翠の子

汐の音

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2章 学術都市へ

16 古い約定

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 くだんの特級細工師はお忍びではなく、訳ありだった。そのことにスイはこっそりため息をつきつつ―――目の前の大きな背を見つめる。

 三日前に訪れたときと同じ飴色の髪の受付嬢が、カウンターで今日はセディオの対応をしてくれている。
 スイは待ち合いスペースのソファーに座らず、セディオのやや後ろに控えて二人のやり取りを見守った。

 若く、才ある凄腕の細工師としての顔を如何なく発揮する青年。
 表情を崩さず、時おりちらちらっと好奇心の視線を黒髪の依頼主に寄せる受付嬢。

 (二人とも、さすがプロだな…)

 妙な感心をするスイ。
 契約完遂の報告は何の問題もなく、つつがなく執り行われた。


「あ、お待ちくださいコーラル師。ご注文の品が届いてます。こちらっ……に、なりますが」

 青年がスイを伴って扉を開けようとしたとき。後ろから、若干慌てたような声を掛けられた。

 ごっ……と、やや重い音とともに受付台カウンターに乗せられた、大変丈夫そうな厚手の袋。
 音から察するに……貴金属? と、スイは首を傾げた。セディオは、そんなスイをふっと微笑みながら見遣って踵を返し、受付台へと戻る。

「ありがと。支払いはいつも通り。
 ……じゃ、ギルド長に宜しく」

 コーラル師と呼ばれたかれは、紳士然とした立ち居振舞いのみを残して去った。
 軽々と、受け取った袋を背に担ぎながら。



   *   *   *



「スイ」
「なに、セディオ?」

 帰りの市で、二人は弟子達への土産を見繕っている。覗いた露店は、果実の餡をくるんだ白い生地の菓子を、店頭でそのまま蒸籠せいろに入れて蒸していた。生地の下には笹が敷き詰めてある。青々とした香りが爽やかだ。

 辺りに立ち込める、蒸し菓子特有の甘さを含むやさしい湯気。(これにしよう)と、決めた魔術師の女性は一つ頷き、店主に注文を始めた。
 セディオはその傍らに立ち、彼女を見守っている。

「返事は?俺を、受け入れてくれんの?」
「んー……どうしようか……。私は、いいと思うんだけど」

 途端に、青年の顔が喜色に輝いた。

「まじでっ?! やった……!」

 スイはその様子を、しげしげと眺める。腕を組んでから右手の指をおとがいに添え、ゆるりと少しだけ首を傾げた。

「でもねぇ……あのひと、何て言うかしら」
「えっ……なに今の呟き。ぬか喜びってやつ?!」

 喜んだり落胆したり――忙しい青年に、スイはうつくしい紫色の目をやさしく細める。
 ―――きらいではない。こういった感情を、くるくると素直に浮かばせ、見せてくれるひとは。

 スイの口許は、自然に笑んだ。

「ふふっ……大丈夫、大丈夫。連れては行けるよ。そういう約定だから」

 つ、と青年に近寄り、そのあとの言葉は耳元に手を添えて小声で囁く。

「(“助けを求めるものは、それが真実であるなら受け入れよ”……と。学術都市では定められているの。昔から)」
「へぇ……なるほど、それは良かった。あ、ちなみに俺、男前になったろ? 仕事も済ませたしさ、もう口説き倒してもいいんじゃない?」

 言うが早いか、空いている片手を躊躇いもせず彼女の腰に回す。
 ――と、耳に添えられていた手が容赦なくセディオの頬をつねりあげた。男前が一瞬で、二枚目半までだだ下がりとなる。

「いっ……たたたっ! ごめっ! 悪かったすいません機を見ますっ!!」
「わかれば宜しい。でも、咄嗟とっさにでも『もうしない』とは言わないところが凄いというか………凄いよね。
 あ、蒸しあがったみたい。貰ってくるね」

 すっと離れるスイ。下ろしたフードからこぼれた艶やかな長い黒髪が、きらりと弱い陽光を弾く。
 セディオは、ひりひりと痛む頬を手の甲で押さえた。

「くっそう……手心が一切加えられねぇって、どういうことだよ。何なの心折れそうだよ。なぁスイ、俺、嫌われてる?」

 店頭で、心なしか居たたまれなさそうに頬を染める売り子の少女から菓子の袋を受け取ったスイは――振り返り、一度瞬いたあと、事もなく言い切った。

「嫌いじゃない。言ったでしょう?やぶさかではないって。好きだよ、貴方みたいなひとは」


 ――――……

 『だからっ! そういう大盤振る舞いを止めてくださいって、いつもいつもお願いしてるでしょう…?』と、すかさず突っ込んでくれる愛弟子は、残念ながらこの場にいなかった。
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