76 / 87
6章 掌中に収まらぬ宝
75 守りたい、慕わしいもの
しおりを挟む
『不甲斐ない。王族が雁首そろえて、何をやってるんです』
日付にして昨日。
スイが王家の元を辞したあとにそれは起こった。現象としては親子喧嘩に近い。口火を切ったのは普段温厚で知られる長子フランだ。
珍しく眉間が深い。声は柔らかさを失わないまでも、低くひんやりした響きを滲ませていた。
母女王も父大公もそれなりに驚いた。が、女王アイリーネはなるべく泰然さを崩さぬよう、けろりと言い放つ。
『雁首。そうね、貴方も。筆頭はわたくしだけど』
『陛下』
臣から彼女の夫となったカディンは元々妻に強く当たれない。今もそうだ。
フランはいらいらと椅子の背に体重を預け、足を寛がせた。とん、とん、と、指先でテーブルを叩く。舌打ちまでしかねないほどの不機嫌さだった。
『ほら、また。母上はまず己が非を認めて、分散させてから周囲の攻撃を封じる癖がありますが。それが議会を増長させた面について、もっと深くご理解なさるべきです』
まぁ、と意外そうに女王は目を瞬いた。
やがて優しげに微笑む。
『急に言うようになったのねフラン。頼もしいわ。スイのおかげかしら』
『…………っぅぶ、ごほっ!!』
『いけないよ、陛下。フランの遅すぎる思春期で反抗期なんだ。得難く、貴重なものではあるが、失恋と同時では手痛すぎる。そっとしておこう』
『! な、なな……?』
けほ、ごほんと涙目で噎せつつ、フランは訴えた。勢いで流し込んだ紅茶の残りが気管に入ったらしい。
『……っ、誰が! 思春期ですか、失恋ですか。私はもう二十六ですよ?』
『色々と遅かったわね』
『遅すぎる春で、あっという間の冬だ。しかも相愛なのは、ぽっと出のセディオだ』
(!)
具体的に、何のことを指すのか。
ようやく悟ったフランは咳払いを一つ落とし、なるべく冷静さを心がけた。
『勘弁してください……、一旦そこから離れましょう。ね?』
両親が神妙な顔で黙りこくったのを良いことに、改めて向かい合う。姿勢を正す。
『そもそも。母上がたは“スイ”の存在に頼りすぎです。たしかに始まりの王がもたらした守護の宝石だったんでしょう――先代までは。
でも、今はそうじゃない。生身の人間です。いつも依頼を受けたと嘯いては、我々を救い出してくれる、特級魔術師です。
……いったい、何のために彼女がミゲルと学術都市を作ったとお思いです。何のための王家ですか。今このとき、膨れ上がった病巣を彼女一人に任せてどうするんです? 私も――』
行きます。
――しずかに叩きつけた宣言から予定をやりくりして、フランは職工の街を訪れている。もちろんスイには話していない。
王族として、できることはあると信じたかった。
……思春期とか反抗期は、抜きにして。
* * *
「いやな予感がする」
「黒……クロウ、さん?」
あとから続く少年が遅れぬよう、ぎりぎりの歩速。
自然とキリクは小走りだが、かれ自身はもっと走ってもいいと思っている。時間を失ったのは、自分のせいだ。
「新式魔術師の塔って……あれですよね。僕は時計塔とか、祈りの塔だとばっかり思ってました。前回、来たときは」
「行かなかったろう? そりゃそうだ。スイが自分から近寄るわけがない。ウォーラの怒りはもっともだよ。僕だって怒ってる。あいつには以前のスイも。親友だったオニキスまで奪われた」
青年は前を向いて淡々とこぼしているが、かれの腹の底でうねり、燻る熱はひしひしと伝わった。
キリクは歩調を緩めぬまま、ぐっと眉根を寄せる。
「……クロウさんも、人間はきらいですか」
「嫌いだね。けど、スイときみ。それからセディオ……あと、僕を見いだしてくれたミゲルは好きだよ。感謝してる」
「感謝?」
突出した宝飾細工師ミゲルや、失われた二体を統合したスイを嫌えないのはわかる。けど、自分とセディオは――
沈むように思考する、年齢よりもずっと大人びた少年に、クロウこと黒真珠は微苦笑した。
「難しいことじゃない。スイにとって大事な人間だからだよ。慈しみや幸せ、温もりを与えてくれるものは好きだ。僕自身は人の子と直接関わる気はないし、誰かを守護することはないだろう。スイ以外では」
(振られちゃったけど)
苦さの理由はそれ。
自分は宝石に分類されるものの、本体は鉱物ではない。うつくしい南の海が育んだ貝の奇跡。黒い光沢を放つ大粒の真珠だ。
他の結晶体と違い、水を弾き続けることはできない。汚水のなかではたちまち精霊としての命も輝きも失われてしまうだろう。
だから。
遠い日、ミゲルは見いだした僕にクリスタルで完全な覆いをつけた、不思議な台座をくれた。
無色透明の壁は流線型の模様にカッティングされ、台座から伸びた金と銀の細工が天頂で合わさり、そこから鎖に繋がっていた。風変わりな首飾りだ。
『きみは、傷つきやすい。汚れにも弱い。けど、仕舞われっぱなしなんて性に合わない人懐こい子だと思う。なんとなく、穴を空けて糸に通すのは違う気がしたんだけど――どう?』
と。
思い出せば慕わしい。初めての人間は、かれだったから。
黒真珠はふと思いつき、歩速を和らげた。
立ち止まる。
隣にキリクが並ぶまで待ち、片膝をつくと、まじまじと正面からかれを眺めた。
「? く、クロウさん、なにか――?」
ぎょっと身を引きつつ、訝しそうに尋ねるキリク。
黒真珠は、灰銀の光沢をそなえる瞳を優しくすがめた。
「セディオは、とても素敵なエメルダを産み出した。きみも……そのうち。きみの手で、誰かの願いを具現化できる者になるかもしれない。僕は、そういうひとが好きなんだ」
日付にして昨日。
スイが王家の元を辞したあとにそれは起こった。現象としては親子喧嘩に近い。口火を切ったのは普段温厚で知られる長子フランだ。
珍しく眉間が深い。声は柔らかさを失わないまでも、低くひんやりした響きを滲ませていた。
母女王も父大公もそれなりに驚いた。が、女王アイリーネはなるべく泰然さを崩さぬよう、けろりと言い放つ。
『雁首。そうね、貴方も。筆頭はわたくしだけど』
『陛下』
臣から彼女の夫となったカディンは元々妻に強く当たれない。今もそうだ。
フランはいらいらと椅子の背に体重を預け、足を寛がせた。とん、とん、と、指先でテーブルを叩く。舌打ちまでしかねないほどの不機嫌さだった。
『ほら、また。母上はまず己が非を認めて、分散させてから周囲の攻撃を封じる癖がありますが。それが議会を増長させた面について、もっと深くご理解なさるべきです』
まぁ、と意外そうに女王は目を瞬いた。
やがて優しげに微笑む。
『急に言うようになったのねフラン。頼もしいわ。スイのおかげかしら』
『…………っぅぶ、ごほっ!!』
『いけないよ、陛下。フランの遅すぎる思春期で反抗期なんだ。得難く、貴重なものではあるが、失恋と同時では手痛すぎる。そっとしておこう』
『! な、なな……?』
けほ、ごほんと涙目で噎せつつ、フランは訴えた。勢いで流し込んだ紅茶の残りが気管に入ったらしい。
『……っ、誰が! 思春期ですか、失恋ですか。私はもう二十六ですよ?』
『色々と遅かったわね』
『遅すぎる春で、あっという間の冬だ。しかも相愛なのは、ぽっと出のセディオだ』
(!)
具体的に、何のことを指すのか。
ようやく悟ったフランは咳払いを一つ落とし、なるべく冷静さを心がけた。
『勘弁してください……、一旦そこから離れましょう。ね?』
両親が神妙な顔で黙りこくったのを良いことに、改めて向かい合う。姿勢を正す。
『そもそも。母上がたは“スイ”の存在に頼りすぎです。たしかに始まりの王がもたらした守護の宝石だったんでしょう――先代までは。
でも、今はそうじゃない。生身の人間です。いつも依頼を受けたと嘯いては、我々を救い出してくれる、特級魔術師です。
……いったい、何のために彼女がミゲルと学術都市を作ったとお思いです。何のための王家ですか。今このとき、膨れ上がった病巣を彼女一人に任せてどうするんです? 私も――』
行きます。
――しずかに叩きつけた宣言から予定をやりくりして、フランは職工の街を訪れている。もちろんスイには話していない。
王族として、できることはあると信じたかった。
……思春期とか反抗期は、抜きにして。
* * *
「いやな予感がする」
「黒……クロウ、さん?」
あとから続く少年が遅れぬよう、ぎりぎりの歩速。
自然とキリクは小走りだが、かれ自身はもっと走ってもいいと思っている。時間を失ったのは、自分のせいだ。
「新式魔術師の塔って……あれですよね。僕は時計塔とか、祈りの塔だとばっかり思ってました。前回、来たときは」
「行かなかったろう? そりゃそうだ。スイが自分から近寄るわけがない。ウォーラの怒りはもっともだよ。僕だって怒ってる。あいつには以前のスイも。親友だったオニキスまで奪われた」
青年は前を向いて淡々とこぼしているが、かれの腹の底でうねり、燻る熱はひしひしと伝わった。
キリクは歩調を緩めぬまま、ぐっと眉根を寄せる。
「……クロウさんも、人間はきらいですか」
「嫌いだね。けど、スイときみ。それからセディオ……あと、僕を見いだしてくれたミゲルは好きだよ。感謝してる」
「感謝?」
突出した宝飾細工師ミゲルや、失われた二体を統合したスイを嫌えないのはわかる。けど、自分とセディオは――
沈むように思考する、年齢よりもずっと大人びた少年に、クロウこと黒真珠は微苦笑した。
「難しいことじゃない。スイにとって大事な人間だからだよ。慈しみや幸せ、温もりを与えてくれるものは好きだ。僕自身は人の子と直接関わる気はないし、誰かを守護することはないだろう。スイ以外では」
(振られちゃったけど)
苦さの理由はそれ。
自分は宝石に分類されるものの、本体は鉱物ではない。うつくしい南の海が育んだ貝の奇跡。黒い光沢を放つ大粒の真珠だ。
他の結晶体と違い、水を弾き続けることはできない。汚水のなかではたちまち精霊としての命も輝きも失われてしまうだろう。
だから。
遠い日、ミゲルは見いだした僕にクリスタルで完全な覆いをつけた、不思議な台座をくれた。
無色透明の壁は流線型の模様にカッティングされ、台座から伸びた金と銀の細工が天頂で合わさり、そこから鎖に繋がっていた。風変わりな首飾りだ。
『きみは、傷つきやすい。汚れにも弱い。けど、仕舞われっぱなしなんて性に合わない人懐こい子だと思う。なんとなく、穴を空けて糸に通すのは違う気がしたんだけど――どう?』
と。
思い出せば慕わしい。初めての人間は、かれだったから。
黒真珠はふと思いつき、歩速を和らげた。
立ち止まる。
隣にキリクが並ぶまで待ち、片膝をつくと、まじまじと正面からかれを眺めた。
「? く、クロウさん、なにか――?」
ぎょっと身を引きつつ、訝しそうに尋ねるキリク。
黒真珠は、灰銀の光沢をそなえる瞳を優しくすがめた。
「セディオは、とても素敵なエメルダを産み出した。きみも……そのうち。きみの手で、誰かの願いを具現化できる者になるかもしれない。僕は、そういうひとが好きなんだ」
0
お気に入りに追加
22
あなたにおすすめの小説
〖完結〗その子は私の子ではありません。どうぞ、平民の愛人とお幸せに。
藍川みいな
恋愛
愛する人と結婚した…はずだった……
結婚式を終えて帰る途中、見知らぬ男達に襲われた。
ジュラン様を庇い、顔に傷痕が残ってしまった私を、彼は醜いと言い放った。それだけではなく、彼の子を身篭った愛人を連れて来て、彼女が産む子を私達の子として育てると言い出した。
愛していた彼の本性を知った私は、復讐する決意をする。決してあなたの思い通りになんてさせない。
*設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。
*全16話で完結になります。
*番外編、追加しました。
懐妊を告げずに家を出ます。最愛のあなた、どうかお幸せに。
梅雨の人
恋愛
最愛の夫、ブラッド。
あなたと共に、人生が終わるその時まで互いに慈しみ、愛情に溢れる時を過ごしていけると信じていた。
その時までは。
どうか、幸せになってね。
愛しい人。
さようなら。
【完結】亡き冷遇妃がのこしたもの〜王の後悔〜
なか
恋愛
「セレリナ妃が、自死されました」
静寂をかき消す、衛兵の報告。
瞬間、周囲の視線がたった一人に注がれる。
コリウス王国の国王––レオン・コリウス。
彼は正妃セレリナの死を告げる報告に、ただ一言呟く。
「構わん」……と。
周囲から突き刺さるような睨みを受けても、彼は気にしない。
これは……彼が望んだ結末であるからだ。
しかし彼は知らない。
この日を境にセレリナが残したものを知り、後悔に苛まれていくことを。
王妃セレリナ。
彼女に消えて欲しかったのは……
いったい誰か?
◇◇◇
序盤はシリアスです。
楽しんでいただけるとうれしいです。
【完】あの、……どなたでしょうか?
桐生桜月姫
恋愛
「キャサリン・ルーラー
爵位を傘に取る卑しい女め、今この時を以て貴様との婚約を破棄する。」
見た目だけは、麗しの王太子殿下から出た言葉に、婚約破棄を突きつけられた美しい女性は………
「あの、……どなたのことでしょうか?」
まさかの意味不明発言!!
今ここに幕開ける、波瀾万丈の間違い婚約破棄ラブコメ!!
結末やいかに!!
*******************
執筆終了済みです。
侯爵家の愛されない娘でしたが、前世の記憶を思い出したらお父様がバリ好みのイケメン過ぎて毎日が楽しくなりました
下菊みこと
ファンタジー
前世の記憶を思い出したらなにもかも上手くいったお話。
ご都合主義のSS。
お父様、キャラチェンジが激しくないですか。
小説家になろう様でも投稿しています。
突然ですが長編化します!ごめんなさい!ぜひ見てください!
好きでした、さようなら
豆狸
恋愛
「……すまない」
初夜の床で、彼は言いました。
「君ではない。私が欲しかった辺境伯令嬢のアンリエット殿は君ではなかったんだ」
悲しげに俯く姿を見て、私の心は二度目の死を迎えたのです。
なろう様でも公開中です。
料理スキルで完璧な料理が作れるようになったから、異世界を満喫します
黒木 楓
恋愛
隣の部屋の住人というだけで、女子高生2人が行った異世界転移の儀式に私、アカネは巻き込まれてしまう。
どうやら儀式は成功したみたいで、女子高生2人は聖女や賢者といったスキルを手に入れたらしい。
巻き込まれた私のスキルは「料理」スキルだけど、それは手順を省略して完璧な料理が作れる凄いスキルだった。
転生者で1人だけ立場が悪かった私は、こき使われることを恐れてスキルの力を隠しながら過ごしていた。
そうしていたら「お前は不要だ」と言われて城から追い出されたけど――こうなったらもう、異世界を満喫するしかないでしょう。
未亡人となった側妃は、故郷に戻ることにした
星ふくろう
恋愛
カトリーナは帝国と王国の同盟により、先代国王の側室として王国にやって来た。
帝国皇女は正式な結婚式を挙げる前に夫を失ってしまう。
その後、義理の息子になる第二王子の正妃として命じられたが、王子は彼女を嫌い浮気相手を溺愛する。
数度の恥知らずな婚約破棄を言い渡された時、カトリーナは帝国に戻ろうと決めたのだった。
他の投稿サイトでも掲載しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる