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4章 枷と自由
44 親愛を込めて
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ざあぁぁ……
分け入られた水が逆巻き、渦をなす。
彼女が通ったあとの波間からは、次々に不思議なもの達が生まれて出でた。
幼さの残る水の乙女、下半身が魚の人魚、青銀の鱗を煌めかせるちいさな水竜ーーー名も知らぬ、色とりどりの魚群も。
所々、天井の岩の切れ目から柔らかな光が差す広い地底湖は、たちまち賑やかな水の精霊らの楽園となった。
深さは如何ほどだろう。深青の澄んだ水をゆるりとかき分け、巨大な白蛇が水面から首を出したまま器用に蛇行し、泳ぐ。
大胆にも、その頭部に腰掛けて後ろを向いた魔術師が、にこにこと独り言ちた。
「良かったよ、アクアの機嫌が直って」
それよりは少し胴に近い場所。何ともいえない手触りのひんやりとした蛇体に腰掛けた三名は、同意を込め、ぎこちなく頷いた。
しかし、勇気ある一番弟子が上目遣いにそっと師を見上げ、おそるおそる発言する。
「あの……見た感じ、お師匠様が水の司どのを宥めすかして、巧いこと言いくるめたように見えたんですが。いいんですか、それで」
師である女性は小首を傾げ、ふっ……と口許に笑みを乗せた。
「やだなぁキリク、人聞きのわるい。私は誠心誠意、受け入れてもらえるよう真実を述べて訴えただけ。……言ったろう? 交渉事は得意だって」
「はぁ」と、今一つ納得しかねる表情で少年が引き下がる。
代わりに、今度は小豆色の髪の青年が訳知り顔で頷いた。左隣の翠のふわふわ頭をぽんぽん、と気安く撫でつつ、およそざっくりとした所感を述べる。
「それな。人の世では“物は言いよう”ってんだ。覚えとけエメルダ」
「うん、……わかったセディオさん。貴方から教わるのはすっっごく癪だけど、人の世の常識に関しては師匠より、貴方のほうがずぅっと適役ってこと、この半日でよーくわかったわ」
翠の少女が、あからさまに不服そうに答える。が、青年を見る目は以前ほど冷めてはいない。ほんの少し、保護者に値するーーー余地のある“大人”に向けるものへと変化していた。
少女の眼差しをおだやかに受け止めたセディオは、そのままスゥッと視線を流し、やや右上に位置する恋人に定める。
「そりゃ光栄だ。……で、スイ。言われるままに乗ったけどさ、どこに向かってんの? これ」
「んー……多分、第三階層の入り口まで? じゃないかな。待って。訊いてみる」
大いなる水の司を捕まえて“これ”呼ばわりをする不遜さが、まぁかれらしさでもあるなーーと、流した黒髪の美女は自身も軽妙に応じた。
(本当に、アクアに人の言葉は通じなくて良かった……)と、一応の安堵を胸に秘めながら。
つるり、とした表皮。一枚一枚の鱗が芸術的なまでに繊細で、氷細工めいている。
その頭部、眉間にあたりそうな箇所を撫でつつ、魔術師は失われた言語を紡いだ。
“アクア、ひょっとして地の司のところまで送ってくれるの?”
ぎろ、と銀の瞳孔が動く。ただし、頭に乗ったスイを気にしてあまり動かせないようだ。
瞼のない、見事な真球に磨かれた宝石のような青い瞳は、ぷいっ……と、諦めたように前を向いてしまう。
“用は済んだであろ。妾とて、そこまで不親切なわけではない。水晶の浜辺まで送ってやる。道中、好きな石を好きなだけ選ぶといい”
相変わらず、人外そのものの空から降るような美声である。スイはその声音に若干拗ねた響きを見いだし、ふふっと微笑んだ。
ぺたり、両手をついて俯せに寝そべり、幸せそうに蛇体に頬をすり寄せる。
(!)
水の司が、軽く息を呑んだ。
“ありがとうねアクア。……私も貴女が好きよ。困った、独り占めにしたがり屋さん。ーー昔はちょっと、本気で困ってたけど。今ならわかるわ。その気持ち”
“……ほう?”
聴くともなしに、二人の歌の応酬のような会話に耳を傾ける一行の前に、やがて、波が打ち寄せる白砂・銀砂に草が生えるごとく、あらゆる水晶の林立する浜辺が見てとれた。
背後に上がる感嘆の声をよそに、水の性を体現する力の司と、魔術師の会話は続く。
“ならば。まぁ……祝福を、授けんこともない”
優美な白蛇のいっそう拗ねた声音に。
スイは、頭部を抱擁するようにーーー実際、抱きしめながら嬉しげに呟いた。
“ありがとアクア。愛してる”
(…………)
少しの間を空けたあと。フン、と鼻を鳴らすような音がした。
クスクスクス、と、聞くだけで口許が綻びそうになる音楽的な笑い声がそれに被さり、辺りの空気を楽しげに彩った。
分け入られた水が逆巻き、渦をなす。
彼女が通ったあとの波間からは、次々に不思議なもの達が生まれて出でた。
幼さの残る水の乙女、下半身が魚の人魚、青銀の鱗を煌めかせるちいさな水竜ーーー名も知らぬ、色とりどりの魚群も。
所々、天井の岩の切れ目から柔らかな光が差す広い地底湖は、たちまち賑やかな水の精霊らの楽園となった。
深さは如何ほどだろう。深青の澄んだ水をゆるりとかき分け、巨大な白蛇が水面から首を出したまま器用に蛇行し、泳ぐ。
大胆にも、その頭部に腰掛けて後ろを向いた魔術師が、にこにこと独り言ちた。
「良かったよ、アクアの機嫌が直って」
それよりは少し胴に近い場所。何ともいえない手触りのひんやりとした蛇体に腰掛けた三名は、同意を込め、ぎこちなく頷いた。
しかし、勇気ある一番弟子が上目遣いにそっと師を見上げ、おそるおそる発言する。
「あの……見た感じ、お師匠様が水の司どのを宥めすかして、巧いこと言いくるめたように見えたんですが。いいんですか、それで」
師である女性は小首を傾げ、ふっ……と口許に笑みを乗せた。
「やだなぁキリク、人聞きのわるい。私は誠心誠意、受け入れてもらえるよう真実を述べて訴えただけ。……言ったろう? 交渉事は得意だって」
「はぁ」と、今一つ納得しかねる表情で少年が引き下がる。
代わりに、今度は小豆色の髪の青年が訳知り顔で頷いた。左隣の翠のふわふわ頭をぽんぽん、と気安く撫でつつ、およそざっくりとした所感を述べる。
「それな。人の世では“物は言いよう”ってんだ。覚えとけエメルダ」
「うん、……わかったセディオさん。貴方から教わるのはすっっごく癪だけど、人の世の常識に関しては師匠より、貴方のほうがずぅっと適役ってこと、この半日でよーくわかったわ」
翠の少女が、あからさまに不服そうに答える。が、青年を見る目は以前ほど冷めてはいない。ほんの少し、保護者に値するーーー余地のある“大人”に向けるものへと変化していた。
少女の眼差しをおだやかに受け止めたセディオは、そのままスゥッと視線を流し、やや右上に位置する恋人に定める。
「そりゃ光栄だ。……で、スイ。言われるままに乗ったけどさ、どこに向かってんの? これ」
「んー……多分、第三階層の入り口まで? じゃないかな。待って。訊いてみる」
大いなる水の司を捕まえて“これ”呼ばわりをする不遜さが、まぁかれらしさでもあるなーーと、流した黒髪の美女は自身も軽妙に応じた。
(本当に、アクアに人の言葉は通じなくて良かった……)と、一応の安堵を胸に秘めながら。
つるり、とした表皮。一枚一枚の鱗が芸術的なまでに繊細で、氷細工めいている。
その頭部、眉間にあたりそうな箇所を撫でつつ、魔術師は失われた言語を紡いだ。
“アクア、ひょっとして地の司のところまで送ってくれるの?”
ぎろ、と銀の瞳孔が動く。ただし、頭に乗ったスイを気にしてあまり動かせないようだ。
瞼のない、見事な真球に磨かれた宝石のような青い瞳は、ぷいっ……と、諦めたように前を向いてしまう。
“用は済んだであろ。妾とて、そこまで不親切なわけではない。水晶の浜辺まで送ってやる。道中、好きな石を好きなだけ選ぶといい”
相変わらず、人外そのものの空から降るような美声である。スイはその声音に若干拗ねた響きを見いだし、ふふっと微笑んだ。
ぺたり、両手をついて俯せに寝そべり、幸せそうに蛇体に頬をすり寄せる。
(!)
水の司が、軽く息を呑んだ。
“ありがとうねアクア。……私も貴女が好きよ。困った、独り占めにしたがり屋さん。ーー昔はちょっと、本気で困ってたけど。今ならわかるわ。その気持ち”
“……ほう?”
聴くともなしに、二人の歌の応酬のような会話に耳を傾ける一行の前に、やがて、波が打ち寄せる白砂・銀砂に草が生えるごとく、あらゆる水晶の林立する浜辺が見てとれた。
背後に上がる感嘆の声をよそに、水の性を体現する力の司と、魔術師の会話は続く。
“ならば。まぁ……祝福を、授けんこともない”
優美な白蛇のいっそう拗ねた声音に。
スイは、頭部を抱擁するようにーーー実際、抱きしめながら嬉しげに呟いた。
“ありがとアクア。愛してる”
(…………)
少しの間を空けたあと。フン、と鼻を鳴らすような音がした。
クスクスクス、と、聞くだけで口許が綻びそうになる音楽的な笑い声がそれに被さり、辺りの空気を楽しげに彩った。
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