翠の子

汐の音

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4章 枷と自由

42 地底湖の主

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「……なるほど、それが今のケネフェル王室の有りようか。ふむ……」

 一通りセディオの話を受けたサラマンディアは、思考の海に深く沈んでしまった。
 人の子二人と緑柱石エメラルドの精はつられて沈黙し、ついその様子を見守ってしまったが――ぱんぱん! と手を打つ音が軽快に響き、一同はハッとする。

「さ。『そう』なるとサラは半日は帰ってこない。皆、気にせず昼食にしよう」
「あ、あぁ」
「……ですね。せっかく広げましたし」
「わたし、その胡桃パンから食べたい!」

 ずっと気になっていたのだろう。うずうずと相好を崩した翠の少女がスイの手元を眺めている。
 スイは、くすっと笑んで「どうぞエメルダ」と、綺麗に四等分したほかほかのパンを手渡した。

「じゃ、私は……キリク。そのサンドイッチ、ちょうだい?」

 恐ろしくマイペースな女性陣を中心に、場の空気は再び緩くほどけた。




 こぽぽ……と、持参した木彫りのカップに茶を注ぎ、等しく行き渡ったのを確認して黒髪の魔術師は口をひらく。

「次は地下二階層に行くけど」
「待て。そいつは、放置でいいのか?」

 くい、と顎で示した先には考え込んだまま瞑目し、動かない炎の司。スイはふ、と視線を戻して微笑む。

「構わない。かれらの時間はとても、とても長いから。人の感覚では捉えられないよ。一々気にしていたら、それこそあっという間に日が暮れてしまう」

 (経験談だな)

 ちら、と浮かんだ突っ込みはあえて飲み込んだ。
 セディオは周囲を見渡し……火の精も姿を消して、がらんとした洞窟内を改める。

「階段……は、ここにはないな。どこから?」
「あぁ、さっきの流砂と一緒に行くか《転移》するか。どっちがいい?」
「……ええぇ……」
「わたし、流砂!」

 兄弟子と妹弟子は真逆の反応を見せた。
 黒紫の瞳が悪戯っぽく輝く。

「貴方は? セディオ。今のところ同数票だ」
「どっちでもいいんだが……流砂の場合がちょっと気になるな。どうやって一緒に落ちるんだ?」
「了解、じゃあ皆、戻ろうか」
「え」

 信じられないものを見るような空色の瞳が『裏切り者……!』と、言わんばかりに潤んだが、青年はものの見事に黙殺した。



   *   *   *



“ありがとう門の子、風の子”

 すぅ……と、淡い光を残して消え去る結界。蒼い遮幕が失せた視界は、色調を変えた明るい青だった。

「わぁ……! これ、地底湖ですか。お師匠さま」

 結界に守られたまま安全に到着できた余裕か、金茶の髪の少年が元気だ。
 ふふっと笑みを湛えた美女が一歩、踏み出す。しゃり……と、足元の金砂があえかな音を鳴らした。

 どこからか光が差している。見上げると、割れた天井の一部から空が見えた。

 (なぁおい。ここ、地下二階層だってさっき言ったよな……?)

 ――もはや突っ込みどころがわからない。
 セディオは沈黙を貫いた。

 普通の洞窟っぽい壁面で、広い空間のほとんどが青く澄んだ湖だ。
 今も背後でさらさらさら……と落ちる砂でできた一時的な中洲のような足場に、一行は佇んでいる。

水の司アクア、来たよ。わかってるんでしょう? 姿を見せて”

 スイの唇から奏でられた言語ルーンの歌がことさら、甘く響く。
 その共鳴がしん……と湖面に吸い込まれた。瞬間――――


 波が泡立ち、白と青金の光をまといながらゆるく大きな渦を象りはじめた。「あ。やばい」と呟いたあと、スイが再び結界を築く。今度は金砂の足場ごと。

 (え。何いまの。師匠、それちょっと不穏……!)

 さすがにエメルダもたじろいだ。
 スイの築く結界には絶大な信頼を寄せている。が、直前の呟きは不穏そのものだった。

 一同が息をひそめて見守るなか。
 一旦、静かに凪ぎつつあった湖面に―――突如、ドォン!!! と叩きつけるような衝撃が走り、巨大な水柱が天井まで屹立した。

「きゃっ……!」
「わあっ!」
「!! ……っく……」

 足場が崩れることと、頭上から降り注ぐ幾つもの水弾は防げたが、下から突き上げるような振動そのものは緩和しきれなかった。各々、声を漏らしつつも何とか踏みとどまる。エメルダはキリクにしがみついていた。

“やだなぁ、怒ってるの? アクア”

 ただ一人、悠然と立つ魔術師が腰に手を当て、宙を見上げる。

 天井すれすれまで高く、威嚇するように鎌首をもたげた――大蛇。
 白い鱗に青銀の光沢をまとわせた優雅な巨体。それが、銀の瞳孔に氷の青アイスブルーの瞼のない瞳でこちらを見下ろしている。

 ぶる、とセディオは身震いした。
 感情の一切を読み取れない。鋭さと深さ、純粋さまでも内包する底知れない色彩いろだった。

“怒る……? かような生ぬるいもので済むか。この、放蕩娘め”

 ―――頭上から降り注ぐ声はどこか女性的で、まるでダイヤモンドダストのよう。
 極小の光の粒がちらちらと冷闇に舞い散るさまを錯覚するほど侵しがたく……且つ、聞き惚れるほどうつくしいものだった。
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