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2章 学術都市へ
21 ちいさな焚き火
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ぱちん、と枯れ枝がはぜる。
辺りは既に暗闇。生き物の気配がない、ただ姿の良い木々が鬱蒼と繁るだけの森は静寂に包まれている。
オレンジ色の火影が、あるか無しかの風に揺れた。外套を着たまま毛布にくるまれて眠るキリクとエメルダの丸みを帯びた頬が、あかあかと照らされている。
セディオが先に休み、深夜過ぎまではスイが火の番をするはず――だったが、かれはまだ寝ていない。古木に背を預けたスイのすぐ右隣で、互いの肩がふれ合うほどの距離に同じように座っている。
揺らめく炎。
男性のわりには滑らかな、浅黒い肌にまた少し、髭が見えた。
(こんなにすぐ、生えるのか……大変だな)
思わず手を伸ばしそうになって――やめた。
確か『不用意に触ったり、微笑みかけたりすんな。相手が勘違いするだろ!』とえんえん叱られたのだった。
「……どうした?」
「ん? どうもしないよ。ちょっと触れてみたかったんだけど、我慢しただけ」
「……」
「ふふ、ごめんね。なんか、その無精髭すごく気になって。触り心地を――なんて」
「いーよ」
「え、……いいの?」
スイは、珍しくおそるおそるセディオの顔を覗き込みながら右腕を伸ばして――触れた。
「ちくちくだね。なるほど、これは大変そう」
「そう。面倒なの。つい無精髭になっちまうの、わかってくれた?」
どこか律儀そうに大雑把なことを述べながら、青年は頷いた。
スイは、くすくすと笑う。
「わかる……けど、やっぱりだめ。貴方の本来の素顔が生かされない。素材は生かさないと――でしょう?細工師どの」
セディオは面食らった顔をした。
が、すぐ気を取り直して姿勢を崩す。ゆっくりと左足を伸ばし、立てた右膝にもたれるように体重を掛けながらスイの顔を覗き込んだ。
「……触れていいか?」
「いいよ。顔? 髭はないはずだけど」
「うん。まぁ……それはわかる。けど――失礼」
何となく、スイは目を閉じた。左の頬に温かで大きな手が触れるのがわかった。それがすっと頤に移動して、乾いた指先がやさしくスイの顔を右側に向けさせる。
――ひどく、慣れた仕草だった。
唇に何かが一瞬だけ触れてすぐ、遠ざかった。
スイはそう……っと瞼をあげる。紫がかった黒い瞳は、目を閉じる前よりも近くにある青年の、どこか切なそうな顔をじっと見つめた。
「……満足した?」
「するわけないだろ。俺にしては、物凄く堪えてる」
「そう」
はぁ……と、セディオはやや長めの嘆息を漏らした。
「わかんねぇ。わからなくなった」
「そう?」
「あんたに触れたいと思って、やっと触れられた。でも……何か、違う気がする」
「触れなきゃよかった?」
「違う」
きっぱりと即答された。
さすがは女たらしさんだな、と笑い飛ばそうとした――微笑みの形の薄い唇は、再び塞がれた。
今度は色々と、浅くない。スイは思わず眉根を寄せて、抱きすくめられた身体の隙間に腕を差し込みセディオを押し返そうとした。……びくともしない。
「―――!」
「……あのさ、抵抗されると余計に燃えるんだけど」
重ねた唇が少しずれて、吐息とともに掠れた低い声がぞくり、と耳を撫でた。「…はなして…」と、まるで自分ではない声が自らの口からも溢れる。
苦笑の気配がして、大きな分厚い身体が離れた―――と思うと、姿勢を直した青年にそのままぴったりと横に座られ、肩を抱かれて頭を引き寄せられた。
「??」
「このほうが暖かい。……先に眠れば。俺は寝られそうにないから。火は、俺がみてる」
淡々と言いつつ、積んであった枯れ枝を掴んでぽいっ、と小さな焚き火に投げ入れる。
パチパチ……と嬉しげな音を立てながら、オレンジ色の火はたちまち燃え移った。闇に沈みそうになっていた辺りもつかの間、揺れる光源に仄かに照らし出される。
――変なひとだな、と思いつつ、スイは甘えることにした。(三時間後に起きよう)と自己暗示をしっかり掛ける。力を抜いて、妙にしっくり来る感触に安堵しながら隣の身体に体重を預けた。
うとうと…とし始めた頃。
ふいに問う声が、額のすぐ上からやんわりと落とされた。
「な……あんた、本当は何歳?」
「……しらない。でも、三十二、三はとっくに過ぎてる……と、おもう……」
「そう」と、やたらしみじみと呟かれた気がしつつ―――スイの意識は顔と足元を照らす焚き火の熱と、セディオの意外な温もりにあっという間に飲み込まれ、眠りの底へと沈んでいった。
辺りは既に暗闇。生き物の気配がない、ただ姿の良い木々が鬱蒼と繁るだけの森は静寂に包まれている。
オレンジ色の火影が、あるか無しかの風に揺れた。外套を着たまま毛布にくるまれて眠るキリクとエメルダの丸みを帯びた頬が、あかあかと照らされている。
セディオが先に休み、深夜過ぎまではスイが火の番をするはず――だったが、かれはまだ寝ていない。古木に背を預けたスイのすぐ右隣で、互いの肩がふれ合うほどの距離に同じように座っている。
揺らめく炎。
男性のわりには滑らかな、浅黒い肌にまた少し、髭が見えた。
(こんなにすぐ、生えるのか……大変だな)
思わず手を伸ばしそうになって――やめた。
確か『不用意に触ったり、微笑みかけたりすんな。相手が勘違いするだろ!』とえんえん叱られたのだった。
「……どうした?」
「ん? どうもしないよ。ちょっと触れてみたかったんだけど、我慢しただけ」
「……」
「ふふ、ごめんね。なんか、その無精髭すごく気になって。触り心地を――なんて」
「いーよ」
「え、……いいの?」
スイは、珍しくおそるおそるセディオの顔を覗き込みながら右腕を伸ばして――触れた。
「ちくちくだね。なるほど、これは大変そう」
「そう。面倒なの。つい無精髭になっちまうの、わかってくれた?」
どこか律儀そうに大雑把なことを述べながら、青年は頷いた。
スイは、くすくすと笑う。
「わかる……けど、やっぱりだめ。貴方の本来の素顔が生かされない。素材は生かさないと――でしょう?細工師どの」
セディオは面食らった顔をした。
が、すぐ気を取り直して姿勢を崩す。ゆっくりと左足を伸ばし、立てた右膝にもたれるように体重を掛けながらスイの顔を覗き込んだ。
「……触れていいか?」
「いいよ。顔? 髭はないはずだけど」
「うん。まぁ……それはわかる。けど――失礼」
何となく、スイは目を閉じた。左の頬に温かで大きな手が触れるのがわかった。それがすっと頤に移動して、乾いた指先がやさしくスイの顔を右側に向けさせる。
――ひどく、慣れた仕草だった。
唇に何かが一瞬だけ触れてすぐ、遠ざかった。
スイはそう……っと瞼をあげる。紫がかった黒い瞳は、目を閉じる前よりも近くにある青年の、どこか切なそうな顔をじっと見つめた。
「……満足した?」
「するわけないだろ。俺にしては、物凄く堪えてる」
「そう」
はぁ……と、セディオはやや長めの嘆息を漏らした。
「わかんねぇ。わからなくなった」
「そう?」
「あんたに触れたいと思って、やっと触れられた。でも……何か、違う気がする」
「触れなきゃよかった?」
「違う」
きっぱりと即答された。
さすがは女たらしさんだな、と笑い飛ばそうとした――微笑みの形の薄い唇は、再び塞がれた。
今度は色々と、浅くない。スイは思わず眉根を寄せて、抱きすくめられた身体の隙間に腕を差し込みセディオを押し返そうとした。……びくともしない。
「―――!」
「……あのさ、抵抗されると余計に燃えるんだけど」
重ねた唇が少しずれて、吐息とともに掠れた低い声がぞくり、と耳を撫でた。「…はなして…」と、まるで自分ではない声が自らの口からも溢れる。
苦笑の気配がして、大きな分厚い身体が離れた―――と思うと、姿勢を直した青年にそのままぴったりと横に座られ、肩を抱かれて頭を引き寄せられた。
「??」
「このほうが暖かい。……先に眠れば。俺は寝られそうにないから。火は、俺がみてる」
淡々と言いつつ、積んであった枯れ枝を掴んでぽいっ、と小さな焚き火に投げ入れる。
パチパチ……と嬉しげな音を立てながら、オレンジ色の火はたちまち燃え移った。闇に沈みそうになっていた辺りもつかの間、揺れる光源に仄かに照らし出される。
――変なひとだな、と思いつつ、スイは甘えることにした。(三時間後に起きよう)と自己暗示をしっかり掛ける。力を抜いて、妙にしっくり来る感触に安堵しながら隣の身体に体重を預けた。
うとうと…とし始めた頃。
ふいに問う声が、額のすぐ上からやんわりと落とされた。
「な……あんた、本当は何歳?」
「……しらない。でも、三十二、三はとっくに過ぎてる……と、おもう……」
「そう」と、やたらしみじみと呟かれた気がしつつ―――スイの意識は顔と足元を照らす焚き火の熱と、セディオの意外な温もりにあっという間に飲み込まれ、眠りの底へと沈んでいった。
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