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5章 二つの魔術
68 白と黒の対談
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昔、紫水晶だった存在は小首を傾げる。
人間の女性となった今も、人の子は不可解だ。
三十七年前、スイは人間になってしまった。それを成し遂げたのが目の前の男の一生涯をかけた夢だというのだから、未だに解せない。
が、来たからには空手で帰るわけにいかない。嫌々ながら目的を果たすべく話を進めた。
「単刀直入に言おう。王家には手を出しちゃいけない」
「理由をお訊きしても?」
老人の割りに、ヨーヴァには華がある。
毒もあれば、その実、氷でできているのでは? と思える華だ。
スイは、ソファーまで導こうと差し出された男の手を無視し、みずから席を選んでさっさと腰をおろした。
一瞬だけ、男に微笑以外の表情が浮かぶ。ほんの少し、寂しさのようなものが。
――スイは唇を噛んだ。
べつに、自分に対してはいい。ただこの男は精霊全般に対して。殊のほか古きもの、上位たるものへの尊嵩の念が薄すぎる。
毛足の長い絨毯の上をゆっくりと移動し、ヨーヴァもスイの正面へと腰掛けた。
長机を挟んで相対した途端、“会談に臨む長”の顔にすっきりと戻る。本当に、可愛いげの欠片もない。
玲瓏で。
透明感すら漂う佇まい。
膝の上で組まれた両手は、本来の魔術師が行う失われた言語を刻むためのものではない。ヨーヴァの父である、スイのマスターだった宝飾細工師ミゲル同様、職人の手なのだ。
その手で、数えきれないほどの精霊核が魔力を秘めた単なる粉末にされた。
自分も。
その一人だ。
――この身体の本来の主は、核を砕かれなかっただけ。スイを宿す、そのためだけに意識を消されてしまった。
黒く長い髪。黒い瞳のおだやかな青年精霊だったオニキス。
実際のところ、ヨーヴァへの憤りはかれへの深い贖罪に根差している。
「……きみは、精霊を一体何だと思ってるの。怒りすぎて街ごと壊しそうだから手短に話すね。
大地との契約は王家に受け継がれた血にある。私は地の司のもとで過ごした古き紫水晶として、王家に託された存在として――……昔、話してあげたでしょう? ケネフェルを見守る義務がある」
「その身体は、もう人間なのに?」
「誰かさんのお陰でね。魂は『アメシスト』だもの」
「なるほど。契約は魂に属してるのか……」
「!」
スイはぎょっとした。この男、本当に油断ならない。
「……何を考えてる?」
ヨーヴァは、長年の想い人が漏らした不信感丸出しの問い掛けに、にっこりと応じた。
「悪いことを」
「!! ヨーヴァ……っ!」
「――失礼いたします。お茶をお持ちしました」
「あぁ」
続きの間である給湯室から、先程の女性が湯気たつ茶器を二人分乗せた盆を運んで来た。
カチャリ、と眼前に置かれた見事な金縁のティーカップには目もくれず、スイは座ったままで身を乗り出す。
「きみ、フランを殺してセディオを操ろうとしたろう」
「しましたね」
あっさりと肯定。
スイが手を付けないことは想定内か、悪びれずに自分の器を手に取ると、ふ、と湯気を飛ばして一口含んだ。あくまでもマイペースに、滔々と続ける。
「でもやめておきます。女王夫妻に新たな子は望めないでしょうし。第二王子……セディオといいましたか? かれの意識を消しては精霊どもをケネフェルに繋ぎ止められなくなる、と理解したので」
ぴく、とスイの眉が不機嫌の形をとった。室内の体感温度が一~二度下がる。
「不遜だね」
「こう見えても、精霊――特に宝石の精霊は非常に有用な資源だと捉えています。他国ではこうはいかない。ケネフェルだけですよ。無尽蔵に、掘れば掘るだけ“ある”のに。活用しないなんて馬鹿げてる」
「……!」
――――声なく拳を握った。
馬鹿はきみだ、という言葉を、スイは苦々しく飲み込む。
会話にならない。わかっている。
はぁぁああ……と深くため息をつき、退出すべく、すっくと立ち上がった。
「お茶は要らない。帰るね」
「ちょっと待って」
「?」
にこり、と濃い青の瞳が笑みを象った。
「折角、こちらまで出て来てもらえたんです。……帰すわけが、ないでしょう?」
かちり。
施錠の音が響いた。
人間の女性となった今も、人の子は不可解だ。
三十七年前、スイは人間になってしまった。それを成し遂げたのが目の前の男の一生涯をかけた夢だというのだから、未だに解せない。
が、来たからには空手で帰るわけにいかない。嫌々ながら目的を果たすべく話を進めた。
「単刀直入に言おう。王家には手を出しちゃいけない」
「理由をお訊きしても?」
老人の割りに、ヨーヴァには華がある。
毒もあれば、その実、氷でできているのでは? と思える華だ。
スイは、ソファーまで導こうと差し出された男の手を無視し、みずから席を選んでさっさと腰をおろした。
一瞬だけ、男に微笑以外の表情が浮かぶ。ほんの少し、寂しさのようなものが。
――スイは唇を噛んだ。
べつに、自分に対してはいい。ただこの男は精霊全般に対して。殊のほか古きもの、上位たるものへの尊嵩の念が薄すぎる。
毛足の長い絨毯の上をゆっくりと移動し、ヨーヴァもスイの正面へと腰掛けた。
長机を挟んで相対した途端、“会談に臨む長”の顔にすっきりと戻る。本当に、可愛いげの欠片もない。
玲瓏で。
透明感すら漂う佇まい。
膝の上で組まれた両手は、本来の魔術師が行う失われた言語を刻むためのものではない。ヨーヴァの父である、スイのマスターだった宝飾細工師ミゲル同様、職人の手なのだ。
その手で、数えきれないほどの精霊核が魔力を秘めた単なる粉末にされた。
自分も。
その一人だ。
――この身体の本来の主は、核を砕かれなかっただけ。スイを宿す、そのためだけに意識を消されてしまった。
黒く長い髪。黒い瞳のおだやかな青年精霊だったオニキス。
実際のところ、ヨーヴァへの憤りはかれへの深い贖罪に根差している。
「……きみは、精霊を一体何だと思ってるの。怒りすぎて街ごと壊しそうだから手短に話すね。
大地との契約は王家に受け継がれた血にある。私は地の司のもとで過ごした古き紫水晶として、王家に託された存在として――……昔、話してあげたでしょう? ケネフェルを見守る義務がある」
「その身体は、もう人間なのに?」
「誰かさんのお陰でね。魂は『アメシスト』だもの」
「なるほど。契約は魂に属してるのか……」
「!」
スイはぎょっとした。この男、本当に油断ならない。
「……何を考えてる?」
ヨーヴァは、長年の想い人が漏らした不信感丸出しの問い掛けに、にっこりと応じた。
「悪いことを」
「!! ヨーヴァ……っ!」
「――失礼いたします。お茶をお持ちしました」
「あぁ」
続きの間である給湯室から、先程の女性が湯気たつ茶器を二人分乗せた盆を運んで来た。
カチャリ、と眼前に置かれた見事な金縁のティーカップには目もくれず、スイは座ったままで身を乗り出す。
「きみ、フランを殺してセディオを操ろうとしたろう」
「しましたね」
あっさりと肯定。
スイが手を付けないことは想定内か、悪びれずに自分の器を手に取ると、ふ、と湯気を飛ばして一口含んだ。あくまでもマイペースに、滔々と続ける。
「でもやめておきます。女王夫妻に新たな子は望めないでしょうし。第二王子……セディオといいましたか? かれの意識を消しては精霊どもをケネフェルに繋ぎ止められなくなる、と理解したので」
ぴく、とスイの眉が不機嫌の形をとった。室内の体感温度が一~二度下がる。
「不遜だね」
「こう見えても、精霊――特に宝石の精霊は非常に有用な資源だと捉えています。他国ではこうはいかない。ケネフェルだけですよ。無尽蔵に、掘れば掘るだけ“ある”のに。活用しないなんて馬鹿げてる」
「……!」
――――声なく拳を握った。
馬鹿はきみだ、という言葉を、スイは苦々しく飲み込む。
会話にならない。わかっている。
はぁぁああ……と深くため息をつき、退出すべく、すっくと立ち上がった。
「お茶は要らない。帰るね」
「ちょっと待って」
「?」
にこり、と濃い青の瞳が笑みを象った。
「折角、こちらまで出て来てもらえたんです。……帰すわけが、ないでしょう?」
かちり。
施錠の音が響いた。
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