翠の子

汐の音

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6章 掌中に収まらぬ宝

75 守りたい、慕わしいもの

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『不甲斐ない。王族が雁首がんくびそろえて、何をやってるんです』

 日付にして昨日。
 スイが王家の元を辞したあとにそれは起こった。現象としては親子喧嘩に近い。口火を切ったのは普段温厚で知られる長子フランだ。
 珍しく眉間が深い。声は柔らかさを失わないまでも、低くひんやりした響きを滲ませていた。

 母女王も父大公もそれなりに驚いた。が、女王アイリーネはなるべく泰然さを崩さぬよう、けろりと言い放つ。

『雁首。そうね、貴方も。筆頭はわたくしだけど』
『陛下』

 臣から彼女の夫となったカディンは元々妻に強く当たれない。今もそうだ。
 フランはいらいらと椅子の背に体重を預け、足を寛がせた。とん、とん、と、指先でテーブルを叩く。舌打ちまでしかねないほどの不機嫌さだった。

『ほら、また。母上はまずおのが非を認めて、分散させてから周囲の攻撃を封じる癖がありますが。それが議会を増長させた面について、もっと深くご理解なさるべきです』

 まぁ、と意外そうに女王は目を瞬いた。
 やがて優しげに微笑む。

『急に言うようになったのねフラン。頼もしいわ。スイのおかげかしら』
『…………っぅぶ、ごほっ!!』
『いけないよ、陛下。フランの遅すぎる思春期で反抗期なんだ。得難く、貴重なものではあるが、失恋と同時では手痛すぎる。そっとしておこう』
『! な、なな……?』

 けほ、ごほんと涙目でせつつ、フランは訴えた。勢いで流し込んだ紅茶の残りが気管に入ったらしい。

『……っ、誰が! 思春期ですか、失恋ですか。私はもう二十六ですよ?』
『色々と遅かったわね』
『遅すぎる春で、あっという間の冬だ。しかも相愛なのは、ぽっと出のセディオだ』

(!)
 具体的に、
 ようやく悟ったフランは咳払いを一つ落とし、なるべく冷静さを心がけた。
『勘弁してください……、一旦そこから離れましょう。ね?』

 両親が神妙な顔で黙りこくったのを良いことに、改めて向かい合う。姿勢を正す。

『そもそも。母上がたは“スイ”の存在に頼りすぎです。たしかに始まりの王がもたらした守護の宝石だったんでしょう――先代までは。
 でも、今はそうじゃない。生身の人間です。いつも依頼を受けたとうそぶいては、我々を救い出してくれる、特級魔術師です。
 ……いったい、何のために彼女がミゲルと学術都市を作ったとお思いです。何のための王家ですか。今このとき、膨れ上がった病巣びょうそうを彼女一人に任せてどうするんです? 私も――』


 行きます。


 ――しずかに叩きつけた宣言から予定スケジュールをやりくりして、フランは職工の街を訪れている。もちろんスイには話していない。

 王族として、できることはあると信じたかった。
 ……思春期とか反抗期は、抜きにして。



   *   *   *



「いやな予感がする」
「黒……クロウ、さん?」

 あとから続く少年が遅れぬよう、ぎりぎりの歩速。
 自然とキリクは小走りだが、かれ自身はもっと走ってもいいと思っている。時間を失ったのは、自分のせいだ。

「新式魔術師の塔って……あれですよね。僕は時計塔とか、祈りの塔だとばっかり思ってました。前回まえ、来たときは」
「行かなかったろう? そりゃそうだ。スイが自分から近寄るわけがない。ウォーラの怒りはもっともだよ。僕だって怒ってる。あいつには以前のスイも。親友だったオニキスまで奪われた」

 青年は前を向いて淡々とこぼしているが、かれの腹の底でうねり、燻る熱はひしひしと伝わった。
 キリクは歩調を緩めぬまま、ぐっと眉根を寄せる。

「……クロウさんも、人間はきらいですか」
「嫌いだね。けど、スイときみ。それからセディオ……あと、僕を見いだしてくれたミゲルは好きだよ。感謝してる」
「感謝?」

 突出した宝飾細工師ミゲルや、失われた二体を統合したスイを嫌えないのはわかる。けど、自分とセディオは――

 沈むように思考する、年齢よりもずっと大人びた少年に、クロウこと黒真珠は微苦笑した。

「難しいことじゃない。スイにとって大事な人間だからだよ。慈しみや幸せ、温もりを与えてくれるものは好きだ。僕自身は人の子と直接関わる気はないし、誰かを守護することはないだろう。スイ以外では」

(振られちゃったけど)
 苦さの理由はそれ。

 自分は宝石に分類されるものの、本体は鉱物ではない。うつくしい南の海が育んだ貝の奇跡。黒い光沢を放つ大粒の真珠だ。
 他の結晶体と違い、水を弾き続けることはできない。汚水のなかではたちまち精霊としての命も輝きも失われてしまうだろう。
 だから。

 遠い日、ミゲルは見いだした僕にクリスタルで完全な覆いをつけた、不思議な台座をくれた。
 無色透明の壁は流線型の模様にカッティングされ、台座から伸びた金と銀の細工が天頂で合わさり、そこから鎖に繋がっていた。風変わりな首飾りだ。

『きみは、傷つきやすい。汚れにも弱い。けど、仕舞われっぱなしなんて性に合わない人懐こい子だと思う。なんとなく、穴を空けて糸に通すのは違う気がしたんだけど――どう?』

 と。
 思い出せば慕わしい。初めての人間は、かれだったから。

 黒真珠はふと思いつき、歩速を和らげた。
 立ち止まる。
 隣にキリクが並ぶまで待ち、片膝をつくと、まじまじと正面からかれを眺めた。

「? く、クロウさん、なにか――?」

 ぎょっと身を引きつつ、いぶかしそうに尋ねるキリク。
 黒真珠は、灰銀の光沢をそなえる瞳を優しくすがめた。

「セディオは、とても素敵なエメルダを産み出した。きみも……そのうち。きみの手で、誰かの願いを具現化できる者になるかもしれない。僕は、そういうひとが好きなんだ」

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