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

【完結】獅子の威を借る子猫は爪を研ぐ

綾雅(ヤンデレ攻略対象、電子書籍化)
ファンタジー
 魔族の住むゲヘナ国の幼女エウリュアレは、魔力もほぼゼロの無能な皇帝だった。だが彼女が持つ価値は、唯一無二のもの。故に強者が集まり、彼女を守り支える。揺らぐことのない玉座の上で、幼女は最弱でありながら一番愛される存在だった。 「私ね、皆を守りたいの」  幼い彼女の望みは優しく柔らかく、他国を含む世界を包んでいく。 【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2022/06/20……完結 2022/02/14……小説家になろう ハイファンタジー日間 81位 2022/02/14……アルファポリスHOT 62位 2022/02/14……連載開始

とべない天狗とひなの旅

ちはやれいめい
歴史・時代
人間嫌いで悪行の限りを尽してきた天狗、フェノエレーゼ。 主君サルタヒコの怒りを買い、翼を封じられ人里に落とされてしまう。 「心から人間に寄り添い助けろ。これ以上悪さをすると天狗に戻れなくなるぞ」 とべなくなったフェノエレーゼの事情を知って、人里の童女ヒナが、旅についてきた。 人間嫌いの偏屈天狗と、天真爛漫な幼女。 翼を取り戻すため善行を積む旅、はじまりはじまり。 絵・文 ちはやれいめい https://mypage.syosetu.com/487329/ フェノエレーゼデザイン トトさん https://mypage.syosetu.com/432625/

城で侍女をしているマリアンネと申します。お給金の良いお仕事ありませんか?

甘寧
ファンタジー
「武闘家貴族」「脳筋貴族」と呼ばれていた元子爵令嬢のマリアンネ。 友人に騙され多額の借金を作った脳筋父のせいで、屋敷、領土を差し押さえられ事実上の没落となり、その借金を返済する為、城で侍女の仕事をしつつ得意な武力を活かし副業で「便利屋」を掛け持ちしながら借金返済の為、奮闘する毎日。 マリアンネに執着するオネエ王子やマリアンネを取り巻く人達と様々な試練を越えていく。借金返済の為に…… そんなある日、便利屋の上司ゴリさんからの指令で幽霊屋敷を調査する事になり…… 武闘家令嬢と呼ばれいたマリアンネの、借金返済までを綴った物語

【完結】転生7年!ぼっち脱出して王宮ライフ満喫してたら王国の動乱に巻き込まれた少女戦記 〜愛でたいアイカは救国の姫になる

三矢さくら
ファンタジー
【完結しました】異世界からの召喚に応じて6歳児に転生したアイカは、護ってくれる結界に逆に閉じ込められた結果、山奥でサバイバル生活を始める。 こんなはずじゃなかった! 異世界の山奥で過ごすこと7年。ようやく結界が解けて、山を下りたアイカは王都ヴィアナで【天衣無縫の無頼姫】の異名をとる第3王女リティアと出会う。 珍しい物好きの王女に気に入られたアイカは、なんと侍女に取り立てられて王宮に! やっと始まった異世界生活は、美男美女ぞろいの王宮生活! 右を見ても左を見ても「愛でたい」美人に美少女! 美男子に美少年ばかり! アイカとリティア、まだまだ幼い侍女と王女が数奇な運命をたどる異世界王宮ファンタジー戦記。

処理中です...