翠の子

汐の音

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3章 人の子の禍福

30 スイの懇願、セディオの宣誓

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「きゃー!」

 何やら楽しげな声が聞こえた。
 大人二人は「?」と顔を見合わせ、二階の廊下の窓辺に立ち、声の主を探す。
 弟子二人はすぐに見つかったが、手は洗っていなかった。

「あいつら、子どもか……? いや、子どもだな」
「そうだねぇ。エメルダが居てくれてよかったよ。キリクはしっかり者過ぎて、たまに自分を大人みたいに扱うがあるから」
「あー。それは、何となくわかるわ」

 見下ろす眼下の庭。
 菜園の側にある小さな泉で、キリクとエメルダが水遊びをしている。木陰になっているので少し見づらいが、概ね遊んでいる――正確には、キリクがエメルダに遊ばれているという見立てで良さそうだ。

「お。反撃した」
「ん? ……あぁ、本当だ。ふふ、さすがキリク。容赦ないなぁ」

 水を引っ掛けられるのに辟易したのか、「えいっ!」と気合いの声とともに大量の水がエメルダめがけて飛んでいった。桶でも使ったか。
 対する少女は難なく左手を前にかざすと、透明の膜が張ったように水を退ける。
 「ずるい……っ!」と、少年は悲嘆の声を上げていた。


 とんとん、と肩を叩く手にセディオは、はっとする。そういえば、寝床に案内してもらうところだった。

わりぃ。つい、面白くて」
「ううん、構わない。けど、荷物重いでしょう?すぐそこだよ。来て」
「了解、魔術師どの」

 寄り道を切り上げ、大人二人はそう長くもない廊下を進む。


「ここは?」

 辿り着いたのは廊下の端、突き当たり。
 カチャ、とスイが押し開けた。

「私の部屋」
「―――えっ?!」
「と言っても、寝るだけの部屋だから私物は置いてない……、ん? どうかした?」
「いや。どうかするだろう、それ」
「?? どうもしないよ? ……まぁいいや。入って、説明するから」
「よくわからんが、わかった」

 キィ……パタン、と扉が閉まる。薄暗い。
 正面の窓まで歩みを進めたスイが、シャッとカーテンを開けた。 

 目が光に慣れると――――確かに、右側の壁に寝台。中央にテーブルと椅子が二脚。たいそう何もない部屋だった。
 カーテンの色は薄い緑色。寝台の枕元に緑とカラシ色のクッションが重ねて置いてある。それが、辛うじてこの部屋のアクセントになっている。絨毯はない。

 ただ、本来はもっと広い部屋のようだ。
 左側の大きな衝立を四枚連ねたような間仕切りパーテーションの向こう側をひょい、と何げなく覗き、……セディオは驚愕に目をみひらいた。

「スイ、これ…」
「あ、気がついた?」

 窓際の留め具に引っ掛けてあったタッセルで、カーテンを結わえていたスイが振り向いた。

「ご覧のとおり、私はそちら側は使ったことがない。でも、貴方なら使えるでしょう。セディオ?」

 ――そこは、まだカーテンが閉まっているので薄暗がりに沈んでいる。しかしセディオには、何のための場所かすぐにわかった。
 壁一面の棚、硝子の扉つきの本棚、窓際に面して壁にぴたりと付けられた大きな作業机。
 机の上の一角には白い布が掛けられているが、中身は見慣れた道具類とそう変わらないはず。机の脇には研磨のための回転盤や切断用の台もあった。

 ギッ……と、踏み出した床が微かに軋む。どさ、と持っていた荷物を無造作に降ろした。目は、まさに工房と呼ぶにふさわしい左半分の部屋に釘付けだ。

「ここは、ひょっとして……初代の長の持ち主マスターだったっていう細工師の部屋、か?」

 いつの間にか、傍らにスイが立っている。
 黒紫の眼差しをセディオと同じく工房の作業台へと向けたまま、こくりと頷いた。
 どこか、ここではない違う時間ときの場所を見つめるような表情で。

「そう。貴方にはここを使ってほしい。私は……そうだな、当面は通いで来ようか。ウォーラのとこにでも泊めてもらう」
「?! いや待て。なんでそうなるっ?」

 がばっ! と体ごとスイに向けて全力で問い質すセディオ。ついでに上半身をやや傾け、間近に彼女の顔を覗き込み――――衝撃を受けた。

 珍しい。

「つまり、俺と同じ部屋では、寝たくない?」
「…………う~ん……」
「そこは長考なのかよ??! くそっ、何だよもう。傷つくなぁ!」

 はた、とスイが口許に当てていた指を離して顔を上げた。

「そう、それなんだよ」
「え?」
「さっき、私の年齢を復唱したろう? で、思ったより……その、“傷ついた”んだ。びっくりしたよ。誰も私をそんな風にできるわけがないと、たかをくくってた。これ以上距離を詰められるのが怖いんだ。できれば逃げさせてほしい」
「――……」

 なんとも言えない表情で、固まったように見つめあい、動かない大人二人。
 どちらかといえば、今度はセディオが長考する番だったが―――ぼそり、と口をついて出たのは深く考えるより前の、この上ない本心だった。

「……俺は、進んであんたに触れることはあっても傷つけたりなんかしない。絶対だ」
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