31 / 87
3章 人の子の禍福
30 スイの懇願、セディオの宣誓
しおりを挟む
「きゃー!」
何やら楽しげな声が聞こえた。
大人二人は「?」と顔を見合わせ、二階の廊下の窓辺に立ち、声の主を探す。
弟子二人はすぐに見つかったが、手は洗っていなかった。
「あいつら、子どもか……? いや、子どもだな」
「そうだねぇ。エメルダが居てくれてよかったよ。キリクはしっかり者過ぎて、たまに自分を大人みたいに扱うくせがあるから」
「あー。それは、何となくわかるわ」
見下ろす眼下の庭。
菜園の側にある小さな泉で、キリクとエメルダが水遊びをしている。木陰になっているので少し見づらいが、概ね遊んでいる――正確には、キリクがエメルダに遊ばれているという見立てで良さそうだ。
「お。反撃した」
「ん? ……あぁ、本当だ。ふふ、さすがキリク。容赦ないなぁ」
水を引っ掛けられるのに辟易したのか、「えいっ!」と気合いの声とともに大量の水がエメルダめがけて飛んでいった。桶でも使ったか。
対する少女は難なく左手を前にかざすと、透明の膜が張ったように水を退ける。
「ずるい……っ!」と、少年は悲嘆の声を上げていた。
とんとん、と肩を叩く手にセディオは、はっとする。そういえば、寝床に案内してもらうところだった。
「悪ぃ。つい、面白くて」
「ううん、構わない。けど、荷物重いでしょう?すぐそこだよ。来て」
「了解、魔術師どの」
寄り道を切り上げ、大人二人はそう長くもない廊下を進む。
「ここは?」
辿り着いたのは廊下の端、突き当たり。
カチャ、とスイが押し開けた。
「私の部屋」
「―――えっ?!」
「と言っても、寝るだけの部屋だから私物は置いてない……、ん? どうかした?」
「いや。どうかするだろう、それ」
「?? どうもしないよ? ……まぁいいや。入って、説明するから」
「よくわからんが、わかった」
キィ……パタン、と扉が閉まる。薄暗い。
正面の窓まで歩みを進めたスイが、シャッとカーテンを開けた。
目が光に慣れると――――確かに、右側の壁に寝台。中央にテーブルと椅子が二脚。たいそう何もない部屋だった。
カーテンの色は薄い緑色。寝台の枕元に緑とカラシ色のクッションが重ねて置いてある。それが、辛うじてこの部屋のアクセントになっている。絨毯はない。
ただ、本来はもっと広い部屋のようだ。
左側の大きな衝立を四枚連ねたような間仕切りの向こう側をひょい、と何げなく覗き、……セディオは驚愕に目をみひらいた。
「スイ、これ…」
「あ、気がついた?」
窓際の留め具に引っ掛けてあったタッセルで、カーテンを結わえていたスイが振り向いた。
「ご覧のとおり、私はそちら側は使ったことがない。でも、貴方なら使えるでしょう。セディオ?」
――そこは、まだカーテンが閉まっているので薄暗がりに沈んでいる。しかしセディオには、何のための場所かすぐにわかった。
壁一面の棚、硝子の扉つきの本棚、窓際に面して壁にぴたりと付けられた大きな作業机。
机の上の一角には白い布が掛けられているが、中身は見慣れた道具類とそう変わらないはず。机の脇には研磨のための回転盤や切断用の台もあった。
ギッ……と、踏み出した床が微かに軋む。どさ、と持っていた荷物を無造作に降ろした。目は、まさに工房と呼ぶにふさわしい左半分の部屋に釘付けだ。
「ここは、ひょっとして……初代の長の持ち主だったっていう細工師の部屋、か?」
いつの間にか、傍らにスイが立っている。
黒紫の眼差しをセディオと同じく工房の作業台へと向けたまま、こくりと頷いた。
どこか、ここではない違う時間の場所を見つめるような表情で。
「そう。貴方にはここを使ってほしい。私は……そうだな、当面は通いで来ようか。ウォーラのとこにでも泊めてもらう」
「?! いや待て。なんでそうなるっ?」
がばっ! と体ごとスイに向けて全力で問い質すセディオ。ついでに上半身をやや傾け、間近に彼女の顔を覗き込み――――衝撃を受けた。
珍しい。スイが、困っている。
「つまり、俺と同じ部屋では、寝たくない?」
「…………う~ん……」
「そこは長考なのかよ??! くそっ、何だよもう。傷つくなぁ!」
はた、とスイが口許に当てていた指を離して顔を上げた。
「そう、それなんだよ」
「え?」
「さっき、私の年齢を復唱したろう? で、思ったより……その、“傷ついた”んだ。びっくりしたよ。誰も私をそんな風にできるわけがないと、たかを括ってた。これ以上距離を詰められるのが怖いんだ。できれば逃げさせてほしい」
「――……」
なんとも言えない表情で、固まったように見つめあい、動かない大人二人。
どちらかといえば、今度はセディオが長考する番だったが―――ぼそり、と口をついて出たのは深く考えるより前の、この上ない本心だった。
「……俺は、進んであんたに触れることはあっても傷つけたりなんかしない。絶対だ」
何やら楽しげな声が聞こえた。
大人二人は「?」と顔を見合わせ、二階の廊下の窓辺に立ち、声の主を探す。
弟子二人はすぐに見つかったが、手は洗っていなかった。
「あいつら、子どもか……? いや、子どもだな」
「そうだねぇ。エメルダが居てくれてよかったよ。キリクはしっかり者過ぎて、たまに自分を大人みたいに扱うくせがあるから」
「あー。それは、何となくわかるわ」
見下ろす眼下の庭。
菜園の側にある小さな泉で、キリクとエメルダが水遊びをしている。木陰になっているので少し見づらいが、概ね遊んでいる――正確には、キリクがエメルダに遊ばれているという見立てで良さそうだ。
「お。反撃した」
「ん? ……あぁ、本当だ。ふふ、さすがキリク。容赦ないなぁ」
水を引っ掛けられるのに辟易したのか、「えいっ!」と気合いの声とともに大量の水がエメルダめがけて飛んでいった。桶でも使ったか。
対する少女は難なく左手を前にかざすと、透明の膜が張ったように水を退ける。
「ずるい……っ!」と、少年は悲嘆の声を上げていた。
とんとん、と肩を叩く手にセディオは、はっとする。そういえば、寝床に案内してもらうところだった。
「悪ぃ。つい、面白くて」
「ううん、構わない。けど、荷物重いでしょう?すぐそこだよ。来て」
「了解、魔術師どの」
寄り道を切り上げ、大人二人はそう長くもない廊下を進む。
「ここは?」
辿り着いたのは廊下の端、突き当たり。
カチャ、とスイが押し開けた。
「私の部屋」
「―――えっ?!」
「と言っても、寝るだけの部屋だから私物は置いてない……、ん? どうかした?」
「いや。どうかするだろう、それ」
「?? どうもしないよ? ……まぁいいや。入って、説明するから」
「よくわからんが、わかった」
キィ……パタン、と扉が閉まる。薄暗い。
正面の窓まで歩みを進めたスイが、シャッとカーテンを開けた。
目が光に慣れると――――確かに、右側の壁に寝台。中央にテーブルと椅子が二脚。たいそう何もない部屋だった。
カーテンの色は薄い緑色。寝台の枕元に緑とカラシ色のクッションが重ねて置いてある。それが、辛うじてこの部屋のアクセントになっている。絨毯はない。
ただ、本来はもっと広い部屋のようだ。
左側の大きな衝立を四枚連ねたような間仕切りの向こう側をひょい、と何げなく覗き、……セディオは驚愕に目をみひらいた。
「スイ、これ…」
「あ、気がついた?」
窓際の留め具に引っ掛けてあったタッセルで、カーテンを結わえていたスイが振り向いた。
「ご覧のとおり、私はそちら側は使ったことがない。でも、貴方なら使えるでしょう。セディオ?」
――そこは、まだカーテンが閉まっているので薄暗がりに沈んでいる。しかしセディオには、何のための場所かすぐにわかった。
壁一面の棚、硝子の扉つきの本棚、窓際に面して壁にぴたりと付けられた大きな作業机。
机の上の一角には白い布が掛けられているが、中身は見慣れた道具類とそう変わらないはず。机の脇には研磨のための回転盤や切断用の台もあった。
ギッ……と、踏み出した床が微かに軋む。どさ、と持っていた荷物を無造作に降ろした。目は、まさに工房と呼ぶにふさわしい左半分の部屋に釘付けだ。
「ここは、ひょっとして……初代の長の持ち主だったっていう細工師の部屋、か?」
いつの間にか、傍らにスイが立っている。
黒紫の眼差しをセディオと同じく工房の作業台へと向けたまま、こくりと頷いた。
どこか、ここではない違う時間の場所を見つめるような表情で。
「そう。貴方にはここを使ってほしい。私は……そうだな、当面は通いで来ようか。ウォーラのとこにでも泊めてもらう」
「?! いや待て。なんでそうなるっ?」
がばっ! と体ごとスイに向けて全力で問い質すセディオ。ついでに上半身をやや傾け、間近に彼女の顔を覗き込み――――衝撃を受けた。
珍しい。スイが、困っている。
「つまり、俺と同じ部屋では、寝たくない?」
「…………う~ん……」
「そこは長考なのかよ??! くそっ、何だよもう。傷つくなぁ!」
はた、とスイが口許に当てていた指を離して顔を上げた。
「そう、それなんだよ」
「え?」
「さっき、私の年齢を復唱したろう? で、思ったより……その、“傷ついた”んだ。びっくりしたよ。誰も私をそんな風にできるわけがないと、たかを括ってた。これ以上距離を詰められるのが怖いんだ。できれば逃げさせてほしい」
「――……」
なんとも言えない表情で、固まったように見つめあい、動かない大人二人。
どちらかといえば、今度はセディオが長考する番だったが―――ぼそり、と口をついて出たのは深く考えるより前の、この上ない本心だった。
「……俺は、進んであんたに触れることはあっても傷つけたりなんかしない。絶対だ」
0
お気に入りに追加
22
あなたにおすすめの小説
つじつまあわせはいつかのために
明智
ファンタジー
旧タイトル”いやいや、チートとか勘弁してくださいね? ~転生魔王の俺が、召喚勇者たちをひたすら邪魔して邪魔する毎日~”
※※第四章 連載中※※
異世界で魔族に生まれ変わり、いつしか魔王と呼ばれるに至った男。その後紆余曲折を経て、魔族を敵視する人族国家で貴族にまで叙された彼の目的は、魔族と人族の決定的な戦争を人知れず回避することだった。
素性を隠し奮闘する彼の元に、ある日驚くべき知らせが舞い込む。それは、彼と故郷を共にする4人の勇者がこの世界に召喚されたということ。……だが彼は勇者たちを歓迎しない。はよ帰れくらい思ってる。
勇者として呼び出された4人のうち1人。美が付かない系少女と話をするうちに、彼は自分の願いを口にした。あるがままの世界を守る。俺TUEEEも、NAISEIも、技術革命も、文化侵食もやらせない。
そしてオッサンと少女の、世界の裏側でうろちょろする日々が始まった。
基本的に一日一話、更新予定
4/26 タイトル変更しました
異世界酒造生活
悲劇を嫌う魔王
ファンタジー
【アルファポリス ファンタジーランキング 一位獲得(三月二十七日時点)大感謝!!】
幼い頃から、味覚と嗅覚が鋭かった主人公。彼は、料理人を目指して日々精進していたが、成人を機にお酒と出会う。しかし、そのせいで主人公は下戸であることが判明し、自分の欠点にのめり込んでいく。気づけば、酒好きの母に最高のお酒を飲ませたいと、酒蔵に就職していた。
そこでは、持ち前の才能を武器に、ブレンダー室に配属された。しかし、周りから嫉妬された若き主人公は、下戸を理由に不当解雇をされてしまう。全てがご破産になってしまった主人公は、お酒が飲めなくても楽しめるBARを歌舞伎町に出店した。しかし、酒造りに対する思いを断ち切れず、ある日ヤケ酒を起こし、泥酔状態でトラックに撥ねられ死亡する。
未練を残した主人公は、輪廻転生叶わず、浮世の狭間に取り残されるはずだった。そんな彼を哀れに思った酒好きの神様は、主人公に貢物として酒を要求する代わりに、異世界で酒造生活をするチャンスを与えてくれる。
主人公は、その条件を二つ返事で承諾し、異世界転移をする。そこで彼は、持ち前の酒造りの情念を燃やし、その炎に異世界の人々が巻き込まれていく。そんな彼の酒は、大陸、種族を超えて広まって行き、彼の酒を飲む事、自宅の酒棚に保有している事は、大きなステータスになるほどだった。
*本作品の著者はお酒の専門家ではありません、またこの作品はフィクションであり実在の人物や団体などとは関係ありません。
*お酒は二十歳になってから飲みましょう。
「強くてニューゲーム」で異世界無限レベリング ~美少女勇者(3,077歳)、王子様に溺愛されながらレベリングし続けて魔王討伐を目指します!~
明治サブ🍆スニーカー大賞【金賞】受賞作家
ファンタジー
作家志望くずれの孫請けゲームプログラマ喪女26歳。デスマーチ明けの昼下がり、道路に飛び出した子供をかばってトラックに轢かれ、異世界転生することになった。
課せられた使命は魔王討伐!? 女神様から与えられたチートは、赤ちゃんから何度でもやり直せる「強くてニューゲーム!?」
強敵・災害・謀略・謀殺なんのその! 勝つまでレベリングすれば必ず勝つ!
やり直し系女勇者の長い永い戦いが、今始まる!!
本作の数千年後のお話、『アイテムボックス無双 ~何でも収納! 奥義・首狩りアイテムボックス!~』を連載中です!!
何卒御覧下さいませ!!
キーナの魔法
小笠原慎二
ファンタジー
落とし穴騒動。
キーナはふと思った。今ならアレが作れるかもしれない。試しに作ってみた。そしたらすんばらしく良くできてしまった。これは是非出来映えを試してみたい!キーナは思った。見回すと、テルがいた。
「テルー! 早く早く! こっち来てー!」
野原で休憩していたテルディアスが目を覚ますと、キーナが仕切りに呼んでいる。
何事かと思い、
「なんだ? どうした…」
急いでキーナの元へ駆けつけようとしたテルディアスの、足元が崩れて消えた。
そのままテルディアスは、キーナが作った深い落とし穴の底に落ちて行った…。
その穴の縁で、キーナがVサインをしていた。
しばらくして、穴の底から這い出てきたテルディアスに、さんざっぱらお説教を食らったのは、言うまでもない。
転封貴族と9人の嫁〜辺境に封じられた伯爵子息は、辺境から王都を狙う〜
HY
ファンタジー
主人公は伯爵子息[レインズ・ウィンパルト]。
国内外で容姿端麗、文武両道と評判の好青年。
戦場での活躍、領地経営の手腕、その功績と容姿で伯爵位ながら王女と婚約し、未来を約束されていた。
しかし、そんな伯爵家を快く思わない政敵に陥れられる。
政敵の謀った事故で、両親は意識不明の重体、彼自身は片腕と片目を失う大ケガを負ってしまう。
その傷が元で王女とは婚約破棄、しかも魔族が統治する森林『大魔森林』と接する辺境の地への転封を命じられる。
自身の境遇に絶望するレインズ。
だが、ある事件をきっかけに再起を図り、世界を旅しながら、領地経営にも精を出すレインズ。
その旅の途中、他国の王女やエルフの王女達もレインズに興味を持ち出し…。
魔族や他部族の力と、自分の魔力で辺境領地を豊かにしていくレインズ。
そしてついに、レインズは王国へ宣戦布告、王都へ攻め登る!
転封伯爵子息の国盗り物語、ここに開幕っ!
薪割りむすめと氷霜の狩人~夫婦で最強の魔法具職人目指します~
寺音
ファンタジー
狐系クール女子×くまさん系おおらか男子。
「旦那が狩って嫁が割る」
これは二人が最高の温かさを作る物語。
分厚い雪と氷に閉ざされた都市国家シャトゥカナル。極寒の地で人々の生活を支えているのが、魔物と呼ばれる異形たちの毛皮や牙、爪などから作られる魔法具である。魔物を狩り、魔法具を作るものたちは「職人」と呼ばれ、都市の外で村を作り生活していた。
シャトゥカナルに住む女性ライサは、体の弱い従妹の身代わりに職人たちが住む村スノダールへ嫁ぐよう命じられる。野蛮な人々の住む村として知られていたスノダール。決死の覚悟で嫁いだ彼女を待っていたのは……思わぬ歓待とのほほん素朴な旦那様だった。
こちらはカクヨムでも公開しております。
表紙イラストは、羽鳥さま(@Hatori_kakuyomu)に描いていただきました。
セイントガールズ・オルタナティブ
早見羽流
ファンタジー
西暦2222年。魔王の操る魔物の侵略を受ける日本には、魔物に対抗する魔導士を育成する『魔導高専』という学校がいくつも存在していた。
魔力に恵まれない家系ながら、突然変異的に優れた魔力を持つ一匹狼の少女、井川佐紀(いかわさき)はその中で唯一の女子校『征華女子魔導高専』に入学する。姉妹(スール)制を導入し、姉妹の関係を重んじる征華女子で、佐紀に目をつけたのは3年生のアンナ=カトリーン・フェルトマイアー、異世界出身で勇者の血を引くという変わった先輩だった。
征華の寮で仲間たちや先輩達と過ごすうちに、佐紀の心に少しづつ変化が現れる。でもそれはアンナも同じで……?
終末感漂う世界で、少女たちが戦いながら成長していく物語。
素敵な表紙イラストは、つむりまい様(Twitter→@my_my_tsumuri)より
職人は旅をする
和蔵(わくら)
ファンタジー
別世界の物語。時代は中世半ば、旅する者は職人、旅から旅の毎日で出会いがあり、別れもあり、職人の平凡な日常を、ほのぼのコメディで描いた作品です。
異世界の神様って素晴らしい!(異神・番外編)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる