翠の子

汐の音

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3章 人の子の禍福

38 第一層の会見(前)

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 ぱち、ぱちぱち……と、火花に似た音がそこかしこで弾ける。
 金の尾をひく小さな火の精たちが流れ星のように嬉しげに、紺碧に輝く洞穴を跳ね回っている。

 黒髪がさらりとなびく。それは、炎の照り返しを受けてなめらかな赤金の波をかたどった。
 スイは巨大な火龍を見上げ、おっとりと口をひらく。
 
“あいかわらず派手だねぇ。サラマンディア”

“そなたこそ。変わらずうつくしい。宵闇とも明け方の空ともつかぬ、深く澄んだいろは我らの好むところ”

 龍と魔術師の歌う言語ルーンは華やかな炎が彩る空間のなか、浮かび上がるように耳朶じだを打つ。
 意外なことに炎の司サラマンディアの声は涼やかですらあった。―――暑苦しくない。

 ぎろり、と金の龍眼がセディオを射抜く。
 反射で身じろぎしそうになるが、ここは、ぐっと堪えた。

 (なんだよ……まさか、心を読んだりしないよな?)

 世に唯一の炎の主と、一介の細工師が蒼い結界越しにひたと睨みあう。普通の人の子なら挑みもしない、無謀な戦いなのだが―――

 つかつかつか、と歩を進めた黒髪の美女は、火龍の鼻先にそっと手を置いた。

「!」
「ししょっ……!」
「お師匠さまっ! あ、熱くないんですかっ!?」

 三名が一斉に気色ばんだ。
 スイは「ん?」と、振り返る。

「あぁ、これ? 大丈夫。サラマンディアは私を焼いたりしない」

 にこり、と浮かべた微笑みに、熱さや痛みの影は全くない。
 あでやかにほむらをまとって泰然と佇む姿は、さながらだ。

 フシュゥゥゥ……と、吹きこぼされた吐息に白い外套の裾が波打つ。
 スイは、つやつやと光を弾く紅玉ルビーのような鱗を愛でるように撫でた。

“ね? あなたは私を焼かないと誓ってくれたもの、昔”

“はて。さほど昔とも思えぬが……そうだな、そなた、人の子の肉を纏ったのだったか。なるほどそれは、普通なら消し炭よの”

 くすくすくす、と美女は笑う。

“宝石だって、火や熱には弱いんだよ? 意地悪はもういいから、かれらを都の客人まろうどとして認めてあげて。もう、知ってるんでしょう?”

“あぁ。そこな人間の男がそなたが定めし伴侶なこと。そのせいで上の宝石たちはひびが入りそうなほど滅入っている―――特に、ウォーターオパールが”

“勘弁してよ。あなたまで焼きもち?”

“まさか”

 龍が目を細めてにやりと微笑わらう。と、同時に煙のような白い影が立ち上ぼり、巨体を包んだ。

 瞬きのあと、その場に顕れたのは……なんと、二十代後半ほどの偉丈夫。
 セディオの暗い小豆色のそれより鮮やかな紅い髪は豪奢に渦巻き、惜しげもなく背に流れている。瞳は金。肌は南方の民のような小麦色だ。
 
 人型となった炎の司サラマンディアは真紅の衣装の袂を揺らし、ぽんと美女の肩に手を置いた。
 そのまま、にっと口の端を上げるとスイの耳許に顔を寄せ、うっとりするほど甘い美声で囁きかける。




「たまには、このような酔狂も愉しいな。――な? スイ」
「うん。たまにならね。……さ、みんな、もう大丈夫。熱くないから出ておいで」

 動じない黒髪の魔術師は、素早く口のなかで言語ルーンを紡いだ。

“門の子、来てくれてありがとう。またね”

 すぅ……っ、と蒼い燐光を残して半球が上からほどけてゆく。
 セディオとキリク、エメルダは若干身構えつつ、そのさまを眺めていた。
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